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厚生年金は抜本的な検討が必要(鷲尾香一)

10月から会社員の給与が下がるのをご存知だろうか。9月から厚生年金の保険料率が18.3%に引き上げられたため。支払いは労使の折半のためだ。そして、保険料率は18.3%を最後に今後、引き上げは行なわないことになっている。

実は、厚生年金の財源(残高)は近年、順調に増加している。それは、二つの理由による。

第一は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が2014年10月に株式の運用比率を高めるなどの運用改革以降、運用が順調なこと。

それよりも大きな要因は、保険料収入が増加していることにある。保険料収入の伸び率は、12年度2.9%、13年度3.7%、14年度5.1%、15年度5.8%と増加傾向を辿っている。

毎年、保険料率が引き上げられてきたのだから、保険料収入が増加しているのは当たり前のように思えるが、実は賃金の上昇と雇用の増加によるところが大きい。その点では、アベノミクスの効果と評価することもできよう。

毎月勤労統計の1人当たりの現金給与総額は、12年は前年比0.9%減、13年同0.4%減だったが、14年には同0.4%増、15年同0.1%増、16年同0.5%増と給与が増加した。

さらに、人手不足が追い風となって、正規雇用が増加し、厚生年金加入者が増加してきたこと、16年10月から実施された厚生年金の適用拡大に伴い、加入者数が増加したことが大きい。

好調に見える厚生年金の運用だが、将来に対する懸念は大きい。保険料率を18.3%以上に引き上げないというのは、04年の年金改革によって決定している。

厚生年金の保険料率は、5年に一度行なわれる財政検証を経て、決定されるのだが、04年時点で現在のように、運用が順調で、賃金が上昇し、加入者の増加による保険料収入が増加するなどということが見通せていたわけではない。つまり、現状は“出来過ぎ”なのだ。

04年当時は、こうした好環境となっていなかった場合でも、18.3%まで保険料率を引き上げれば、以降、料率を引き上げなくとも大丈夫だと予測したわけだ。

だが、運用は“水物”だ。常に、運用成績が好調ということはあり得ない。事実、運用改革を行なう前のGPIFでは、08?11年度は赤字幅が10?20%を続けていた。

さらに、いつまでも保険料収入が増加するかは疑問だ。少子高齢化により、すでに労働力人口は減少段階に入っている。労働者そのものが減少しているのだから、将来の厚生年金加入者増は見込めない。むしろ、受給者が年々増加していくのだから、厚生年金の収支は徐々に苦しくなっていく。

そして、再び不況が来れば、賃金の上昇は止まる。むしろ、賃金が低下する可能性こそある。

こうした点を考えれば、保険料率が18.3%で打ち止めにできるというのは、甚だ疑問だ。

7月末、19年に公表予定の新しい公的年金財政の見通し(財政検証)に向けた作業が始まった。厚生年金財源に余裕のある今こそ、将来に向けた抜本的な検討が必要だろう。

(わしお こういち・経済ジャーナリスト。9月15日号)

今後の生活「良くなっていく」9.4%が持つ意味(高橋伸彰)

内閣府は8月26日に、2017年の「国民生活に関する世論調査」(以下、同調査という)の結果を公表した。同調査は60年前の1957年度から実施されており、一億総中流社会のネタ元にもなった調査である。

ただ、総中流の正体が上中下の中ではなく「お宅の生活の程度は、世間一般からみて、どうですか。この中から1つお答えください。上、中の上、中の中、中の下、下」と尋ね、中の上、中の中、中の下の三つを合計した数値だったように、統計の作成方法や数字に現れた意味を問わなければ真の世論は見抜けない。

実際、同調査が「満足」と公表するのは、明確な「満足」と曖昧な「まあ満足」を合計した数値であり、明確な「満足」に限れば現在の生活に「満足」は12.2%、収入に「満足」は7.9%にすぎない。それにもかかわらず、同調査の結果を翌27日付の朝刊で報じた『朝日新聞』は「生活に『満足』過去最高73.9%」と見出しに掲げ、その真意を読み取らなかった。

