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玄葉外相の描く「改革」とは何か――「強い種」発言への危惧

 玄葉光一郎外相が五月二八日、出身校である上智大学で「これからの日本外交」と題して講演した。スピード感のある国のリーダーシップについてビジョンを聞かせてほしいと問うた学生に玄葉外相はこう答えている。「ダーウィンの進化論ではありませんが、これはカトリックの考え方とちょっとどうかということもあるかもしれません。どういう種が強い人か。強い種が強い人ではない。どういう種か。時代に適応して変わり続ける種だ。だから、やや改革志向というのが強いのかなと」(外務省ホームページ)。

 危険な発想だ。

 筆者は六月六日、会見で次のように質問した。「『種』というのは、下手すると優生思想、ナチズムの思想につながったりとか、日本でも戦前、断種法というのがございましたけれども、そういったような極めて危険な受け取られ方をする可能性がありますので、ここで大臣の真意をしっかりお聞かせいただければと思います」。

 玄葉外相は「ダーウィンがまさに、いわゆる生き残っていく種というのは、強い種とかということではなくて、時代に対応していく、変わり続ける、そういう種であるということを言ったと。つまり、決してナチス等々に行き着くような話ではまったくなくて、これからのあるべき政権を考えたときに一定の改革志向というものを、やはり常に持ち続ける必要があるのだろうと」と答えた。

 玄葉外相は、政権のあり方の話だと強弁しているが、発想の根底に種を主体とする適者生存論があることは間違いないだろう。新自由主義とも親和的だ。

「種の政治思想」を公言する幹部がいる野田政権は「社会保障と税の一体改革」でどのような方向を目指すのだろうか。「適応して変わり続けることができない人たちに社会保障は必要ない」と発想しないことを願うばかりである。

(伊田浩之・編集部、6月15日号)

野田首相、原発事故の責任を取らないと閣議決定

 関西電力大飯原発3号炉(福井県おおい町)が7月1日夜にも起動すると報道されるなか、野田佳彦首相の無責任ぶりがあらためて浮かび上がった。6月29日夕方からの首相官邸前抗議行動の参加者をはじめ、全国各地・世界からさらなる怒りの声が上がりそうだ。

 大飯原発3、4号炉の運転再開について、野田佳彦首相は「最終的には総理大臣である私の責任で判断を行いたいと思います」と5月30日の記者会見で述べた。インターネット上などでは即時に「福島をみてるのか!事故の責任を取れるわけがない」「どうやって責任を取るんだよ」などの批判が出た。

 この「責任の範囲と内容」について、きっちりと問いただしたのが、福島みずほ参議院議員(社民)だ。6月21日に提出した質問主意書で次のように質問している。
〈「私の責任で再稼働を判断した」原発が事故を起こした場合、「事故を起こした責任を野田首相が負う」と理解してよいか。その場合、東京電力福島原発事故で明らかなように、国家社会に与える被害は莫大になることも想定すべきだが、首相としてどのように責任を取るのかをその賠償方法を含め、具体的に説明されたい〉

 この質問に対し、政府は6月29日、「政治的判断を必要とする国政上の重要な問題であり、内閣の首長である野田内閣総理大臣がこれに関与し責任を持って判断を行うという趣旨で述べた」との答弁を閣議決定したのだ。その一方で、事故発生時の賠償については「原子力事業者がその損害を賠償する責めを負う」などと従来の枠組みの説明にとどまっている。

 つまり、「首相の任務として再稼働を決めた」が、「自分のした事の結果、事故が起きてもその被害について責めを負う気はない」ということだ。しかも野田首相の”二枚舌”はここにとどまらない。

 野田首相は5月30日の記者会見で「あのような事故を防止できる対策と体制は整っております」と断言したが、同政府答弁では事故原因は「津波」であるとし、「地震動」による主要機器の破損については認めなかった。国会事故調では「地震動」による主要機器破損の可能性について重大な関心を持っているほか、そもそも大飯原発の防潮堤はまだ完成していないのだ。不誠実きわまりない。

 さらに6月8日の記者会見で、野田首相は「豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません」としたが、同政府答弁では「コストの試算においては、電源ごとの発電単価ではなく、火力及び原子力の燃料費のみにより計算した単価を用いている」とした。燃料費のみの比較で原発が安価だというのでは、野田首相は大ウソつき、との批判を免れないだろう。

(伊田浩之・編集部)

大飯原発再稼働に関する政治的責任に関する質問主意書と答弁の全文はこちらに掲載しています。