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松井大阪府知事が安倍首相と連携し森友問題を幕引きか

「私学課にも安倍首相にも違法行為はない」と松井一郎大阪府知事。(撮影/横田一)

森友学園の設置認可問題(審査基準の不適合)を調査してきた大阪府は4月6日、私学課長の対応に違法性はないとして懲戒処分を見送り、厳重注意処分に止める甘い調査結果を発表した。審査自体には問題がなかったと結論づけ、5回も府を訪問した財務省近畿財務局の働きかけ(圧力)を不問に付そうとしたものといえる。

松井一郎大阪府知事も同じ立場だった。6日の囲み取材で「近畿財務局が5回訪ねているが、国の圧力、働きかけが私学課長の決定に影響を与えたと理解していいのか」と聞くと、知事は私学課長の違法行為を次のように否定した。

「(近畿財務局の訪問は私学課長の)判断には影響しているけど、違法なことをやっているわけではなくて、私学課もそういう国の意見(2007年の文部科学省の規制緩和の通達)を受けて、『橋下知事時代と僕の時代の大きい教育改革の流れには沿っていこう』という風な判断はあったでしょう」

しかし大阪府私学課の異例の認可について「借地上への校舎建設は違法行為」といち早く指摘した元経産官僚の古賀茂明氏は「(府の)規制基準にはまず『学校の土地は借地ではいけません』と書いてあり、例外的に『運動場とか仮設の物置とかは借地の上に建ててもいい』と書いてある。例外を作る時に『校舎を入れてはダメ』としているのにもかかわらず、大阪府は『借地でいい』と認可をしている。完全に違法です」と断言する。

実際、6日に府教育庁と総務部が発表した「設置認可申請に関する検証報告」は、借地上の校舎建設を問題視。「本件借地を『自己所有』と同じ扱いにすることについて、リーガル(法律的な)チェックをしたか」との問いに、「(担当者の)D課長、C補佐及びB主査ともに、『特に問題あるとの認識はなかったので、確認は行なっていない』とのコメントであった」と回答するやりとりを紹介していた。

「リーガルチェックを怠ったのは国(近畿財務局)の精力的な働きかけの産物」と窺える記載も検証報告書にはあった。私学課職員は「借地が将来的に自己所有となることから問題はない」と判断したのだが、根拠として「近畿財務局からは『平成25年9月以降に適時、来課や問い合わせがあった』」「近畿財務局の照会文書に『取得等要望』に森友学園との記載があった」などを挙げていたからだ。国が精力的に働きかけた結果、府の違法行為を招いたのは明白だ。

さらに、府の聞き取り調査では、国会議員からの問い合わせがあったことも判明。2014年7月まで日本維新の会国会議員団代表だった平沼赳夫・元経済産業大臣(現在は自民党)から「森友学園の理事長に対する府の職員の態度が悪い」というクレームが入ったというのだ。ただし私学課内でも記憶している職員と記憶にない職員がいて、平沼事務所も「連絡を取ったことはない」と否定。

しかし元維新の上西小百合衆院議員は語る。「維新時代13年に平沼先生らから指示されて塚本幼稚園を視察しましたが、異様なのでブログなどで自ら発信することはありませんでした。平沼先生が府に問い合わせをしたとすれば、職員に影響を与えたと思います」「府の検証報告にある『(私学課長の)厳重注意処分』は、不祥事が多い維新の常套手段。身内をかばう時によく使う形だけの甘い処分です」。

【首相と連携し幕引きか】

近畿財務局の国有地払下げと府の私学認可は「ニワトリとタマゴの話」(鴻池祥肇事務所の陳情整理報告書)とたとえられた関係で、両者が足並みを揃えないと実現困難だった。ここに安倍晋三夫妻の働きかけが影響を与えたのか否かが疑惑解明の核心なのに、松井知事は「白」という結論を下した。

7日の囲み取材で「私学課の違法行為を認めなかったのは、近畿財務局や安倍首相に疑惑追及が及ばないようにするためか」と聞いたが、松井知事は「違法行為はない」という主張を繰り返した。

籠池前理事長の長男佳茂氏はツイッターで「安倍先生と松井知事の連携プレー」と指摘したが、幕引きもこの2人の連携プレーと疑いたくなるのだ。

(横田一・ジャーナリスト、4月14日号)

雇用環境改善だけでは消費は増加しない(高橋伸彰)

現在の安倍政権が誕生してから政府の景気判断(『月例経済報告』)で、「回復している」という総括判断が示されたのは、消費税率引き上げ前の駆け込み需要があった2014年1月から3月までの3カ月にすぎない。翌4月には「緩やかな回復基調が続いている」と判断が下方修正され、その後は今年3月に至るまで36カ月連続の「回復基調」、すなわち「回復の途上にある(道半ば)」が続いている。

「回復している」と「回復基調」の間にどのような違いがあるのかを一般論として論じるのはむずかしいが、安倍政権下の景気に焦点を当てるなら個人消費が鍵を握っている。というのは政府が個人消費が「増加している」と判断したのも、14年1月から3月までの3カ月にすぎないからだ。つまり日本の景気が「回復している」という結果を出せずに、いつまでも「回復基調」という道半ばで足踏みしているのは、GDP(国内総生産)の6割を占める個人消費が増加しないからである。

