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ローハイ!(小室等)

映画音楽の巨匠ディミトリー・ティオムキン、といっても今の若い人たちは知らないよね。僕たちの世代だと、まずは一九五九年から六五年にかけて放送されたアメリカのテレビ西部劇「ローハイド」、そうカントリー・シンガーのフランキー・レインが歌う、♪ローレン ローレン ローレン ローハイ! 日本では「伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ」が歌っていた。日本中知らない人はいないほどヒットしたんだけどな。

余談だが、準主役のクリント・イーストウッドは直後に出演したマカロニ・ウェスタンの映画『荒野の用心棒』が当たってスター街道をはしっていくことになる。

話を戻そう。ティオムキンは、作曲家として三〇年代から六〇年代にかけてハリウッド映画音楽の一翼を担った大巨匠である。アカデミー賞は、五三年に『真昼の決闘』(監督:フレッド・ジンネマン、出演:ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー。このときは歌曲賞も)、五五年に『紅の翼』(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、主演:ジョン・ウェイン)、五九年に『老人と海』(監督:ジョン・スタージェス、主演:スペンサー・トレイシー)の三つ。そのほかノミネートは無数。

それらの中で三九年の『スミス都へ行く』(主演:ジェームズ・スチュアート)など、社会派の映画をいくつも担当していてそれはよいのだが、問題は六〇年の『アラモ』だ。

総指揮、監督、主演のタカ派俳優ジョン・ウェインが求める、あるべきアメリカの姿を示す映画で、五七年後の今日、それを地で行くのがトランプだとすれば、『アラモ』は長~い時間をかけたトランプ・プロパガンダ映画だったとも言える。

なんとわれらがフォークグループ「ブラザース・フォア」も、主題歌「遥かなるアラモ」の歌唱でそのお先棒を担いでいる。僕はと言えば、映画館の暗闇の中でスクリーンを食い入るように見つめ、ブラフォーのその主題歌を好きで口ずさんでいたのだから文句を言えた立場ではないのですがね。

そのあとの六三年、これもタカ派俳優チャールトン・ヘストン主演の『北京の55日』。義和団事件を扱っているが、史実を都合よく脚色し結局アメリカは偉かったという映画で、ここでもブラフォーがちゃっかりティオムキン作曲の主題歌担当。

さてさて、強いアメリカン・メッセージのお手伝いをしたティオムキンはといえば、ロシア帝国領ウクライナで一八九五年に生まれ、一九二五年にアメリカに移住。アメリカ国民の多くがそうであるように、ティオムキンも移民だ。トランプも移民の血筋だよね。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2月10日号)

文科省、教科書編集をがんじ搦め――指導要領との対応を明示

文部科学省が1月23日開催した、教科用図書検定調査審議会(検定審)の第3回総括部会で、教科書の「主要な内容」と学習指導要領(以下、指導要領)の「内容・項目」との対応までも、教科書上に明示させる“改善”策を出した。

文科省教科書課(望月禎課長)が検定審に出した「教科書の改善について(論点整理)(案)」は、(1)教科書の主要な内容が指導要領の示す内容・項目とどう対応しているか教科書上に明示し、(2)指導要領『解説』を「より踏まえ」教科書記述に適切に反映することが、「求められる」と明記(傍点筆者)。

文科省は2014年1月、各出版社が検定申請した教科書に添付を求めている「編修趣意書」に、教科書の構成・内容(第1・2章など)と教育基本法第2条各号とを対照させるよう、教科書検定規則実施細則を改定し、「指導要領との対照表」の提出も義務化した。

今回の(1)は、それを教科書にも明示するよう求めたもの。改定教育基本法に盛った“国を愛する態度”に加え、小学校6年や中学社会の指導要領が明記している「国歌尊重」「天皇への敬愛の念」「我が国の防衛、(自衛隊の)国際貢献」等で、一層政府の政策や見解に沿う記述を強制する意図が明白だ。

また、(2)の『解説』は、文科省が「大綱的基準として法的拘束力がある」とする指導要領とは異なり、参考資料にすぎないのに、「より踏まえ」と強化。いきすぎだ。

このため複数の傍聴者が閉会後、「(1)の追記により(指導要領を読んでいるわけではない)子どもたちが教科書を読む際、煩雑になる恐れ」などを質すと、教科書課の担当者は「(1)は教師にとっては指導要領との関係がより分かり易くなる。また、文末を『求められる』と表現したのは、今回は検定基準の改正まではせず、出版社側に期待するということだ」と答えた。

