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「組織化された貪欲」に負けるな(浜矩子)

突然、総選挙だ。とんでもない話だ。ご都合主義も甚だしい。あまりにも姑息すぎる。こういうことを繰り返していると、必ず、天罰が下る。それを確信しつつ、選挙というものに関する先人たちの知恵に学ぶことを試みた。

まずは古典からいこう。エウリピデスいわく、「蜜の言葉と悪なる魂の持ち主が大衆を籠絡する時、国に災禍が降りかかる」。エウリピデスは、ご存じ、ギリシャ悲劇の大家だ。人々の野心や下心や疑心暗鬼、そして自己保存本能が、いかに破壊的な力をもって悲劇を招くか。それを知り尽くし、語り尽くした人だった。

同じ古代ギリシャの文豪でも、アリストファーネスは喜劇の達人だった。欺瞞政治を揶揄した風刺劇、『騎士』の中に次のくだりがある。「人気を博したいなら、人々が喜びそうな珍味を用意してやればいいのさ。」

教育の無償化だの、全世代型社会保障だの。これらが、今回のご都合主義選挙を前にして、日本の有権者のために用意された蜜味の珍味だ。こんなものに籠絡されてはならない。

時代をグッと早送りしよう。1970年生まれのマット・タイビが次のように言っている。「自由市場と自由選挙を基盤とする社会においては、必ず、組織化された貪欲が組織されざる民主主義に勝利する。」

マット・タイビはジャーナリストであり、文筆家だ。アメリカ社会の矛盾と混迷を衝いて舌鋒鋭い。組織化された貪欲は、確かに怖い。何が何でも、その下心を実現すべく、組織的に動く。組織化された貪欲・イン・アクション。この間の日本の政治と政策が、われわれにそれをいやというほど見せつけてくれ続けてきた。

それに対して、民主主義はそもそも妙に組織化されないところがいい。組織なく、枠組みなく、強制なし。でも、民主主義は生きている。でも、民主主義は立ち上がる。それが民主主義の本質的美学だろう。

その意味で、マット・タイビが組織的貪欲の必勝を主張するのは、少々、悲観がすぎるかもしれない。貪欲に美学はない。貪欲に自然発生的求心力はない。だからこそ、必死で組織化しなければならない。だからこそ、そこに強制と規律が必要になる。枠組みが崩れれば、貪欲もまた脆くも崩れる。

また少し、時代を巻き戻そう。第16代米国大統領、エイブラハム・リンカーンいわく、「バロット(投票箱:ballot)はブレット(弾丸:bullet)より強し」。素晴らしい言葉だ。その通りである。だが、大義なく唐突にバロットを国民につきつけてくる者たちが、ブレット大好き集団だったらどうするか。ブレットを良しとする方向に人々を引っ張って行く。それが可能になるために、突如としてバロットを持ち出して来ている場合には、どうすればいいのか。

これに対して、リンカーンは答えを与えてくれていない。当然のことだ。そもそも、ブレット狙いでバロットに頼ろうとするような者たちが出現するなどということを、まともな精神の持ち主は考えもしない。貪欲の組織化、ここに極まれり。悪に根ざす蜜の甘言、これを越えることなし。危険な珍味を断固拒絶すべしだ。

(はま のりこ・エコノミスト。9月29日号)

過去に学ぼうとしない安倍首相(黒島美奈子)

遅まきながら、話題のドキュメンタリー映画『米軍が最も恐れた男、その名は、カメジロー』を観た。上映は沖縄で唯一インディーズ作品を提供する桜坂劇場で、しかも連日長蛇の列と聞き、「必ず観よう」と決めていた。それなのについ先延ばしにしていたら、公開37日目に「沖縄で観客1万人突破」と報道されたので、慌てて観に行った。

カメジローとは、言わずと知れた沖縄出身の政治家・瀬長亀次郎。1950年代、米軍統治下の沖縄で「沖縄人民党」を結成した。ポツダム宣言に心酔し、日本国憲法を愛して、その対極にある米軍の圧政に真っ向から異を唱えた。

政治活動の原点は、労働運動だ。米軍施設を造るため県内外から集められた労働者が食事も満足に与えられず押し込められていると知り、駆け付けた。その労働者たちを救うため、琉球政府下で初めて労働法の制定を提案し実現した。

映画では、絶対的権力を握る米軍が中傷ビラや投獄などあの手この手を使ってカメジローを政治から遠ざけようと画策したエピソードと、そうすればするほどカメジローにのめり込んでいく県民の姿が映し出されている。佐古忠彦監督は舞台あいさつで、「今、求められる政治家像だ」と評していた。

