週刊金曜日公式ブログ 週刊金曜日ニュース

安倍首相らの資産公開報告書は「破棄した」 官僚の隠蔽体質変わらず

開示を渋った内閣官房内閣総務官室が入る内閣府庁舎。東京・千代田区。(撮影/三宅勝久)

公開が義務づけられている大臣らの資産報告書のうち、総理大臣や官房長官らのものについて、担当部署である内閣官房内閣総務官室に筆者が問い合わせたところ、対応した係長が「すでに破棄した」「公文書ではない」などと“虚偽”の説明を行ない、開示を渋るという出来事があった。都知事選の告示前のことで、「安倍政治」への逆風が強まるなか、選挙への影響を考えて嘘をついた疑いが濃厚だ。

問題の文書は、2001年に閣議決定された「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」に基づくものだ。大臣、副大臣、官房長官、副長官、政務官は、自分と家族の資産状況について報告書を作成し、公開することが義務づけられている。閣議決定によれば、「公職にある者としての清廉さを保持・促進し、政治と行政への国民の信頼を確保し、もって行政の円滑な運営に資する」ための制度である。

筆者は6月15日、総理大臣らのものを管理している内閣官房内閣総務官室第一担当(山崎重孝内閣総務官=当時)に電話をかけ、安倍晋三総理大臣や菅義偉官房長官らの資産報告を見たい旨伝えた。防衛省や財務省、内閣府など他省庁は1~2日で開示していたので内閣官房も同様の対応だろうと思っていたところ、電話口で対応した男性職員は意外にもこう言った。

「国務大臣等の資産公開の報告書は官邸記者クラブに配布した後に破棄した。(各国会議員の)事務所が作成したものであって公文書ではない。クラブに聞いたらどうか、また事務所に問い合わせたらどうか」

【「探したら保有」の怪】

官邸記者クラブは筆者のようなフリー記者を事実上排除している。また閣議決定で公開を義務づけた報告書なのに、議員事務所に要求しろと行政が指示するのも筋違いだ。もとより、公文書ではないとはいったいどういうことか。納得がいかない筆者は念を押した。

「様式は省令で決まっている。やはり公文書だと思う。保管しているのではないか」

しかし職員は「破棄した」「公文書ではない」と自信ありげに繰り返した。「文書が存在しないのだから情報公開請求しても開示できない」とも言った。

嘘をついている可能性が高いと判断した筆者は、数日後、情報公開請求を行なった。結果が出たのは1カ月後、都議会議員選挙で自民党が惨敗した後の7月14日のことである。土生栄二内閣官房内閣総務官名で出された決定は、総理大臣らの資産報告書を「行政文書」――つまり公文書として特定し、すべて開示するという内容だった。対象の報告書は次の14人分。

・総理大臣=安倍晋三・配偶者昭恵

・官房長官=菅義偉・妻眞理子

・官房副長官=萩生田光一・妻潤子・長男一輝

・同副長官=野上浩太郎・配偶者真美子・子萌子・同温子・同周太郎

・同副長官=杉田和博・配偶者彰子(敬称略、表記は記載通り)

「破棄した」「公文書ではない」という職員の説明が“嘘”であることが、これではっきりした。

内閣官房内閣総務官室に事情を質すと、電話でこう回答してきた。

「電話で対応した職員は特別職担当のアメミヤ係長である。資産公開文書は公文書である。私どもの確認不足だった。申し訳ない」

「破棄した」については、「当方に文書がなかった。今すぐに出せないという意味で申し上げた。情報公開請求を受けて探したら、保有している事実がわかった」と意味不明の説明に終始した。

加計学園問題や防衛省情報隠蔽疑惑に通じる今回の“虚言”騒動の原因が、当の国務大臣らからの“助言”にあるのか、職員レベルの忖度なのかは不明だが、安倍政権の法令無視体質が行政組織を激しく蝕んでいるのは間違いない。