“改善”策は教科書の編集を一層、がんじ搦めにするものだ。

(永野厚男・教育ジャーナリスト、2月10日号)

辛淑玉さん、闘いは続きますね(佐高信)

拝啓 辛淑玉様

新年早々、『東京新聞』論説副主幹とかいう長谷川幸洋らとの闘い、お疲れさまです。長谷川ら中傷主義者を見ると、私はいつもコウモリを連想します。「昼は暗所に潜み、日暮に活動する」(『広辞苑』)というコウモリは「獣なのに鳥のように飛ぶところから、情勢の変化を見て優勢な側に味方する者をののしっていう」時にも、その代名詞として使われます。

私は公明党をコウモリ党と呼んでいますが、彼の党にもピッタリですね。

“鳥なき里のコウモリ”という言葉がありますが、少しはマシな新聞の『東京』の長谷川や元『朝日』の永栄潔らを指すのでしょう。『産経』や『読売』にいれば、数の中の1人にすぎない彼らも、“鳥なき里”では目立つということです。しかし、愚かなる彼らはそれを自覚していません。

敵対する『朝日』の禄を食んだことのある花田紀凱もコウモリ族に入るでしょう。どこか卑しい感じがするのはそのためです。

旧制一高の校長をやった安倍能成さんは「教養とは何か」と問われて、「教養とは相手の立場を理解しようと努力することに始まる。教養のない者とは自己主張するだけの者だ。どんなに知識があっても、教養があるかないかは相手の立場を理解する態度を示すかどうかによって決まるのだ」と答えています。

安倍さんは「心」グループに属した保守派の人ですが、その通りですよね。この定義に従えば、長谷川らは無教養極まりない人間だということになるでしょう。

痛みがわからない『東京新聞』長谷川ら

私はいつも、極限まで「相手の立場を理解しようと努力する」辛さんに敬意を払っていますが、上野千鶴子著『ニッポンが変わる、女が変える』(中公文庫)の辛さんの発言に打たれました。

辛さんは東日本大震災の後、早くに被災地に入り、在日だけではなく、外国籍住民の救援活動に取り組んできましたが、上野さんが、
「『子どもに障がいがあって、奇声を上げたり、周りに迷惑をかけたりするから避難所にはとてもいられない』と、傾いた家に戻った人もいたそうです。認知症の高齢者を抱えた家族も、避難者のコミュニティに入ることを自主規制してしまったり」
と言うと、辛さんはこう答えています。

「人からケアしてもらう必要がある人は、避難所にはいられません。それは、外国籍住民も同じようなものです。『従軍慰安婦』として名乗りをあげて、国と裁判を起こした宋神道さんも、避難所でやっと見つけた時には、日本名で入っていました。胸が痛かった」

私も胸が痛みますが、前記の長谷川らにはまったく理解できないでしょうね。痛む胸がないからです。

「国と闘った人でも、非常時の日本では外国名でいることが恐怖だったのでしょう。つらい話です」
と続ける上野さんに、辛さんは、
「避難コミュニティに入らない在日の家族にも会いました。半壊した家で、家族を支えて疲弊しきっている女性がいた。彼女に、『手続きをとって義援金をもらいましょう』と提案したとたん、『絶対嫌だ!』と。『そんなことで今までの差別をなかったことにされたくない』といいました」
と述懐しています。

「復興の過程で『がんばろう日本』とか、ニッポン・コールが起きました。朝日新聞が作った復興を考える委員会の名前が『ニッポン前へ』。本当にキモチ悪い」
と語る上野さんに辛さんは「その言葉がどれだけ怖かったか」
と答えていますね。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、2月10日号)

NHK「クローズアップ現代プラス」――「少女像」報道に抗議

記者会見する梁澄子氏(左)と醍醐聰氏。2月2日、東京・千代田区。(撮影/西中誠一郎)

2月2日、衆議院第二議員会館で、NHK「クローズアップ現代プラス」が1月24日に放送した「韓国・過熱する“少女像”問題・初めて語った元慰安婦」の内容に抗議する記者会見が行なわれた(共催:日本軍「慰安婦」問題解決全国行動、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター)。