戦後初の「沈黙解散」が行なわれる現代の政治家像は、どうだろう。報道から知るのは、政権の長期化を狙い大義なき解散に走る安倍晋三首相とそれに追従する自民・公明両党、同様に大義なき離党・結党を繰り返して自滅の道を走る一部野党や新党の姿だ。

9月20日の国連演説で、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に核を放棄させるのに必要なのは「対話ではない。圧力なのです」と言い、あおるだけあおった安倍首相は、その渦中に国会を空にするという暴挙に出た。

対する民進党の前原誠司代表は、支持率低迷の最中の選挙戦突入の危機にもかかわらず、安倍政権を揺さぶる唯一の可能性=共産党との連携=さえ二の足を踏む。どちらも保身の末の行動にしか見えない。

小池新党と言われる「第三の勢力」も、改憲推進・安保法容認など安倍政権とほぼ変わらない内実が判明すれば、解散の意義はますます見えない。今選挙も盛り上がらないのは必至で、投票率の低迷だけがニュースに違いない。

ただ懸念するのは、どんなに大義が見出せずとも、今回の結果が日本の分岐点になるだろうという点だ。「教育の無償化」や「森友・加計問題」など、各党が主張する選挙の争点がメディアを騒がせているが、今選挙が最も反映される真の争点は緊迫する北朝鮮外交であり、改憲だ。

「窮鼠、猫を噛む」という。安倍政権の下、このまま圧力一辺倒でいけば、北朝鮮は近いうちにデッドラインを超えるだろう。日米開戦の理由をひもとく『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(森山優著、新潮選書)には、「自衛のため」対米報復するという陸軍の案に、半ば自暴自棄になって突き進む東条内閣の姿が描かれる。その姿は今の北朝鮮と重なる。

国会で「ポツダム宣言はつまびらかに読んでいない」と明言した安倍首相には、過去に学ぼうとする姿勢は見えない。今選挙ばかりは「ほかにいい人がいない」という理由で、投票しない方がいい。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。9月29日号)

日テレ、安倍政権に忖度して番組改変か(横田一)

訪米してトモダチ作戦で被曝した兵士の訴えに耳を傾ける小泉純一郎元首相(中央)。2016年5月18日。(撮影/横田一)

10月9日放送のNNNドキュメント(日本テレビ系列)で、安倍政権に忖度(そんたく)したと思われる番組改変事件が起きた。「『放射能とトモダチ作戦』 米空母ロナルドレーガンで何が?」と題し、東日本大震災で被災者を救援した米軍「トモダチ作戦」参加兵士が、「福島第一原発事故による放射能被曝で健康被害が出た」として東京電力などを提訴していることを紹介した番組だったが、昨年5月に米国で被曝兵士にヒアリング後、支援基金を設立(約3億円寄付)した小泉純一郎元首相が登場する場面がすべてカットされたというのだ。

この訴訟を当初から支援、小泉元首相に訪米を勧めたジャーナリストのエイミー・ツジモト氏(日系4世で被爆2世)が訴える。

「東電を訴えた米兵や弁護士を紹介するなど番組制作に全面的に協力してきましたが、放送10日前の9月29日になって日本テレビの担当プロデューサーから『今回放送の番組の中の小泉氏の登場シーンは全てカット』とメールで伝えられました。“改変前”の放送予定番組には、記者会見で涙を流した小泉元首相の訪米の様子や、兵士が小泉氏に感謝の気持ちを述べる場面もあったのに、“改変後”はすべて削除されてしまったのです」

同番組の担当者は削除の経過をメールでこう説明している。

「本日二度目の(中略)プレビュー(放送前視聴)が行われました。そこで、日本テレビ報道局の総意として以下の業務命令が出ました。『今回放送の番組の中の小泉氏の登場シーンは全てカット』というものです」
「放送法では『公示期間中』に限定されているのですが、小池=小泉は影響が大きすぎて期間直前でもだめだという局の判断との事。結局、日テレ報道の魂は『ABに忖度』という事なのです」

これに続き、「選挙が目前である事」「希望の党が脱原発を公約、選挙の争点にした事」「希望の党設立の会見後に小池・小泉が会って協力を臭わせた事」「小泉氏が(小池氏を)応援する事にでもなると、放送直前の直しが間に合わなくなり、放送に穴が空くから」などの削除の理由が列挙され、「守りきれませんでした。申し訳ありません」との言葉で結ばれている。

