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『日本会議の研究』菅野完氏の性的「暴行」事件訴訟が結審、被害軽視の姿勢

『日本会議の研究』の著者・菅野完氏が2012年に起こした性的「暴行」事件についての裁判が7月4日、東京地裁で結審した。

裁判は、被害女性が15年末に200万円の損害賠償を求め起こした民事訴訟。結審に当たり菅野氏側が提出した書面には、事件を報じた小誌の記事が流布されたことで相当の社会的制裁を受けたなどとして、「本件で認定されるべき損害額は、5万円を超えることはない」と、被害を軽視する見解が記されていた。自らの性的「暴行」についての言及はなかった。

裁判資料によると、菅野氏は事件当日、女性の家に初対面であるにもかかわらず上がり込み、パソコン作業の後、突然女性に抱きつき、のしかかった。押し倒された恐怖で悲鳴を上げた女性の頬に菅野氏は顔を押しつけてキスをし(菅野氏側はキスしていないとの見解)、「抱っこして」と要求した。女性が菅野氏を抱きかかえ背中に数回両手を当てると体を離したが、その後も性的欲望を伝えてきた(詳細は小誌16年7月15日号)。

女性の行動は、〈力づくで犯されるのではないかという極度の恐怖〉によるものだが、菅野氏側は自らの行為について、〈一般的に、他人に対して性的行為を求めるとき、言語的説得によるのではなく、相手方の身体に接触することにより自らの性的行為をしたい意思を相手方に伝達する〉と、暴力的な“一般論”を展開している。

女性は結審当日の意見陳述で、「今も知らない男性と2人きりになったり、被告(菅野氏)に似た人を見かけると、体が硬直し、冷や汗をかき、呼吸が苦しくなります。私にとって、この被害は過去のことではなく、現在進行形です」と訴えた。被害を軽視するような言論があることに対しては、「被害者の口を封じることに繋がり、加害者を利することになる」と強調。ジャーナリスト・山口敬之氏からの準強かん被害を訴えた詩織さんと同様に、「黙らされている誰かに」勇気を与えられると信じて裁判を闘ったと述べた。

一方の菅野氏は、裁判に一度も出ず、書面の中で「反省」の意は示す一方、自らの加害を「比較的軽微」と主張してきた。結審の書面では、今年3月の和解協議が決裂した責任は女性にあるとの姿勢に転じた。判決は8月8日となる。

(本誌取材班、7月14日号)

リニア新幹線工事で早くも住民被害 「不誠実で無知なJR東海」

JR東海が進めるリニア中央新幹線の工事認可取り消しを求め、沿線住民らが国を相手取って起こした行政訴訟の第5回口頭弁論が6月23日、東京地裁で開かれた。

今年4月、南アルプストンネルの掘削が始まった長野県大鹿村の住民で原告の谷口昇さん(47歳)が意見陳述し、まだ工事が本格化していないにも拘わらず生活に支障を来している実情を報告した。

谷口さんの住む釜沢地区は、大鹿村の最奥部、3000メートル級の南アルプスの山々の最も近くにある。すぐ近くにトンネル掘削口となる二つの非常口が計画されているリニア工事の最前線だ。

地区の自治会長を務める谷口さんは意見陳述で、生活水源近くに掘られる非常口の影響を心配する住民らに対し、JR東海の担当者が「(掘削で)水が抜けて、いったい誰が損害を受けるんですか」と言い放った説明会の様子を証言。

1日最大1736台(後に1350台に修正)通行する工事車両や行き先の決まらない残土、「日本で最も美しい村」連合に加盟する村の景観を損ねる送電鉄塔など、さまざまな問題を置き去りにして突き進むJR東海の姿勢に不信感を募らせた経緯を説明したうえで、「不誠実で無知なJR東海にこの巨大な自然環境破壊事業を任せてよいのでしょうか」と訴えた。

釜沢地区と村中心部を結ぶ狭く曲がりくねった県道では、すでにトラブルが起こっている。県道の拡幅工事が済むまで工事車両を通さないでほしいという住民の要望が聞き入れられないまま非常口工事が始まってしまい、大型車両が小一時間、立ち往生したことも。通勤時間帯に28台もの工事関係者の車が連なってきたため、遅刻しそうになった住民もいるという。

裁判後の記者会見で谷口さんは「JR東海も国も『理解してください』と言うが、僕らには『我慢してください』にしか聞こえない」と苦しい胸の内を明かした。

(井澤宏明・ジャーナリスト、7月7日号)

