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スクープ!笹子トンネルの天井板落下事故で新事実
大成建設施行の天頂部だけが波打っていた(明石昇二郎)

トンネル内を調査した「笹子トンネルの真相を探る会」メンバー。(撮影/明石昇二郎)

 やる気のない警察の捜査を尻目に、民間人による手弁当の調査が新事実を炙り出した。2012年12月に発生し、9人の尊い命を奪った中央自動車道「笹子トンネル天井板落下事故」。発生から4年半が過ぎた今も捜査は終結しておらず、今回判明した新事実の活用が望まれる。

中央自動車道上り線の「笹子トンネル」で天井板落下事故が発生したのは、2012年12月2日のこと。すでに4年半が経過している。同事故では、トンネルの天頂部に接着剤で固定したアンカーボルトによって吊り下げられていたコンクリート製の天井板と隔壁板が約140メートルの区間にわたって落下。走行中の車両を直撃し、9人が死亡、2人が負傷した。

被害者に落ち度はなく、事故を招いた責任は、道路管理者である中日本高速道路(NEXCO中日本)等にあることは明白だった。現に警察はNEXCO中日本に対し、業務上過失致死傷の容疑で家宅捜索を実施している。

だが、これまで誰一人として、逮捕も書類送検もされていない。いまだ「捜査中」(山梨県警本部)なのだという。

そこで、大学教授や元トンネル施工業者、そして技術士などの民間人によって結成された「笹子トンネルの真相を探る会」(真相を探る会)が4月17日、笹子トンネルの内空調査を実施。その結果、事故現場付近のトンネルが沈下していたことを突き止めた。

測定費用は10万円

真相を探る会が着目したのは、天井板落下事故が発生する以前に繰り返し発生していた「天井板への接触事故」だ。

08年6月に発生していた天井板接触事故では、高さ4・95メートルのコンテナ車が高さ4・7メートルのトンネルを通過した際、約3キロメートルにわたって天井板に擦過痕をつけたとされていた。これが事実だとすると、そのコンテナ車はそもそもトンネルに侵入することができない。

なぜ、こんなことが起きたのか。しかも、この天井板接触事故が起きた区間(約3キロメートル)は、天井板の落下区間(約140メートル)を含んでいる。さらには、05年9月のトンネル点検で発見されていた天井板の損傷全49カ所のうち、なんと42カ所までが天井板の落下区間とその直近で見つかっていたのだ。真相を探る会では、天井板を吊り下げていたトンネル自体が沈下してきているのではないかと考えた。

図1 トンネル内空計測で測定した「長さ」。(提供/「真相を探る会」)

この仮説の下、4月17日の笹子トンネル内空調査では、実際に笹子トンネルを車で走り、天頂部の沈下具合を測定。使用したのは10メートル先の距離を1ミリメートルの誤差で測定できるライカ社製レーザー距離計「DISTO D2」3台。これと自前のノートパソコンを連動させ、測定費用を10万円以内に収めることができた(図1参照)。

天井板は波打っていた

笹子トンネルでは送気と排気のため、落下した天井板の上を空気が通る構造になっていた。天頂部から吊るされた隔壁板を境にして、片方がトンネル内にたまる自動車の排気ガスを吸い出す排煙用の道(排気ダクト)。もう片方が新鮮な空気を送り込むための道だった。

同トンネルには大きさの異なるS、M、Lの3種類の掘削断面がある。路面から天井板までの高さ4・7メートルはどこも一定で、その代わり、一番大きなL断面では天頂部から天井板までの長さが5メートル以上になっていた。

今回の実地調査により判明したのは、天井板の落下が発生した区間(L断面)の「路面から天頂部までの高さ」が一定でなかったことだ。真相を探る会では、「トンネルの一部で沈下が起きているとみて間違いないだろう」と判断した。

図2 大月側と甲府側の「L断面」比較。○をつけた箇所でトンネルの天頂部が際立って下がっているとみられる。(提供/「真相を探る会」)

図2に示すように、問題のなかった甲府寄りのL断面は大変滑らかに施工されているのと比べ、事故が起きた大月寄りの天頂部はデコボコして波打っていた。となれば、その天頂部から吊り下げられていた天井板も一緒に波打っていたことになる。天井板接触事故が頻繁に起きていたのはまさにこの区間(約420メートル)であり、天井板が落下した区間(約140メートル)を丸々含んでいる。

もうひとつ、判明したことがある。天井板落下とトンネル内の「非常駐車帯」との関係だ。

大月寄りのL断面に入ってしばらく走ると非常駐車帯の「A―3」(長さ32メートル)がある。そして、このA―3を通過してすぐのところで、42カ所の天井板損傷が集中発生していた。

非常駐車帯のA―3部分は、一番大きなL断面よりもさらに巨大な掘削断面になっていた。掘削断面積はL断面が123・1平方メートルであるのに対し、A―3部分は171・5平方メートル。これに伴い、打設するコンクリートの厚みも増し、L断面では55センチメートルなのが、A―3部分では1メートル近い90センチメートルにもなっている。このような施工区間は笹子トンネル上下線の中でもここだけだ。