選挙報道原則を拡大解釈

「ABに忖度」とはもちろん安倍政権のことだろう。「小池=小泉は影響が大きすぎて」などとあるように、安倍政権に過剰なまでに忖度した“自主的検閲”といえる。選挙中の公平報道原則を、期間も内容も自分勝手に拡大解釈し、被曝兵士救済に動こうとしなかった職務怠慢の安倍政権のマイナス材料を削除したとしか見えない。その結果、有権者に投票の判断材料となる情報を与えずに国民の知る権利を奪ったのだ。

小泉元首相は訪米後、外務省に被曝兵士の実情を報告したが、日本政府(安倍政権)は動かなかった。そこで原発ゼロ社会実現を目指す仲間とともに小泉元首相は昨年7月、支援基金設立を発表。講演会参加費をすべて基金に回す全国講演行脚をボランティアで続けながら、原発ゼロ実現と被曝兵士救済をセットで訴えた。その結果、当初の目標の1億円を超える3億円が集まることにもなったのだ。

「被曝兵士が今回の番組を見たら『なぜ支援基金を作った小泉元首相が出てこないのか』と全員が首を傾げるでしょう」とツジモト氏。

原発推進で被曝兵士にも無関心な安倍首相と、脱原発で被曝兵士救済に奔走した小泉元首相の違いを知った上で、原発問題が大きな争点となった総選挙の投票行動の判断材料にすることは何ら問題ないはずだ。事実をありのままに有権者に伝えることになるからだ。

しかも小泉元首相は原発ゼロの政策の正しさは訴えても、選挙で特定の政党や候補者の応援をしない考えを繰り返し表明していた。日テレ上層部はありえない選挙応援の事態を妄想、被曝兵士救済に動かなかった安倍政権の職務怠慢を隠蔽したともいえる。これこそ、自民党に肩入れをする偏向報道に該当、多角的な情報提供を定めた放送法違反ではないか。日本テレビの対応が注目される。

(よこた はじめ・ジャーナリスト、10月20日号)

「擅権の罪」に問われる“ソバいや解散”(佐高信)

政権与党の幹部は口をそろえて「衆議院の解散は総理大臣の専権事項」と言うが、憲法のどこにもそんなことは書かれていない。

大体、彼らは「専権」のセンを「擅権(せんけん)」のセンと勘違いしているようだ。専は「もっぱら」だが、擅は「ほしいまま」で、微妙な違いがある。

かつての大日本帝国の陸軍刑法に擅権の罪というのがあった。

第35条が「司令官外国ニ対シ故ナク戦闘ヲ開始シタルトキハ死刑ニ処ス」であり、第37条が「司令官権外ノ事ニ於テ已ムコトヲ得サル理由ナクシテ擅ニ軍隊ヲ推進シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮ニ処ス」である。そして第38条には「命令ヲ待タス故ナク戦闘ヲ為シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮ニ処ス」ともある。

しかし、陸軍中央の制止を振り切って出先の関東軍が中国への戦争を仕掛け、これは有名無実のものとされた。

たとえば柳条湖事件でも、板垣征四郎は独断で兵を動かし、司令官の本庄繁に報告したのは、独立守備隊が北大営を、第29連隊が奉天城内を、ともに闇討ち同然に攻撃してからである。

これは明らかに前記の刑法に引っかかる擅権の罪だった。板垣と気息を合わせていた石原莞爾も同じ罪に問われることは言うまでもない。

歴史にイフは禁物だが、私は『石原莞爾 その虚飾』(講談社文庫)を書いて、この時、板垣や石原が「擅権の罪」で「死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮」に処されていたら、その後の日本の歩みは大分違っていただろうと思わざるをえなかった。

“緑のタヌキ”ならぬ“緑のコウモリ”の小池

まさに安倍晋三の今度の身勝手解散は擅権の罪に問われるものである。

森友学園と加計学園の疑惑を、そばに引っかけてモリカケ疑惑と呼ぶらしいが、結局、安倍はこれを追及されるのが死ぬほどイヤだった。モリもカケも、ともかく、そばは食べたくないから、解散に逃げ込んだ。だから、この解散は名づければ“そばイヤ解散”である。野党はこの点を徹底して追及していかなければならない。

安倍の“そば隠し解散”の共犯者が例によって公明党だが、この公明党ならぬコウモリ党が自民党に付くのか、小池(百合子)新党と手を結ぶのかも注目される。どちらとも協力するというのだろうが、力点は自民に置くのか、新党に重心を傾けるのかということである。

たとえば、東京12区の公明党の太田昭宏のところには、新党は候補者を立てないという。都知事選で公明党は小池を応援したのだから、ある意味では当然だろう。しかし、ここは自民と公明の選挙協力の象徴のようなところであり、公明は自民と新党の間で股裂きのような状態になるのではないか。