成長だけを追う安倍晋三首相が踏むわだち(高橋伸彰)

この6月9日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2017」(以下「骨太の方針2017」)の冒頭で、安倍政権は4年半にわたるアベノミクスの成果として「名目GDPは過去最高の水準に達した」と自賛した。確かに、16年度の名目GDPは2次速報値で537.5兆円となり、「新3本の矢」が掲げる20年度600兆円経済の実現も射程に入ったように見える。

その一方、『朝日新聞』と『日本経済新聞』が6月30日付の朝刊で報じた一般会計の16年度決算見通し(7月上旬公表予定)によれば、税収額は55.5兆円程度と7年ぶりに前年度を下回る見込みだ。中でも法人税は当初予算で12.2兆円を計上しながら「15年度実績(10兆8千億円)に届かなかった」(『日経』)という。

安倍首相は就任半年後の13年6月11日に開催された「世界経済フォーラム」の挨拶で、「成長なくして、財政再建なし(中略)まずは、成長です。そのための、『アベノミクス』です」と述べ、財政再建は成長で実現できると持論を披露した。財界の強い要望に応じ15年度から法人税減税に踏み切ったのも、減税で成長率は高まり税収は増えると期待したからだろう。

しかし、16年度の税収は6月30日夜の「ロイター」によれば55.5兆円と、過去最高の60.1兆円(1990年度)に4.6兆円も及ばない。名目GDPが過去最高になっても税収が追いつかないのは、90年度と比較して消費税が4.6兆円から約17.2兆円に13.6兆円増えるのに対し、最高税率の引き下げと預金利率の低下で所得税が26.0兆円から17.6兆円に、また90年度の37.5%から16年度には23.4%にまで税率が引き下げられた法人税が18.4兆円から10.3兆円に、合わせて17兆円近くも税収が減るからだ。

実際、上記の報道では『朝日』も『日経』も「成長頼みに限界」と見出しを打ち、アベノミクスの財政再建シナリオに疑問を呈している。

それにもかかわらず「骨太の方針2017」では財政健全化の目標として「2020年度までの基礎的財政収支(PB)の黒字化」に加え、新たに「債務残高対GDP比の安定的な引き下げ」が明記された。 『日経』の6月11日付社説は、これが将来的に「財政健全化の先送り」に発展しないかと懸念する。債務残高対GDP比の引き下げを図るために成長を優先し財政赤字を拡大すれば、PBの黒字化と対立するからだ。

安倍首相は成長と財政再建の二兎を追うと嘯くが、すでに二度も消費税率の引き上げを延期していることから明らかなように、追っているのは成長の一兎だけだ。かつて成長の一兎だけを追った小渕恵三元首相は国民に「世界一の借金」を残したが、安倍首相もまた同じ轍を踏んでいる。

日本経済の現実を直視すれば、射るべき矢は成長を口実にして持てる者や企業の負担を軽減することではない。むしろ能力に応じて税を課し社会の扶養力を高めて国民の生活を支えるほうが重要である。また、日本の企業に不足しているのも稼ぐ力ではない。正当に税を納め、公平に賃金を払う経営者が少なすぎるのだ。そう考えれば、アベノミクスの司令塔・経済財政諮問会議が射てきた矢がいかに的外れか理解できるのである。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。7月7日号)

「世界難民の日」に難民支援団体が入管の運用改善訴える

6月20日、JR牛久駅前で「世界難民の日」街頭啓発キャンペーンを行なう「牛久入管収容所問題を考える会」の会員たち。茨城県牛久市。(写真/崎山勝功)

「世界難民の日」の6月20日、外国人難民申請者の支援に当たる「牛久入管収容所問題を考える会」の会員たちが、法務省東日本入国管理センター(牛久入管)がある茨城県牛久市のJR牛久駅前で「世界難民の日」街頭啓発キャンペーンを行なった。

会員らは、今年3月25日に牛久入管で発生したベトナム人被収容者男性の病死事件(本誌6月12日号既報)の内容を書いたパンフレットを市民らに配布し、牛久入管の運用改善を訴えた。牛久市では2015年に市議会が牛久入管の運用改善を求める意見書を採択している。

会員によると、一部の通行人からは「フィリピン人が自宅の近くに住んでいるが、夜騒ぐなど非常に態度が悪い。注意をすると『タガログ語じゃないと分からない』と言ってくる。あいつらはずるい」「ドイツのシリア難民は、ドイツ人の家に勝手に入って冷蔵庫内をあさっている」などの意見もあったという。