この非常駐車帯に関し、会計検査院が1976年11月、気になる指摘をしていた。同院の調査により、笹子トンネル上部のコンクリートの厚さが不足する等の施工不良が見つかり、設計よりも強度が低くなっていたことが判明。全国各地で同時期に行なわれた調査では、コンクリートの厚みが半分の量しかなかったところや、コンクリートと土の間に1メートルほどの隙間が空いていたところもあったのだという。

同院では、笹子トンネルのどの箇所でどのような施工不良が見つかったのか、詳細を明らかにしていないが、問題が見つかった箇所について、設計上の覆工コンクリートの巻き厚が「55㎝から90㎝」だと具体的に記述していた。「55㎝」は笹子トンネルのL断面、「90㎝」はA―3非常駐車帯の設計とピッタリ符合する。

施工不良の原因は「監督及び検査が適切でなかったため」と結論づけられていた。指摘を受け、当時の道路管理者である日本道路公団は補強工事を行なったとされる。それでも、トンネルの天頂部は波打ち、天井板落下事故は起きた。

同トンネルの施工には、大成建設、大林組、飛島建設、前田建設工業の大手ゼネコン4社が関わっており、天井板落下事故が起きた区間を請け負っていたのは大成建設である。トンネル天頂部の施工がデコボコしていたのは、大成建設が担当していたところだけ。他のゼネコンが施工した天頂部では目立った「波打ち」は見つからなかった。

そこで、大成建設にコメントを求めたところ、
「(真相を探る会は)刑事告発をされていることですので、当社からのコメントは控えさせていただきます」(同社広報室)
とのことだった。

16年に刑事告発していた同会は、4年半が過ぎても立件しない天井板落下事故の捜査を指揮監督する立場にある最高検察庁の「監察指導部」に対し、今回の測定結果を無償で提供。迅速に立件するよう促した。

調査を立案した、真相を探る会メンバーの西山豊・大阪経済大学教授は語る。
「忘れてならないのは、国内8000万ドライバーすべてに崩落に遭う危険があったということ。再発防止のためには、徹底した科学的な原因究明が必要です」

(あかし しょうじろう・ルポライター、2017年6月2日号)

“公害の原点”水俣病の裁判で「画期的」な判決

「判決は画期的」と喜ぶ大川一夫弁護士。大阪市北区。(撮影/粟野仁雄)

公害被害者が行政裁判で賠償金を得たことを理由に加害企業が補償協定を結ばないのは不当だ、として水俣病患者の2人の遺族が原因企業チッソに対して補償を受ける地位の確認を求めていた裁判。

大阪地裁の北川清裁判長は5月18日、「確定判決を得たことを患者に不利に解釈するのは相当とは言えない。賠償後に対象外とするのは協定の趣旨に反する」として原告の訴えを認めた。患者が国や自治体相手の裁判で勝訴していることを逆手に取って救済を拒否する企業を指弾した注目すべき判決である。患者の男性は2007年に、女性は13年に死去している。

補償協定は1973年に認定患者と、当時の三木武夫環境庁長官などの仲介によりチッソとの間で結ばれた。最低でも1600万円の一時金や医療費、年金などが支給され、締結後に患者認定された人にも適用するとされた。しかし2人は患者認定されず、水俣市などから関西に移住した患者たちが国と熊本県を訴えた「水俣病関西訴訟」に参加。04年に最高裁で勝訴が確定し1人650万円の補償を受けた。死後に熊本県から患者認定されたが、チッソ側は「関西訴訟で全損害が補償されており、解決済み」として2人が協定に参加することを拒否してきた。

今回の判決で北川裁判長は補償協定について「チッソが甚大な被害をもたらした反省から損害賠償として認められる程度を超えた救済を行なうと定めたと解すべき」とした。原告代理人の大川一夫弁護士は「同様の訴訟で敗訴した件もあったが、補償協定の趣旨をしっかり捉えた画期的な判決」と評価する。

水俣湾に有機水銀を垂れ流した化学会社のチッソは事業部門を子会社へ移し、チッソ(株)は補償業務を専門にする。チッソは5月31日、判決を不服として控訴した。水俣病の公式命名から今年で60年。「公害の原点」は終わらない。

(粟野仁雄・ジャーナリスト、6月9日号)

尊属殺人罪を復活したいのか?(佐高信)

前略 櫻井よしこ殿

「教育勅語は、後に天皇一人に対する忠誠心として利用されてしまったために、悪しき帝国主義の神髄を表すものだと思われています。たしかに『朕思うに』で始まるのですからそうした側面は否めませんが、内容を読んでみれば、両親に孝行しなさいとか、兄弟、夫婦は相和しなさい、友達同士で信じあいなさいといった、本当に基本的だけれども、現代の日本人が忘れてしまっているような素晴らしい心得が書かれています」

あなたは、小林節教授に不可とされた『憲法とはなにか』で、こう言っていますが、それで、教育勅語を幼稚園児に暗唱させる森友学園に講演に行ったのですね。安倍昭恵や曽野綾子、そして百田尚樹も講演したという森友学園ならぬ安倍友学園の前理事長、籠池泰典について、あなたはいま、どう考えていますか。あなたが熱烈に応援する安倍晋三と同じく、クルリと評価を変えたのでしょうか。