なお、開示された資産報告によれば、安倍晋三首相は森永製菓の株を4万9000株(株式併合により現在は9800株相当)保有。12年の首相就任時と比べて6倍に値上がりしており、約5000万円の含み益が生じた計算だ。

(三宅勝久 ジャーナリスト、8月4日号)

和泉洋人・首相補佐官は「ポスト・ホント国」の住人か(浜矩子)

この人たち、ポスト・トルース(post truth)の国の住人なんだな。加計問題等々に関する国会閉会中審査の模様を観ながら、つくづくそう思った。ポスト・トルースの意味するところが、初めて実感的に解った気がした。

ポスト・トルースは、2016年を象徴する言葉だ。かのオックスフォード英語辞典によってそのように認定された。いわば世界版流行語大賞を授与された格好である。ポスト・トルースを日本語で言えば、「脱真実」あるいは「超真実」という感じか。筆者は「ポスト・ホント」という言い方をすることに決めている。

ポスト・ホント国とウソ・イツワリ国とは、どう違うか。端的に言えば、後者は確信犯の世界。前者は、ご都合主義犯の世界である。「そのウソ、ホント?」と聞かれた時に、「ウソなんてとんでもない。私はホントを言っています」と反論するのが、ウソ・イツワリ国の住人だ。それに対して、ポスト・ホント国の答えは「そんなのどうでもいいじゃん。私にとってはこれがホントなんだから」ということになる。

閉会中審査の中で、和泉洋人・首相補佐官なる人が「そうした記憶はまったく残っていない。したがって言っていない」と発言していた。おお。これぞ、ポスト・ホント的模範解答だ。自分が記憶していない。自分の記憶に残っていない。そのようなことは、ホントであろうがなかろうが、なかったことなのである。これが、僕のホントです――。

ことほど左様にポスト・ホント連にとっては、客観的にホントかどうかはそもそも本質的に問題ではない。自分がどう記憶しているか、自分にとってどうなのか。それですべてが決まる。イメージがすべてで、すべてがイメージなのだ。自分の都合に従って、選択的にホントを選ぶ。それが「ホントを超える」ということなのだろう。

思えば、だからこそ「印象操作」という言い方への執拗なこだわりが出てくるのだろう。ポスト・ホント国の人々にとっては、まさに印象がすべてなのである。「これホント」イメージが成り立てば、それが「ホントにホント」なことになる。どんなに客観性があっても、どんなにしっかり記録されていても、ポスト・ホント国においてそれは何の証明にもならない。すべては「だってそうなんだもん」基準、「やっぱりそうなんだもん」基準で判定されてゆく。

ところで「記憶はない。だから言っていない」と大見得を切った上記の御仁は、追及の中で「言った、言わない」のテーマとなっている件について、結局は「言わなかったと思う」という言い方をするにいたっていた。ふーん。この「思う」という表現、ポスト・ホント的にはどうなのだろう。まぁ、自分が思っていないことはホントじゃない。自分が思っていることはホント。そんな風に整理されるのだろうかと推察する。

ポスト・ホント国は、何とも怖い世界だ。その住人たちは、何ともかわいそうだと思う。結局は、印象操作合戦の中で共食いの末路をたどるのだろう。誰も彼らを信じられない。誰にも信じてもらえない者たちは、誰にも助けてもらえない。

(はま のりこ・エコノミスト。7月28日号)

ヒロちゃんのほんと(小室等)

近所でヒロちゃんのライブがあるよと言うので、娘夫妻とうちのかみさんと連れ立ち、7月17日、埼玉県・フォーシーズンズ志木ふれあいプラザに行ってきた。恒例の紀伊國屋ホールとは一味違って、志木おやこ劇場主宰の女性連に囲まれ、会場もヒロちゃんのパフォーマンスも手作り感漂うライブだった。近刊絵本『憲法くん』(絵・武田美穂)を紹介しながら、いつものように政治ネタで大いに笑わせ、会場は爆笑の渦。