同番組は、一昨年末の「日韓合意」を受け、34人が日本政府の「支援金」受け入れの意向を示し、既に31人へ支給されたにもかかわらず、その声が韓国内では報道されず、「合意」破棄を求めて「少女像」設置問題が過熱し、韓国社会の中で自分たちの思いは理解されないのではないか、と悩む元「慰安婦」と家族の声を紹介する内容。記者会見した2団体は1月31日にNHK会長と番組制作者に抗議文と公開質問状をそれぞれ提出した。

記者会見で「全国行動」共同代表の梁澄子さんは「支援金が被害者に支給されたことは報道され、韓国人は知っています。しかし番組で危惧するようなバッシングは起きていません。番組内容は多数の被害者が受け取ったのだから、納得しない被害者や市民が黙れば問題解決すると言っているのと同じです。なぜ『合意』に反対する被害者がいるのか、新たな少女像の設置が続くのか掘り下げた報道になっていません」と指摘し、「日韓合意の最大の罪は、歴史事実を10億円で売り飛ばしたこと」という元「慰安婦」の金福童さんの発言を紹介した。

東京大学名誉教授の醍醐聰さんは「『放送法第4条』で定めた政治的公平性に著しく欠け、事実を歪曲し、多様な論点も取り上げていない」と批判し、NHK自身の「放送ガイドライン2015」にも違反していると指摘した。会見では「『慰安婦』だった方々の長年の闘いや願い、韓国以外にも多くの被害者がいるという事実も無視されている」「抗議する人の声を冷笑する報道姿勢に強い危機感を感じる」といった発言も相次いだ。

(西中誠一郎・ジャーナリスト、2月10日号)

「残業代ゼロ法案」に「首切り法案」(高橋伸彰)

経済3団体が共催する今年の新年祝賀会で、安倍晋三首相は「今年は働き方改革断行の年だ。正規と非正規労働者の不合理な待遇の差は認めない」と挨拶した(1月6日付『日本経済新聞』)。しかし首相の挨拶とは裏腹に『日経』が行なった働き方改革に関する調査では、非正規の処遇改善を優先課題とする企業の割合は1割未満。7割以上は、むしろ長時間労働の是正を優先課題に挙げている(1月10日付『日経』)。

そもそも非正規の処遇改善や同一労働同一賃金が働き方改革の重要課題に浮上したのは、昨年1月27日の衆議院本会議で安倍首相が「働き方改革の重要な柱が、同一労働同一賃金です。たとえば、女性では、結婚、子育てなどもあり、三十代半ば以降、みずから非正規雇用を選択している方が多い(中略)こうした方々のためにも、非正規雇用で働く方の待遇改善は不可欠です」と答弁したのが嚆矢である。これを受けて昨年3月には「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」が厚生労働省内に設置された。

同検討会の報告が出る前から、というより、出る前だからこそ安倍首相は畳むつもりもない風呂敷をところ構わず広げた。昨年6月1日の通常国会閉会時の会見では「『非正規』という言葉を日本国内から一掃する」と豪語し、同9月には外遊先で「どのような賃金差が正当じゃないと認められるのかをガイドラインを作って明らかにします」と公言したのだ。

こうした一連の発言がいかに実効性のない空虚なものだったかは、その後に公表された同検討会の中間報告やガイドライン案を見れば明らかである。

昨年12月20日に公表された中間報告では「同一労働同一賃金の考え方あるいは原則を、厳密に定義することはなかなか難しい」と断ったうえで、賃金の決定は本来「当事者である労使の決定に委ねるべきもの」と突き放し、正規と非正規の格差是正に向けて積極的に取り組むと言っていた国(政府)の姿勢は大幅に後退した。

また、非正規の一掃についても「正規・非正規という呼称格差を改め、すべて様々な雇用期間や労働時間の社員という考え方に整理されていく必要がある」と述べるだけで、非正規の呼称はなくすが、待遇は雇用期間に定めがある社員とか、労働時間が短い社員とか、あるいは勤務地や職務が限定された社員というように、社員の概念を細かく分類し、その労働に見合った処遇をすれば問題ないという。さらに中間報告と同時に公表されたガイドライン案でも、どのような賃金差がルール違反になるかよりも、どのような格差なら違反にならないかという企業寄りの事例ばかりが提示された。まさに非正規という言葉は、この国からではなく、働き方改革から一掃されてしまったのである。

