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第27回 「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」結果発表

第27回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」は、6月末で締め切り、計24編のご応募をいただきました。
審査の結果、次の3作品が入選しました。編集委員、編集長の選評と合わせて発表します。

▼大賞(賞金100万円)…該当なし

▼優秀賞(賞金30万円)…該当なし

▼佳作(賞金10万円)
加藤昌平
南国の霧
バナナ農園農薬空中散布・闘いの記録

▼選外期待賞
小沢琴次
盲信

玉山ともよ
海外ウラン探鉱支援
日本のリスクマネー供給と先住民「聖地開発」

ルポルタージュとは何か、みずからを問う
本誌編集長・平井 康嗣

第27回ルポルタージュ大賞には24編の応募作をいただき、最終結果は佳作として「南国の霧――バナナ農園農薬空中散布・闘いの記録」(加藤昌平)、選外期待賞として「盲信」(小沢琴次)、「海外ウラン探鉱支援 日本のリスクマネー供給と先住民『聖地開発』」(玉山ともよ)の計3作品が受賞しました。加藤さんは『日刊まにら新聞』の記者、小沢さんはメガバンクOB、玉山さんは研究者であり、それぞれの現場での独自の調査や体験が評価につながったといえます。
しかしながら、歩いて、見て、聞いて、考えて、書くというルポルタージュ(報告文学、記録文学)に相応しい原稿は「南国の霧」のみと、質と量を問われる厳しい結果になり、本賞であえて作品を募る意味を心底考えさせられました。今回の結果を受けて編集委員から意見を聞き、小社社員会議でも議論をしました。結論として来年のルポルタージュ大賞の募集は休止とします。ジャーナリズムやノンフィクションが冬の時代といわれていますが、これは書き手ではなく支える私たちの問題だと考えます。編集委員からもさまざまな改革案が提案されており、これから時間をかけてルポ大賞のありかたを根本から考えていく所存です。一方、本誌では随時、原稿を募集しています。68ページの週刊誌ですから大賞より記事は短くはなりますが、まずはそこで書き手として自身と向き合うことがルポライターとしての第一歩になるはずです。

※加藤昌平さんの「南国の霧」は本誌のホームページに全文掲載しています。

選 評

貪り読むほどのルポを求む
雨宮 処凛

まったくバラバラなテーマの作品が並んだ選考で、私としては楽しめた。
賞の対象とはならなかったが最終選考に残った「イスタンブール獄中記」(トルコ滞在中に警察に拘束された体験記)は、実体験がすごすぎるだけに、もっと「肝心な動機の部分」の描写を読みたかった。これだけのネタがあればもっともっと「面白く」できるのに、というのが正直な感想だ。
また、最終選考に残るも賞の対象外だった「犬猫ボランティア」も、猫好きが嵩じて地域猫の活動支援にほんの少し関わったことのある身からすると、「あるある」の連続。特に「大変なことがあるから、どうにか人生が回ってる…とも言える」と手相を見た人に言われて納得するくだり、悶絶するほどわかる。この部分を軸にすると読み物としての完成度も高くなるのでは、という感想だ。
選外期待賞となった「盲信」は、テーマは非常に興味深いのだが、良くも悪くも「小説っぽい」と感じた。どこまでが事実で、どこからが想像なのか、筆力が改めて問われる書き方なのだと思う。
そして佳作の「南国の霧」。非常に重要なテーマに正面から取り組んだ力作だ。佳作受賞をきっかけに、フィリピンのバナナ農園の農薬と健康被害問題について広く知られることを願っている。欲を言えば、このようなテーマに「なんの関心もない日本に住む人々」の興味をどうかき立てるか、という仕掛けを作れるとさらにいいと思う。
選外期待賞の「海外ウラン探鉱支援」も、非常に重要なテーマを扱っている。内容もしっかりしているのだが、ルポルタージュを読むワクワクドキドキがどこか、足りない。レポートのような書き方ではなく、もっと遊んだ書き方をした方が、きっと書き手も読者も楽しめると思うのだ。
と、今、この選評を書きながら、「人の原稿について言うのはなんて簡単なんだろう」と自分を顧みている。寝食も忘れるほどに貪り読んでしまうルポと出会いたいし、書きたい。