圧巻は、三上智恵監督作品の記録映画『標的の村 風(かじ)かたか』の語り。高江で強行されるオスプレイのヘリパッド建設に抵抗する住民。若い機動隊員とデモに加わった若い女性が、互いに目をそらさずにらみ合いを続けるが、たまらず若い機動隊員が目をそらすシーンのヒロちゃんの表現が圧巻だ。

次にヒロちゃんの話は永六輔さんの一生を駆け抜ける。ヒロちゃんの話に笑わされ、泣かされ、ほとんど知っている話なのに、永さんの身に起きたことをヒロちゃん流につなげていくから、まるではじめて永さんに出会っている気がしてくる。ヒロちゃん、芸というのはすごいね。いや芸がすごいのは言うまでもないことだが、実際のところ、ヒロちゃんと僕が同じ出来事を、同じように見ているとは限らないものね。

それで思い出したけど、中津川・全日本フォークジャンボリーのステージジャック小室等犯人説というのがある。先だって亡くなられたフォークジャンボリーの仕掛け人のひとり笠木透氏は、長い間小室犯人説を信じていたようだ。

なんの犯人かというと、ジャンボリーの運営に不満を感じた一部の観客にステージジャックされ紛糾した1971年のフォークジャンボリーで、その観客を挑発煽動した犯人は小室だというのだ。

たしかに、サブステージでいまや伝説となっている吉田拓郎の「人間なんて」絶唱を収拾させるため、観客に向かって「そろそろみんなでメインステージに行こうぜ!」と叫んだのは僕だったかもしれない。だからと言って、煽動したのは小室だなんて。あれ、この話、前にもしたかな。

ヒロちゃんの話に戻ろう。ヒロちゃんが映画を語るのは、マルセ太郎さんの「スクリーンのない映画館」のヒロ版だね。ヒロちゃんの語りを聞き、僕は映画を観たいと思った。観た結果、違う感想になることもよくある。が、かまわないのだ。マルセ太郎さんの『生きる』はマルセさんの、黒澤明監督の『生きる』は黒澤監督の、それぞれのほんとがあるのだ。ヒロちゃんのほんとは観たから、三上監督のほんとも観に行かなくちゃ。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、7月28日号)

まともなり、亀井静香(佐高信)

拝啓 亀井静香様

ごぶさたしていますが、お元気のようですね。亀井さんの独特の声が聞こえてくるような岸川真著『亀井静香、天下御免!』(河出書房新社)を拝読しました。

社民党の福島みずほさんは、郵政民営化に反対して亀井さんが自民党を追われた時、
「亀井さんと私には共通点が三つしかない。つまり、郵政民営化反対、義理人情、死刑廃止だけですね」
と言い、亀井さんに、
「三つも一緒だったらいいじゃないか」
と返されたそうですね。

違いを挙げたがる革新と、何でも包み込む保守の特質を象徴しているような会話で、おもしろいと思いました。

学生時代に合気道に熱中する一方で椎名麟三や野間宏らの戦後派文学に傾倒していたというのはちょっと意外でしたが、警察に入った亀井さんは「あさま山荘事件」の後、いわゆる過激派のリーダーの森恒夫や永田洋子の取り調べを担当して、こう考えたとか。

「森は完全黙秘だったが物凄い迫力だった。なぜ、こういう自分を捨てることが出来る若者が極左活動に走っていくことになったのか。その疑問に沈みました。初めてそこで政治の責任を痛切に感じましたね」

自民党、社会党、新党さきがけの自社さ政権を支えた亀井さんは村山富市さんに惚れたとして、こう言っています。

「村山さんは俺が経験した首相の中で最高の人物だと思いますよ。これは閣内で支えた小里貞利や野中広務をはじめ関わった誰もが言うはずです。すまし屋の橋龍だってご多分に漏れないね」