一方、政府の景気判断によれば雇用情勢は15年12月以降、16カ月連続して「改善している」。この3月末に公表された「労働力調査」でも完全失業率は2.8%と22年ぶりの低水準となり、昨年11月以降すべての都道府県で有効求人倍率が1.0を上回っていることと併せ考えれば、雇用の需給が逼迫していることは間違いない。

それにもかかわらず雇用情勢の改善が、賃金上昇を通して個人消費の増加に波及しないのはなぜだろうか。政府・日本銀行は五右衛門風呂の例えを使って、釜は熱くなっているが、釜の湯が温まるまでにはなお時間を要していると嘯くが、ここまで湯が冷えたまま(消費が増加しない)なのは、そもそも湯を温められるほどに釜は熱くなっていない(賃上げが不足している)からではないか。

実際、『朝日新聞』は失業率が22年ぶりに低水準となったと報じる4月1日付の紙面で「人手不足感が強まっているにもかかわらず、賃金の伸びは鈍い」と指摘、『日本経済新聞』も同日付で「人手不足が賃金や物価上昇に波及する経済の好循環は実現していない」と報じている。安倍首相は「官製春闘」で賃上げを実現すれば消費も増えると目論んでいたようだが、今春闘の失速ぶりをみれば当てが外れたのは明らかだ。

筆者は本誌への寄稿(「永遠の『道半ば』に潜む安倍首相の真意」、2017年1月20日号)で、累計約340兆円の「失われた賃金」こそが消費不調の主因だと述べたが、その責任は経営側だけでなく積極的な賃上げ闘争を怠ってきた労働組合にもある。言うまでもなく、雇用の需給が逼迫したからといって市場メカニズムの作用で賃金が自動的に上がるほど現実は甘くない。賃上げは労働組合が対立覚悟で経営側と交渉して勝ち取るものであり、そのために団体交渉権やスト権行使などの闘争手段が法律で認められている

連合は一部大手組合の賃上げをもって春闘を総括するのではなく、すべての労働者が失われた賃金を奪還するまで間断なく闘争を続けるべきだ。そうでなければ安倍政権の命運が尽きる前に、連合に対する労働者の信頼が失われてしまうのである。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。4月7日号)

今村復興相を激怒させた記者が寄稿 原発事故「自主避難」者に対する国の責任とは

4月6日、今村復興相辞任を求める署名を復興庁職員(左)に提出する避難者たち。(撮影/西中誠一郎)

「本日は歴史に残る日だと思います。福島第一原発事故で全国各地に避難した人々の生活再建を切り捨てようとする国や福島県。避難指示区域外からの避難者への住宅無償提供が、本日で打ち切られようとしています。住まいこそが生活再建のため、避難生活を続ける拠点です。こんな人道にもとる行為は他にない、断じて許すことはできません」――3月31日午後、東京・永田町の国会議員会館前に、福島県から各地に避難した人々やいわき市議、支援者らが緊急に集まり、抗議の声を上げた。

2015年5月「自主避難者の住宅提供を2017年3月末で終了する」ことが閣議決定され、翌月には福島県が「2017年3月末に、自主避難者への借り上げ住宅の無償提供を打ち切り、2020年までに県内外の避難者をゼロにする」ことを公表した。以来約2年間、「自主避難者」への「住宅無償提供打ち切りの撤回」を求める行動が日本各地で続いた。しかし「復興の加速化」「帰還の推進」を掲げる政府と福島県の対応に変化はなく、生活に困窮する避難者の当面の居住先を継続、確保するために、受け入れ先自治体に対して、避難者自身と支援者が協働で個別交渉を新たに開始、切迫した緊急事態が続いていた。

「連絡がとれなくなった世帯もある。これでは路頭に迷う避難者や自殺者が必ず出る」(「避難の協同センター」瀬戸大作氏)という状況に追い込まれる中、3月17日に全国約30カ所で起きている原発事故被害者の集団住民訴訟に先駆けて、国と東電の事故責任や住民避難の責任を認定する判決が群馬県前橋地裁で出た(国と東電、原告一部がそれぞれ控訴)。「路頭に迷う避難者をひとりも出さない」ためにも、国の責任は免れない。住宅無償提供の継続と、自然災害対策の「災害救助法」適用の抜本的な見直しが必要だ。

【筆者の質問に激怒】

そのような状況下、筆者は「今村雅弘復興大臣は『自主避難者』が置かれた現状を直視すべきだ」という思いで、4月4日の定例記者会見に臨んだ。久々に参加した復興相の記者会見だったが、復興庁には記者クラブも幹事社もない。大臣の冒頭発言が終っても1社からも質問が出ず、会見が終りそうになったため慌てて挙手した。その後のやり取りはメディアで数多く報道されてきた通りだ。

