週刊金曜日公式ブログ 週刊金曜日ニュース

「飯塚事件」の再審を求めて東京で集会、学者らが報告――死刑執行後に数々の疑念が浮上

集会に合わせて記者会見する弁護団の岩田務弁護士(右)と徳田靖之弁護士。(撮影/小石勝朗)

1992年に福岡県飯塚市で登校中の小学1年の女子児童2人が行方不明になり、他殺体で発見された「飯塚事件」。死刑判決が確定しながら、2008年の執行まで無実を訴え続けた久間三千年さん(執行時70歳)の再審を求める集会が10月20日、東京都内で開かれた。再審請求の審理で明らかになった数々の疑念について弁護団や学者が報告し、死刑判決が揺らいでいることを強調した。

再審請求は、死刑執行の1年後に久間さんの妻が起こした。14年に福岡地裁に棄却されたが、弁護団が福岡高裁へ即時抗告。審理は今年5月に終結し、年内にも決定が出るとみられている。

「データの誤りだけは許せない。ここまで歪んだものを法廷に上げられるのか」

再審請求で弁護団が新証拠とする鑑定書を出した本田克也・筑波大学教授(法医学)は、捜査段階のDNA鑑定を非難した。

飯塚事件には、久間さんと犯行を直接結び付ける物証も自白もない。状況証拠を積み重ねて死刑判決を導いており、中核がDNA鑑定だ。MCT118型と呼ばれる手法で警察庁科学警察研究所(科警研)が実施。遺体のそばに付着していた血痕のDNA型と、久間さんの型が一致したとされた。

しかし、同時期に科警研が同じ手法で鑑定した「足利事件」(無期懲役が確定)では、再鑑定で誤りが判明し、10年に再審無罪となっている。実施当時はDNA鑑定の導入初期で、精度は高くなかった。

加えて、再審請求審で重大な疑惑が浮上する。科警研の鑑定で抽出されたDNAを撮影したネガフィルムが弁護団に開示され、鑑定書の写真よりも広い範囲が写っていることが分かった。本田教授が解析すると、写真に焼き付けられていなかったところに、久間さんのものでも被害者のものでもないDNA型が確認されたのだ。

本田教授は「真犯人のDNA型の可能性がある」と指摘。弁護団は、科警研が意図的にカットして焼き付けたとみている。

福岡地裁の決定はDNA鑑定について「現段階では、単純に有罪認定の根拠とすることはできない」と認めざるを得ず、「それ以外の状況証拠の総合評価」という論法で再審請求を棄却している。

【「結論から証拠作られた」】

そこで弁護団は高裁審理で、他の状況証拠を崩すことに注力した。その柱が「目撃証言」だ。2人の女児が行方不明になった数時間後に、遺留品の発見現場付近で久間さんの車と特徴が一致する車を見た、という男性の供述である。「後輪がダブルタイヤ」「車体にラインがなかった」など詳細だ。

これについても、再審請求審で開示された当時の捜査報告書から、新たな事実が判明した。男性の供述調書が作成された2日前に、聴取を担当した当の警察官が久間さんの車を見にいっていたのだ。男性の証言は警察官に誘導された疑いが濃厚になり、主任弁護人の岩田務弁護士は「結論から証拠が作られた」と強く批判した。

しかも、証言は車を時速25~30キロメートルで運転中に、下り左カーブで対向車線に停まっていた車を見たというもので、後ろを振り返らなければ分からない事項も含まれる。現場で再現実験などを行なった厳島行雄・日本大学教授(認知心理学)は「目撃はごく短時間で対象物の詳しい形状までは記憶できず、作られた供述だ」と解説した。

さらに大きな問題がある。当時のDNA鑑定に使った試料は「100回は鑑定できる量があった」(弁護団)はずなのに、「鑑定で使い切った」として全く残されていない。裁判に提出されなかった鑑定のデータや画像は科警研技官の私物として扱われ、退職時に廃棄されたという。科警研の杜撰な姿勢が真相究明を妨げている。