別れた妻がホリエモンに野次

森友学園や加計学園の問題で官僚論が云々されている時、亀井さんの次の指摘にも頷かされます。

「役人の使い方は官僚本人を納得させること。官僚は威張りたくてなったのは少ない。公の仕事をしたい。だから自尊心を燃やしてやれば頑張りますよ。押し付けは逃げられる。納得させることが肝要なんです」

亀井さんは小泉(純一郎)首相がイラクへ自衛隊を派遣することに反対しました。加藤紘一、古賀誠両氏と共にです。アーミテージらネオコンにもこう言ったそうですね。

「軍事力を絶対に行使すべきではない、それはアメリカにとっても世界にとっても間違いなく不幸なことになる。私がお巡りさんをやっておったから言うわけじゃないけれど、たしかに市民は得手勝手でワガママである。しかし、その市民の支持と理解を得なければ、警察の仕事は成り立たんと思っています。アメリカが世界の警察官を自任して自らの犠牲においてそれをやろうとするのであれば、我々は感謝します。しかし、そのためには世界から支持されるということがなければ、人類にとってもプラスにもならないし、アメリカにとってもいいことにはならんと思う」

郵政選挙ではホリエモンこと堀江貴文を刺客に立てられたわけですが、別れた妻がわざわざ尾道まで来て、ホリエモンの演説に物凄い野次を飛ばしていたと聞いたそうですね。

「警察時代にあれだけ夫婦仲も悪かったのに、人生というもんは分からんもんですよ」

この述懐に私はウーンと唸りました。次の覚悟にも拍手を送りたいと思います。

「絶対、子たちには継がせない。妻も苦労して、ゼロから築き上げた支持地盤ですけど、継がせる気はさらさらねえな。どうしてもやりたいなら他所でやれ。選挙区は個人の持ち物ではありません」

山城新伍さんが『実録・自民党』で亀井さんを演じたいと言っていたというのも、なるほどと思いました。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、7月28日号)

日本の司法の異常性を問い続ける基地問題訴訟(黒島美奈子)

ちょうどこの原稿の締め切り日となる7月24日、名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄県が国を提訴した。基地問題について県と国が法廷で争うのは、1996年に国が法廷で故大田昌秀知事(当時)を訴えた代理署名訴訟が初めて。これまで県側が勝訴した事例はなく、沖縄県は劣勢に立たされている。

だが、過去の結果が示すのは、県側敗訴という事実だけではない。国民主権や基本的人権など憲法の理念を保障することにおいて、日本の司法制度の大きな課題を露呈している。

たとえば、代理署名訴訟は、「駐留軍用地特別措置法」で定められた米軍用地の強制接収手続きの違憲性を争うものだった。特措法は米軍用地への土地の強制接収を拒否する地主に代わり、知事が契約を代行することを定めている。当時の大田知事は、沖縄だけに集中する基地負担に異議を唱え、知事として初めて代理署名を拒否。これを問題視した国が、署名拒否の違法性を問い、知事を提訴した。

これに対して最高裁は、「駐留軍基地が沖縄に集中していることにより、沖縄県および住民に課せられている負担が大きい」と基地による負担を認めながらも、特措法の合憲性を認定。知事の署名拒否は、「著しく公益を害する」として国が勝訴した二審の判決を支持した。

驚くべきは、この時、補足意見で述べられた見解だ。園部逸夫裁判官(当時)は「裁判所が国の高度の政治的、外交的判断に立ち入って本件使用認定の違法性を審査することは、司法権の限界を超える可能性がある」とした。つまり、「行政(政治)の権限に司法は及ばない」と責任を放棄したのである。特措法の合憲判断は、そうした司法の限界の結果として示されたのだった。