これに対し、22年前の1995年に同調査の結果を報じた同年8月21日付『日本経済新聞』では、現状の生活に「満足」が約7割に達すると本文で書く一方、見出しには「『今後の生活は良くなる』13.7%過去最低に」と掲げ、二つの数字をつなぐ鍵として取材で得た「景気回復が足踏みするなか、現状を追認する傾向が見られる」という総理府(現内閣府)の分析を紹介している。

当時、生活に「満足」の割合が高く現れたのはバブル崩壊後の停滞が続く中で、この先も景気が良くなると期待できない国民が、半ばあきらめて「まあ満足」と回答したからではないかとの見方を国民目線で報じたのだ。

2017年の同調査でも今後の生活が「良くなっていく」と回答した国民の割合は9.4%と、上で示した95年の13.7%より4.3%低く、民主党政権時代の9.7%(2012年)にも及ばない。だが、現在の「満足」と今後の「予想」に潜む世論の洞察を怠った『朝日新聞』の報道には、将来に対する悲観から今の生活にやむを得ず「満足」を見出そうとしている国民の姿は映し出されていない。

同じことは、「『収入に満足』51%/21年ぶり“不満派”を上回る」と見出しに掲げて、2017年の同調査を報じた『日経新聞』(8月27日付)にも言える。同調査には今後の収入見通しに関する質問はないが、日本銀行が四半期ごとに行なっている「生活意識に関するアンケート調査」には、「1年後のあなたの世帯の収入は、現在と比べてどうなると思いますか」という質問がある。この6月の調査で「増える」は9.1%と低く、逆に「減る」が31.3%、「変わらない」は59.2%と過半を占めた。二つの調査を重ねれば、今の収入に対する「満足」の高さが将来も収入は増えないという悲観と表裏一体なのが透けて見えてくる。だが、こうした世論の真意を22年前のように今年の『日経新聞』は探ろうとしなかった。

政府の調査を報じる新聞は政府公表の数字を右から左に流すのではなく、その背後に潜む本質を摘出する責務を怠ってはならない。そうでなければ時の政権に都合の良い数字だけが蔓延り、国民の声はいつまでも埋もれたままになってしまう。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。9月8日号)

特区諮問会議メンバーはなぜ前川喜平氏を攻撃するのか(佐々木実)

加計学園の獣医学部新設をめぐる問題では、国家戦略特区における規制緩和のあり方も問われている。この案件の担当が文部科学省であり、前事務次官の前川喜平氏が疑惑解明の鍵を握る人物として登場したことは、規制緩和行政の視点から眺めると、偶然とはいえない。

規制緩和の流れを遡ると、小泉純一郎政権(2001~06年)で大きな質的変化が起きたことがわかる。「社会的規制」がターゲットとされるようになったのである。それまで規制緩和の対象は、タクシーやバスにおける業者の参入規制のような「経済的規制」だった。

小泉政権が掲げる「構造改革」に呼応して、総合規制改革会議は労働、医療、教育、農業などの改革に照準を合わせた。「製造業における派遣労働の解禁」「混合診療の解禁」などだ。規制緩和に名を借りた社会改造そのものであり、規制緩和行政は変質した。

重点が社会的規制に移ると、所管する厚生労働省、文部科学省、農林水産省が「岩盤規制」を守る官庁として叩かれた。叩く側の総合規制改革会議の議長はオリックス会長(当時)の宮内義彦氏。1990年代半ばから政府諮問機関の常連となり規制緩和の旗を振り続けたが、オリックスが規制緩和ビジネスにかかわっていたことが判明後、厳しい批判を浴びた。

