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福島原発告訴団の思い(5) 渡辺ミヨ子さん
2012年6月6日4:56PM
〈「核の恐怖」は覚えていたのに……〉 福島県田村市在住 渡辺ミヨ子さん(70歳)
私が小学生の時、原子爆弾が落とされた広島の映画を二度見ました。
爆弾が落とされた場所にいたわけではない人たちまで、髪の毛が抜けたり、体にさまざまな異変が起こったり……。被爆者が苦しむ様子を描いた映画を見て、子ども心にも恐怖に怯えたことを、今でもはっきり覚えています。
私は1942年に旧・船引町(現・田村市)で生まれました。戦後は貧しかったものの、豊かな自然の中で健康に生きてこられたと思っています。
嫁ぎ先の旧・都路村(現・田村市)では、原発ができると皆、原発に働きにいくようになりました。そして「核の平和利用」「地域経済の発展」「安心、安全」という美名のもと、次々と原発がつくられていったのです。私は、そんな「地域経済の発展」に身を任せていました。福島県内に原発反対運動をしている人がいることさえ、知りませんでした。そして福島第一原発事故は起きたのです。
私たちの世代を育んでくれた「うつくしま福島」の豊かな自然は、広島や長崎の人たちが見舞われたのと同じ放射能に汚染されてしまいました。「核の恐怖」を覚えていたはずなのに、うわべの「経済の豊かさ」に目も心も奪われていたのかもしれません。
そんな私は今、この福島の地で成長していく子どもたちのために、一体何を残してあげることができるのかを、必死に考えています。
(まとめ・明石昇二郎〈ルポライター〉、5月25日号)