沖縄の基地問題に関するすべての司法判断には、この無責任な見解が通底している。

米軍機の飛行差し止めを求める嘉手納や普天間の爆音訴訟はその最たるものだ。日常的なひどい騒音が住民に健康被害をもたらす大規模な公害問題にもかかわらず、裁判所は、公害解消について国の責任を免罪し続ける。裁判所の判断を支える論理は、前述の補足意見とまったく同じだ。すなわち「外国軍のなす行為に日本国の権限は及ばない」と。かくして沖縄の基地負担解消は、行政だけでなく司法でも門前払いが続く。

そんな司法の態度を見ると、新基地建設を巡り、県知事の許可なく岩礁破砕行為に及ぶのは違法として、沖縄県が国を提訴した今回の訴訟も、県側に不利な情勢がうかがえる。管轄する水産庁はすでに、許可必要とした従来の見解を覆し、国にお墨付きを与えているほどだ。そうした状況に応じて都合よく解釈を変える暴挙でさえ、「行政の権限に司法は及ばない」とする無責任な態度の前ではまかり通ってしまうに違いない。

けれども、こうした日本式司法は国際社会では決して普遍的とは言えない。米国ではトランプ政権が打ち出した移民の入国制限という行政判断について、各州の裁判所が差し止めを命じたことは記憶に新しい。

日本の司法の異常性を問い続ける。基地問題訴訟は図らずもそんな役目を担っている。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。7月28日号)

「特区の生みの親」竹中平蔵氏が疑われる原因(佐々木実)

加計学園問題で脚光を浴びる国家戦略特区は別の問題も抱えている。衆議院の地方創生に関する特別委員会は国家戦略特区法の改正案を可決した5月16日、「附帯決議」として次の文言を盛り込んだ。

〈民間議員等が私的な利益の実現を図って議論を誘導し、又は利益相反行為に当たる発言を行うことを防止するため、民間企業の役員等を務め又は大量の株式を保有する議員が、会議に付議される事項について直接の利害関係を有するときは、審議及び議決に参加させないことができるものとする〉

野党議員の念頭にあったのは国家戦略特区諮問会議民間議員の竹中平蔵氏。与党内にも懸念の声はあった。そもそも国家戦略特区制度を提唱したのは竹中氏なのだが、「特区の産みの親」が疑われる原因は特区で優遇される企業との深い関係にある。

特区諮問会議は東京都などで外国人による家事代行を解禁し、参入事業者のひとつにパソナを選定した。竹中氏が取締役会長を務めるパソナグループの子会社だ。兵庫県養父市の農業特区では、竹中氏が社外取締役を務めるオリックスの子会社を選定している。

附帯決議については雑誌の記者から私も意見を求められたが、不思議なことに、その記者もふくめ関心をもつ人々は「もうひとつの企業」を見落としている。

竹中氏と森ビルの関係はずいぶん古い。小渕恵三政権の経済戦略会議の委員となった際、同じく委員だった創業家2代目の森稔氏の知遇を得た。やがて竹中氏は森ビルの文化事業を担う「アカデミーヒルズ」の理事長に就任する。森稔氏の名声を高めた六本木ヒルズが完成したとき、竹中氏は小泉政権の現職閣僚だったが、上棟式に出席している。

現在はアカデミーヒルズ理事長のほか、森記念財団の理事も務める。同財団の理事には森ビルの辻慎吾社長が名を連ねる。竹中氏は同財団の都市戦略研究所の所長も兼務している。国家戦略特区制度は「世界一ビジネスのしやすい国際都市づくり」を目的とするので“研究対象”である。

実は、竹中氏が民間議員を務める特区諮問会議が扱う最大規模の事業が東京都心の再開発だ。特区で手がける都市再開発事業は30あまりあるが、特区諮問会議はそのうち5つのプロジェクトの事業主体として森ビルを選定した。