大臣自身の言葉で「自主避難」に対する国の責任を認めさせたい一念で食い下がったが、大臣が激怒するとは思いもよらなかった。動画撮影もしながらの質問だったが、インターネット放送「Our PlanetTV」で、すぐに編集してもらいネット配信したところ、「今村復興相発言の撤回と原発事故被害者への謝罪」そして「大臣辞任」を要求する署名活動がただちに開始され、わずか1日で2万8000筆を超える署名が集まった。

翌5日夕方には復興庁前で今村復興相の辞任を求める緊急行動が行なわれ、6日には首相官邸前での抗議行動や復興庁への署名提出を実施。避難指示が解除された浪江町からの避難者や区域外避難者も参加し、大臣か副大臣への直接面会を求めたが実現しなかった。

その後も連日のように復興庁前での抗議行動や緊急記者会見等が続き、今村復興相や菅義偉官房長官、安倍晋三首相も、国会内や福島県訪問時に、形だけは謝罪した。しかし「感情的になり、多くの避難者を傷つけたこと」は認めたものの、今村復興相の罷免は勿論、「自主避難者」に対する国の責任や、住宅無償提供打ち切りの撤回などは一切認めていない。「誠心誠意、福島復興のために寄り添っていく」というこの6年間繰り返してきた空疎な言葉を並べただけだ。今村復興相の辞任を求める声は日に日に大きくなっている。

今週中にも衆参両院で復興特別委員会が開催される。両院で区域外避難者を参考人として招致し、逼迫した避難生活の実情を国会内外で明らかにし、国の責任で、福島県内外での避難者用住宅の無償提供打ち切りを直ちに撤回し、「災害救助法」の運用を抜本的に見直すことが緊急に求められている。

(西中誠一郎・ジャーナリスト、4月14日号)

開沼博の正体(前編)──原発事故被害を「漂白」する伝道師(明石昇二郎)

良識ありげにデタラメを言う人が、なぜこれほど“評価”されるのだろうか。福島をめぐる見解、とくに安全性にかんする言説には両極端があり、被災者を悩ませている。だからこそ、私たちは「事実」を重視すべきだ。デマの垂れ流しを放置してはならない。

2011年4月10日、東京・高円寺で行なわれたデモ。

「『即座に原発をなくせ』ということが、ただでさえ生活が苦しい原発立地地域の人間にとっては仕事を奪われることになる。それがどれだけウザいか。『奇形児を作らせるな』と障がいがある方もデモに参加している中で叫ぶ。新たな抑圧が生まれかねない状況がある以上、手放しでは見過ごせません」

社会学者・開沼博氏が「日刊サイゾー」に寄せたコメントである(http://news.livedoor.com/article/detail/5769413/)。彼が批判したのは、今から6年前の2011年4月10日、東京・杉並区高円寺でおよそ1万5000人が参加して行なわれた「原発やめろデモ!!!!!」のことだ。

1万5000人の反原発デモは「ウザい」

翌12年6月の「首相官邸前20万人デモ」の端緒となったこの大規模デモは、福島第一原発事故とそれに伴う計画停電の衝撃が冷めやらぬ中、行なわれていた。

その「高円寺デモ」を、明石も取材している。デモとデモの参加者たちから受けた印象を、拙著『刑事告発 東京電力』(金曜日)の中で次のように書いた。

「彼らは三月一一日以降、大地震の揺れに見舞われ、帰宅難民となり、原発の爆発で肝を冷やし、首都圏まで飛んできた放射能で被曝を強いられ、水道水や野菜が放射能で汚染されたことで恐怖のどん底に突き落とされ、計画停電によって(鉄道の運転本数減をはじめとした)不便や(道路の信号機が点かないなどの)危険を強いられ、それでも、この日まで耐え忍んできた。そんな我慢を重ねてきた彼らがこの日、ついに感情を爆発させ、こんなことはもうゴメンだと、怒りの意思表示をしたのだ――」(カッコ内は筆者注)

同じデモを見ていながら、受ける印象はこうも違うものなのかと驚かされる。ただ、開沼氏が指摘する「奇形児を作らせるな」との叫び声は、デモの取材中、一度も耳にすることはなかった。

この日の高円寺デモにこれほど人が集まるとは主催者でさえ予想しておらず、それはデモを規制する警察や、デモを取材するマスコミにしても同様だった。同じ日に港区の芝公園周辺でも反原発デモが行なわれており、大半のマスメディアは「芝公園デモ」のほうを取材していたのである。

だが、社会学者の開沼氏は、毎日出版文化賞を受賞した自著『「フクシマ」論』(青土社)の中で次のように「高円寺デモ」を評論する。

「主催者は『大成功』だったと公式サイトで振り返る。ところが、『大成功』の一方で参加者やそこに共感を寄せる者が満足できなかったことがある。それはテレビ・新聞という大手旧来型メディアがこの一五〇〇〇人の『大成功』のデモをとり上げなかったことだ」

この日は、統一地方選の投開票日でもあった。当たり前のことのように思えるが、マスメディアは「反原発デモ」より選挙結果に紙面や放送時間を割き、原発推進を掲げた首長や議員が軒並み再選を果たしたことを報じていた。開沼氏は、こうした選挙結果を根拠に、原発の大事故が起きてもなお、原発で禄を食む人々のために「原発は維持」されるとして、