あなたは教育勅語の「両親に孝行しなさい」は「現代の日本人が忘れてしまっているような素晴らしい心得」だと簡単に言いますが、尊属殺人罪というのは知っていますか。

尊属殺重罪は違憲という判決

教育勅語の親孝行は尊属殺重罪に裏打ちされ、国民は天皇の赤子だから天皇に忠義を尽くせという教えに収斂されていました。それが多くの悲劇を生んだことを知らないから、あなたは能天気に教育勅語バンザイと言うのでしょう。

ここに谷口優子という弁護士が書いた『尊属殺人罪が消えた日』(筑摩書房)という本があります。

1968年10月7日付の新聞に「不倫な父娘関係の清算 事実上の夫を絞殺」とセンセーショナルな見出しが躍りました。そして次のように事件が要約されています。

「Y市の市営住宅で五日夜、戸籍上は親子関係にありながら事実上は夫婦関係にあった娘が実父を絞め殺すという猟奇的な事件が起った。今から十五年前に父親が実の娘を手ごめにして、夫婦関係を結んだことに端を発し、それまでの正妻が家出、一家が離散するというのろわれた家系で、父親と加害者の娘との間には三人の子どもまであるという常識では考えられない生活をしていた」

刑法200条の尊属殺人罪は「死刑又ハ無期懲役」で、執行猶予は付けられない重罪でした。しかし、親殺しはこの例のようによくよくのことです。ところが、大日本帝国憲法下に制定された刑法は家族国家のイデオロギーから義理を含めて親殺しを、他の殺人罪より重くしていました。

これに対して、この事件を担当した弁護士の大貫大八さんは、尊属殺重罪は日本国憲法14条の法の下の平等に違反すると訴えます。

一審はその主張が認められましたが、高裁で引っくり返り、最高裁に持ち込まれます。

途中で大貫大八さんが亡くなり、弁護は息子の正一さんが引き継ぎました。そして、1973年4月4日、最高裁は尊属殺重罪は違憲という画期的な判決を下します。

「尊属に対する尊重や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点からは尊属殺人を普通殺人より重く罰することは不合理ではないが、刑法二〇〇条が尊属殺の法定を死刑・無期に限定している点において甚しく不合理であり、憲法一四条に違反する」

これが判決理由でした。私は最近、尊属殺重罪がこの年まで生きていたことを知って衝撃を受けました。あるいは、あなたはこれを復活させたいと思うのでしょうか。戦争中の娘身売りも大変な“親孝行”ですが、徳義を説くより、そんな社会にしないことが大切なのではありませんか。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、6月9日号)

釜山総領事の更迭にみる「共謀罪」の片鱗(西谷玲)

国会は6月18日の会期末を控えて、最終盤に入った。加計学園の獣医学部新設問題など解明すべきことはたくさんあるが、7月2日に東京都議選があることに加え、そして政府は種々の問題を解明したくないのであろうから、大幅延長は望むべくもない。

その限られた会期末までの期間の中で、政府が何としても成立させようとしているのが「共謀罪」法案である。政府の答弁は安定せず、大臣と官僚の言うことが違い、いったいこの法案が通ったら、どうなるのかよくわからない。捜査権が乱用され、監視社会を招く懸念は一向にぬぐえない。

「安倍政権むかつく。秘密結社つくって革命だ」。筆者が実際に最近送ったメールの一節である。こんなメールだって、問題にされかねないのである。

安倍晋三首相に近いある幹部級の官僚にそう言ったところ、「運用次第ですよね」とこともなげに答えた。ほら、やはりそうなるじゃないですか、と言うと、「すべての法律はそういうものだから」。なるほど、そういうものだろう。だから、人権ができるだけ侵害されないように配慮することが重要なのだ。今の法案審議の中では、政府からその姿勢は見られない。

そんな中、ある人事のニュースが流れた。新聞もテレビもごく小さい扱いだった。何かと言うと、韓国・釜山の総領事が6月1日付で交代するというのである。昨年6月に着任したばかりであって、通常、外交官や官僚の人事というのは2年が一つの単位だから、1年で交代というのは異例である。

新聞によっては理由を報じていないところもあったが、数紙には書いてあった。それによると、前総領事は、昨年12月に釜山の日本総領事館の前に少女像が設置された後、一時帰国した。この間、知人との私的な会食で政府の対応を批判したことを首相官邸サイドが問題にしたというのである。

記事にはさらっと書いてあったが(書いてあるだけましだが)、これ、よく考えてみると恐ろしい事態である、私的な会合での会話が問題にされての更迭である。

つまり、その場にいた誰かが、「あいつがこんなことを言っていた」と流し、政府がそれをキャッチしたわけである。共謀罪が通ったら、この種のことが多くなる、というか、国家権力の元で行なわれないとも限らない。おちおち国家の悪口を言えない。すでにその萌芽は見られるのだ。

また、最近の別の記事。2013年、特定秘密保護法が通った。その後、同法の運用をチェックする独立公文書管理監が、防衛省や経済産業省の特定秘密を含む文書の廃棄を「妥当」と判断したそうである。今年5月の管理監の報告書で明らかになった。

このまま文書が廃棄されると、何が特定秘密なのかわからないままである。一体どういう政策がどのように政府内で検討されて意思決定されていったのか検証できず、闇の中に消えていってしまうかもしれないのである。これは、法案の審議段階から指摘されていた。いざ法律が施行されて、本当にその通りになっているのである。