森ビルの辻社長は今年2月10日、国家戦略特別区域会議に出席している。司会役は加計学園問題で名前が取り沙汰された藤原豊内閣府審議官(当時)で、森ビルのプロジェクトに関して、着工前の各種行政手続きを大幅に簡素化すること、設備投資減税の措置を講ずることなどを報告。辻社長は「この国家戦略特区制度と小池(百合子東京都)知事の都市政策のもと、政官民が一体となって異次元のステージとスピードで世界の人々を引きつけるような都市づくりを進めていかなければならない」と語り、「引き続き、ご支援のほどよろしくお願いいたします」と結んだ。

この日の会議に竹中氏の姿はなかったが、森ビル社長が謝意を伝えるべき相手が「国家戦略特区産みの親」であることは贅言を要しないだろう。

(ささき みのる・ジャーナリスト。7月21日号)

都連会長人事にみる「安倍一強」の終わり(佐藤甲一)

東京都議会議員選挙の歴史的惨敗、『読売新聞』をはじめ大手主要紙における世論調査での支持率急落など、安倍政権をめぐる情勢は通常国会閉会からわずか1カ月余りで、激変した。

8月3日には内閣改造を断行する予定だが、目論み通りに支持率回復につながる見込みは薄い。なぜなら、支持率低下の原因が安倍晋三首相の強権的な政治姿勢と利害関係者を優遇する政権の隠蔽的な癒着的体質を、国民の7割近くが「信用おけない」と感じているからに他ならない。

「信用おけない」人物が断行した人事が好感を持って迎えられるはずがない。自民党内の各派閥ではこうした環境変化に即座に反応している。それらは単に「ポスト安倍」をめぐる動きという近視眼的なものにとどまらない。

大敗を受けて対立が始まった自民党東京都支部連合会の新会長人事こそ、注目に値する。過去最低の獲得議席23という結果を受け、下村博文都連会長以下、役員が引責辞任の意向を表明。再建を担う後任都連会長に目されているのが安倍首相の出身派閥、細田派の丸川珠代五輪担当相と、石破茂元自民党幹事長の側近の鴨下一郎元環境相だ。つまり「ポスト安倍」の前哨戦が始まったと言える。

だが、ここで見落とせないのは、平将明衆院議員ら石破系若手国会議員が提出した「新会長の3条件」である。(1)上の操り人形にならない、(2)小池百合子都知事と対話できる、(3)公明党との関係修復――という3条件のうち、(1)の「上」とは党本部を意味するから、「反安倍」の旗幟を鮮明にするということだろう。

一方、(2)と(3)の意味は、都政においては小池都知事と小池与党を敵視せず、当面は是々非々で臨むことができる執行部、ということになる。つまりは石破系(つまり石破氏)は「親小池」路線に進むということだ。

これが「ポスト安倍」をめぐる前哨戦にとどまらないのは、その任期との兼ね合いにある。自民党総裁の任期は来年の2018年9月、そしてその次は21年9月となる。支持率低落に見舞われた安倍首相の総裁3選はもはや決して「既定路線」ではない。安倍首相の足元の揺らぎにより、3カ月前までは安倍支持を打ち出した岸田文雄外相も立候補の可能性が急浮上したと言える。

総裁選が石破vs.岸田の闘いになれば、党内情勢では岸田有利、石破不利との見方が有力だ。安倍氏が既定路線通り出れば、岸田氏は安倍支持に回る可能性もあり、どちらにしても石破氏は不利な闘いを強いられる。石破総裁の目が出てくるのは21年の総裁選とも言える。

そして21年秋と言えば、小池都知事が知事2選目を果たし(20年7月が次期知事選)、無事、東京オリンピック・パラリンピックを終えた1年後だ。そろそろ小池氏の国政復帰が視野に入ってもおかしくない。そして小池知事とこれまで気脈を通じていると見られたのが新進党や日本新党で同じ釜の飯を食った石破氏であり、鴨下氏なのである。