「原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼ら(原発の仕事で収入を得ている人々)の生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない」(カッコ内は筆者注)

と、デモを敵視する。

しかし、開沼氏は「高円寺デモ」当日、取材で新潟県を訪れていたのだという。当の『「フクシマ」論』に、そう書かれていた。

恐れ入ったことに開沼氏は、高円寺に来ないで「高円寺デモ」を批判していたのである。その上で開沼氏は、見ていないデモを「ウザい」「見過ごせません」などと罵倒していた。

ルポというより「エッセイ」

1984年生まれの開沼氏の出生地は、福島県いわき市。自身のオフィシャルサイトによれば、現在の肩書は立命館大学准教授である。

氏の著書『漂白される社会』(ダイヤモンド社)は、著者によれば「ルポルタージュ」(ルポ。現地報告)でもあるのだという。

『Voice』13年5月号で開沼氏本人が語っていたのだが、彼には実話誌『実話ナックルズ』でライターをしていた経歴がある。その頃に取材したネタを「社会学風」(本人談)に書き換え、ウェブサイト「ダイヤモンド・オンライン」で連載したルポを一冊にまとめたものだ。

同書のタイトルにもなっている「漂白」とは、開沼氏の定義によれば「これまで社会にあった『色』(偏りや猥雑さ)が失われていく」ことなのだという。そしてそれらは、治安上「あってはならぬもの」と警察が考えているものらしい。その具体例として同書で挙げられているのが、「売春」「生活保護の不正受給」「女衒」「賭博」「脱法ドラッグ」「過激派」「偽装結婚」などである。

東海地方の観光地を訪ねた「売春島ルポ」では、客引きのおばあさんを取材してはいるものの、売春行為の当事者である売春婦や客は登場しない。

そして、その観光地のそばには、かつて原発の立地計画があったと、唐突に語られる。そこでの売春の歴史と原発計画の間には何ら関連性がないのだが、参考文献を読み漁って書いた「解説」が、現地ルポより長く感じられるほど延々と続く。

開沼氏はこうした文章を「ルポルタージュ」と呼んでいるが、その実態は「エッセイ」(随筆)に近い。言うまでもなくエッセイは、本から得た知識や自身の体験や見聞をもとに、それに対する感想や印象、思想を書き記した文章のことである。

「過激派ルポ」での創作疑惑

開沼「ルポ」の最大の弱点は、作文を書く上での大原則「5W1H」(いつ・どこで・誰が・何を・なぜ・どのように)がハッキリ書かれていないことだ。そのため、追試や検証ができない。これは、ルポのリアリティや説得力にも関わってくることだ。

「調査対象者を傷つけない」ことを理由に、意図的に省略しているのだと開沼氏は説明する。だが、その理由では説明がつかない“5W1Hの省略”も彼の「ルポ」には存在する。

12年に書かれた「過激派ルポ」は、時期も場所も伏せられた「脱原発デモ」の描写から始まる。

「『ゲンパツイラナイ』『ゲンパツイラナイ』……。
先導する女性の声に呼応して響くシュプレヒコール。
そこにいる人々の表情は、『暗かったり』『重々しかったり』……とは程遠い。笑顔を浮かべる若者も年長者も、男女問わず、それぞれが自由に声をあげて体を動かす。しかし、その一群の姿からは、他の参加者とは違う、どこか “慣れた”様子が感じられる」(同書260ページ)

そして「『普通の市民ではない』彼らも帰途につく」として、開沼氏が過激派「A」のアジトを訪問した話へと繋がる。脱原発デモに参加していた人物が、公安警察にマークされている過激派のアジトにも出入りしているのか――という印象を読者に抱かせる文章構成になっている。

そこで疑問が浮上する。過激派「A」アジトの取材は、いつ行なわれたのだろうか。以前取材してストックしてあった過激派ネタを“在庫一掃セール”よろしく、12年当時の脱原発デモと安直に結び付け、「過激派ルポ」として仕立て直したのではないか――。

そんな不信感を抱くのは、前掲の『Voice』インタビューで開沼氏が、実話誌ライター時代に取材したネタを「社会学風」に書き換えたと語っていたからに他ならない。

現にアジトの描写では「脱原発」に関係する話題は何ひとつ登場せず、「三里塚のヤサイ」の写真がひときわ目を引くありさま。なぜ過激派「A」が脱原発デモに参加するのか、取材者である開沼氏は「A」のメンバーに訊ねてもいない。ひょっとすると、「過激派ルポ」の冒頭で登場する過激派は、「A」とは別のセクトなのか? そんな基本的なことさえ、開沼「ルポ」は説明を省く。ルポとして不自然である上に、不完全なのだ。

脱原発デモを「過激派」と結び付けるのであれば、読者を納得させるだけの理由や必然性がなければならない。例えば、以前取材したことのある過激派メンバーを、たまたま脱原発デモで見かけたのならば、そのままを書くのが「ルポルタージュ」である。「社会学」もまた然り。下手な演出は、読者をミスリードするだけである。