共謀罪だって、だから「ほらやはりあの時言った通り、心配した通りになったじゃないか」となりかねないのである。その時に後悔したとしても、あまりに代償は大きい。すでにその片鱗はあるのだ。

(にしたに れい・ジャーナリスト、6月9日号)

共謀罪成立阻止に集会相次ぐ 元創価学会員らも学会・公明党を批判

共謀罪は6月15日、参議院本会議で可決・成立したが、反対の声が大きく広がった。

5月31日に東京・日比谷野外音楽堂で開かれた共謀罪法案成立阻止集会には、会場を埋め尽くす4700人が参加。民進党を代表して挨拶に立った山尾志桜里衆議院議員は検察官時代に、警察に市民の捜査を依頼し、「もし犯罪者でなかったら申しわけないという躊躇があった」とする体験を披露。「しかし安倍晋三首相は国会で、『共謀罪によって捜査機関の躊躇をなくす』と断言した。権力が躊躇をなくしたら、国民は自由を奪われる」と述べ、「一人ひとりがやるべきことを最後までやり抜いたら、必ず廃案にできる」と呼びかけた。

一方で、共謀罪反対の気運は確実に広がっている。5月29日には、環境・開発・人権・平和などの分野で活動している23のNGO・市民団体が、共謀罪法案に対する反対声明を発表。31日には、東京都内で「『共謀罪』反対・憲法改悪阻止をめざす宗教者・信者全国集会」が開かれ、約300人が参加。各自がそれぞれの信仰に立ち、戦前に宗教が治安維持法で弾圧された過去を忘れず、共謀罪反対の意思を表明するとの趣旨で開かれたもの。集会では元創価学会の信者3人が発言に立ち、権力に迎合するだけの創価学会・公明党を厳しく批判し、大きな拍手を浴びた。

また、日本ペンクラブ(浅田次郎会長)は5日、東京都内で開いた記者会見で、世界の作家らでつくる国際ペンのジェニファー・クレメント会長が、共謀罪法案反対の声明を出したと発表した。

会期末が近づくにつれ、国会周辺ではさまざまな抗議行動が計画された。今後は全国的にどこまで反対の声を広げていくかが、共謀罪法廃止への大きなカギとなっている。

(成澤宗男・編集部、6月9日号を修正・加筆)

絶滅危惧種の宝庫がリニア新幹線建設で犠牲になる!?

町職員が示した退職届(複写)。既に住所が記され、日付や名前を記入するだけだ。(撮影/井澤宏明)

リニア中央新幹線の建設工事で掘り出される残土の処分場候補地の一つに、絶滅の恐れのあるハナノキなどの希少植物が群生している岐阜県御嵩町の山林が挙がっている。町の生物環境アドバイザーを務める住民が、候補地の環境保全策についてリニアを建設するJR東海に問い合わせたところ、町から退職届を示され署名するよう求められていたことが分かった。

候補地になっているのは、リニアのトンネル出入口予定地に近い同町美佐野の山林。町有地が含まれ、かつては周辺と同じようにゴルフ場が計画されていた。町は県を通じ候補地に名乗りを上げ、JR東海が環境調査を行なっている。

住民らの調査で周辺では、ハナノキの成木80本、幼木と稚樹400本以上を確認。ミカワバイケイソウ、シデコブシなどの希少植物のほか、ミゾゴイやサシバなどの希少鳥類も目撃されている。

調査に携わり、町から生物環境アドバイザーや希少野生生物保護監視員を委嘱されている篭橋まゆみさん(62歳)はJR東海の求めに応じて、現地の自然環境の情報を提供。今年3月、環境調査の進捗状況や報告会の予定についてJR東海に電話で問い合わせた。

ところが4月21日、町職員から公民館に呼ばれ「直接、JR東海に問い合わせたのはルール違反だ」として、「今後、リニアに一切関わらないように。もしできなければ、アドバイザーと監視員を続けてもらっては困る。どうしますか」と迫られたという。

「自由を奪われてまで続ける役職ではない」と篭橋さんが答えると、あらかじめ町が用意していた退職届にサインを求められた。

町は取材に対し、退職届を示して署名を求めたことを認め、その理由について、「アドバイザー、監視員である以上、組織の一員としての行動をとることはご承知であると思っていたが、そうではなかったため、注意させていただいた」と説明。一方で、「当方から『辞めてほしい』との発言は一切していない」と弁明している。

篭橋さんは、「候補地は絶滅危惧種の宝庫で、残土で埋めていいような場所ではない。(それでも処分場にするというのなら)植物を移植するなどの保全策を1日も早く話し合うべきなのに」と訴える。

【環境モデル都市指定だが】

ハナノキはカエデの仲間の落葉高木。「氷河期の生き残り」として知られ、岐阜、長野、愛知3県のごく限られた地域に自生する日本固有種だ。住宅やゴルフ場開発などで生育に適した里山の低湿地が減少、環境省のレッドリストで絶滅の危険が増大している「絶滅危惧2類」に指定されている。春に赤い花を咲かせ、秋は紅葉する。中津川市に最大の群落があるが、リニア岐阜県駅へのアクセス道路となる濃飛横断自動車道が計画され、日本自然保護協会や日本生態学会が知事に再考を求めている。