太田は京都大学時代、相撲部に入っていて、得意技はぶちかましらしいが、それで解決する問題ではない。

ちなみに、平凡社の『世界大百科事典』でコウモリの項を引くと、西洋では「たそがれや月夜など光と闇が拮抗する時間にだけ姿を現すといわれ、しばしば不浄で気味悪い動物とみなされた」という。また、日本では「鳥のように飛び獣の姿でもあるところから、古くからどちらにも属さなかったり形勢によってあちこちに立場を変える者をこの名で呼ぶ」とある。

まさに公明党にピッタリだと思うが、私には、そのコウモリ党と同一歩調をとる小池百合子自身もコウモリに見えてくる。即席めんの商品名をもじって、小池を“緑のタヌキ”と呼ぶ人がいるらしい。しかし、“緑のコウモリ”の方がふさわしいのではないか。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、9月29日号)

北朝鮮問題を政治利用する安倍首相 石坂浩一・立教大学准教授に聞く

トランプ米国大統領が9月の国連総会で述べた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を壊滅させることもいとわないという発言は、衝撃的なものだった。これまで、ツイッターでは放言があったが、今回は公式に語られた。それも、平和を守るはずの国連の場で。

これに対し北朝鮮の金正恩国務委員長は9月21日、声明を通じてその意思を明らかにした。声明は、トランプ大統領の演説は「宣戦布告」であるとして、それに見合う「史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮するだろう」と主張した。金正恩国務委員長が個人名で声明を出すのは初めてで、いわば米朝の最高指導者が公式的に激烈な言葉の戦争を展開しているのだから、緊張と対立はこれ以上ないところまで来ているのである。

トランプ大統領は8月初めに、もし戦争が起こるなら「向こうでやる」と述べたことがあった。ともあれ、私たち日本に暮らす者たちは「向こう」にいるのだから、トランプ大統領に対して、冷静になって戦争は絶対に避けるよう働きかけなければいけない。ところが、安倍晋三首相は国連総会で、北朝鮮問題について「必要なのは対話ではない。圧力だ」などと述べた。この間、安倍政権が緊張緩和のために行なったことはひとつもない。

安倍首相の発言は、トランプ大統領に追従する発言だ。むしろ大統領の放言で一貫性のある朝鮮半島政策を示せない米国を利用して、北朝鮮の脅威を煽り立てているように見える。北朝鮮の脅威に対抗せよといいながら、みずからの政権のスキャンダルから国民の目をそらし、改憲や軍事力強化といった政治的狙いを実現しようとする術策なのではないだろうか。安倍氏は拉致問題を利用して首相になった人だと指摘されたことがあったが、いまは北朝鮮を利用してさらなる政治的野望をかなえようとしているのではないか。

【対話の糸口をつかみ平和定着への努力を】

この間、北朝鮮のミサイル発射を奇貨として安倍政権は、実効の疑わしいJアラートを作動させ、小学校の子どもたちにまで避難訓練を実施させている。国民に危機感を植え付け、「北朝鮮は危険だ」「敵だ」という観念を植え付けようと躍起になっている。

だが、いま必要なのはこうしたことではない。韓国の文在寅大統領は、8月15日の独立記念日における演説で、韓国政府は戦争だけは避けると強調した。日本政府も対話の糸口をつかみ、まずは現在の緊張を緩和させ、東北アジアの平和定着を導き出すためにこそ努力し、協力すべきではないか。韓国や米国と違い、日本は少なくとも朝鮮戦争の法的当事者ではないし、日朝平壌宣言という合意も破棄されてはいないのである。

朝鮮戦争の停戦協定が1953年に結ばれてから64年がたつ。いまだに平和協定には至っていない。日本ではマスコミを中心に、北朝鮮が戦争をしようとしているかのような構図を描き出している。しかし、これこそ印象操作というものであろう。

北朝鮮は戦争を継続する国力を備えていない。そのことは、最高指導者が一番よくわかっているはずだ。核とミサイルの開発をもって米国の武力攻撃を避けるとともに、米国を外交交渉の場に引き出そうとしているだけである。ただ、武力攻撃を受ければ、必死に反撃するので、東北アジアはトランプ大統領の言うように壊滅する。

北朝鮮はトランプ大統領の発言とは反対に、これまで米国の歴代政権と一定の合意をしては、次の政権にひっくり返されるという苦い裏切りを味わってきた。北朝鮮はほかならぬ米国との国交、不可逆的で安定した関係を望んでいる。しかし、交渉を求める北朝鮮をこれまで外交的に疎外してきたのも、米国にほかならなかった。