死刑執行後の再審は例がない。それでも弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は「再審開始を確信している」と力を込め、こう語った。

「久間さんが無罪になれば、裁判の名において無辜の命を国が奪ったことになる。死刑制度の根幹が問われている」

(小石勝朗・ジャーナリスト、11月10日号)

「取材してほしい」(雨宮処凛)

最近、嬉しいことがあった。

それは7年くらい前、生活保護申請に同行した女性から届いた1本のメール。

そこには彼女が結婚し、最近女の子を出産したことが綴られていた。

「雨宮さんには本当にいろいろお世話になったので、あの時の恩をこの報告でかえさせていただきます」

その言葉が、本当に嬉しかった。

初めて出会った時、20代の彼女はホームレス状態だった。その数日前に住んでいたシェアハウスのようなところを追い出され、ネットカフェなどを転々としていた。ちょうど台風の時期で、ネットカフェに泊まるお金もなくなった夜は、暴風雨を避けるため、ずーっと商店街などを歩き続けていたということだった。

実家は「勘当同然」とのことで、東京に出てきてからは、風俗の世界に足を踏み入れていた。所持金も住む場所もない彼女には、寮付きの風俗店という選択肢しかなかった。一時期は彼氏ができて同棲したものの、凄まじいDVを受けていたという。

が、しばらくはそれでも逃げなかったそうだ。ここで逃げてしまったら、また風俗に戻るしかなくなる。DVか、風俗か。そんな究極の選択の中、彼女は彼氏と別れ、身体を売る世界に戻った。

今度は店舗勤務ではなく、インターネットで個人で客を探すという、ものすごくリスクが高いやり方だ。住んでいたシェアハウスのオーナー的な人が彼女の「売春」を管理するという生活の中、休む間もなく客をとらされていたという。困窮し、SNSで繋がった人の「仕事がある」という言葉を頼っているうちに、そんな生活になっていた。

そんな彼女からメールが届いたのが7年ほど前。一度も会ったことのない彼女からのメールには、現在の状況と、「取材してくれないか」という言葉が書かれていた。困っているから助けてほしい、ではなく、「取材してほしい」。

私は彼女が滞在しているネットカフェに向かい、ファミレスで食事し、後日、生活保護申請に同行した。どれほど困っていても、何日も食事をしていなくても、「助けて」ではなく「取材してほしい」という言葉に、胸が痛んだ。それほどに、「助けて」という言葉は禁句になっている。状況が厳しければ厳しいほど、口にはできない言葉になっている。

そんな彼女が、一児の母になったのだ。結婚相手がどんな人なのか、今、どこに住んでいるのか、詳しいことはわからない。だけど、彼女が私にメールしようと思ってくれたということが、すべての答えのような気がした。

「幸せにね」

メールの最後にそう書いた。今まで大変だった分、本当に本当に、幸せになってほしい。

(あまみや かりん・『週刊金曜日』編集委員。11月3日号)

【憲法を求める人々】前川喜平(佐高信)

 たたずまいというのは、ある意味で恐いものである。

前川が姿を現しただけで、加計学園の問題で首相の安倍晋三とそれに盲従する官僚たちのウソが明らかになった。

その前川が東京大学法学部の学生時代、最も熱心に聴講したのが芦部信喜(あしべ・のぶよし)の憲法だった。安倍がその名を知らないと告白して話題になった憲法学の泰斗である。

前川は民事訴訟法や商法等には興味が持てなかった。それは前川が“詩人”だったからだろう。

ここに1冊の詩集がある。1981年に出された『さよなら、コスモス』である。作者が秋津室で挿絵が原一平。共に前川の筆名で前川の生まれた奈良県の地名などに由来している。当時、前川は26歳だった。「コスモスよりもコスモスのような人へ」と献辞があるが、つまり、最初で最後のこの詩集が前川と結婚したひとに献げられたものだった。