国立研究開発法人森林総合研究所の菊地賢主任研究員(42歳、樹木分子遺伝研究領域)は処分場候補地一帯について、「ハナノキが広範囲に生育し、比較的自然度の高い状態が維持されている。保全上、重要な地域だ」と評価する。

町では1996年、産業廃棄物処分場建設を巡り当時の柳川喜郎町長が襲撃され翌年、建設の是非を問う住民投票を行なった。その経験から環境問題への住民の意識が高く、町独自の希少野生生物保護条例を制定しレッドデータブックを作成。2013年には国の環境モデル都市に指定された。

それだけに篭橋さんは「町の素晴らしい自然を少しでもいい状態で残したいと、懸命にやってきたのに」と悔しさを隠しきれない。

隣の可児市では2003年、高速道路工事で出た残土に含まれていた黄鉄鉱による水質汚染で稲作を中止する被害が起きており、御嵩町でもリニア残土で河川が汚染される恐れが指摘されている。

リニアは品川―名古屋間の9割近くが地底を走るため、東京ドーム約45杯分、5680万立方メートルの残土が発生する。JR東海は受け入れ先の多くが決まらないまま工事を進めており、沿線各地で不安の声が上がっている。

(井澤宏明・ジャーナリスト、6月9日号)

豊洲移転問題、盛り土をやめた東京都が掘った墓穴

豊洲市場の地下空間を視察する東京都の議員団。(2017年2月25日、撮影/永尾俊彦)

東京都は5月25日、築地市場(中央区)で行なった表層土壌の汚染調査で、111カ所のうち30カ所から環境基準を上回る5種類の有害物質が検出されたと発表した。

最大で鉛が環境基準の4・3倍、ヒ素2・8倍、水銀1・8倍、フッ素1・5倍、六価クロム1・4倍だった。環境基準を超えた個所数は、ヒ素が20カ所であり、他は1~6カ所だった。今後は10メートルまでの土壌と地下水を調査し、11月までに発表する。

今回の結果について、豊洲市場(江東区)の土壌汚染対策を検討している専門家会議の平田健正座長(放送大学和歌山学習センター所長)は、1カ所から検出された水銀について、「常温でも揮発する物質で、表層での検出は重く受け止めるべきだ」との見解を発表した。

これに対し、日本環境学会の畑明郎元会長は、「築地で水銀が検出されたのは1カ所で、1・8倍と低い。豊洲は水銀の場合、9カ所で最大24倍です」と指摘する。豊洲では、土壌汚染対策前は土壌から最高4万3000倍のベンゼンが検出され、全4122カ所の調査カ所のうち土壌または地下水が環境基準を超えたのは1475カ所(約36%)。畑元会長は、「豊洲の汚染は高濃度で広域的だが築地は局所的で質・量ともに軽微。再整備の際に処理すればよい」と述べた。

また、築地市場用地にはかつて米軍のクリーニング工場、ガソリンスタンドなどがあった。これについて畑元会長は、「それらの施設はベンゼンの汚染源となりえるが、ベンゼンは揮発性で、土壌中に残留しているものは少ないでしょう。一方、豊洲のベンゼンはガス工場操業由来のコールタールなどに含まれていたので土壌や地下水中に残留したのです」とコメントした。

【盛土なしでガス上昇】

小池百合子都知事は、築地の汚染について「コンクリートやアスファルトで覆われており、土壌汚染対策法などの法令上の問題もない」と繰り返し、述べている。

しかし、元大阪市長の橋下徹氏は、「コンクリートで土壌が覆われて地下水を利用しないのは豊洲も同じ。築地がその理由で安全だということは豊洲も安全なんですよね?」とブログに書いている。

豊洲と築地の決定的な違いとして、各務裕史元岡山県農林水産総合センター農業研究所副所長は「地下空間」をあげる。

平田座長は、今年1月14日の専門家会議で、豊洲市場は「環境基準の100倍のベンゼンを含む地下水があっても(建物の)地上に揮発する量は大気の環境基準以下なので問題ない」旨述べた。

だが、各務氏は「(平田発言は)4・5メートルの盛土が前提で、盛土がないと地下空間でベンゼンは気化するので私の試算では環境基準の7万5000倍に濃縮されます」と指摘する。

都は、日水コン(本社東京・野村喜一社長)に委託して盛土がない場合、コンクリートの劣化でひびや亀裂から地下空間のベンゼンが建物1階に侵入する場合のリスク評価を行なっていた(本誌4月7日号で報告)。その結果、10万人に1人の発がん確率に抑えるには、地下水を環境基準の11倍に抑える必要があるとしていた。

だが、各務氏はこの日水コンの計算の前提は砕石を盛土とみなしてガスが拡散しにくい土壌の値を適用するなど現実離れしていると批判。現実的モデルで計算すると、地下水位がAP(荒川工事基準面)2・5メートルの場合、環境基準の10分の1未満の管理が必要だと判明した。

だが、50センチでも盛土があれば地下からのガス上昇が強く抑制され、環境基準の42倍の地下水でも平田座長の評価法に従えば地上は安全だった。各務氏は「盛土の力を再認識しました」という。

築地と豊洲の決定的な違いは、汚染を濃縮する地下空間なのだ。都は独断で盛土をやめ、自ら豊洲の安全性を損なう墓穴を掘った。

各務氏、畑元会長らは安全性評価などについて平田座長に5月29日に公開質問状を出し、2週間以内の回答を求めている。

(永尾俊彦・ルポライター、6月9日号)