2018年は、韓国・北朝鮮が建国70周年を迎える。北朝鮮は米国との平和協定を実現しようとするだろうが、道のりは険しい。安倍政権は日朝の対話を再開し、韓国と協力して局面自体を転換させる努力をすべきなのである。(談)

(聞き手・成澤宗男〈編集部〉、10月6日号)

衆院選に向け、国会周辺に市民ら1300人 「リベラル結集」「改憲阻止」を

国会前で「安倍内閣退陣」を唱える参加者。9月28日、東京・千代田区。(撮影/文聖姫)

「安倍政権を必ず倒そう!」「みんなの力で政治を変えよう!」。参加者が国会議事堂(東京・千代田区)に向かって、声を上げた。9月28日の衆議院解散に合わせ、国会周辺に集まった1300人(主催者発表)が、国政を私物化した安倍首相への怒りを爆発させた。

この日、国会周辺では「憲法9条を変えるな!安倍内閣退陣9・28臨時国会開会日行動」が開催された。主催は「安倍9条改憲NO!全国市民アクション実行委員会」など3団体。

森ゆうこ参議院議員(自由党)が壇上に上がると、参加者から「野党は共闘せよ」の声がかかる。森氏はその声に応え、「さまざまな違いを乗り越えて野党が結集し共闘することが国民の願い」だと強調し、「どんな共闘になるかが問題で、それには市民の後押しが必要」だと訴えた。

民進党は、「名を捨てて実を取る決断」「好き勝手な安倍政権を終わらせるため」(前原誠司代表)だとして、小池百合子東京都知事が代表を務める「希望の党」への合流を決めた。これによって、民進、共産、自由、社民の野党4党による共闘は破綻した。

壇上に立った共産党の志位和夫委員長は、「希望のかけらもない」希望の党は「自民党の補完勢力にすぎない。こういう勢力との共闘は不可能」だとして、希望の党公認で出馬する候補者に対抗馬を出す方針を明らかにした。福島みずほ参議院議員(社民党)も、「希望の党は憲法改正を公約に掲げている。リベラル勢力の結集で憲法9条改悪を阻止しよう」と訴えた。共産、社民はできる限り候補者を一本化することで合意した。

「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)の山口二郎・法政大学教授は、「全国では野党と市民による血の滲むような努力で民主主義を守る態勢ができつつある。安倍政権退陣のためにみんなで投票に行こう。民進党に期待していた自分が愚かだと思うが、そんなことを言っても仕方がない。やれることをやっていこう」と呼びかけた。

全国労働組合総連合(全労連)の小田川義和議長は、「国政を私物化し、民主主義を破壊した安倍首相の暴挙は見過ごせない」として、今回の選挙を安倍退陣につなげたいと訴え、「市民と野党をつなぐ会@東京」の鈴木国夫さんは、運動を通じて「政治は地域から作れるし、候補者と一緒に作れるという新たな発見をした」と述べた。

「安倍政権にNO!東京・地域ネットワーク」共同代表を務める岡本達思さんの地元、板橋区では、昨年11月に「チェンジ国政!板橋の会」が発足。同会では、自分たちの声を真剣に届けてくれる人を国会に送りたいと思い、野党共闘を実現するために奔走してきた。民進党の希望の党への合流で先行きは不透明だ。岡本さんは「小池さんには安倍首相と同じにおいを感じる」と警戒。「目先の選挙のために希望の党を選んでいいのか」と、民進党の希望の党への合流に不信感を表した。「都民ファーストなんかじゃない。自分ファースト」と小池氏を非難するのは乾美紀子さん。若者たちには「戦場で戦わずに選挙で戦え。戦う相手は安倍政権」と訴える。

東京・足立区から参加した鎌田由利子さんは、「希望の党は第二の自民党。このままでは二大極右政党になってしまうとの危機感を持っている」と語る。「大人が責任をもって、子どもたち、次世代の将来のために、平和で安心できる世の中にすべきだ。それを問う選挙だと思う」。

【憲法研究者有志が声明】

前日の27日には、愛敬浩二(名古屋大学)、青井未帆(学習院大学大学院)の各氏ら90人の憲法研究者有志一同が緊急声明を発表し、解散・総選挙にいたる手順が、憲法の規定する議会制民主主義の趣旨にそぐわず、衆議院総選挙とその結果が、憲法と立憲主義を危機にさらすものであると非難した。また、憲法9条3項への自衛隊明記規定の追加は、「憲法の平和主義に対する脅威」だと指摘した。

選挙で問われているのは「自公vs.希望」ではなく、憲法への姿勢だ。

(文聖姫・編集部、10月6日号)