「新しい朝に」の中の詩の一節だけ引こう。

〈語るべきことが無いときに
あえて語ることはいつわりを語ることだ。
だから今は僕は
君に愛を語ることはできない。
喧騒と焦燥に埋め尽くされた今の僕から
出て来る言葉は全きいつわりか
さもなくば救い難い饒舌だ。
だから今は僕は何も語らない。〉

そんな前川は学生時代、東大仏教青年会に入っていた。悩める青年はまた、宮沢賢治にも親しみながら、自らの拠りどころを固めていく。

『週刊金曜日』10月6日号掲載の座談会で寺島実郎が指摘しているように、「記憶にない」を連発した柳瀬唯夫や和泉洋人らの現官僚や元官僚は「組織の論理」に徹して安倍を守ったが、そうするには前川は「自分の言葉」を持ち過ぎていた。

組織に埋没して自分を消すことはできなかったのである。

前川は憲法の精神を生かすために文部省(現・文部科学省)に入ったが、この省はイデオロギーの波に激しく揺さぶられるところであり、特に教育基本法の改変の時は辛かった。その改変に前川は反対なのに大臣官房総務課長として成立に走りまわらなければならなかったからである。この時は十二指腸潰瘍になった。

前川が口走って問題となった「面従腹背」もそう簡単にできるわけではない。

拘束衣を着せられたような官僚生活を卒業して、いま、前川はこんな決意を固めている。『週刊朝日』の11月3日号での意志表明だが、「安倍政権下での改憲には反対」という前川は、
「それでも安倍首相が改憲を実行するというのなら、私も国会正門前に行ってデモに参加しますよ」
と語っているのである。

ある種の気骨ある官僚として、前川は城山三郎が描いた『官僚たちの夏』(新潮文庫)の主人公、風越信吾のモデルとなった元通産(現・経産)事務次官の佐橋滋に擬せられる。

佐橋は次官になっても護憲を強調し、非武装中立の立場を崩さなかった。ために、政財界人から、
「あの主張だけはいただけん」
とヒンシュクを買ったが、死ぬまでそれを曲げなかった。

日本興業銀行(現・みずほ)元会長の中山素平も護憲で、唯一と言っていいほど佐橋をかばったが、その意味では、前川は佐橋以来の護憲派の剛直官僚である。しかし、前川も佐橋も「異色」と呼ばれる。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、11月3日号。画/いわほり けん)

創価学会会員有志らがサイレントアピール

東京・信濃町の創価学会本部前で横断幕を掲げる創価学会会員ら。(撮影/及川健二)

総選挙の投開票日の10月22日、安保法制や共謀罪の廃止を求める創価学会員有志らによるサイレントアピールが、雨が激しく降る中、東京・信濃町の学会本部前で行なわれ、約30名が参加。「日本を戦争に導く安保法制と共謀罪法の廃止のために闘え!」という横断幕を掲げた。

元学会職員の野口裕介さんは「近年、安保法制や共謀罪法が強行採決された。公明党がそこで自民党に加担して、賛成に回っている。池田大作名誉会長の“絶対平和”の思想から言えば、現状の公明党や創価学会本部がそれらを容認する方針は間違っている。学会本部前にて、牧口・戸田・池田の創価三代会長の姿勢に立ち返るべきだとアピールしたい」と今回の行動の意義を語った。
現状の公明党については「大衆のために・大衆と共に……という元々の信念を
失っている。自民党という権力側に付いてしまって、“与党ぼけ”したのか、
大衆のためにという視点を忘れてしまった」と切り捨てた。

同じく元学会職員の滝川清志さんは公明党について「明らかに変質し、信念を失っている。牧口初代会長は治安維持法によって獄死させられた。共謀罪法は治安維持法と違うとはいえないと思う。思想に殉じていった初代会長の精神を思うと、いまの共謀罪は廃止しないといけない」と語った。