東京都連会長選挙は21年までを見通した自民党権力闘争の始まりであり、そこに小池新党の国政進出という再編がらみの要素も加わる。「ポスト安倍」にとどまらない、重層的な権力闘争の構図が顕在化することこそ、皮肉にも自民党の活力が戻りつつあり、「安倍一強政治」の終わりが始まった証左、と見ることができるのである。

(さとう こういち・ジャーナリスト。7月21日号)

住民税額通知書の誤送付で少なくとも569人のマイナンバーが漏洩か

住民税を給料から天引き(特別徴収)している企業・団体へ市区町村が今年度送った税額決定・変更通知書のうち、少なくとも93自治体の計569人分が誤った宛先に届けられたことがわかった。すべて個人番号(マイナンバー)が記載されており、漏洩の危険が現実のものとなった。

「共通番号いらないネット」のメンバーが、7月7日までの公表資料や報道をもとに集計した。該当する自治体は北海道から沖縄県まで広がるが、実際の件数はさらに多いとみられる。

原因では、自治体によるデータ入力のミスが目立つ。典型的なのは、企業の整理番号を間違えて無関係の従業員を結び付けたり、同姓同名の従業員や同じ名称の企業を取り違えたりしたケースだ。

また、A社とB社の分を逆に封入(徳島県藍住町)▽宛先不明で戻った通知書を再送付する際に企業を取り違えて封入(千葉県八千代市)▽他市から送られた課税資料が間違っていた(神奈川県大和市)という事例もあった。誤配達は8自治体で確認された。

簡易書留や特定記録郵便で送った札幌市や長野市など8自治体でも誤送付や誤配達が見られ、漏洩防止の切り札とはならなかった。

高市早苗総務相(当時)は5月19日の記者会見で「マイナンバーの漏洩事案が発生した地方団体へは猛省を促したい」と発言。「主に事務処理の単純なミスなので注意を払えば防げる」と述べた。しかし、税額通知書への番号記載をめぐっては、漏洩や送付遅れを危惧して慎重な自治体に対し、総務省が「不記載は認められない」と圧力をかけ続けた経緯があり、責任転嫁の姿勢は自治体の反発を招きそうだ。

マイナンバー違憲訴訟・神奈川原告代表の宮崎俊郎さんは「人的ミスは必ず起きる。必然性がない個人番号の記載を『強制』しているがゆえの漏洩で、制度の問題だ」と国の対応を批判している。

(小石勝朗・ジャーナリスト、7月21日号)

安倍首相の政治団体が「アベ本」を4000冊以上購入、有権者に無料配布の疑いも

『約束の日 安倍晋三試論』を自民党山口県第4選挙区支部(安倍晋三代表)が2000冊一括購入したことを示す領収書。(撮影/三宅勝久)

安倍晋三首相が代表の政治団体「晋和会」と「自民党山口県第4選挙区支部」が、2012年~13年に、安倍氏を賞賛する内容の著書を、政治資金で大量に購入していたことが、政治資金収支報告書や領収書の調査で発覚した。“アベ本の爆買い”は、確認できたものだけで4130冊。疑わしいものを含めると6900冊に及ぶ。

問題の本は、2012年9月4日幻冬舎から発刊された『約束の日 安倍晋三試論』(本体1500円)だ。著者は小川榮太郎氏。

「晋和会」の2012年分政治資金収支報告書や領収書によると、10月16日に丸善書店で900冊を約140万円で購入。翌月11月9日に、紀伊國屋書店新宿本店で900冊、丸善日本橋店でも140冊を購入したとある。

さらに、11月9日は、版元の幻冬舎でも買っている。領収書に書名が明記されていないので断定はできないが、194万4654円の支払いは『約束の日』購入代とみてよいだろう。この日はさらに、有隣堂(横浜市)や文教堂(港区)でも約20万円から30万円の「書籍」を買っている。これも『約束の日』だろう。11月9日だけで2600冊を買った計算だ。