「漂白」される原発事故の健康被害

2016年4月21日付「WEDGE REPORT」。(撮影/編集部)

開沼氏は「脱原発」を唱える人々が嫌いである。そして、福島県民の健康問題を指摘する声にも、開沼氏は“鉄槌”を加える。

「甲状腺がんの問題もよく話題になりますが、『福島で甲状腺がんが多発している』と論文にしている専門家は、岡山大学の津田敏秀さん以外に目立つ人はいない。その論文も出た瞬間、専門家コミュニティーからフルボッコで瞬殺されています」

16年4月21日付「WEDGE REPORT」における開沼氏の発言だ(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6618?page=1)。科学者のコメントとは思えないほど意味不明だが、悪意だけはしっかりと伝わってくる。

原因はさておき、福島第一原発事故以降、福島県内で甲状腺がんが多発しているのは事実である。それは小児ばかりか、大人でも言えることだ。国の「全国がん登録」データを検証したところ、同原発事故以降、福島県で大人の甲状腺がんが増加していることが確認されたため、本誌16年7月22日号でその事実を明石が報告した。その記事では、疫学と因果推論などが専門の津田敏秀・岡山大学大学院教授のコメントも紹介している。

論文には論文で対抗するのが科学界のルールだ。津田論文が「フルボッコで瞬殺」されたかどうかは、当の論文が掲載された医学雑誌上での議論の結果、判断される。だが、津田論文が「瞬殺」された事実はなく、同論文は取り下げられてもいない。開沼氏が言うような「専門家コミュニティー」が審判役を務めるわけでもない。そしてこのことを、科学者である開沼氏が知らないはずがない。

「専門家コミュニティー」がどんな人たちのことを指すのか説明はないが、津田論文に不快感を表明している人の大半は、いわゆる「原子力ムラの御用学者」たちである。

国際環境疫学会が発行する医学雑誌『エピデミオロジー(疫学)』のオンライン版に津田論文が掲載されて以降、津田教授と原子力ムラの御用学者たちの対決が、新聞紙上や公開討論会等で繰り広げられてきた。そうした対決や論争を新聞記事で確認すると、津田教授は「フルボッコで瞬殺」などされていない。だが、見てもいない反原発デモさえ敵視する開沼氏にはそう見えるのか。開沼氏にとって、原発事故に伴う被曝による健康被害は「あってはならぬもの」、つまり漂白されるべきものなのだろう。しかし、だ。

「社会学者」の開沼氏が科学的根拠を示さぬまま、悪意を持って名指しで疫学者の名誉を棄損し、事実でない話を得意げに言いふらすのは、科学のルールを著しく逸脱しており、科学者失格である。

(あかし しょうじろう・ルポライター。4月7日号掲載。後編は4月14日号に掲載しています)

和歌山毒物カレー事件で無罪主張の林眞須美被告、再審請求の行方は?

1998年に和歌山市園部の夏祭りで何者かがカレーにヒ素を混入し、67人が死傷した事件で、和歌山地裁は3月29日、無実を訴えながら死刑確定した林眞須美さん(55歳)の再審請求を棄却した。

林さんの裁判では、証拠が乏しい中、東京理科大学の中井泉教授が大型放射光施設スプリング8で「林家で見つかったヒ素」や「カレーに入れられたヒ素」を分析し、「同一の物」とした鑑定結果が有罪の決め手とされた。しかし林さんの再審請求後、京都大学の河合潤教授が中井鑑定のデータを解析し、「林家などで見つかったヒ素とカレーに入れられたヒ素は別物」と結論。弁護側は河合教授の鑑定書などを地裁に提出し、再審請求に対する注目度が高まっていた。

地裁は決定で、「確定判決の有罪認定に合理的な疑いを生じる余地はない」と断じたが、審理中は弁護側が求めた河合教授の尋問を認めず、弁護側は「不公平な裁判をする恐れがある」と浅見健次郎裁判長らの忌避を申し立てていた。すでに林さんは大阪高裁に即時抗告しており、即時抗告審でもヒ素の鑑定が争点になるのは確実だ。

林さんは保険金目的で夫の健治さん(71歳)にヒ素を飲ませたとされる殺人未遂の容疑も有罪が確定しており、この容疑も無実を訴えて再審請求していたが、決定で退けられた。健治さんは「ヒ素は保険金目当てで自分で飲んでいた」とする陳述書を地裁に提出しており、「今さら『裁判は間違いだった』と言えないのだと思う。眞須美が私を殺そうとヒ素を飲ませていたら、私が生きているはずがないのに」と裁判官への不信を口にした。

現場の園部では、「今さら無実とわかるならとっくの昔にわかったはず」と突き放したように話す住民もいる一方で、「地元でも実際はどうだったのかという声もある」と語る住民も。林さんの再審請求は棄却されたが、事件の真相はまだ解明されたとは言い難い。

(片岡健・ルポライター、4月7日号)

もっと闘え!民進党(西谷玲)