素材に足る文章力・取材力を
中島 岳志

今年は、例年以上に読み応えのある作品が少なかった。ルポルタージュの置かれた厳しい状況が反映されているのだろうか。
加藤昌平「南国の霧――バナナ農園農薬空中散布・闘いの記録」は、フィリピンのバナナ農園で起きている健康被害に迫る。鶴見良行が『バナナと日本人』(岩波新書)を出版し、話題になったのが1982年。あれから34年も経つのに、日本とアジアの構造的問題は解消されていないのだ。
健康被害と農薬空中散布の因果関係は科学的立証が難しく、責任追及が暗礁に乗り上げてしまう。この不条理を著者は粘り強く追及する。また、住民グループの反対運動が大きな挫折を味わう苦境を描く。ルポとして一定水準をクリアしていると判断し、選考対象作品の中で最も高く評価した。
ただし、素材の切実さに対して、文章力・取材力が追い付いていない。登場する人物の描写が薄いため、具体的な人間の息遣いや生々しさが伝わらない。日本の農薬研究の専門家への取材で、「予防原則」という重要な概念を提供されながら、その論理が取材にいかされていない。加害企業とされる住友商事の100%子会社「スミフル」への取材や追及もできていない。説得的なルポ作品として成立させるためには、更なる取材と加筆が必要だろう。今後の発展に期待したい。
粉飾決算を見抜けず企業に多額の融資をした銀行の話を書いた小沢琴次「盲信」は、会話調で話が進むが、著者が直接聞いた(あるいは本人の)会話を再現しているのか、間接的な見聞を再構成しているのかがまったくわからない。著者による内部告発なのか、業界内で見聞した内容なのか、それとも取材の成果なのか。そんな基本的な前提が明示されていないため、記述の信憑性に疑問を抱いてしまう。そもそも登場人物は実名なのか、仮名なのか。とにかく肝心な部分が検証不可能な形で提示されているため、ルポルタージュとして成立していない。個人的には選考外と判断した。

「休止」は妥当な選択
佐高 信

どうして海外ものばかりなのだろう。このことについても何度も書いたと思うが、審査員の講評など読まずに応募するのかもしれない。
なぜ、海外の話なのか? 国内の問題とどうつながるのか、そこが書かれなければ、書きやすいから、あるいは、わかりやすいから海外ものなのか、と思ってしまう。
やはり、より切実なのは海外ものではあるまい。
かつて、吉本隆明は小田実らの「ベトナムに平和を!市民連合」、いわゆるベ平連の運動を〝思想逃亡〟と非難した。
時折り、ベ平連のデモに参加していた私としては「何を言ってるんだ。ベトナム戦争は日本の問題ではないか」と反論していたが、胸にチクリと刺さるものはあった。
「南国の霧」のバナナ農園農薬空中散布の問題でも日本で同じようなことは行なわれていないのか? 遺伝子組み替え種子世界一の供給企業モンサントの農薬は日本でも使われている。それを追った方が、より読者を引き付けるのではないか。
また、企業を扱った作品がきわめて少ない。ほとんどないと言ってもいいくらいだが、アベノミクス批判は企業批判をともなわなければ空まわりするだろう。
総じて、読ませる作品がなかなか見当たらない。読ませようとしているのか疑わしくなる作品さえある。
何か問題を提示して、これは大変な問題だから読むべきだ、読むのが当然だ、と押してくる感じの作品が多い。
しかし、やはり読ませる努力は必要なのである。
言うまでもないことだが、ロジックとレトリックが大事なのであり、この両輪がバランスよく保たれていなければ、読ませる作品とはならない。
私は今回は「盲信」を推したが、いつも同じ講評を書いて、ガックリ来ている感じだから、この際、ルポ大賞「休止」は妥当な選択だと思う。