非正規の一掃に代わり今国会で再び醜悪な鎌首をもたげているのが、長時間労働是正という名の「残業代ゼロ法案」と金銭解雇の合法化を図る「首切り法案」だ。

非正規をなくすと直前まで訴えながら、国会が始まると大企業が望む法案の成立に奔走するのは国民には想定外でも、安倍内閣には想定通りの流れなのである。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授、2月10日号)

増田元総務相に杉並区が異常な高額報酬――出勤2~3日で月額35万円か

昨年7月の東京都知事選で落選した自民党の増田寛也元総務大臣を、東京都杉並区(田中良区長)が非常勤「顧問」として採用、毎月35万円、時給7万円から8万円(後述)にもなる破格の高額報酬を税金から支給している。田中区長は都知事選で増田氏を公然と応援していたことから、田中区長は「お友だち」に公金で「落選手当」を払っているようなものではないか、と区民から批判の声が上がっている。

増田氏の顧問採用は、区議会にも事前に知らされないまま区長部局内部の“密室”で行なわれた。都知事選で増田氏が落選したのが7月31日。そのちょうど1カ月後の8月31日に、杉並区は非常勤顧問職を新設した。顧問職新設は、条例ではなく規則の変更という議決を不要とする方法で行なった。そして、翌9月1日付で増田氏をこの顧問職に採用した。

公募などの手続きはいっさいなく、はじめから増田氏だけのための顧問職新設だった。

勤務条件は、勤怠管理なしにもかかわらず、報酬だけは毎月35万円が払われるという超好待遇。そして、事実9月の出勤は2日で、拘束時間は4時間半にすぎなかった。時給に換算すると7万円から8万円もの高額に達する。10月以降もこれと同様に、月2~3回の出勤が続いている。

仕事内容は、「地方創生に係る支援及び助言」。特に重要な責任はない。この気楽で簡単な仕事に対して月35万円は払いすぎではないか。筆者の指摘に対して、区側はこう反論する。

「増田氏の(岩手県)知事3期及び総務大臣を務めたこれまでの経歴及び地方自治、地方創生に関しての深い知見等を総合的に判断すれば(中略)月額35万円の報酬は妥当である」

しかし、その説明を疑わざるを得ない事実が情報公開請求で発覚した。区が作成した顧問職新設の起案文書のなかに、報酬を月額35万円とした根拠としてこんなことが書いてある。

〈週3日×4週=月12日×3万円=36万円〉

週3日、月12日の出勤を想定し、日額3万円として計算して月35万円という金額を算出したと明記している(計算上36万円だが杉並区は条例で上限35万円と定める)。

月12日の出勤を想定していたのにじっさいには2日~3日しか出勤していない。おかしいではないかとの疑問に、区側は説明ともつかない奇妙な言いわけをする。

「……規則を改正するに当たり、担当課である人事課が一般的な月額報酬の算定根拠を出すために作成した検討段階の内部メモであり(正式なものではない)……」

【杉並区は過去二度敗訴】

非常勤職員の報酬をめぐって、杉並区は過去二度にわたって裁判で敗訴している。最初は、月末の土日2日間だけ在籍した非常勤監査委員2人(自民党議員と民主党議員、当時)に月額報酬15万円を満額支給したことの違法性を問う訴訟。次は、半年間病欠した非常勤選挙管理委員(元自民党議員)に月額24万円の報酬を満額支給したことの違法性を問う訴訟だ。

非常勤の報酬は純粋に仕事の対価であって、名誉に対する支給でもなければ「生活給」でもないというのが地方自治法の趣旨。その立法趣旨を逸脱した支給は違法で無効だということがこれらの裁判の判決で明示された。

選管委員をめぐる裁判で杉並区の敗訴が確定した2015年11月。田中区長は「判決を真摯に受け止める」と委員会で答弁した。しかし、今回の件をみればその言葉は疑わしい。

筆者は区民のひとりとして増田氏の報酬返還を求める住民監査請求を11月に起こしたが、元会計室長や自民・民進系与党議員ら身内で固めた杉並区監査委員は棄却した。このため、これを不服として1月27日、住民訴訟を東京地裁に起こした。3月23日午前10時45分から東京地裁703号法廷で第1回口頭弁論が開かれる。事件番号は平成29年(行ウ)第45号。

(三宅勝久・ジャーナリスト、2月10日号)

民進党の病は深刻だ(西谷玲)