筑波大学(同県つくば市)でも6月19日、難民支援に取り組む学生団体「CLOVER」が、学生や社会人向けの難民問題啓発イベント「なんみんカフェ」を開き、パネル展示やミニ討論などを実施。参加者らは難民問題への理解を深めていった。

(崎山勝功・『常陽新聞』元記者、7月7日号)

中国の多面性を見よ(西谷玲)

東京都議会選挙(7月2日投開票)では自民党が歴史的大敗を喫した。この結果がいかに国政に影響するかどうかが当面の焦点だが、ここではちょっと違う話題にふれたい。中国の話である。

今月1日に香港の中国返還20年を迎え、記念式典で演説した習近平国家主席は、独立を容認しない考えを強い表現で示した。これに見られるように昨今の中国には、人権についての厳しい姿勢が目立つ。ノーベル平和賞を受賞した人権活動家、劉暁波氏ががんに侵され、海外での治療を希望しているとされるが叶わない(編注:7月13日死去)。ネットの統制を強める「インターネット安全法」も施行された。中国では以前からグーグルもフェイスブックもツイッターも使えない(それに類する中国独自のものはあるが)。

だが、中国の社会はこれだけが事実ではない。たとえば、今年4月に本誌で麻生晴一郎氏も指摘していたように、中国では今、多くのNGO(非政府組織)が台頭しつつある。こちらでも人権系のNGOは規制され、海外のNGOとつながる団体には「境外NGO管理法」が施行されて監視も強化されているものの、他方では政府はNGOとの連携も強化しているのである。というのは、環境悪化や都市と地方の格差、貧困問題、教育など、中国は社会的課題が多すぎて、もはや政府の力だけでは対応できないのだ。NGOの力を必要としているのである。

しかも、都市部を中心に豊かな環境で育ってきた若者たちや、若くして事業で成功して富を得た人々がいる。経済的には満ち足りた彼らが、社会的課題の解決に興味を持ち、NGO活動に流入してきているのだ。ビジネススキルやノウハウを持ち、それを社会的課題の解決に生かす。しかも、資本も持っている。これはこの業界に大きな進歩と変革をもたらす可能性がある。日本でも同様の現象はあるが、はるかに中国のほうが速い。人数も多い分、変化がダイナミックなのである。

彼らは政府に対して、いろいろ思うところはあるものの、正面きっては歯向かわない。それをどう評価するかは別だが、いわば面従腹背的な活動で、目の前の社会的課題の解決をめざしている。政府も彼らの活動に頼っている側面があり、これは体制にもいずれ変化をもたらすかもしれない。

そして、テクノロジーの進化もカギである。IT(情報技術)の進歩で、コストをかけずに多くのことが可能になっている。たとえば、NGOではないが、今、北京で大はやりなのが乗り捨て自転車。シェアリングエコノミーの一種でレンタルサイクルなのだが、ITで管理をして、そこに自転車があればどこから乗ってもいいし、どこにでも乗り捨て可能なのだ。日本でもレンタルサイクルは普及しつつあるが、どこでも乗り捨て可能、というわけではない。

こういった中国の側面を理解しなければ、日本は置いていかれるだけである。ほかにもある。北京や上海といった都市部では、ベンツやBMWなど、高級外車が走っている率は日本より高い。しかも、若者はおしゃれである。一見しただけでは、中国人だか日本人だかわからない。そして、大学教育を受けた人々は当たり前のように英語を話す。我々は、自分たちの見たい中国の部分だけ目を向けていないだろうか。

(にしたに れい・ジャーナリスト、7月7日号)

袴田事件、検証結果で各紙「誤報」 弁護団が見解「DNA鑑定結果は揺るがず」

本田教授によるDNA鑑定の有効性を強調する袴田巌さんの弁護団。(撮影/小石勝朗)

6月上旬の報道を見て、裁判の行方を心配した方も多いだろう。「再審決めた鑑定『信用性ない』」(『朝日新聞』6月6日付夕刊)といった見出しが各紙に躍っていた。

1966年の「袴田事件」で死刑判決が確定した元プロボクサー袴田巖さん(81歳)の再審請求審。東京高裁(大島隆明裁判長)の審理の焦点になっているDNA鑑定手法の検証実験で、検察推薦の鈴木廣一・大阪医科大学教授(法医学)が最終報告書を提出したことを伝える記事である。