規制緩和に関するオーラルヒストリーで、宮内氏が興味深い証言を残している。

「経済官庁はよくわかる。どちらかというと理屈の世界ですね。財務省にしろ、経産省にしろ、わりかたわかってくれる。わかってくれない最たるものは、かつてで言えば労働省であり、厚生省であり、文部省であり、というところだったと思います。ここは、我々の理屈が通らないんです。経済を活性化するとか、選択の幅を広げるとか、そういうことでなく、私に言わせれば彼らは社会主義者なのです。違う理屈を持っているので、全く通用しない」(2006年8月のインタビュー:総務省関連の研究で公表はされていない)

宮内氏は労働や医療、教育の行政に携わる官僚を、ビジネスの論理を理解しない「社会主義者」とみなしていた。社会的規制を経済的規制と区別する発想はない。すべからく緩和、撤廃すべきという“原理主義”である。

宮内氏が小泉政権で大活躍できたのは、経済閣僚の竹中平蔵氏が手厚く支援したからだ。竹中大臣が司会する経済財政諮問会議に出席、議長である小泉首相の言質をとる巧みな連携プレーも見せた(ちなみに現在、竹中氏はオリックスの社外取締役)。

竹中氏が安倍政権に国家戦略特区を提唱した背景に、経済財政諮問会議での成功体験があった。特区諮問会議に集う面々は、宮内氏の論理を共有している。というより、その論理を実行に移すため、“原理主義者”たちが制度設計から運用まで、すべて仕切っているのが特区制度なのである。

状況を俯瞰すると、特区諮問会議のメンバーや彼らの賛同者が敵意むき出しで前川氏を攻撃するのも合点がいく。「特区ビジネスの旨味」を察知できない文科省の前次官なんぞ、唾棄すべき「社会主義者」にしか見えないのである。

(ささき みのる・ジャーナリスト。8月25日号)

憂慮すべき銀行の“サラ金”化(宇都宮健児)

深刻化する多重債務問題に対処するため、2006年12月13日、改正貸金業法(貸金業規制法、出資法、利息制限法等の改正法)が成立した。

改正貸金業法では、金利規制と過剰融資規制が大幅に強化された。具体的には、出資法の上限金利が年20%まで引き下げられ、出資法の上限金利と利息制限法の制限金利との間にあった「グレーゾーン金利」が撤廃された。また、貸金業者が利息制限法の制限金利を超えて貸付けをすることも禁止された。さらに、年収の3分の1を超える貸付けを禁止するという総量規制が導入され、過剰融資規制も大幅に強化された。

2010年6月18日に改正貸金業法が完全施行された後は、多重債務者や自己破産申立件数、経済・生活苦による自殺者、ヤミ金被害者、貸金業者数などは大幅に減少してきていた。

ところが2016年の個人の自己破産申立件数は、13年ぶりに増加に転じることになった。自己破産申立件数の増加の背景には、貸金業法の総量規制の対象外となっている銀行カードローンの貸付残高の急増がある。銀行等金融機関には貸金業法は適用されないことになっており、この結果、銀行等金融機関に対しては、貸金業法が定める総量規制は適用されないのである。

最近の銀行のカードローンは、「貸金業法の総量規制適用外」「専業主婦でもOK」「収入証明書不要」「来店不要」「最短即日利用可」などといった、まるで一時のヤミ金の広告を思わせる広告が増えてきている。

銀行カードローンの大半は、プロミス、アコムなどの大手サラ金が保証会社となっており、与信審査も保証会社に委ねる体制となっているところが多い。この結果、大手サラ金を保証会社にした銀行カードローンの貸付額、件数が急増してきている。

銀行カードローンの貸付残高は、この4年間で1・6倍に急増し、2016年末は5兆4377億円となり、サラ金など消費者向無担保貸金業者の貸付残高2兆5544億円を大きく上回っている。

現在、日銀はマイナス金利政策を採用しており、銀行の普通預金金利は年0・001%という超低金利となっている。一方で銀行のカードローンの貸付金利は年14・5%前後であり、利益率も高いので、今後、銀行等金融機関は消費者向けのカードローン貸付けにますます力を入れてくることが予想される。総量規制が及ばない銀行等金融機関の貸出しが増えれば、再び多重債務問題が再燃する虞がある。