国会が始まったが、安倍晋三首相一強のもと、「凪凪」(自民党若手)の状況である。解散総選挙は秋以降と予想され、天皇退位問題や共謀罪などが国会審議の焦点だが、国民の関心も今一つだ。

その原因の一つが、民進党にある。代表が蓮舫氏になったけれども、いま一つぴりっとしない。存在感もない。支持率も伸びない。

なぜかといえば、大きな理由として挙げられるのは、いまだに「まとまらない」からだ。

目を疑ったのは、昨年末のカジノ法案採決の時の顚末だった。民進党の参院は、党の執行部と合意を得ないまま、カジノ法案の採決をすることに合意したのだ。

カジノ法案は民進党として反対することになっていた。12月初めの党首討論では、蓮舫代表がカジノに的を絞って反対論を繰り広げたばかり。それなのに、採決にあっさりと合意してしまえば、成立を後押ししたのも同然だ。実際、そのあとカジノ法案はすんなりと成立した。

自民党内ですら慎重論がささやかれていたものだ。反対であるということを明確に世論に訴える、あるいは時間切れの廃案に追い込むことだって可能だっただろう。それなのになぜ、そんな敵に塩を送るようなことをするのか理解に苦しむ。

法案を参院で採決した後、民進党の榛葉賀津也参院国会対策委員長は「参院としての矜持を込めて(法案を)送り返した」と述べたというが、矜持を見せる場を間違っているだろう。

蓮舫氏は昨年9月に代表に選出されたばかり。まだ半年たっていないのだ。それなのに、なぜ自らバラバラであることを強調するようなことをするのか。まとまらなくていいと思っているのか。

蓮舫氏も、採決に対しての対応はうやむやだった。これでは、ますます足もとをみられ、甘くみられかねない。同様のことが早晩起こりそうだ。

「蓮舫氏は嫌われるのを怖がっている」(中堅議員)という。不満には思っても、党内に厳しいことを言えないでいるようだ。

劣勢にある党で、誰からも文句を言われずに立て直すというのは難しいだろう。何もしなくても文句は出るのだろうから、だったら蓮舫氏は代表として自分のやりたいように思いっきり行動したほうがよい。

もう一つ、民進党の対応で疑問符がつくものがある。それは「対案・提案路線」である。

『週刊金曜日』1月20日号で浜矩子氏が明確に批判しておられた。同様の指摘は他の識者にもある。野党にとって、対案路線というのは幻想である。情報量も違うし、そもそも提案したって実現しないのだから。明確に反対だと主張し、その理由を理路整然と説明すればよい。

なぜ共産党が昨今、支持を伸ばしているのか。

それは、彼らの提案が具体的で、実現してほしいから、という人たちばかりではないだろう。むしろそういう人は少数派ではないか。そうではなくて、共産党がきっちりまとまって与党に反対してくれること、その首尾一貫性が支持されているのだ。志位和夫委員長が自ら言っているように「たしかな野党が必要」だからだ。

選挙は遠いといって油断していると、民進党の病は重くなるばかりだろう。
(にしたに れい・ジャーナリスト、2月10日号)

『世界最悪の旅』の新訳完成(本多勝一)

2017年1月に刊行された中田修氏訳の『世界最悪の旅』(左)と、本多勝一の『アムンセンとスコット』。(撮影/『週刊金曜日』編集部)

世界の諸言語の中で日本語に訳されている文献は、古典から現代文まで膨大な量になろうが、理科系の手引き書とか古典的文学作品の類は別として、いわば“普通の”「本」として日本語に全訳されている例は、案外すくないのではなかろうか。

ここでとりあげるチェリー=ギャラードの著書『THE WORST JOURNEY IN THE WORLD』(By Apsley Cherry-Garrard)にしても、日本語版全訳『世界最悪の旅』(中田修訳、オセアニア出版社、税別7000円)は今年の1月15日刊行だが、原書(英語版)が出たのは1922年12月だから、こんどの全訳日本語版発行はその95年後ということになる(注)。

そして、二段組み760頁にもなるこの古典的大著の翻訳書が、今年の始めに中田修氏ご自身から新刊書として送られてきたとき、私は快挙に感激してすぐ中田氏に電話したものだが、まもなく同氏からこんなハガキがとどいた――

「お電話を有難うございました。うれしくてのぼせ上がり、わけのわからないことを言っていたようで失礼いたしました。原著に近い本をという小生の希望から、出版社と印刷所がはりきってくれて、よい本になりました。部数は五〇〇部です。次には少し手軽な安価な本にして、広く読んでもらえるようにできたらと思っております。」