検証実験の目的は、静岡地裁で弁護団推薦の鑑定人を務めた本田克也・筑波大学教授(法医学)の「選択的抽出方法」が有効か確認すること。皮脂、汗、唾液などが混じった血痕から血液のDNAだけを取り出す手法だ。本田氏がこれを使って犯行着衣とされてきた「5点の衣類」の血痕を鑑定した結果が新証拠の一つと認められ、再審開始決定の拠り所になった。

これに対し、検察は「本田氏独自の手法で有効性はない」と反論。高裁に検証実験を求め、認められた経緯がある。

6月上旬の新聞各紙は、鈴木氏が最終報告書で「『DNAを検出できなかった』と指摘」し「本田教授の鑑定を否定」(『毎日』6月6日付夕刊)といった書きぶりだ。事実なら再審開始決定の有力な支えが崩れることになりかねない。

だが、決してそうではなかった。

袴田さんの弁護団によると、鈴木氏は最終報告書で、本田氏が血液細胞を集めるために利用した「抗Hレクチン」試薬がDNAを分解すると主張。その点に依拠して、選択的抽出方法が「結果的には不適切な方法論」と結論づけた。

しかし、検証実験ではDNAの検出量が「極端に減少」「アンバランス」などと分析しているものの、対象とした新しい血痕、20年以上前の古い血痕ともに血液のDNA型自体は検出されていた。その際、鈴木氏は判定の最低ラインを、国際標準に従った本田氏よりも厳しい数値に設定し、「検出をあえて難しくしている」という。

弁護団でDNA鑑定を担当する笹森学弁護士は6月29日の記者会見で「本田鑑定を否定できず、その結果は揺るがない、というのが客観的なデータに基づく結論だ」と強調した。鈴木氏の論理に対しては高裁に提出した意見書で「レクチンを使うべきではないとの信念を証明するために実験を行なっているようだが、そのような実験は裁判所に求められたことではないし、その解釈に科学的根拠(実証)もない」と批判した。

【マスコミの責任重い】

最終報告書の提出を受け、東京高裁は同日開いた検察、弁護団との3者協議で、鈴木氏と本田氏の尋問を9月に実施する方針を示した。弁護団は「尋問は不要」としているが、高裁は今後、実施方法を詰める見通しだ。

検察は同日までに鈴木氏の最終報告書についての意見書を提出していない。本田氏の鑑定データをすべて出させるよう高裁に申し立て、別角度の議論を提起して「審理を引き延ばす姿勢」(弁護団)を見せている。

しかし、高裁は「年内に弁護団、検察双方が最終意見書を提出する」との日程も示唆したといい、今年度中にも再審開始の可否を判断する可能性が出てきた。

それにしても、なぜ各紙そろって「誤報」になったのか。

弁護団によると、6月6日夕刊の記事が報じられた段階で、最終報告書は弁護団にはもちろん裁判所にも届いていなかった。このため「鈴木氏周辺が情報源ではないか」と推測しており、本田鑑定を貶めるための「印象操作だった」との見方も出ている。

そうであっても、死刑をめぐる裁判で、おそらくは報告書の中身も確認しないまま一方の当事者の話だけを鵜呑みにして記事にしたマスコミの責任はきわめて重い。

弁護団の小川秀世事務局長は6月29日の会見で「重大な事案でいい加減な報道はしないでほしい」と語気を強めた。袴田さんが死刑判決を受けた背景には「異常な犯人視報道があった」と指摘されていることを忘れてはならない。

(小石勝朗・ジャーナリスト、7月7日号)

「ミサイル避難CM」に4億円近い税金 「恐怖心すりこむ」安倍政権の思惑

地面に伏せるのがミサイルから身を守る対策なのか──「弾道ミサイル」落下時に取るべき行動を伝える広告を日本政府が6月23日から全国一斉にテレビや新聞などで流している。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイル発射実験を想定していることは明らかだ。4億円近い税金をつぎ込むことに批判があがっている。

たしかに北朝鮮は昨年以降、35発のミサイルを発射した。しかし、Jアラート(全国瞬時警報システム)を通じて警報が出されたのは、昨年2月、沖縄県のはるか上空を通過したときだけ。つまり、それ以外は、政府も飛来の可能性はないと判断していることになる。