そのための当面の対策としては、貸金業法を改正し、サラ金の保証残高を「総量」に算入して規制することが考えられる。

現在のわが国の消費者信用に関する法制度は、サラ金など貸金業者に関しては貸金業法により規制されているが、銀行は銀行法によって規制されることになっている。また販売信用(クレジット)に関しては、割賦販売法で規制されている。

したがってより抜本的には、このような業態別の規制を改め、サラ金・クレジット・銀行を統一的に規制する「統一消費者信用法」の創設が検討されるべきである。

(うつのみや けんじ・弁護士、8月18日号)

安倍政権は「株式市場の良識」を崩壊させた(鷲尾香一)

加計学園問題とは何か。

文部科学省が、獣医師が過剰になることを理由に半世紀以上も既存の大学以外に獣医学部を新設することを認めずに定員を規制していた中で、通常の行政ルートではなく国家戦略特区の仕組みを使って獣医学部の新設を認めようとしたものだという解説がある。

また一方では、政治家なのだから政策実現のために政治力を行使することは何らおかしいことではなく、当然のことであると安倍晋三首相を擁護する向きもある。

しかし少なくとも、加計学園問題は株式市場に計り知れない悪影響を与えてしまったようだ。

これまで株式市場関係者からは「株式市場は安倍政権に全幅の信頼を置いているので、株価が大きく下落することはない」という声が多く聞かれていた。

ある株式投資専門紙の社説は「株価は政権交代を明確に対比できる数字の一つ。民主党政権の厳しい時代から日経平均株価を倍以上に伸ばし現在進行形で結果を残している点を評価する投資家は多く、(安倍政権を)支持しない理由はない」と主張していた。

筆者が驚かされるのは、この社説が「加計学園問題やPKO(国連平和維持活動)日報問題などは何が違法なのかはっきりしない」とし、加計学園問題やPKO日報問題で無駄な時間を使うなら経済政策を進めるべきと主張していることだ。

株式投資専門紙であるのだから「国を監視する機能」が求められるジャーナリズムとは存在理由が違うという理屈はわかる。しかしその主張は、あまりにも身勝手で稚拙だと言わなければならない。

ところが、株式市場そのものが、この専門紙の主張を裏付けるような動きを見せる。加計学園問題や日報問題の不透明さには無反応なのに、7月27日に民進党の蓮舫代表が辞任表明をすると、日経平均株価は上昇したのだ。ある株式市場関係者は「蓮舫代表の辞任を好感した」と説明する。

市場取引は、それが公正で透明であって初めて参加者が安心して参加する。公正性や透明性を担保しているのはルールがきちんと説明されているかどうかだ。

政治も同じだろう。政治家、政党、役所それぞれに権力があるからこそルール厳守が求められるのであり、もしどこかに不公平や不透明さがあれば、国民に対する説明義務が発生する。

だから安倍首相や「腹心の友」である加計孝太郎理事長には、国民に対して丁寧に説明する義務がある。それが国民の信託(忖度ではない)を得ることにつながる。

株式市場がもっとも忌み嫌うべき「不透明さ」を、政治の世界では良しとしてしまう姿勢は、株式市場を不健全なものにしかねない。

株式市場は、アベノミクスによって日本銀行が実施してきた金融緩和の恩恵を得ている。特に、日銀のETF(上場投資信託)買い入れによる株式購入は、株式相場を下支えしてきている。

市場関係者の多くは、相場が下落すると日銀のETF買いに期待する。それによって株式市場が持つ本来の経済的機能などが壊されているにもかかわらず。

どうやら、安倍政権=アベノミクスは、「株式市場の良識」までをも崩壊させてしまったようだ。

(わしお こういち・経済ジャーナリスト。8月18日号)

ブラックホール化する日本銀行(高橋伸彰)