(及川健二・日仏共同テレビ局France10記者、11月3日号)

集計漏れの福島の子どもたちの甲状腺がん数、いまだ把握せず

10月23日に開かれた福島県「県民健康調査」検討委員会で、東京電力福島第一原発事故以来、行なわれてきた当時18歳以下の甲状腺検査の結果が報告され
た。

検査対象約37万人のうち、1巡目(2011~13年度)では受診した約30万人のうち116人が、2巡目(14~15年度)では約27万人のうち71人が、3巡目(16~17年度)は約12万人中、新たに3人増えて7人、計194人が甲状腺がんまたはその疑いが診断されている。100万人に1~3人とされる子どもの甲状腺がんだが、今回も「多発論」は皆無だった。

前回(6月5日)の検討委員会で、2次検査で「経過観察」とされた後に甲状腺がんの摘出手術を受けた4歳児の症例が集計に含まれていないことが明らかとなり、環境省の梅田珠実環境保健部長が「手術症例を統計として求めて報告していただく」と指摘。福島県立医科大学の大津留晶甲状腺検査部門長は「経過観察」とされ保険診療扱いとなったうち、「半数以上が次回の一次検査を受診」しているとだけ述べ、その後の対応が注目されていた。

だが、それから5カ月近くが過ぎたにも拘わらず、未だ集計は行なわれておらず、県立医科大学ふくしま国際医療科学センターの横谷進甲状腺・内分泌センター長が、「大学の倫理審査委員会で承認され次第」、医科大学内で「がんまたは疑い」と診断された患者が甲状腺検査の集計外であるかを、放射線医学県民健康管理センターに照会して、集計から漏れている人数を把握すると説明を行なった。

今回、検討委員会と甲状腺検査評価部会の任期切れにより、前者は再任が多数、後者は全員が入れ替わった中、日本甲状腺学会から推薦を受け両方の委員となった高野徹大阪大学大学院講師(内分泌代謝内科学)が検査の継続的に消極的なスタンスを露わにした。

(まさのあつこ・ジャーナリスト、11月3日号)

国税庁・佐川氏罷免求め2万筆超の署名も集まる 「モリ・カケ」徹底追及緊急集会

左から寺脇研さん、黒川敦彦さん、木村真さん、弁護士の大川一夫さん。(撮影/粟野仁雄)

与党大勝で「うやむや結末」が懸念される中、10月26日夜、「アベ政治に幕引きを! 『モリ・カケ問題』の責任を徹底追及!!」の緊急集会(森友学園問題を考える会主催)が大阪市中央区で開かれた。元文部官僚の寺脇研京都造形芸術大学教授は加計学園について「『記憶がない』と言っているが総理の秘書官が今治市の職員と会うようなレアケースを忘れるはずはない」「野党は萩生田文書を追及すべきだ」と強調。森友問題では「安倍夫人元秘書の女性は『あんな人(籠池夫妻)と付き合っているのはまずいのでは』と報告しなくてはいけなかった」などと話した。

山口4区で出馬した「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表は「安倍首相のお膝元で6687票以上入れてくれたことは意義があった。加計学園の建築図面を専門家に見てもらうと坪単価60万~70万円くらい。それを150万円かかると水増ししている。補助金詐欺です」と話す。

森友学園問題の火付け役、木村真豊中市議は「近畿財務局の幹部が『(国有地価格を)ゼロ円にする努力をします』と話す生々しい録音が暴露されたら解散になった。まさに「モリ・カケ」隠し。松井(一郎)大阪府知事は『忖度にはいい忖度と悪い忖度がある、大阪府職員も僕に忖度します』と言った。公務員は全体に奉仕するのではなくトップにだけ従えという姿勢です」と話した。