今回は2月10日号本欄に続き、民進党のことを取り上げたい。ご存知の通り、今国会では森友学園問題で紛糾している。ここでこそ攻勢をかけて安倍政権を追い詰めなければならないし、それが可能なはずなのに、迫力不足に見えるからだ。各種世論調査で、安倍政権の支持率が下がっていても、民進党のそれが上がっていないのはその表れだろう。

何といっても国会戦略のまずさが挙げられる。まず、予算を早く通しすぎた。森友学園問題では、2月17日の時点で安倍晋三首相は、国有地が格安で払い下げられたことについて、「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と明言している。ここまで言い切るか、という調子だったわけだが、この時点でこの問題の重さを察知して、戦略や進め方を練らねばならなかった。

それなのに、その10日後の27日にあっさりと予算を衆院で通してしまった。スピード通過である。その後、稲田朋美防衛相は、森友学園の訴訟について、答弁を撤回して謝罪をしている。3月半ばのことで、まさしく虚偽答弁で大問題だ。もう少し予算通過を遅らせていれば、国会戦術として、予算を「人質」にとって稲田氏の辞任を迫ることだってできたはずだ。

稲田氏については、南スーダンのPKO(国連平和維持活動)での日報を防衛省が廃棄したとしていたが、その後保存されていたことが発覚している。その日報には、昨年7月の首都ジュバの状況を「戦闘」と表現していたが、「衝突」と言い換えてきた。なぜならば、「国会答弁をする場合、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」(稲田氏)からだ。逆だろう、憲法に抵触するからと現実を捻じ曲げてどうする。そんな問題だらけの防衛相、“首”をとれなくてどうするのか。国会のやり方としてどうなのか、という民進党への疑問はまだある。

籠池泰典氏への証人喚問の時、衆院で質問に立ったのは枝野幸男氏であった。彼は論客だし、質問巧者でもある。しかし、ここではこの問題に先鞭をつけた福島伸享氏が担当するのが筋というものだろう。先述した2月17日の質問も福島氏によるものだ。一番問題に詳しい彼になぜやらせないのか。

それは、「偽メール事件」の再来を懸念して、ということのようだ。偽メール事件は2006年、今の野田佳彦幹事長が国対委員長の時のことだった。あの時の失敗のように、問題をあおりたくない、あくまで慎重に進めたい、ということのようだ。偽メール問題とこの森友問題は位相を異にしているように思えるがどうだろうか。そうならないように、福島氏を党が側面支援すればいい話ではないか。ビビり過ぎのように思えるが。

今、民進党に必要なのは「闘うんだ」「必死なのだ」というファイティングスピリットである。それが見られない。そこを国民に見透かされて、支持率が伸びないのではないか。ある若手は「解党しかない」と言った。じゃあ出ていったら? と言いそうになった。なぜならその言い方が、他人事のように聞こえたからだ。党がこんなふうになったのは上のせいだ、自分のせいじゃない、というように。なんか冷たいのだ。きっと、こういう人が多いから党がこんなことになってしまった、気がする。

(にしたに れい・ジャーナリスト、4月7日号)

アンパンの経済学(浜矩子)

開いた口がふさがらず、顎がはずれて地面に着きそうになった。道徳教科書の検定結果に関するニュースを聞いてのことである。小学校の道徳教育は、2018年度から正式に「教科化」される。それに対応して出版各社が作成した教科書に関する検定が行なわれた。

検定意見を受けて「パン屋」が「和菓子屋」に差し替えられることになった。お散歩の途上で、おじいさんに連れられた小学1年生がパン屋に立ち寄る。この想定が、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと」という学習指導要領が示す「内容項目」に合致しない。そういうことらしい。

一体どんな人たちが教科書検定にたずさわっているのだろうか。多くの審議会委員たちが、明治の富国強兵時代からタイムスリップして来ているのかもしれない。全国津々浦々のパン屋さんたちは、今、どんな気持ちでいるだろう。自分たちは、子どもたちが愛着を持つべき対象として認知されない。子どもたちの愛着の対象となってはいけない。そんな風に考え込んでしまわないといい。

一方で、「グローバル人材の育成」などということがやたらに言われる。このことと、パン屋は×で和菓子屋なら○だという発想の間には、いかなる脈絡があるのか。少し考えればすぐ解る。上記の「グローバル人材の育成」とは、視野がグローバルな人々を育てるとか、多様性を包摂できる感性を育むことを意味してはいない。目指されているのは、グローバル競争に勝てる人間軍団の育成だ。愛国的グローバル戦士だ。この「愛国」の部分を担当するのが、道徳教育だということなのだろう。

このおぞましきニュースが、どうも、今場所の大相撲のイメージと重なってしまう。「○○年振りの日本人横綱」という言い方が飛び交う。大奮戦した手負いの新横綱、稀勢の里関に拍手を惜しみはしない。だが、この間、相撲人気を支えてきた外国人力士たちは、今、どんな思いでいるだろう。それが気になるのだ。

ところで、本欄は「経済私考」である。だから、このパン屋問題も、経済的観点から考えておく必要がある。呆れるばかりの道徳教育の結果、日本の「文化と生活」の中からパン屋さんたちがいなくなったらどうなるか。端的にいって、和菓子業界も大いに打撃を受けることになるだろう。