中田氏は1929年生まれで、本多の2年先輩にあたる。『アムンセンとスコット──南極点への到達に賭ける』(教育社・1986年)は、私にとっては新聞記者になって以来はじめての書きおろし単行本だが、その「あとがき」の一部に次のような記述がある。

〈アムンセンとスコットというたいへん異なる個性が演じた「史上最大のレース」について、同時進行的に検証する方法を試みました。これまでどちらかというとスコット隊の悲劇があまねく知られ、しかも同情的・浪漫的に理解され、他方ではアムンセン隊がどのように成功したかが具体的には知られていなかった傾向があります。何よりの証拠に、人類として南極点に初到達したアムンセンの遠征記『南極』が、いまだかつて一度も日本語に全訳されていないのです(部分訳や抄訳はあったが)。一方、スコット隊の記録にしても、第三者(支援隊員)のチェリー=ギャラードによる分析の書『世界最悪の旅』は加納一郎氏による全訳があるものの、かんじんのスコット自身の長大な行動日誌はまったく訳されていません。つまり世界的古典としての両雄の原著作を、日本語で読むことは今だにできないのであります。これでは両隊について日本での認識が浅いのも、むしろ当然と言えましょう。〉

あらためて、中田修氏による大労作たるこの「全訳」の成果を祝いたいと存じます。

〈注〉『世界最悪の旅』の日本語版は、古い例としては加納一郎(故人)の訳書(1944年、 朋文堂)があり、朝日文庫版(1993年)にもなっているが、実質的な意味では「訳されていないところがときどきある(訳者あとがき)など、厳密には「全訳」とは申しにくいと思われる。日本語の「本」としては、このたび刊行された中田修・訳が真の全訳と考えられよう。
(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員、2月10日号)

集会参加の学生らに公安が集団暴行、東京地裁が調査嘱託

東京地裁は1月20日、東京都に対し、昨年9月に集団で学生らに暴行を加えたとして民事事件で訴えられている警視庁公安一課の警察官4人について、原告側が提出した顔写真に基づいて名前を特定するよう、調査を嘱託した。

昨年11月に特別公務員暴行陵虐罪等で東京地検にも告訴した学生側の主張によると、同年9月1日と2日、東京都中央区内の会館で集会を開催した際、会場に入場しようとした学生らに対し、警視庁公安一課の星隆夫警視ら十数人の警察官が暴行を加えたとしている。

このうち、タクシーで会館に乗り付けたA君の証言では、入場前に会館周辺にいた公安のうち5人によって突然背後から羽交い締めにされ、着用していた帽子やサングラス等を無理矢理奪われたほか、毛髪を引っ張るなどされた。

また、会館近くの路上でマイクロバスから降車したB君によれば、1人の公安から首や右手を強く掴まれた後、後頭部を殴られたという。その他、同時刻に会館の外にいた学生らも、複数の公安から「顔面や胸部に手拳で打撲傷を負わされ、衣類を引き裂かれた」(C君)、「胸ぐらを掴まれ、足を蹴られて転倒させられた」(D君)等の暴行を受けたと証言している。

このため学生ら5人が、ビデオや映像で顔が特定されている星警視ら暴行現場の警視庁公安のうち、名前が判明している11人に加え、氏名不詳の4人の計15人を告訴。さらに都も被告に加えた損害賠償請求訴訟で、東京地裁が訴状を本人に届けるため、都(警視庁)にこの4人の氏名と住所を明かすよう調査を嘱託したもの。裁判所が公安事件で、警察にこの種の調査嘱託を行なうのは異例という。

問題は、東京地検が今回の告訴を受理し、立件に動くかどうかだ。学生側の弁護を担当している鈴木達夫弁護士は、「権力犯罪に甘い地検に立件を促す世論の力が必要だ」と語っている。

(成澤宗男・編集部、2月10日号)

『産経』の「慰安婦」報道こそ捏造そのもの(吉方べき)

『産経新聞』は、『朝日新聞』が「吉田証言」のウソをばらまいたため、「慰安婦」が「強制連行されたと世界で誤解された」と批判している。だが、このような批判こそ捏造そのものなのだ。

ソウルの日本大使館前で、日本軍「慰安婦」への謝罪を避けている安倍首相に抗議する、元「慰安婦」と支援の人々。(2015年4月29日。提供/AP・AFLO)