行政官が政治家にモノが言えなくなったことを憂う寺脇氏は「安倍首相は、自分は選挙で選ばれたから官僚は自分に従えという姿勢。しかし公務員は試験という形で国民から選ばれているが、選挙では能力とは全く関係なく選ばれる」と話し大きな拍手が起きた。

先立つ24日、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」メンバーは財務省と国税庁を訪れ面談、国税庁の佐川宣寿氏の罷免を求める署名2万筆超を提出した。

(粟野仁雄・ジャーナリスト、11月3日号)

安倍自民党圧勝でも課題山積の公約に不安の声 「教育無償化」で歪む社会保障

総選挙で「教育無償化」を公約の一つに掲げた安倍晋三首相だが課題山積。(撮影/編集部)

2017年衆院選は、自民党の圧勝で幕を閉じた。安倍晋三首相は公約に掲げた「教育無償化」を進める意向だ。しかし課題は多い。財源が増えないもとでの教育費の膨張は、社会保障制度を圧迫する、との懸念も根強くある。

衆院選の大勝から一夜開けた10月23日。揚々と記者会見に臨んだ安倍首相は、選挙直前に打ち上げた「2兆円規模の子育て政策パッケージ」に触れ、「教育の無償化を一気に進める。消費税の使い道を見直し、子育て世代、子どもたちに大胆に投資する」と語った。

「パッケージ」は、3~5歳児の教育・保育の完全無償化(約7300億円)や、0~2歳児保育費の一部無償化(500億~2300億円程度)が柱。他には大学生向けの給付型奨学金の拡充や、待機児童解消に向けた32万人分の保育施設整備などが並ぶ。

19年10月に消費税率10%への引き上げが実現すると、約5・6兆円の増収となる。この中から約4兆円を「社会保障の安定化」に充てるのが当初の政府方針。社会保障費のうち、国が借金で補填してきた部分を増税分で賄うように改める構想だった。だが、首相は唐突に約1・7兆円分を教育無償化などに振り替えるとし、衆院解散に踏み切った。「2兆円パッケージ」に足りない約3000億円分は、企業の負担増で埋める。

安倍首相は27日夕、経団連の榊原定征会長に協力を要請。榊原氏は「応分の協力はすべきだ」と応じた。

ただ、自治体や保育の現場では「待機児童の完全解消が先」との声がやまない。保育士不足の解消なしに保育施設の整備は進まないし、そもそも枠を32万人分増やしても足りないだろうという。東京都のある区の幹部は「保育所無償化で入所希望が増え、待機児童もまた増える。入所できた親とできない親の格差拡大と分断が進み、社会不安が広がる」と見ている。

【財務省牽制する厚労省】

「法改正は不要ですよ」

最近、財務省幹部は国会議員らにこう耳打ちしている。12年に成立した社会保障・税の一体改革関連法のことだ。同法は消費税の使い道を年金、医療、介護、子育ての「社会保障4経費」に限り、いわゆる教育費は含めていない。4経費への「侵犯」を警戒する厚生労働省は、「教育無償化にまで広げるなら、法改正が必要」と財務省を牽制している。

これに対し、「奨学金も子育て支援」というのが財務省の言い分だ。借金返済に充てる予定のカネを教育無償化に取られて青くなり、「消費増税の撤回よりはマシ」と、安倍官邸に尻尾を振る側に回った。そして借金返済分を別に確保すべく、社会保障費カットにムチを入れようとしている。

10月25日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)。年末の18年度予算編成に向けて、医療機関に支払う「診療報酬」の改定議論を始めたこの日、財務省は「2%半ば以上のマイナス」を強く求めた。診療報酬改定は2年に一度。1%減は約4500億円の医療費圧縮になる。また18年度予算編成は、3年に一度の介護報酬改定、5年に一度の生活保護見直しの時期とも重なる。同省は訪問介護費の圧縮などによる介護報酬削減、生活保護費の引き下げなども提示したほか、所得の低い世帯に支給している児童手当の「特例給付」廃止案まで挙げた。