日本銀行は7月20日の金融政策決定会合で、2%の物価目標達成時期を2019年度頃と、昨年10月に同会合で展望した2018年度頃から1年先送りした。見直しは今回で6度目。当初の2015年4月と比較すると4年以上も先送りされたことになる。それにもかかわらず、日銀の黒田東彦総裁は同日の記者会見で「2%の『物価安定の目標』の実現を目指し(中略)安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続します」と述べ、従来のスタンスに変更はないと言明した。

黒田総裁は、貨幣量さえ増やせば物価は必ず上がるという極端なリフレ派ではない。就任時の挨拶でも、デフレの原因は多様であり「あらゆる要素が物価上昇率に影響している」と述べてリフレ派とは一線を画していた。ただ、物価安定の責任論に話題が及ぶと一転して「どこの国でも中央銀行にある」と主張し「できることは何でもやるというスタンスで、2%の物価安定の目標に向かって最大限の努力をすること」が日銀の使命だと言い切った。

これに対しケインジアンの吉川洋氏(「物価と期待Ⅱ」日興リサーチセンター)は、4年以上マネーを増やし続けても2%の物価上昇を達成できない「実績」を見れば、リフレ派の理論は「否定」されたという。実際、この4年余りの間に日銀が供給する貨幣量(発行銀行券と当座預金の合計)は141兆円から460兆円に319兆円も増加したが、生鮮食品を除いた消費者物価指数(以下、物価指数という)の上昇率は昨年3月から12月まで10カ月連続で下落したうえ、今年に入ってからも0%台前半の上昇率で推移している。

日銀の展望通りに物価が上昇しないのは人々のデフレ期待が根強いからではない。吉川氏が指摘するようにリフレ派の物価理論が間違っているからだ。日銀が目標に掲げる物価指数とは、現実に存在し観察できる物価ではない。個々の財やサービスの価格を加重平均して計算される統計データである。

それでは物価指数の基になる個々の財やサービスの価格はどのように決まるのか。吉川氏によれば大多数の価格は生産費用をベースに生産者が決め、その価格を消費者が「公正」と認めれば、現実に価格は変動し物価指数も変わる。つまり、鍵を握っているのは賃金をはじめとする生産費用であり貨幣量ではないというのだ。

事実、日銀が貨幣量を増やしたからといって価格を上げる生産者はいないし、そう言われて値上げを受け入れる消費者もいない。生産者が価格に転嫁せざるを得ないほどに、また消費者が値上げを認めても良いと思うほどに、賃金や原材料価格が上がらなければ個々の物価も、その加重平均である物価指数も上昇しないのである。

改めて日銀法を繙けば物価の安定は手段であり、目的は国民経済の健全な発展にある。手段より目的を優先するなら、黒田総裁は「疑ったら飛べなくなる」とピーターパンを引き合いに出し自らの方針を正当化するのではなく、「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」の故事に倣い、日銀のスタンスを転換すべきだ。そうでなければ日銀は国債を際限なく飲み込むブラックホールと化してしまう。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。8月4日号)

40歳代後半~50歳代前半男性の賃金が下落するわけ(鷲尾香一)

「デフレを脱却するスピードを上げるには、賃金、給与という形で実体経済に表れてくることが一番早い」

覚えておいでだろうか。デフレ経済からの脱却を目指す安倍晋三首相が、低迷する個人消費を盛り上げるために、日本経済団体連合会など経済団体に対して賃上げを要請した時の言葉だ。

厚生労働省が2月に発表した2016年の賃金構造基本統計調査によれば、一般労働者の所定内給与は前年比0.0%と横ばいだった。

それよりも問題なのは、雇用構造的に企業が賃上げを抑制しているのが明らかなことだろう。

賃金構造基本統計調査を見ると性・年齢階級別では、45~54歳男性と60歳代前半男性と60歳代女性の賃金が下落していることがわかる。労働者数を勘案すれば40歳代後半~50歳代前半の男性が最大の賃金押し下げ要因となっているのは明らかだ。企業規模別にみると、大企業の男性賃金のみが全体を押し下げている格好だ。

