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竹中労に学んだ人斬りの法(佐高信)

「ヘアトニック・ラブで革命ができるか」

不破哲三について竹中労はこう言った。現在の志位和夫のように“共産党のプリンス”視されたころの不破を、プラトニック・ラブをもじって痛烈に皮肉ったのである。

私は悪罵の投げ方を、この竹中に学んだ。竹中は『週刊読売』連載の「エライ人を斬る!」で、時の首相・佐藤栄作の妻、寛子などを槍玉に挙げ、突如、連載を打ち切られる。ちなみに同誌1970年9月25日号掲載の「佐藤寛子を斬る」のタイトルは「“庶民”ぶるネコなで声の権勢欲夫人」だった。

それで竹中は謝罪文要求の訴えを起こしたのだが、その裁判の証人に自らが「反逆の志忘れたハゲ坊主」とバッサリやった今東光(中尊寺貫首、元参議院議員、作家)を申請した。そして、1976年10月27日、病気だった今の“臨床尋問”が行なわれる。

訴えられた読売新聞社側は、竹中の今批判を「下品で野卑で愛情のない、プライバシーを傷つける表現」であり、「取材の対象に会いもせずに、恣意によってメッタ斬りにする、人物評論の常道を逸した低級な記事」と決めつけたが、今自身はそう受け取らなかった。

「竹中クンの人物評には、底意地の悪い不潔感のともなう表現はありませんね。斬られるほうだって、鈍刀でやられるより名刀でスパッとやられたほうがさっぱりする。竹中クンの裁断というか、メスの入れ方というものは非常に明快、痛快で僕は好きですね。それを嫌だ不愉快だというのは、よっぽど了見のせまいヘンな野郎で、そういうのがつまりエライ人ということになるんでしょうな」

名刀ではなく竹中のような妖刀で

弁護士が「体制秩序のタイコ持ち」といった表現を中傷とか個人攻撃と思わなかったかと尋ねても、今は平然と答える。

「日本人というやつはかげにまわると、天皇陛下の悪口だって言うんですから、面とむかってののしられるのは、むしろ幸運だと思わなくちゃいけないんですよ。よい評判しか耳に入ってこないと、人間は堕落しますからね。ハゲといわれるのが嫌ならカツラをかぶりゃいい、タコ坊主、クソ坊主、そんなこたァあんた、銀座のバーの女の子のほうが、よっぽどぬけぬけと不遠慮にいうんダ。竹中が言ったからハラが立つ、ホステスだったらヤニさがってへらへら聞いている、そんなものですよ並のエライ奴ってェ人種はね」

竹中は今を「男根もどきの禿頭を、おっ立てふり立ててマスコミを騒がせにかかった」とも書いている。

弁護士が「そんな表現がありましたね」と挑発しても、
「ああ、ござったござった。ヘッヘッヘッ実に面白いねぇ」
と今は笑いとばす。そして「文体や斬る対象によっての心配り」がなされているかという問いにも、泰然と答える。

「これはねぇ、無意識にというか、言いたい放題に書いちゃいませんよ。文章読めばすぐにわかるけど、竹中ってのは意識過剰な男だからね、それはかなりはっきり意識して工夫して書いていますとも。これね、ちょっと見ると、俺を怒らせよう怒らせようとして、今東光に竹中が挑んでるなと、トーシロは思うでしょうけどね、そいつは間ちがいだな、だいいち僕自身がそうとっていません。逆に悪口はそれでも足りない、もっとやってと言いたいくらいだ。人物評ってもな、そういう毒をふくまなくちゃ、サマになりゃあしません」

竹中によれば、今のこの証言は事前の打ち合わせなどまったくなしに行なわれたものだった。私は名刀ではなく、竹中のような妖刀で、これからも人を斬っていきたい。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、3月31日号)