「市場原理主義」トランプ大統領にFRBは抵抗できるか(佐々木実)

リーマン・ブラザーズが経営破綻したことを契機とした世界的金融危機は、時代を画する出来事だった。米国の経済学者ジョセフ・スティグリッツはつぎのように解説する。

〈2008年9月15日、リーマン・ブラザーズが破綻した日は、市場原理主義(束縛を解かれた市場は独力で経済的繁栄と成長を確実に達成するという考え方)にとって特別な意味を持つ日となる。ベルリンの壁の崩壊が共産主義にとって特別な意味を持つのと同じことだ。市場原理主義というイデオロギーが持つ問題点は、この日を迎える前にすでに知られていたが、この日以降は、誰もこのイデオロギーを本気で擁護できなくなった。〉(『フリーフォール』徳間書店)

「リーマン・ショック」による未曽有の金融危機の教訓が「ドッド・フランク法」だ。金融危機を防ぐため、金融機関の監督強化やリスクの高い金融取引を禁じることなどを定めた金融規制改革法で、オバマ政権が2010年に成立させた。

ところが、世界的金融危機から10年も経たないうちに、震源地となった米国が再び金融の規制緩和に舵を切った。トランプ大統領は就任早々、金融規制の緩和に関する大統領令に署名、ドッド・フランク法を抜本的に改正する方針を打ち出している。

米連邦準備制度理事会(FRB)は金融界を監督する立場にある。FRBのジャネット・イエレン議長はトランプが大統領に就任する前から、ドッド・フランク法は金融危機を防止するために重要であり、「時計の針を戻したくない」と議会で明言していた。8月下旬にワイオミング州ジャクソンホールで講演した際も、金融規制の見直しは「緩やかであるべき」とのべた。金融界への対応をめぐり、大統領とFRBの足並みは乱れている。

FRBは今月はじめ、イエレンを支えるスタンレー・フィッシャー副議長が10月に辞任すると突然発表した。副議長の任期は来年6月までなので任期途中での辞任だ。トランプ大統領には辞任の理由を「個人的な理由」と伝えたというが、フィッシャーもイエレンと同じく金融規制の緩和には批判的な立場である。

トランプ政権はフィッシャーの辞任表明前、もうひとりのFRB副議長に元財務次官のランダル・クオールズを指名していた。上院の承認を受ければ副議長となるが、金融規制緩和に積極的と見られている。一方、来年2月に任期を終えるイエレン議長の後任候補と目されていた、ゴールドマン・サックス前社長のゲーリー・コーン国家経済会議(NEC)委員長は人種差別問題でトランプ大統領を批判したため、FRB議長に指名されない公算が大きいと伝えられる。

フィッシャー副議長が辞任すると、7人の枠があるFRB理事(議長、副議長を含む)は4人が空席という異常事態となる。FRB幹部人事と連動する形で、金融規制の行方も先が見通せない状態だ。

トランプ政権らしい混乱ともいえるが、米国政府の金融界への対応は米国にとどまらない影響を及ぼす。ドッド・フランク法の改正は、その内容如何では、息の根を止められたはずの「市場原理主義」というイデオロギーを蘇生させる可能性もある。

(ささき みのる・ジャーナリスト。9月22日号)

緊急対談 衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは(山下芳生×中島岳志)

衆院選の投票日が刻々と迫る。「安倍vs.小池」の対決構図が作られる中で、従来の「保守vs.革新」という枠組みは崩壊した。リベラル陣営は「野党共闘」を進め、日本の政治の対決軸は新しい構図となったが、保守と共産党は主張を同じくできるのか。リベラル陣営の一翼を担う共産党に、保守思想に基づく本来の保守を唱える中島岳志『週刊金曜日』編集委員が、とことん意見を付き合わせた。

 

中島 岳志
なかじま たけし・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、『週刊金曜日』編集委員。1975年、大阪府生まれ。ヒンディー語専攻。インド政治や近代日本の思想史を研究。著書に『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(2005年、白水社)、『「リベラル保守」宣言』(13年、新潮社)、『アジア主義 その先の近代へ』(14年、潮出版社)、『親鸞と日本主義』(17年、新潮選書)など。

中島 私はこれまで、保守思想に基づいての思考や議論をしてきましたが、今の自民党をはじめ日本で「保守」を掲げる人たちには強い疑念を持っています。これは従来の「保守vs.革新」という枠組みが崩れているからで、衆院選を前に、その枠組みを見直す必要があると思っています。