ではなぜ、この年齢階級の男性の賃金が下落しているのか。その要因として考えられているのは、大企業のこの年齢階級は、バブル期前後の売り手市場で大量採用された世代であり、年齢的にも昇進率の低下などにより平均賃金が下がっている可能性が高いと見られている。

60歳代前半男性と60歳代女性の賃金の下落については、定年延長等による賃金低下が影響していることが明らかだ。

しかし40歳代後半~50歳代前半の男性の賃金下落については、実は、別の要因が働いている可能性が高い。

通常、昇進が止まった時、給与が据え置かれることはあっても、引き下げられることはないだろう。だが、今は給与の引き下げが行なわれているのだ。その要因は、定年延長にある。

60歳で定年を迎えても、本人が希望すれば企業には継続して雇用する義務がある。企業は定年延長後の給与を大幅に引き下げるとともに、その支払いに備えるため40歳代後半~50歳代前半の給与引き下げを行なっているケースが多いのだ。もちろん、その後は給与の据え置きを続けるか、引き下げる。間違っても、引き上げることはない。

40歳代後半~50歳代前半は、大学生の子どもがいたり、親の介護が始まる時期でもあり、生活費がかかる年齢層。加えて、老後の生活費を考えなければならない年齢でもある。当然、貯蓄に力を入れることになる。

60歳代になっても、年金受け取りの開始時期まで給与所得があればいいが、定年とともに大幅に減給されるため、消費を控える。

つまり、デフレ経済の脱却に必要な個人消費は定年延長などの要因を背景に企業側が賃金の引き下げを行なっている以上、盛り上がる可能性は低い。

賃上げを実現し、個人消費を活性化しようとするならば「企業は利益のXX%は給与として従業員に配分しなければならない」といった規則を作るとか、定年延長後の給与の引き下げに歯止めを掛けるとか、年金受け取り開始年齢を60歳からとして定年後すぐに受け取れるようにするなど、何らかの対策が必要ではないか。

(わしお こういち・経済ジャーナリスト。7月14日号)

成長だけを追う安倍晋三首相が踏むわだち(高橋伸彰)

この6月9日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2017」(以下「骨太の方針2017」)の冒頭で、安倍政権は4年半にわたるアベノミクスの成果として「名目GDPは過去最高の水準に達した」と自賛した。確かに、16年度の名目GDPは2次速報値で537.5兆円となり、「新3本の矢」が掲げる20年度600兆円経済の実現も射程に入ったように見える。

その一方、『朝日新聞』と『日本経済新聞』が6月30日付の朝刊で報じた一般会計の16年度決算見通し(7月上旬公表予定)によれば、税収額は55.5兆円程度と7年ぶりに前年度を下回る見込みだ。中でも法人税は当初予算で12.2兆円を計上しながら「15年度実績(10兆8千億円)に届かなかった」(『日経』)という。

安倍首相は就任半年後の13年6月11日に開催された「世界経済フォーラム」の挨拶で、「成長なくして、財政再建なし(中略)まずは、成長です。そのための、『アベノミクス』です」と述べ、財政再建は成長で実現できると持論を披露した。財界の強い要望に応じ15年度から法人税減税に踏み切ったのも、減税で成長率は高まり税収は増えると期待したからだろう。

しかし、16年度の税収は6月30日夜の「ロイター」によれば55.5兆円と、過去最高の60.1兆円(1990年度)に4.6兆円も及ばない。名目GDPが過去最高になっても税収が追いつかないのは、90年度と比較して消費税が4.6兆円から約17.2兆円に13.6兆円増えるのに対し、最高税率の引き下げと預金利率の低下で所得税が26.0兆円から17.6兆円に、また90年度の37.5%から16年度には23.4%にまで税率が引き下げられた法人税が18.4兆円から10.3兆円に、合わせて17兆円近くも税収が減るからだ。