牛久入管が「痛い」と泣き叫ぶベトナム人を“見殺し”
(『週刊金曜日』取材班)

グエンさんが収容されていた牛久入管。(撮影/『週刊金曜日』取材班)

「痛い痛いと泣き叫ぶ彼を入管は見殺しにしました」――。茨城県牛久市にある法務省入国管理局の東日本入国管理センター(通称・牛久入管収容所)の被収容者は、こう訴えたという。3月末、40代のベトナム人男性が牛久入管収容所の独房で死亡した。男性は死後も放置された可能性が高い。関係者の話を総合すると、入管の対応はあまりに非人道的だ。6月20日の「世界難民の日」に合わせて記事を配信する。

泡を吹いて医務室へ

牛久駅からバスで約30分、林の中の道を進んだ先に牛久入管収容所はひっそりとたたずんでいる。この収容所の独房で、ベトナム人男性Nguyen The Huan(グエン・ザ・フン)さんは死亡した。被収容者や支援団体関係者によると、グエンさんはインドシナ難民として28年前に来日。昨年11月に名古屋入管(愛知)に収容された後、品川入管(東京)を経て、3月15日に牛久収容所に移された。

グエンさんと同室(4人部屋)だった男性によると、「15日にきたときは元気だった。普通にごはんを食べて、タバコを吸っていた」という。しかし17日20時ごろ、様子は一変。「グエンさんは2段ベッドの上で横になっていましたが、急にガガガガと口から変な音が出てきたんです。寝て夢を見ているんだと思い、『起きて、起きて』と言いました。でも起きなくて、見ると口から泡を吹いていた。変な音は泡を吹く音だったんです。起こそうとしましたが、目は開かない。おしっこも漏らしていました」

同室だった男性は急いで担当職員を呼び、職員4人と同室の被収容者3人でグエンさんをシーツごと下ろした。グエンさんは収容所内の医務室に運ばれたが、そこから外部病院には運ばれず、翌18日夕方に独房ブロックの一室に移された。

グエンさんと同じインドシナ難民で、同じブロックの三つ隣の独房だった男性は、「18日にきてからグエンさんはずっと寝込んでいて、ごはんも食べていなかった」と話す。収容所は毎日9時半から11時半、13時から16時半まで部屋のドアが開放され、被収容者は共有フロアに出てシャワーや洗濯をしたり、電話をしたり、同じブロックの他の被収容者と交流したりするなどできる。

男性は19日に様子を見に行ったが、グエンさんは「頭と首と胸が痛い」と言い寝ていた。額を触ると高熱があった。職員を呼んだが、職員は氷枕を持ってくるだけの対応だったという。

21日昼、グエンさんはフロアに出てきたが、「痛い」「我慢できない」と、頭、首、胸の激しい痛みを訴えた。そのうち動けなくなり、フロアの卓球台に横になった。だが職員は誰も来なかったので、みなで「医者に見せてほしい」と監視カメラに向かい頼んだ。

その後、グエンさんは収容所内の医務室に連れて行ってもらえたが、レントゲン撮影をし、痛み止めや湿布を渡されただけだったという。

22日夜には、グエンさんは「痛い、痛い」と叫び声をあげて痛みを訴えた。男性は職員を呼んだが、職員は「静かにしろ」「うるさい」などと言い放ったという。グエンさんはその後、休養室に移されたが、やはり外部病院には運ばれず、翌23日朝に独房に再び戻された。

同日も、グエンさんは寝込んでいた。24日朝10時半ごろ、男性の部屋にグエンさんがきて少し会話をしたが、グエンさんはすぐ部屋に戻った。その後の11時から20時ごろまでの長時間にわたり、グエンさんは継続的に「痛い、痛い」と泣き叫ぶほどの苦しみを見せた。しかし、その間、職員は一人もこなかったという。

遺体に心臓マッサージか

20時ごろ、急にグエンさんの叫び声などがなくなった。収容所では毎日22時ごろに職員が灰皿のゴミを回収にくる。この日も職員が「灰皿ちょうだい」とグエンさんの独房にやってきた。通常、被収容者が食器口から灰皿を渡すが、グエンさんは何の反応もしていないようだった。

15分後、職員が他の職員数人とグエンさんの独房に再びやってきて、ドアを開け部屋の中に入った。だがその次の瞬間、職員らは慌ただしく部屋から出てきてドアを閉め、その場を去っていった。

日付が変わった25日1時ごろ、数人の職員がグエンさんの部屋に再び入っていった。部屋からはAED(自動体外式除細動器)の機械の音が漏れ聞こえてきた。しかし、職員がグエンさんに声掛けしている様子はなかったという。そのうち救急隊員もきて、グエンさんはストレッチャーでフロアに出された。

男性が食器口からのぞくと、グエンさんは、両腕を胸のあたりで曲げ、片足が斜め上に上がった状態で固まっていた。救急隊員が腕を引っ張って伸ばそうとしたが、硬直していてピクリとも動かなかった。男性は「死後硬直している」と思った。それでも救急隊員はグエンさんの胸に注射をし、心臓マッサージをほどこした。そして目の反応を確認し、死亡の診断がされたという。