一方「自民党山口県第4選挙区支部」の2013年分政治資金収支報告書と領収書には、13年1月24日に紀伊國屋書店新宿本店で『約束の日』2000冊を315万円で買ったと記載されている。

寄付や政治資金パーティの収入を原資とする政治資金を何に使おうが、政治的・倫理的問題はあるにしても基本的に自由だ。しかし、安倍首相の場合は違法性を問う余地がある。アベ本購入の名目は「調査研究」だが、有権者らに無料配付された可能性があるからだ。公職選挙法の寄附の禁止に触れる恐れがないか。

爆買いは何のためか。安倍晋三事務所からの回答は、「政治資金規正法にのっとり、適正に処理しています」とするだけだった。

(三宅勝久・ジャーナリスト、7月21日号)

40歳代後半~50歳代前半男性の賃金が下落するわけ(鷲尾香一)

「デフレを脱却するスピードを上げるには、賃金、給与という形で実体経済に表れてくることが一番早い」

覚えておいでだろうか。デフレ経済からの脱却を目指す安倍晋三首相が、低迷する個人消費を盛り上げるために、日本経済団体連合会など経済団体に対して賃上げを要請した時の言葉だ。

厚生労働省が2月に発表した2016年の賃金構造基本統計調査によれば、一般労働者の所定内給与は前年比0.0%と横ばいだった。

それよりも問題なのは、雇用構造的に企業が賃上げを抑制しているのが明らかなことだろう。

賃金構造基本統計調査を見ると性・年齢階級別では、45~54歳男性と60歳代前半男性と60歳代女性の賃金が下落していることがわかる。労働者数を勘案すれば40歳代後半~50歳代前半の男性が最大の賃金押し下げ要因となっているのは明らかだ。企業規模別にみると、大企業の男性賃金のみが全体を押し下げている格好だ。

ではなぜ、この年齢階級の男性の賃金が下落しているのか。その要因として考えられているのは、大企業のこの年齢階級は、バブル期前後の売り手市場で大量採用された世代であり、年齢的にも昇進率の低下などにより平均賃金が下がっている可能性が高いと見られている。

60歳代前半男性と60歳代女性の賃金の下落については、定年延長等による賃金低下が影響していることが明らかだ。

しかし40歳代後半~50歳代前半の男性の賃金下落については、実は、別の要因が働いている可能性が高い。

通常、昇進が止まった時、給与が据え置かれることはあっても、引き下げられることはないだろう。だが、今は給与の引き下げが行なわれているのだ。その要因は、定年延長にある。

60歳で定年を迎えても、本人が希望すれば企業には継続して雇用する義務がある。企業は定年延長後の給与を大幅に引き下げるとともに、その支払いに備えるため40歳代後半~50歳代前半の給与引き下げを行なっているケースが多いのだ。もちろん、その後は給与の据え置きを続けるか、引き下げる。間違っても、引き上げることはない。

40歳代後半~50歳代前半は、大学生の子どもがいたり、親の介護が始まる時期でもあり、生活費がかかる年齢層。加えて、老後の生活費を考えなければならない年齢でもある。当然、貯蓄に力を入れることになる。

60歳代になっても、年金受け取りの開始時期まで給与所得があればいいが、定年とともに大幅に減給されるため、消費を控える。

つまり、デフレ経済の脱却に必要な個人消費は定年延長などの要因を背景に企業側が賃金の引き下げを行なっている以上、盛り上がる可能性は低い。

賃上げを実現し、個人消費を活性化しようとするならば「企業は利益のXX%は給与として従業員に配分しなければならない」といった規則を作るとか、定年延長後の給与の引き下げに歯止めを掛けるとか、年金受け取り開始年齢を60歳からとして定年後すぐに受け取れるようにするなど、何らかの対策が必要ではないか。

(わしお こういち・経済ジャーナリスト。7月14日号)