財務省が社会保障費削減に躍起なのは、18年度予算でも教育無償化の財源をひねり出す必要に迫られているからだ。2兆円の子育て政策パッケージは消費増税後でも、選挙公約だけに今から「芽出し」はしておかないといけない。

社会保障・税の一体改革は、消費増税分を社会保障の「安定化」と「充実」に充てると定めている。介護保険料の軽減など、個別政策への使途も決まっている。

「パイを増やさないまま教育無償化を無理に割り込ませば、改革の全体像が壊れ、『社会保障費のツケを後の世代に負わせない』という理念まで崩れかねないよ」

厚労省幹部はそう言って、深いため息をついた。

(吉田啓志・『毎日新聞』編集委員、11月3日号)

「失われた20年」はむしろ「正常」(高橋伸彰)

豊かさや幸福感とは……。(提供/アフロ)

経済成長とは統計的にみればGDP(国内総生産)の拡大にすぎない。今回の総選挙で安倍晋三首相が自らの政策で過去最大になったと喧伝した名目GDPの「かさ上げ疑惑」については、佐々木実氏が本誌(10月20日号)で指摘した通りだが、いくらかさ上げしてもそれだけで人々の実感する豊かさや幸福感は高まらない。経済学者の小宮隆太郎が47年前に喝破したように「そんなことは経済学の常識」(『週刊エコノミスト』1970年11月10日号)である。

だが、戦後の日本では経済学の常識を超えて、経済成長は日本経済の「シンボル」のように捉えられてきた。安倍政権が実質2%、名目3%の持続的成長を日本経済再生の目標に掲げる理由もここにある。

確かに机上の計算では成長の効果は絶大だ。名目3%で成長すれば現在約540兆円の名目GDPは10年後に約726兆円となり、税収のGDP弾性値を1と仮定しても自然増収だけで国の税収は約20兆円増える。

しかし、成長できなければ自然増収は幻想に終わり、そのツケは財政赤字の累積となって将来世代の負担になる。1997年度末には258兆円だった国債残高が2017年度末には865兆円と、20年間で607兆円も増えるのは歴代の政権(大半は自民党政権)ができもしない成長目標を掲げて財政再建を怠ったからだ。

だから成長幻想は捨て、成長に依存しない財政再建策を立てるべきだと筆者は20年以上前から提言(『中央公論』1996年3月号)してきた。これに対し成長派のエコノミストから返ってきたのは、「成長が必要ないと言うなら、これから増える所得はすべて寄付しろ」という意味不明の反論だった。

誤解がないように付言すれば、成長は必要ないと筆者は言っているのではない。責任ある政権なら不確実な成長に依存せず、ゼロ成長でも国民生活の安心を保障する実現可能な分配政策を示せと主張しているのだ。

実際、ゼロ成長になったからといって企業のビジネスチャンスが枯渇するわけではない。毎年GDPの10%近い市場で新陳代謝が起きると想定すれば、ゼロ成長でも毎年50兆円の新しい市場が創造される。その大きさは1997年以降のゼロ成長下で普及したインターネットやスマホ、薄型の液晶テレビやDVD、あるいは通販や宅配など新しい製品やサービスの急速な市場拡大をみれば一目瞭然である。

また、今後、生産年齢人口(15〜64歳)の減少が予想される中では、労働者1人あたりの生産性が毎年1%程度上昇しなければゼロ成長すら維持できない。そこで生産性上昇に見合う賃上げが実現されるなら、ゼロ成長下でも定昇に加え毎年1%のベアを獲得できる。ゼロ成長とはけっして悲観的な経済ではないのだ。

いまだに持続的な成長こそが「正常」だと思い込んでいる政治家には、ゼロ成長は危機に映るかもしれない。しかし、人類の長い歴史を振り返れば成長がいつまでも続くほうが「異常」であり、97年以降の「失われた20年」はむしろ「正常」である。そう考えれば「正常」への回帰を危機と呼び、成長に固執して財政再建を先送りするアベノミクスは最初から狙う的を間違っていたと言えよう。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。11月3日号)