保守の立場から自分自身の話をすると、私は今まで共産党に投票したことはありません。けれど、自民党を選択する可能性はどんどんなくなっていて、このところは民進党をさまざまな面からサポートしてきました。この中でここ数年間、面白い現象が起きています。新聞社などがやっている、自分の考えと各政党のマニフェストとの相性診断をしてみると、どれをやっても結果は共産党になるんです。保守の論理を追求すると、内政面では共産党の政策と近くなる。

山下 芳生
やました よしき・共産党副委員長。1960年、香川県生まれ。大学卒業後、大阪かわち市民生協に勤務。95年、参院大阪選挙区に35歳で初当選。2001年には「党リストラ反対・雇用を守る闘争本部事務局長」となり、全国の職場・地域を巡る。07年に6年ぶりに参院議員に再選し、13年に3選。14年党書記局長、16年副委員長に就任した。モットーは「あったかい人間の連帯を国の政治に」。

山下 今のお話で思い出したのは、2015年10月の宮城県議選で、“保守の地盤”といわれた大崎市選挙区において初めて共産党の県会議員が当選した時のことです。勝利できたのは、JA(農業協同組合)の県中央会の会長やその地域の元首長、議会の議長など保守の方々が本気で応援してくれたからです。

この年の9月に安倍政権は安保法案を強行採決し、さらにTPP(環太平洋連携協定)へとまっしぐらに向かおうとしていて、みなこれに怒っていた。中島さんが政党との相性診断で共産党に行きつくというのも特別なことではなく、安倍政権の暴走によって、保守を自任し、地域の絆を大切にしてきた方々がさまざまなところで立ち上がっている。

本来の保守から見ると安倍首相は「デタラメ」

中島 安保法制に対して本来の保守が最も怒っているのは、その決め方です。保守は、懐疑主義的な人間観を持っている。それは、理性は不完全で万能でないという考えからくるもので、「多くの庶民たちによって形成されてきた良識や経験値を大切にして、徐々に変えていこう」という考えが保守思想の王道だからです。

それゆえに保守の言う民主主義とは、単純な多数決ではない。少数者にも理があるので意見を汲み取りながら合意形成をして、前に進めていくというもので、大平正芳さん(注1)などの保守政治家が実践してきたことです。大平さんは共産党とも社会党ともさまざまな議論をしながら合意形成をしていた。それが政治における保守の人間の肌感覚、人間観なんです。

しかし、安倍晋三首相には決定的にそれが欠如している。国会というものを非常に軽視し、議論というよりは単に時間をクリアすれば安保法案は通るんだという姿勢を取り続けた。これに対して保守は、「あいつはデタラメだ」と感じているし、違和感を持っています。自民党の重鎮の方々にも、同じ感覚を持っている人が多くいると思います。

山下 私は大阪に住んでいますが、「日本維新の会」の法律顧問の橋下徹さんもその典型かもしれないですね。選挙で多数を得れば、後は何をやっても許されるんだという考えに立っていて、民主主義とは相対する。

選挙で決まった力関係で何をやってもいいというのであれば、議会はいらないわけです。安倍さんも、自分は選挙で選ばれ、国会で首相に指名されたんだから、文句言うなというやり方。7月の東京都議選の応援演説の時に市民に向かって「こんな人たち」という発言をしたことにも象徴されている。これは非常に危ないことです。

中島 それで現在の政治状況を把握するために、<図>を見て考えていきたいのですが、縦軸はお金、つまり再配分の問題です。税金を集めて、それをどこに使うかという非常に強い権限を政治は持つわけですが、下に行けば行くほど小さな政府になります。つまりリスクの個人化が図られ、自己責任にされてしまう社会。上に行けば行くほど、それを社会みんなで支え合うというセーフティーネット強化型の大きな政府になる。

 横軸はリベラルとパターナルという価値観の問題です。リベラルは、基本的に個人の内的な価値の問題について権力は土足で踏み込まないという原則を持つ。これは寛容ということです。その反対語は、保守ではなくてパターナルで、価値を押しつける権威主義や父権制といった観念のこと。これは夫婦別姓、LGBT(性的少数者)の権利、歴史認識の問題などに現れやすい。

明らかに今の自民党は〈ローマ数字4〉の一番下のラインに位置すると思います。日本は、租税負担率や全GDP(国内総生産)に占める国家歳出の割合、公務員数などあらゆる指標がOECD(経済協力開発機構)諸国最低レベルとなっていて、もはや自己責任がいきすぎている社会です。

小池百合子さんも〈ローマ数字4〉に属します。彼女はかつて夫婦別姓に大反対しており(編集部注・「希望の党」は「寛容な保守」をアピールするために選択的夫婦別姓の導入に取り組んでいくとしている)、完全に思想的にはパターナル。極右的で歴史認識もひどい有様です。