なぜなら、世の中からアンパンが消えるからである。アンパンは芸術品だ。和と洋の絶妙なフュージョン。奔放な折衷コラボが生み出した至高の作品だ。残念ながら、筆者は甘い物が大苦手だ。その意味ではアンパン・ファンだとは言えない。だが、アンパンの経済効果は解る。アンパンから、子どもたちを和菓子の世界に誘導することだってできるだろう。

相異なる物たちの出会いが新たな創造につながる。多様なる人々の相互包摂が、新たな文化を生み出すのである。経済活動は、画一化と平準化が進めば進むほど、停滞する。人間社会は、多様性が低下すればするほど、消滅に近づく。これくらいのことは、教科書検定に当たるタイムスリップ人たちにも解ってほしい。筆者の顎の健康のためにも。

(はま のりこ・エコノミスト。3月31日号)

翁長沖縄県知事が抗議集会で「埋め立て承認撤回」を明言

沖縄県名護市、米海兵隊キャンプシュワブ・ゲート前の県民集会。(撮影/花輪伸一)

3月25日、翁長雄志沖縄県知事は、名護市の米海兵隊キャンプシュワブ・ゲート前の「違法な埋立工事の即時中止・辺野古新基地建設断念をもとめる県民集会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)に参加。辺野古での集会参加は就任後初めてだ。

集会前に、約5カ月間の不当勾留後保釈された山城博治沖縄平和運動センター議長が元気な姿を見せ「決してくじけず頑張ろう」と訴え、大きな歓声がわき上がった。

県民集会で、翁長知事は3500人以上の参加者を前に、埋立承認の「撤回を力強く必ずやる」と明言。一歩踏み込んだ発言であり、時期については触れなかったが、新基地建設に反対する県民、座り込み阻止闘争を続ける住民・市民にとって大きな励みとなった。

2015年10月に、知事は、第三者委員会答申にもとづき法的瑕疵があるとして、前知事の公有水面埋立承認を取り消した。その後、国との間で裁判が続き、16年3月に和解が成立したが、国は県との協議を行なわず再び裁判に持ち込んだ。同年12月の最高裁判決で県が敗訴し、今年2月から海上工事が再開されている。

しかし、判決に従い「埋立承認取消」を取り消しただけで、知事には、国側に埋立工事に関する留意事項違反があるとして承認を「撤回」する方法が残されている。今回、知事はこれを明言したのだ。

菅義偉官房長官は27日の記者会見で「県知事への損害賠償請求があり得る」と恫喝的な発言をしているが、知事は、岩礁破砕不許可、埋立設計概要変更不承認、埋立承認撤回など、知事権限を最大限に活用して埋立阻止を図る意向。県民も知事を強く支持している。

なお、「辺野古断念」、「普天間返還」等の意見を国内紙、米国紙ウェブ版に掲載する沖縄意見広告運動第八期の賛同者募集が始まっている。詳細は、URL http://www.okinawaiken.org/recruitment/

(花輪伸一・沖縄意見広告運動第八期全国世話人、4月7日号)

竹中労に学んだ人斬りの法(佐高信)

「ヘアトニック・ラブで革命ができるか」

不破哲三について竹中労はこう言った。現在の志位和夫のように“共産党のプリンス”視されたころの不破を、プラトニック・ラブをもじって痛烈に皮肉ったのである。

私は悪罵の投げ方を、この竹中に学んだ。竹中は『週刊読売』連載の「エライ人を斬る!」で、時の首相・佐藤栄作の妻、寛子などを槍玉に挙げ、突如、連載を打ち切られる。ちなみに同誌1970年9月25日号掲載の「佐藤寛子を斬る」のタイトルは「“庶民”ぶるネコなで声の権勢欲夫人」だった。

それで竹中は謝罪文要求の訴えを起こしたのだが、その裁判の証人に自らが「反逆の志忘れたハゲ坊主」とバッサリやった今東光(中尊寺貫首、元参議院議員、作家)を申請した。そして、1976年10月27日、病気だった今の“臨床尋問”が行なわれる。

訴えられた読売新聞社側は、竹中の今批判を「下品で野卑で愛情のない、プライバシーを傷つける表現」であり、「取材の対象に会いもせずに、恣意によってメッタ斬りにする、人物評論の常道を逸した低級な記事」と決めつけたが、今自身はそう受け取らなかった。

「竹中クンの人物評には、底意地の悪い不潔感のともなう表現はありませんね。斬られるほうだって、鈍刀でやられるより名刀でスパッとやられたほうがさっぱりする。竹中クンの裁断というか、メスの入れ方というものは非常に明快、痛快で僕は好きですね。それを嫌だ不愉快だというのは、よっぽど了見のせまいヘンな野郎で、そういうのがつまりエライ人ということになるんでしょうな」