広告業界に詳しい本間龍さんはこう批判する。「内閣府の政府広報予算は年間約80億円なので、今回の4億円という支出は特別に過大な金額ではありません。政府にとってはマスコミへのいつものアメ(懐柔策)のつもりでしょうが。地方局の社内から『不安をあおる広告をなぜやるのか』と危惧する声があがっています。『本当にミサイルが来るのか』という問い合わせが視聴者からあったようです。しかも広告を流し始めたのが都議選の告示日(6月23日)ですから、なぜこのタイミングなのかという疑問も出ています」。

内閣府政府広報室によると、テレビ広告(約1億3000万円)は6月23日~7月6日まで全国43局で放映した。ミサイルが日本に落下する可能性がある場合、「Jアラート」を通じて、屋外スピーカーなどから国民保護サイレンと緊急情報が流れることを紹介し、

〈屋外にいる場合、頑丈な建物や地下に避難してください〉〈近くに建物がない場合、物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守ってください〉〈屋内にいる場合、窓から離れるか、窓のない部屋に移動してください〉

などと呼びかけている。

広告どおりの行動を実際に行なう避難訓練すらすでに実施され、今後、全国でも予定されている。

新聞広告(約1億3000万円)は6月23日~25日の期間に全国70紙に掲載。インターネット広告(Yahoo!JAPANブランドパネル、約8000万円)は6月26日~7月9日に掲載される。

【広告批判ないマスコミ】

そもそも北朝鮮がミサイルを使って日本に先制攻撃することがありうるのか。ルポライターの鎌田慧さんはこう話す。

「北朝鮮の一連の行動を支持はしませんが、北朝鮮の最優先課題はいまの国家体制の維持です。米国本土を攻撃する能力を北朝鮮は持っていませんが、かりに米国を攻撃した場合、その何十倍もの報復を受け、国家指導者が殺害される。日本への先制攻撃も同様にありえません。ミサイル攻撃をいうなら、原発をどうするのか」

では、なぜこんな“むだガネ”を使うのだろうか。

「人間は残念ながら恐怖に弱い。仮想敵をつかって国民に恐怖心をすりこみ、支配を強化し、軍事予算増大につなげる手法は、旧ソ連の脅威をあおった時代から連綿とつづけられ、いまでは国防費は5兆円を突破しました。中国も仮想敵ですが、貿易関係が深まり、また米中が接近するなかで脅威をあおりにくい。このため、北朝鮮の脅威を強調することで、安倍晋三政権への求心力を高め、“憲法改悪”への地ならしを進めています。しかし、北朝鮮の脅威を取り除くには、地道でも平和外交を進めるしかありません。国家崩壊を目指せば、国内外にどれほど多くの犠牲がでるかは明らかなのですから。韓国はすでに舵をきりました」(鎌田慧さん)

気になるのは、この広告を正面から批判する新聞記事が『しんぶん赤旗』(6月23日)ぐらいしかないことだ。『朝日新聞』(同日朝刊)は〈非常事態時の行動をテレビCMで広報するのは異例だ〉と書く程度。『読売新聞』は、6月21日と24日の2回にわたって、政府の主張をなぞるような記事を掲載した。広告(カネ)をもらっているから批判しづらいというのであれば、こんな情けないことはないだろう。

(伊田浩之・編集部、7月7日号)

自民党、都議選で惨敗 下村都連会長は自身の加計疑惑否定できず

7月2日、厳しい表情で開票状況を見る下村都連会長(3日、辞任の意向を表明)。(撮影/横田一)

東京都議会選挙(7月2日投開票)で自民党が歴史的敗北をする一方、「都民ファーストの会」が圧勝。

自民党本部で2日20時から開票を見届けていた都連会長の下村博文・幹事長代行(元文部科学大臣)は、敗因について「国政の問題が都議選に影響した」と述べたが、自らの加計問題の『週刊文春』(7月6日号)の記事については「加計学園から献金はもらっていない。選挙妨害だ。法的な手段を考えている」と反論した。

同誌記事で注目されたのが、板橋区(定数5)。下村氏の元秘書が3人立候補、自民公認の河野雄紀氏と松田康将氏が共に落選、都民ファーストから立候補した平慶翔氏が当選したが、下村氏は『文春』発売当日の6月29日の会見で平氏が同誌にリークした可能性を指摘。平氏が秘書時代に使い込みをした上にパソコンを持ち出したことを認めた署名入りの上申書までを配布したのだ。