産経新聞出版刊の『歴史戦 朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の噓を討つ』の第1章「朝日『慰安婦』報道が犯した罪」は、『朝日新聞』が、韓国・済州島で女性を強制連行したという故吉田清治氏の証言を取り上げていなければ、「慰安婦」問題の争点化はなかったとの前提の下に、論を進めている。そこでは「かつて1人の男の作り話が、これほど日本の国際イメージを損ない、隣国との関係を悪化させたことがあっただろうか」などとも述べられている。だが、その前提自体が虚構から出発しているのだ。

ここで確認すべき事実は、次の通りだ。まず、『朝日新聞』報道をきっかけに、吉田氏が韓国で注目された経緯はない。そして吉田氏の証言内容は、韓国側の問題意識を変化させるような性格のものではなかった。故に、「吉田証言」が否定されようがされまいが、「慰安婦」問題の枠組みには影響しない。

吉田氏が、「慰安婦」強制徴用に関わった人物として初めて韓国紙で言及されたのは、本人が「謝罪碑を建てたい」と韓国側に働きかけたのが契機だった。またいわゆる「吉田証言」が報道されたきっかけも、『朝日』とは無関係だ。吉田氏は1984年、タイ在住の元「慰安婦」、盧壽福氏が韓国へ一時帰国することを知り、「罪の意識に駆られて」訪韓した。そして同年5月27日、吉田氏の「『慰安婦』狩り」証言が、帰国中の盧氏への注目に乗ずる形で放送されることになる。

しかし吉田氏の証言が当時、新事実として注目された形跡はない。その後、1990年8月10日に、韓国KBSが「光復45周年特別企画」として放送した「慰安婦」特集番組でも、数多くの日本側証言が取り上げられる中、吉田氏は登場していない。「慰安婦」問題を「韓国女性史に影を落とす20世紀最大の事件」と告発した同番組で、吉田氏の証言は必要とされなかったのである。

崩れ去ったプロパガンダ

そして1991年8月15日、金学順(キム・ハクスン)氏による実名会見のスクープをものにしていた『北海道新聞』が、その余勢で吉田氏の単独インタビューを11月22日付で掲載する。これを同紙記者と親交のあった『東亜日報』特派員が、韓国に転電。他紙も追随し、吉田氏の「懺悔」が初めて証言として本格的に注目を集めることになった。

この時期は、「慰安婦」制度の日本政府関与を「当然の事実」と考える韓国側に対し、日本側が認めない態度で一貫していたため、責任立証のための証言や資料が待ち望まれていた。吉田氏の証言はしばらくの期間、元「慰安婦」の証言を別の角度から裏付けるものとみなされたのである。

一方、筆者が『週刊金曜日』2015年4月10日号「『「朝日」捏造説』は捏造だった」で解説した通り、韓国で「慰安婦」は強制されたとの認識に基づく記事は、1970年代以前の新聞でも確認できる。また日本でも、1974年刊のサンケイ新聞社出版局『誰も書かなかった韓国』、82年3月1日の日本テレビ番組「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」など、「吉田証言」以前に韓国の「慰安婦」強制徴用の言説が詳細に取り上げられていた。

そうした日本側の関心が、韓国側に認知され、時に高く評価されていたことも分かっている。現在に至るまで、強いられた「慰安婦」という認識が変わらないのは、それが長年蓄積してきていた言説や、盧氏やそれ以降に韓国で名乗り出た元「慰安婦」らの証言に基づくものだからであり、「吉田証言」が根拠とされているからではない。まして現在の議論の重点は、「強制」かどうかといった「連行」の形態にあるわけではない。

さまざまな出来事を徹底的に無視しながら、「慰安婦」問題自体が「吉田証言」や『朝日』によって創られたかのように印象操作する『産経』――。同紙の報道は、都合の悪い歴史問題を『朝日』もろとも闇に葬ろうとのプロパガンダにすぎない。この虚妄は、歴史修正主義の安倍政権には感謝されても、国際社会はもちろん、後世の評価にも堪えられないだろう。
(よしかた べき・ソウル在住、言語心理学者。2月17日号)

※『週刊金曜日』2月17日号では、上記記事に加え、『産経』の「捏造記事」一覧や「南京大虐殺」「東京裁判」報道の問題点など『産経』の問題点を詳しく報道している。