実際、上記の報道では『朝日』も『日経』も「成長頼みに限界」と見出しを打ち、アベノミクスの財政再建シナリオに疑問を呈している。

それにもかかわらず「骨太の方針2017」では財政健全化の目標として「2020年度までの基礎的財政収支(PB)の黒字化」に加え、新たに「債務残高対GDP比の安定的な引き下げ」が明記された。 『日経』の6月11日付社説は、これが将来的に「財政健全化の先送り」に発展しないかと懸念する。債務残高対GDP比の引き下げを図るために成長を優先し財政赤字を拡大すれば、PBの黒字化と対立するからだ。

安倍首相は成長と財政再建の二兎を追うと嘯くが、すでに二度も消費税率の引き上げを延期していることから明らかなように、追っているのは成長の一兎だけだ。かつて成長の一兎だけを追った小渕恵三元首相は国民に「世界一の借金」を残したが、安倍首相もまた同じ轍を踏んでいる。

日本経済の現実を直視すれば、射るべき矢は成長を口実にして持てる者や企業の負担を軽減することではない。むしろ能力に応じて税を課し社会の扶養力を高めて国民の生活を支えるほうが重要である。また、日本の企業に不足しているのも稼ぐ力ではない。正当に税を納め、公平に賃金を払う経営者が少なすぎるのだ。そう考えれば、アベノミクスの司令塔・経済財政諮問会議が射てきた矢がいかに的外れか理解できるのである。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。7月7日号)

「シェア」は、一体化ではなく分断化(浜矩子)

新約聖書の中に次のくだりがある。「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」(使徒パウロのコリントの教会への第一の手紙10.17)幼い頃から繰り返し聞き、そして読んでいるお馴染みの一節だ。

ところが、先週のミサでこの箇所が朗読された時、思いもよらぬイメージが閃いた。なるほど、これがホントのシェアだな。そう感じたのである。

ご承知の通り、最近の世の中、シェアがはやる。シェアハウス。ライドシェア。政府が規制緩和対応で躍起になっている民泊もまた、シェアビジネスだ。これらを総称してシェアリング・エコノミーなどという言い方も出現している。このシェアリング・エコノミーの拡大を、いかにしてGDP(国内総生産)統計に反映させるか。日本のGDPを少しでも大きく膨らませたい安倍政権が、この辺りでも血眼になっている。

シェアリング・エコノミーと、聖パウロがいう「大勢でも一つの体。一つのパンを分けて食べるから。」におけるシェアはどう違うか。シェアハウスで一つ屋根の下に住んでいる人々は、大勢でも一つの体だといえるか。ライドシェアで自動車に相乗りしている人々は、大勢でも一体化しているか。民泊の宿主とお客さんは、どこまで一体感を味わうか。

聖パウロの手紙とシェアリング・エコノミーの違いは、分かち合いと分け合いの違いだ。筆者にはそう思える。互いに分かち合う者たちは、一つのものをみんなで共有している。どこまでが自分のもので、どこからが他者のものかは、分かち合いにおいて判然としない。これに対して、分け合いは、まさに、どこまでが自分のものでどこからが他者のものかを仕切る作業だ。一体化ではない。分断化だ。

「分け前」という言葉がある。これも、英語でいえばシェアだ。押し込み強盗に入った泥棒たちが、それぞれ自分たちの分け前を要求する。少しでも、自分の取り分を多くしようとして、分捕り合戦を繰り広げる。そこには、分かち合いの精神は微塵もない。

ライドシェアしている時、たまたま相乗りすることになってしまった乗客たちは、車中の空間の中で、それぞれの分け前を確保して、互いに気配を消している。車中の空間を共有して一体化しているわけではない。