しかし、平氏は「上申書は偽造文書」「リークもしていない」と反論(同誌も平氏からのリークを否定)、両者の間で法廷闘争に発展するのは必至の情勢だ。

「もし偽造文書なら『下村氏は選挙中にガセ情報を流して平氏を落選させようとした』という公職選挙法違反の疑いが出てくるが、本物ならば、平氏がウソをついたことになり、同じ罪に問われかねない。自民党と都民ファーストの全面対決となるのは確実」(永田町ウォッチャー)

実際、翌30日の会見でも小池百合子都知事(都民ファースト代表。当時。)は、対決姿勢を鮮明にした。「『文春』の報道、下村氏の元秘書が(都民ファーストの)候補になっていますが、下村氏は会見で『(『文春』に)リークをした』と言っているが、実際はどうなのか」と聞くと、小池知事はこう答えた。

「私は存じませんし、下村さんもしっかりと説明されるのだろうと思います。(加計問題の本質にかかわることではないかとの問いに)加計問題も、やはりお友達でずっとやってこられたことの問題で、『権力が集中することによって歪みが出てくる』という一つの表れだと思います」

“内部告発者”の信頼を貶めることで「利益供与を受けた下村氏が、文科大臣時代に加計学園ありきの道筋を作ったのではないか」という疑惑解明の本筋から目を逸らす手法にも見え、前川喜平・前文科事務次官の告発のときと二重写しにもなる。

【問われる説明責任】

愛媛県今治市の情報公開文書(出張記録)によると、今治市企画課長と課長補佐は2015年4月2日、「獣医師養成系大学の設置に関する協議」のために内閣府などに足を運んだが、直前になって官邸訪問が決定、15時から16時半まで打ち合わせをした。一方、同じ時間帯の15時35分から安倍首相は下村文科大臣(当時)と面談しているのだ(首相動静より)。「首相と文科大臣の面談に今治市職員が同席、加計学園ありきに向けた相談をしたのではないか」と疑われても仕方がない根拠があるのだ。

野党の追及に安倍政権は「確認はできない」と答えるだけで、文書を出していない。そこで、下村氏の会見で「内閣府から全然資料が出ていない。第三者による検証、閉会中審査や臨時国会を開いて説明責任を果たす考えはあるのか。“(今回の『文春』記事で)疑惑は深まった”と国民は受け取ると思うが」と聞くと、下村氏は「(『文春』が)疑惑が深まるような書き方をされているので、きちんと説明をさせていただいた」と答えた。

下村氏は「『文春』の記事は選挙妨害」と強調しているが、加計学園側が関連企業や関係職員らにパーティ券購入を呼び掛けたことを否定する根拠を示していない。「加計グループからの献金に応える形で、加計ありきになるよう働きかけをした」という疑惑は拭い去られたとは言い難いのだ。

今治市の7000ページ以上の公開文書に対して、政府の情報公開は皆無に等しいが、こうした隠蔽体質(説明責任不足)も都議選惨敗の一因になったのは確実。安倍政権の今後の対応が注目される。

(横田一・ジャーナリスト、7月7日号)

清い水と汚れた水(小室等)

「僕はテレビを観る人達に知って貰いたい/芸能史の暗い影を/それを求めた観客の貧しさを/健全娯楽をつくる前に/娯楽というものの/淫靡な素性を見極めなければ/無意味であることを。

☆(中略)

僕は昭和八年に生れた。/十二才の時には/戦禍の廃墟に立っていた。/日本の伝統が灰になっていた。/二十才の時にテレビ放送が始まり/僕はそこで働くようになった。/テレビは飢えた豚のように/あらゆる文化・芸能を/その胃袋の中におさめようとする。/その現場から/芸の伝統を解きほぐし/一九六九年 昭和四十四年の時点で/テレビが芸能史をどのように受けとめたか/この本はその体験的なエッセイであり/テレビスタジオからの報告でもある。」

永六輔さんが物した力作『芸人たちの芸能史~河原乞食から人間国宝まで』(番町書房)のまえがきの一節だ。そしてあとがきで、かさねて言う。

「日本の芸能史が賤民への差別が根底となり、そこから生れ育ってきた背景のあることは書いて来た通りである。この素性の後めたさを、歴史の中でどう受けついで行くかが僕達の明日の芸能を決めてゆくことになる。世界を例にとった場合でも芸能ならびに芸人が同じ差別で育っている例は多い。多くの大衆歌曲、ブルース、タンゴ、サンバ、ボサノヴァといったものがスラムから発生していることでもわかる。ジャズにしたってギャングと売春婦に育てられた。ここでも芸人とやくざと女郎は一身同体なのである。」