男性はこう話す。「ずっと痛いと訴えていたのに、外の病院に連れて行ってもらえず、グエンさんは死んでしまった。本当にかわいそう。担当職員は私たちの言うことを『嘘の病気』と思うみたいです。グエンさんは、叫び声が聞こえなくなった24日20時ごろに死んだと思います。22時ごろに職員がグエンさんの部屋に入ってすぐ出たのは、グエンさんが死んでいたから逃げたんじゃないでしょうか」

男性はC型肝炎と肝硬変を患っているが、収容所の医師からは「ここに治る薬はない。外に出てから治しなさい」と言われたという。「この中にいる限り、人間の扱いは受けられない。こんなところで死にたくない」(同男性)

「詐病が多い」との偏見

入管側は、グエンさんの死因はくも膜下出血で、死亡時刻は25日2時20分ごろ、死亡の確認場所は病院だとしている。北村晃彦所長(4月より清水洋樹氏が新所長に)は発表時、「現時点で処遇に問題はなかった」とコメントした。

これに対して港町診療所(横浜市)の山村淳平医師は、「グエンさんが24日にこれまでにない強い痛みを訴えていたようなので、このとき、くも膜下出血の診断と緊急手術がなされれば助かった可能性はある」との見解だ。24日22時ごろにグエンさんの死亡を職員が発見していたとすると、その時点で救急車を呼んでいないことにも大きな問題があるとした。グエンさんが医務室に行ったときのことについては、「胸のレントゲン写真と心電図検査、血圧測定、胸の聴診、身体の触診をする必要があったと考えられる」と指摘した。

牛久入管に確認すると、3月末に法務省に検証チームが設けられて現在調査中のため、詳細は答えられないとした。調査チームについて、「死亡事案だから、一応、すべて調べる必要があるじゃないですか」という言いぶりで説明した。

しかし支援者によると、現在までのところ、被収容者への聞き取りがなされた様子はないという。牛久入管はまた、24日22時ごろに職員がグエンさんの死亡を確認していたのではないかとの質問には、「そうした事実は把握していない」と答えた。

入管収容所の医療については以前から多くの問題が指摘されている。「牛久入管収容所問題を考える会」の田中喜美子代表は、「収容所生活のストレスで、病気が悪化したり、薬が効かなくなったりする人をたくさん見てきた」と話す。収容所に常勤医師はいない。とくに3月は18日から20日が連休で、17日17時から21日13時まで医師は不在だった。同会は入管に、常勤医師の早急な確保、職員への人権教育の徹底、外部病院への柔軟な通院を認めることなどを求める申し入れをした。被収容者が外部病院に通院できるケースはごくわずかで、通院できても腰縄に手錠という非人道的な扱いを受ける。

同会によると、「(グエンさんは)早くここから出たいから病気であると嘘を言っている」などと職員が話していたとの被収容者からの告発もあった。グエンさんと同ブロックだった男性も、同会会員に手紙で、この惨状を真っ先に訴えていた(手紙は、同会ホームページに全文掲載されている→http://www011.upp.so-net.ne.jp/ushikunokai/)。山村医師が入手した資料よると、牛久収容所は2010年から12年にかけての毎年の業務概況書で、「詐病やささいな疾病により診断を要求するものが多い」と記していた。

同所では10年に日系ブラジル人と韓国人が自殺。14年3月にはイラン人とカメルーン人が相次いで“病死”している。低待遇に加え、差別意識と偏見が悲劇を招いていることは間違いない。

(2017年6月16日号を一部修正)

国の“基地負担軽減策”が沖縄の自治体を圧迫(黒島美奈子)

沖縄県内に6カ所ある養護老人ホームの一つ「具志川厚生園」(以下、厚生園)内に、沖縄初の視覚障害者用居室ができたと聞いて5月下旬、県視覚障害者福祉協会の視察に同行した。

養護老人ホームは、介護者がいなかったり、経済的困窮にある高齢者の福祉施設。そのうち視覚障害者を対象にした施設を「盲養護老人ホーム」という。戦後、全国で設置が広がり、これまで未設置県は鳥取と沖縄だけだった。離島県の沖縄では早くから必要性が指摘されてきたが、戦後72年たったこのほどようやく、既設ホームを改装する形で実現した。

トイレや浴室への音声案内、居室の点字表示、廊下の誘導テープ、階段の転落防止柵などの整備を確認した「県視力障害者の生活と権利を守る会」事務局長の渡嘉敷綏秀さんは「これで先輩たちに紹介できる」と感慨深げだった。

一方、視察後の金城清安厚生園園長との懇談では気になる話題が出た。養護老人ホームの入所者が年々減少しているという。他県の入所率が80~90%で推移しているのに対し、県内の養護老人ホームの入所率は5割程度で、厚生園では現在40%台まで落ち込んだと心配していた。低所得の高齢者が利用する特別養護老人ホームには毎年、入所待機者が数千人も出る。無届けの低料金有料老人ホーム開設も後を絶たないという状況で、金城園長は「養護老人ホームのニーズはある」と話す。にもかかわらず入所が進まない要因に「自治体が措置しない」ことを挙げた。

