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能登地震で激甚被害の石川県珠洲市を取材 
過疎地を襲った悲劇

粟野仁雄・ジャーナリスト|2024年1月19日4:27PM

 1月1日に発生した能登半島地震の現場を取材するため、筆者は9日朝、車に布団や食料、水を積み込んで神戸の自宅を出発。現地で車中4泊の取材を敢行した。

避難所で愛犬と生活する多江千秋さん。(撮影/粟野仁雄)

 大災害では行方不明者の数字が当初は多く、それが無事の判明や遺体確認などで減ってゆくものだが、今回は安否不明者が途中から急増した。普段は都会に住む地元出身者やその家族が元日で帰省していたため一時的に人口が急増。加えて通信断絶や交通遮断などで安否確認が難しかったのだ。

 翌日到着した珠洲市役所では罹災証明発行に人が集まっていた。待っていた男性は「最初は乾パンだけ。食事が粗末で痩せてしまった」と不満そう。「ひげを生やしている男はみんな元日から家に帰っていない」と語る同市の男性職員は「食料備蓄はしていましたが、帰省者数は想定外で全然足りなかった」と打ち明けた。午後7時から近くで自衛隊が炊き出しを始めると、避難者は豚汁とご飯を冷めないうちに避難所などへ運ぶ。

 愛犬を散歩させていた同市飯田地区の多江千秋さんは市内の介護施設で働く介護士。「職場を休んで本当に申し訳ない」と市庁舎向かいの交流センターに避難する。「ペットのレスキュー隊がケージも提供してくれて助かりました」

「警報で津波が来るとわかって家族4人と1匹で市役所に徒歩で逃げました。エレベーターは動かず、母(82歳)を背負って4階に上げました。そのうち津波が襲うのが見えました。怖かった」

 自宅は床下まで水が浸入。夜中も母親のトイレの世話をしたが、簡易トイレは段差が大変で「途中からおむつにしました」。その後、母は施設に預けられたという。

 最近は被災地で高齢者や身障者専用の「福祉避難所」も普及し始めてきたが、珠洲市ではそんな余裕もない。小学生の娘2人と避難中の濱田幸江さんは「元日は春日神社で娘が踊る行事を終えた。その直後に地震が来て神社が倒壊した」と胸をなでおろす。

 取材中、捜していた父が家にいたことが判明。濱田さんが「家にいたら絶対ダメよ。捜索の人に迷惑だからこっち来て」と懸命に電話し、間もなく父親が徒歩で現れた。建築士が耐震判断をし、危険とされた家には寝泊まりを禁じる赤い張り紙が貼られるが、ここでは遅れていて自宅に執着する高齢者が帰宅してしまう。まだ建物診断よりも不明者捜索が優先だった。

10日経っても断水・停電

 能登半島の群発地震はこれで3年連続だ。濱田さんは「情報が何も入らなかった。この辺は独り暮らしのお年寄りが多い。これを機に金沢市にいるお子さんのところに身を寄せたまま帰らない人も増えるでしょう。家を建て直す余裕のある人は少ないし、ますます過疎になる。珠洲市は珠洲村になっちゃうのかな」と嘆いた。

 珠洲市内は完全断水で、筆者も簡易トイレ使用後は雪で手を洗った。熊本地震などではポリ容器を持つ市民が給水車に列をなす光景をあちこちで見たが、ここでは給水車も見ない。「雪をかき集めて風呂桶で溶けるのを待って使っています。家にはまだ電気も来ていない」と濱田さん。地震発生から10日が経過しているのに、だ。

 大間玲子さん(62歳)は、警察官の長男圭介さん(42歳)の妻・はる香さんと子息(孫)3人の死亡が確認され、はる香さんの両親が安否不明。「息子は妻の実家にいた時に揺れが来て、すぐ署に向かおうと飛び出したらすごい音がして、振り返ったとたんに土砂崩れで家が消えていたそうです。息子は今は金沢に行ってますが、どんな思いなのか」

 肉親の悲劇に涙も出尽くしたのか、淡々と話す大間さんは葬儀に備え喪服を携えていた。

(『週刊金曜日』2024年1月19日号)

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