小池氏、自らの発言で希望の党失速にも責任をとらず 「排除」引き出した記者を排除

小池百合子・希望の党代表の囲み取材。筆者の質問は無視(「排除」)された。10月25日。(撮影/横田一)

民進党の前原誠司代表は10月27日の両院議員総会で、党全体が希望の党へ合流するとの方針を撤回して、代表辞任を表明。民進党に残っていた参議院議員や地方組織はそのまま存続することになり、11月1日から始まる特別国会前までに新代表を選ぶ見通しとなった。

投開票日直後の会見で前原氏は、参院議員や地方組織の方向性を決めた上で辞任する考えを明らかにしていたが、党内の参院議員は「希望合流を決めて辞められても困る。そもそも前原代表に残務処理をする資格はなく、すぐに辞任して、残ったメンバーが今後の方針を決める」と反発。解任決議を出す構えも見せていたため、前原氏が自発的に辞任する形となった。

なお前原氏は代表辞任をした後に、民進党を離党して希望の党に入る意向をすでに表明している。

一方、野党乱立を招いて安倍政権をアシストしたもう一人の“A級戦犯”の小池百合子都知事(希望代表)は25日朝にフランスから帰国、午後から両院議員懇談会に出席した。3時間以上にも及んだ懇談会の冒頭で小池氏は、「多くの方々を傷つけてしまったことについても、改めて謝りたい」「言葉が歩いてしまった結果だ」と謝罪した。それでも複数の国会議員から代表辞任を求める
声が出た。

しかし、これに対して小池氏は創業者責任を口にしながら代表辞任を否定した。自らの「排除」発言で希望は失速、落選議員を多数出したのにもかかわら
ず、結果責任を取ろうとしなかったのだ。

23日のキャロライン・ケネディ前駐日米大使とパリでの対談でも、小池氏の責任転嫁の姿勢が浮彫りになった。小池氏は「都議選もパーフェクトな戦いをしてガラスの天井を破ったかなと思ったが、今回の総選挙で鉄の天井があると改めて知りました」と語り、希望惨敗の原因が自らの失言ではなく、日本の特殊事情であるかのような言い逃れをしたのだ。

その一方で、「(小池代表)関係者」「周辺」と名乗る側近を使って“悲劇のヒロイン仕立て作戦”と呼ぶべき世論工作も始めたようだ。「〈誤算の行方〉(上)振付師なく『敵役』に 小池氏 過信が生んだ排除発言」と銘打った10月25日付『東京新聞』は、9月29日の会見で口にした「排除」発言について「関係者によると、小池氏は食事がのどを通らないほど、この発言を悔いていた」と紹介しているが、作り話にしか見えない。本当に後悔していたのなら、すぐに「排除」発言を撤回、「前原代表が説明した通り、公認申請者は全員受け入れます」と方針変更をしていれば、希望は勢いを維持、野党乱立を招くこともなく非自民勢力が結集、安倍自民党を大幅議席減に追い込むことが可能だった。

【「次の質問をどうぞ」】

そこで25日の両院議員懇談会後の囲み取材で、「結果責任を取らない理由は何ですか。『排除』発言をすぐに撤回していれば、こんな事態を招かなかったのではないですか。前原さんにウソをついたことになる」と聞いたが、小池氏は答えず、「次の質問をどうぞ」と言って別の記者を指名した(編集部注:小池氏から「排除」発言を引き出したのは本稿筆者)。政治家に続き記者も「排除」したのだ。

連合の神津里季生会長と小池氏が会談した翌26日の囲み取材でも、露骨な記者排除(選別)を繰り返した。「多くの候補者が連合の支援を受けて戦った。支援に感謝したい」「政策を含めて協力関係を持っていく。地方選があり、協力をお願いした」と会談内容を小池氏が説明した後、私は再び「排除」発言について質問したのだが、ここでも一言も発することなく、早々に会見を打ち切ったのだ。