つまり、すばらしい芸人たちは決して清い水の中に生まれ育った連中ではない。清廉潔白などではないのだ。悪党がいいと言っているのではない。しかし、善人では、悪党よりも始末が悪いのだ。

たとえば、関東大震災の中、ちょっとした流言飛語で朝鮮人虐殺を犯してしまえる善人・一般人の脆さ。戦争末期、特攻隊に志願し、残念ながら自爆攻撃をしてしまえた“純な”青少年たちの脆さ。

翻って、そのような脆さに立ち向かえるとしたら、それは汚れた泥水で育った芸人たちだと、永さんは言いたかったのだと思う。

そこでわれら永六輔の下に集まった者たち、佐久間順平、竹田裕美子、李政美、伊藤多喜雄、こむろゆい、小室等、オオタスセリ、松元ヒロ、きたやまおさむ、中山千夏、矢崎泰久の面々。せめてその名を「永六輔とその一味」と名乗り、七月六日、成城ホールに集い、六輔お頭一周忌とするのだ。

それはそれとして、国会や霞ヶ関に棲息する連中って、一体どんな水で育ってきたのだろうか。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、6月30日号)

「シェア」は、一体化ではなく分断化(浜矩子)

新約聖書の中に次のくだりがある。「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」(使徒パウロのコリントの教会への第一の手紙10.17)幼い頃から繰り返し聞き、そして読んでいるお馴染みの一節だ。

ところが、先週のミサでこの箇所が朗読された時、思いもよらぬイメージが閃いた。なるほど、これがホントのシェアだな。そう感じたのである。

ご承知の通り、最近の世の中、シェアがはやる。シェアハウス。ライドシェア。政府が規制緩和対応で躍起になっている民泊もまた、シェアビジネスだ。これらを総称してシェアリング・エコノミーなどという言い方も出現している。このシェアリング・エコノミーの拡大を、いかにしてGDP(国内総生産)統計に反映させるか。日本のGDPを少しでも大きく膨らませたい安倍政権が、この辺りでも血眼になっている。

シェアリング・エコノミーと、聖パウロがいう「大勢でも一つの体。一つのパンを分けて食べるから。」におけるシェアはどう違うか。シェアハウスで一つ屋根の下に住んでいる人々は、大勢でも一つの体だといえるか。ライドシェアで自動車に相乗りしている人々は、大勢でも一体化しているか。民泊の宿主とお客さんは、どこまで一体感を味わうか。

聖パウロの手紙とシェアリング・エコノミーの違いは、分かち合いと分け合いの違いだ。筆者にはそう思える。互いに分かち合う者たちは、一つのものをみんなで共有している。どこまでが自分のもので、どこからが他者のものかは、分かち合いにおいて判然としない。これに対して、分け合いは、まさに、どこまでが自分のものでどこからが他者のものかを仕切る作業だ。一体化ではない。分断化だ。

「分け前」という言葉がある。これも、英語でいえばシェアだ。押し込み強盗に入った泥棒たちが、それぞれ自分たちの分け前を要求する。少しでも、自分の取り分を多くしようとして、分捕り合戦を繰り広げる。そこには、分かち合いの精神は微塵もない。

ライドシェアしている時、たまたま相乗りすることになってしまった乗客たちは、車中の空間の中で、それぞれの分け前を確保して、互いに気配を消している。車中の空間を共有して一体化しているわけではない。

シェアハウスの中でいざこざが起きる。怖い事件が起きる。それはなぜか。そこに分け合いがあっても、分かち合いがないからだろう。大勢がバラバラのまま、一つ家の空間を切り分けて住んでいる。下手をすれば、せめぎ合いと摩擦の温床だ。

シェアには、市場占有率の意味もある。この場合のシェアは、奪い合いの対象だ。シェア争いに分かち合いが入り込む余地はない。

聖パウロが描くシェアの世界からは、一つのパンを分かち合うもの同士の思いやりが伝わってくる。思いやりはすなわちケアだ。シェアを分け合いから分かち合いに昇華させるには、そこにケアがなければならない。かくして、目指すべきは、ケアリングシェア・エコノミーである。

(はま のりこ・エコノミスト。6月30日号)