シェアハウスの中でいざこざが起きる。怖い事件が起きる。それはなぜか。そこに分け合いがあっても、分かち合いがないからだろう。大勢がバラバラのまま、一つ家の空間を切り分けて住んでいる。下手をすれば、せめぎ合いと摩擦の温床だ。

シェアには、市場占有率の意味もある。この場合のシェアは、奪い合いの対象だ。シェア争いに分かち合いが入り込む余地はない。

聖パウロが描くシェアの世界からは、一つのパンを分かち合うもの同士の思いやりが伝わってくる。思いやりはすなわちケアだ。シェアを分け合いから分かち合いに昇華させるには、そこにケアがなければならない。かくして、目指すべきは、ケアリングシェア・エコノミーである。

(はま のりこ・エコノミスト。6月30日号)

加計学園問題が暴露した“ミニ独立政府”(佐々木実)

加計学園の獣医学部新設問題はいまだ事実が解明されていない。現時点でいえるのは、「国家戦略特区」という制度がなければ、この問題は起こりえなかったということである。

前文部科学省事務次官の前川喜平氏は「手記」(『文藝春秋』7月号)で、昨年8月下旬に木曽功氏が事務次官室を訪ねてきたことが「最初の出来事」だったと記している。文科省OBの木曽氏は加計学園が運営する千葉科学大学の学長をつとめる一方で、安倍政権の「内閣官房参与」の肩書きを持っていた。

「国家戦略特区制度を利用して、愛媛の今治に獣医学部を新設する話、早く進めてくれ」。文科省の後輩でもある前川次官にそう要請して、木曽氏は次のような言葉を口にしたという。

「文科省は国家戦略特区諮問会議が決定したことに従えばよい」

文科省次官への木曽氏の忠告は、加計学園問題の基本構図を示唆すると同時に、特区制度の核心をついている。国家戦略特区制度は、安倍政権が生み出した「規制緩和」の強力な推進機関である。発案者は竹中平蔵氏だ。

小泉純一郎政権の閣僚として「構造改革」の司令塔役を果たした実績をもつ竹中氏は、安倍政権の産業競争力会議(現在は「未来投資会議」)で特区制度を提唱した際、「アベノミクス特区」と呼びながら、推進主体となる諮問会議の肝を解説している。

「アベノミクス特区については、これまでと次元の違う特区であり、まず第一に総理主導の特区であるということ。そして第二に、特区大臣が国を代表し、そこに地方の首長や民間が集まって三者統合本部をつくって、そこが、さながらミニ独立政府のようにしっかりとした権限を持ってやっていく、これがキーポイント」(2013年4月17日の議事録)

安倍政権は竹中提案をまる吞みし、早くも2013年12月に国家戦略特別区域法が成立、国家戦略特区諮問会議を経済財政諮問会議などと同様、内閣府の重要政策会議と位置づけた。総理大臣を長とする極めて格の高い会議で、この法律により、「ミニ独立政府」構想は現実化した。竹中氏は独立政府の主要閣僚、すなわち諮問会議の民間議員に就任している。

加計学園問題では、「総理のご意向」と記された文科省の内部文書が問題となっている。留意すべきは、安倍総理大臣が「政府の総理」と「ミニ独立政府の総理」、ふたつの顔をもつことだ。

「岩盤規制改革をスピード感をもって進めるよう、常々指示してきた」と繰り返す安倍総理は、「腹心の友」が理事長をつとめる加計学園の獣医学部新設を特区諮問会議が認めたことがあたかも規制緩和行政の成果であるかのように強弁している。

だが、明らかになった事実だけ並べても、「国民のために既得権益を死守する官僚と闘う」という諮問会議の表看板は実態とかけ離れている。「総理」が横車を押せば押すほど、「ミニ独立政府」は白日のもとにさらされ、むしろ特区諮問会議の素性のいかがわしさが際立ってくる。加計学園の功績は、日本のなかに国民が関知できない奇怪な独立政府が存在することを知らしめたことにこそある。

(ささき みのる・ジャーナリスト。6月23日号)