名刀ではなく竹中のような妖刀で

弁護士が「体制秩序のタイコ持ち」といった表現を中傷とか個人攻撃と思わなかったかと尋ねても、今は平然と答える。

「日本人というやつはかげにまわると、天皇陛下の悪口だって言うんですから、面とむかってののしられるのは、むしろ幸運だと思わなくちゃいけないんですよ。よい評判しか耳に入ってこないと、人間は堕落しますからね。ハゲといわれるのが嫌ならカツラをかぶりゃいい、タコ坊主、クソ坊主、そんなこたァあんた、銀座のバーの女の子のほうが、よっぽどぬけぬけと不遠慮にいうんダ。竹中が言ったからハラが立つ、ホステスだったらヤニさがってへらへら聞いている、そんなものですよ並のエライ奴ってェ人種はね」

竹中は今を「男根もどきの禿頭を、おっ立てふり立ててマスコミを騒がせにかかった」とも書いている。

弁護士が「そんな表現がありましたね」と挑発しても、
「ああ、ござったござった。ヘッヘッヘッ実に面白いねぇ」
と今は笑いとばす。そして「文体や斬る対象によっての心配り」がなされているかという問いにも、泰然と答える。

「これはねぇ、無意識にというか、言いたい放題に書いちゃいませんよ。文章読めばすぐにわかるけど、竹中ってのは意識過剰な男だからね、それはかなりはっきり意識して工夫して書いていますとも。これね、ちょっと見ると、俺を怒らせよう怒らせようとして、今東光に竹中が挑んでるなと、トーシロは思うでしょうけどね、そいつは間ちがいだな、だいいち僕自身がそうとっていません。逆に悪口はそれでも足りない、もっとやってと言いたいくらいだ。人物評ってもな、そういう毒をふくまなくちゃ、サマになりゃあしません」

竹中によれば、今のこの証言は事前の打ち合わせなどまったくなしに行なわれたものだった。私は名刀ではなく、竹中のような妖刀で、これからも人を斬っていきたい。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、3月31日号)

女性市議はなぜ「炎上」したのか(黒島美奈子)

発端は3月9日夕、沖縄県宮古島市の市議が自身のフェイスブック(FB)にした投稿だった。

陸上自衛隊が米カリフォルニアで米軍演習に参加したことを伝え「海兵隊からこのような訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる。軍隊とはそういうもの。沖縄本島で起こった数々の事件がそれを証明している」などと綴られていた。

米軍による性的暴行は深刻だ。米国防総省が2014年に公表した報告書によると、13年度の米軍内での性的暴行件数は5061件で前年度比50%増。同省が数年前から対応を強化しているにもかかわらずにだ。軍別では海兵隊が最も多く、女性海兵隊員の7・9%が被害を訴える。こうした性的暴行の多さは軍隊の構造によると指摘されている。市議の投稿はそうした事実を踏まえ、米軍との共同訓練強化で自衛隊が影響を受けるのではないかと懸念したものだ。

ところがFBには投稿を批判する意見が相次いで寄せられた。いわゆる炎上だ。市議は翌10日、同じFBで「言葉足らずな表現から、私の意図するところとは違う様々な誤解を生んでしまいました」と謝罪。(1)自衛隊や自衛隊員を批判しているわけではない、(2)自衛隊員がみんな婦女暴行事件を起こすと思っているわけではない、と釈明した。投稿の趣旨は「米軍と一体化して訓練することで、本来の自衛隊の専守防衛の枠を外れつつあることに強い危機感を持った」としたが、誹謗中傷や家族の情報を暴露するような書き込みも増えたことから一連の投稿を削除した。

日本という国で、軍隊による性暴力について認識を共有することは難しいのだろう。72年前の米軍の侵攻と同時に、沖縄では兵士による性暴力が続いている。しかし被害の実証は長い間困難だった。性暴力への偏見が根強い社会で被害者の多くは沈黙し、表面化するのは殺人に至ったケースなど一部の事件のみだ。県内の女性団体が古い警察記録や文献から洗い出した資料によって、米軍の駐留と性被害の関係性が明らかになったのは1990年代後半のことだ。

FB騒動は投稿削除で収まるかに見えたが、その後、舞台は市議会へ。投稿を疑問視した保守系与党会派議員団が市議の辞職勧告決議案を緊急動議で提起し可決。理由は「市議会の品位を著しく傷つけた」からだという。市議が議員継続の意志を示すと翌日、それに反発した議員ら15人が一般質問をボイコットし流会。本会議が2日間も停滞する異例の事態となった。

なぜか。私は、くだんの市議が女性であったということが関係していると思う。ネット投稿で批判を浴びる議員発言は今や枚挙に暇がないが、それに対してほかの議員が一般質問をボイコットするなど聞いたことがない。辞職勧告決議の理由が「市議会の品位を傷つけた」というのも釈然としない。強引な市議会の態度は、国会で野党の女性議員が質問に立つと、男性議員の時とは明らかに異なる態度をとる閣僚たちと重なる。

同様に感じた人は、多かったのかもしれない。次第に市議会の対応への疑問の声が寄せられるようになり、議員らのトーンは急速に低下した。3日目には一転、議会は正常化した。政治をただすのはやはり、市民の声なのだ。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。3月31日号)