「排除」発言について、「政策の門、公認の門をいたずらに狭めたという感が強くある。罪はきわめて大きい」(23日の会見)と小池氏を批判していた神津氏にどう釈明や謝罪をしたのかについて小池氏は、一切説明しようとしなかったのだ。説明責任も果たさず、結果責任も取ろうとしない独善的な小池氏に対して、「代表不適格」「辞任すべき」といった批判が強まるのは確実だろう。

(横田一・ジャーナリスト、11月3日号)

本当は弱い安倍政権(浜矩子)

総選挙明けの10月23日、月曜日に本稿を執筆している。今の心境はどうか。

やれやれまたか。もとより、この思いはある。自公で解散前勢力をほぼ維持した。なんとうんざりすることか。だが、その一方で、それなりのワクワク感が、実をいえばある。「立憲民主」を掲げる政党が誕生した。そして、野党第一党のポジションにつけた。

そしてさらに、一時は妖怪アホノミクスを凌ぐ毒の鼻息を吹き散らすかにみえた緑の妖怪、グリーンモンスターが色あせた。と同時に、緑の衣の下に潜む鎧の性格がかなりよくみえて来た。「改憲踏み絵」が鎧の色合いをよく示していた。

かくして、対峙の構図がかなりすっきりみえてきた。民主主義と国粋主義が正面切ってにらみ合う。この関係が鮮明に浮かび上がった。わけの解らない与野党対決の時代は終わった。これでいい。あるのは、市民側対権力側の攻防だ。政治家たちは、このいずれの側につくのか。そのことで、彼らの知性と品格が試される。

ところで、今回も盛んに「安倍一強」ということが言われた。「一強の驕り」が出ないよう、身を慎め。選挙後の自公政権に対して、多くのメディアがこのメッセージを投げかけた。重要な戒めだ。

ただ、彼らは本当に強い政権なのか。実はそうではないように思う。彼らは、本当は弱い政権なのだと思えてならない。弱虫政権である。

弱虫の特徴は何か。それは、空威張りをすることだ。彼らには自信がない。だから必死で突っ張る。すぐに被害妄想に陥る。そして、過激な言動をもって逆襲に出ようとする。弱虫にはゆとりがない。だから、批判を封じ込めようとする。逆らう者たちを黙らせようとする。言論の自由を制限しようとする。何とも肝っ玉が小さい。

弱虫には、怖いものがたくさんある。だから、それらの怖いものを全部押しつぶそうとする。弱虫は、決して謙虚になれない。なぜなら、彼らは臆病だからだ。臆病者は、常に虚勢を張っていなければ生きていけない。そのような者たちの中に、謙虚であるおおらかさは芽生えない。

その意味で、彼らが披露してみせているのは、「一強の驕り」ではない。あれは「一弱の怯え」だ。人間は、怯えれば怯えるほど、行動が無茶なものになる。過激になる。容赦なくなる。形振り構わなくなってしまう。

市民とともに闘い続けるまともな野党組の皆さんには、弱虫の怯えと上手に対峙し、それを上手に退治してほしい。その点で、一つやや気掛かりなことがある。選挙戦中、立憲民主党の枝野代表は「右でもない、左でもない」という言い方をしていた。多くの市民とともに前に進む。それはいい。だが、右はやはり少々まずいと思う。なぜなら、その道には、どうしても国粋につながる面があるからだ。国家主義に踏み込んでいく扉がそこに開いているからだ。

振り返ってみた時、今この場面が、日本における市民主義の本格的夜明けの場だったと思える。そのような時として、今を輝かせる。それがまともな野党組の使命だ。立ち去れ、弱虫政権と偽野党たち。

(はま のりこ・エコノミスト。10月27日号)