養護老人ホームに入所するには自治体の措置が必要だ。措置費は高齢者1人当たり1カ月約20万円。別枠で国の補助対象だったが2005年に一般財源化された。金城園長によると、以降、県内では養護老人ホームへの措置が極端に低迷している。一般財源化後も、高齢者を措置すればその分の補助が自治体に入る仕組みに変わりはない。県内の低迷について金城園長は「一般財源化で補助が目に見えなくなり、自治体の負担分が際立ち、敬遠されているのではないか」とした。

それを聞いて、琉球政府の福祉部に在職していた元県生活福祉部参事・西表孫称さんの話を思い出した。県内では、人口当たりの特別養護老人ホームや認可保育園の設置率も他県に比べ低い。理由を尋ねたら西表さんは「基地問題で有形無形に割かれる自治体の負担が影響しているのだろう」と語っていた。

他県にはない新たな自治体負担がことし5月にも明らかになった。昨年発生した米軍属による暴行殺人事件を受け、国が全額補助する「防犯灯・防犯カメラ等緊急整備事業」。当初国は県内37市町村に13億円の交付を決めたが、整備台数や自治体の数が、国が見込んだ半数程度になる見込みだ(5月14日付『沖縄タイムス』)。維持管理費が自治体負担となることが主な理由。事件後に国が事業化した「沖縄・地域安全パトロール隊」の予算約9億円も昨年、沖縄関係予算に組み込まれ県から反発が出ている。

国が次々と打ち出す基地負担軽減策が、県や自治体の財源負担としてブーメランのように返る構図。それは復帰から45年間、澱のように溜まり続け、県民生活に影響を及ぼしている。そこにいかほどの国税が投入されてきたかも、国民は知るべきだと思う。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。6月2日)

連合の弱み象徴する神津里季生「同級生交歓」(佐高信)

今度、『“同い年”ものがたり』(作品社)という本を出した。「〈世代〉と〈人物〉で語る昭和史」である。大正13年生まれの村山富市を筆頭に、昭和35年生まれの香山リカまで、七つの世代の102人を取り上げた。昭和8年生まれの森村誠一が同い年の現天皇をどう見ているかにも触れている。昭和27年生まれの田中優子と松元ヒロは同時期に同じ法政大学に学んでいた。

これを書く時に注意したのは、本多勝一が1970年5月号の『エイムズ』で批判し、斎藤美奈子も『AERA』の2001年10月22日~11月26日号でバッサリやった『文藝春秋』の「同級生交歓」のような「功成り名遂げて」にならないように、ということである。当時まだ30代だった本多は、いまはなくなった『中央公論』の「遠縁近縁」と並べて「同級生交歓」について、こう書く。

「私の感想を一口にいえば、『ヘドが出そうだ』とは正にこのことだ。ニヤけきった顔といい、ニヤけきった文章といい、ギャーッと叫びたくなる。そんなに不愉快なら見なければいい? 確かに。めったに見ない。しかし旅先の、とくに国外にあるとき、たまたま日本の雑誌が目につくと、ついなつかしくなって丹念に見てしまったりする。

そのようにあまり見ない私でも、ここに登場した人の中には、かなり知っている人(個人的という意味でも少しあるが、名前を知っているという意味が大部分)もいる。それまでに尊敬していた人だとこれでグッと点が低くなるし、軽蔑していた人だと『やっぱり彼奴らしい』と思う。ここに出てくる顔こそ、貧困なる精神の象徴だ。貧困でない精神の人でも、ここに登場するときだけは少なくとも貧困なる瞬間である」

そして本多は自分の小学校時代を振り返り、進学した者はごく少数だったが、しなかった者も「平均的庶民として地域社会の中で地味な仕事についている」と共感を寄せながら、「そういう感覚のない成り上がりの俗物、自分が『出世』し、おたがい『出世』した奴同士といった下劣の心情」があふれている「同級生交歓」を難詰するのである。

「ニヤけきった文章」

それからおよそ30年後、今度は斎藤美奈子が「社会の第一線で活躍するかつての級友がズラッと登場する」このグラビアについて「社会階層の何たるかを、これほど如実に教えてくれる企画もない」とし、「写真に顔をそろえているのは大企業の社長や重役、大学教授、政治家、官僚、マスコミ人等。肩書もイヤミだけれど、彼らが大学ではなく小中高校の同級生であるのがまたイヤミ。登場するのは、国立大学付属小中学校、地方の名門進学校、都市の名門私立校」と続けて、「いい学校を出て出世して、いつかは『同級生交歓』のページに載る。明治以来、脈々と受けつがれてきたこの国の伝統、そして人生の目標をよくあらわしているじゃないですか」と結ぶ。

試みに最新6月号のそこを開けば、昭和46年に東京学芸大学附属小金井中学校を卒業した駐ブルネイ大使の伊岐典子、連合会長の神津里季生、内閣府特命担当大臣の加藤勝信、東京海上日動火災保険顧問(前財務次官)の田中一穂が並んでいる。確かに本多の指摘する「ニヤけきった文章」をここで書いているのは神津だが、もちろん彼は本多や斎藤の批判など夢想だにしなかっただろう。そういう人間がトップであるところに現在の連合の弱みがある。

世代論は不毛とも言われるが、大正11年生まれのダイエーの創業者、中内功は「明治生まれの人間が戦争を計画して、大正生まれのわれわれが一銭五厘の旗の下でやらされた」と繰り返し言っていた。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、6月2日号)