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さようなら、花田春兆さん(佐高信)

2017年6月8日7:30PM

5月19日、花田さんの通夜に行ってきました。91歳だったんですね。

「存命なのか、と気になっている俳人が二人いる。一人はホームレスの大石太であり、もう一人は脳性マヒの花田春兆(はなだしゅんちょう)である」

2005年11月18日号の本誌「風速計」欄に私はこう書いてしまいました。するとまもなく、花田さんから「生きてますよ」というメールが寄せられたのですね。恐縮して返事を送りましたが、私は花田さんが53歳の時に出した『折れたクレヨン――私の身障歳時記』(ぶどう社)を繰り返し読みました。

題名は「就学猶予クレヨンポキポキ折りて泣きし」という句から採られています。学校に行きたいのに「就学猶予願い」を出さなければならない無念を詠んだ句でした。2回目にそれを出す時には、隣家の年下の子の入学を横目に見ていただけに「どうにも我慢しきれないものが湧いて」きたのですね。

東風つのるな松籟にふと兵馬の声

この句を花田さんは次のように解説しています。
「なにかにつけて、そこに戦争への予兆を見てしまうのは、私たちの世代の特徴なのかもしれない。前後の世代なり他の人々から見れば、それは極端なアレルギー症状と映るかもしれない。ましてや、障害者なのだから兵役の心配もないのだから、関係など無いではないか、と言われるかもしれない。だが、それは違う。非常の事態になればなるほど、人間は動物的能力だけが問題になるのだ。動物的能力に欠ける障害者が、惨めな存在になるのは、あまりにも明らかである」

     「ぼくの場合、ボケの上にトがつく」

光る夏雲健ならば夙く戦死の身

花田さんは1944年春に徴兵検査を受けていますね。健かならば「南海の雲を墓標にしていた可能性は濃かった」のです。

春立つや身に副うは春兆の号ひとつ

花田さんの句の中で私はこの句が一番好きです。「学歴・職歴・家庭歴とすべてにわたって、これが自分のものだと言えるものがない。飾りとなり、重みとなるものが何一つ無い」当時の花田さんにとって、結局、わが身に付いているものは俳号だけでした。

その花田さんと2006年春に『俳句界』で対談しましたが、顔の色艶のよさと若々しさに圧倒されました。

電動車椅子で出かけた喫茶店で話している間も、二人でとにかくよく笑いましたが、私は不謹慎だとは思いませんでした。そんな形式ばった礼儀を吹きとばすようなエネルギーが花田さんにはあふれていたからです。

「花田さんと話していると、油断できませんね。私も去年還暦を迎えましたが、ボケてはおられません」
と私が言うと、花田さんは、
「ぼくの場合、ボケの上にトがつく」
とかわすので、私は、
「なるほど、トボケね。そうやって人生を煙に巻いて生きているんでしょう、参った!」
と言わざるをえませんでした。

そんな花田さんは「人を喰って生きている」と言われることもあったとか。

生まれたころの医学水準では12歳で死ぬと言われていたという重度の脳性マヒの花田さんは、それに抗うように91歳まで生きました。

花田さんに会った人はみんな、その明るさに元気づけられたと思います。

そう言ったら花田さんは、
「入った学校の名前は“光明”でした」
と茶化していましたが、花田さんが亡くなって、この世の明るさが確実に減りました。花田さん、あの世からこの世を照らし続けて下さい。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、5月26日号)

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