山下 永住外国人の地方参政権反対を希望の党の公認候補になるための踏み絵にもしていましたよね。

中島 そうなんです。小池さんはリスクの個人化や規制緩和を促進してきた。生活保護の受給に厳しい発言を行ない、自助を強調してきた。それなので、現在「安倍vs.小池」と言われていますが、これは〈ローマ数字4〉という狭いコップの中の争いでしかありません。パターナルかつリスクの個人化が極まった〈ローマ数字4〉の一番下のラインに位置する日本を〈ローマ数字2〉の方向に向かわせるためには、〈ローマ数字2〉の軸をしっかり作ること、つまり野党共闘ということになる。

ただ、〈ローマ数字2〉は部分的には〈ローマ数字1〉や〈ローマ数字3〉と連携ができるかもしれないけれども、(ローマ数字4)と組むことだけは絶対にしてはいけない。しかし民進党は小池都知事を代表とする希望の党と組んでしまったので、わけがわからないことになっています。民進党の前原誠司さんがやったことは政治の問題以前の話で、保守って最後はシンプルに「仲間を裏切ってはならない」という常識を重視しますが、それすらも守れていない。

自民党もかつては、田中角栄さんなど旧経世会(注2)が〈ローマ数字1〉で、大平さんなど宏池会(注1参照)が〈ローマ数字2〉でした。このバランスでやってきたはずでしたが、1990年代後半から一気に下のラインにきている。ここを取り戻したい。公明党は本来〈ローマ数字2〉ですが、政権にすり寄ることで生き残りをかけようと、〈ローマ数字4〉であることに甘んじています。

「暴走政治」をリセットできない希望の党

山下 BSフジの討論番組で先日、希望の党の若狭勝さんと同席したんですよ。若狭さんは民進党から希望の党に移籍する人の選別係で、その基準は安保法制を容認すること、9条を含む憲法改定に反対しないことだと説明していました。小池さんはしきりに「リセット」と言うけれども、選別基準は安倍政権による暴走の最たるものです。それをリセットしないのなら、自民党の補完勢力でしかないじゃないかと指摘すると、若狭さんは「自民党の補完勢力を作るために希望の党を立ち上げたんじゃありません」と色をなして反論していましたが、説得力を感じられなかった。安倍自民党と小池希望の党の間には対立軸がない。

今年1月に共産党が党大会で打ち出した、日本の政治の新しい対決の軸である「自公とその補完勢力」対「野党と市民の共闘」の構図は、現在も同じだと思います。こうした構図に至る背景には、2015年に起きた安保法案廃案を求める市民運動が、野党間にあった壁を壊してくれたことがあります。野党は、初めは「充実した審議」で一致し、次は「(安保法案)成立阻止」で一致し、最後には「内閣不信任案を共同提出」というところまで向かっていった。強行採決された後も、安保法制廃止のうねりが起き、翌16年の参院選での野党共闘につながりました。

今回、その一翼を担っていた民進党が希望の党に吸収され、非常に混乱もしましたが、再び市民のみなさんが声を上げてくれる中で立憲民主党ができた。安保法制廃止と安倍9条改憲反対、立憲主義回復を貫く流れの中から新しい党が生まれ、復元力が発揮されたのは、この2年間の野党と市民の共闘の積み重ねがあったからこそだと思います。

中島 重要なのは、立憲主義を回復するという共通意識です。立憲主義は、「人間は不完全なので、権力も暴走する。だから、それに対して国民の側から縛りをかけないといけない」というもの。同時に、保守の立憲主義は、英国的な立憲主義の考え方と同じなのですが、基本的に国民が権力を縛っていて、この国民の中には死者が含まれていると考える。つまり、過去の多くの蓄積の中でさまざまな経験を積み重ねてきた人たちの思いというのが、現在の政府までを縛っていると。

この死者たちの積み重ねてきた歴史の上に現在の自分というものを捉えているので、英国人は今の人間が特権的に何かを明文化するということに対して慎重ですし、明文化できないと判断してきた。そのため、英国には単一の憲法典として成文化されたものはありません。その都度、マグナ=カルタ(注3)や権利の章典(注4)、慣習法や判例の積み重ねによって判断されてきた。

山下 日本の憲法にも、アジア・太平洋戦争で犠牲となった310万人の日本人と2000万人とも言われるアジアの人々の“死者の叫び”が込められていると思います。

雑誌「暮しの手帖」編集部が約50年前に読者から寄せられた投書を編纂した『戦争中の暮しの記録』という本があると知り、復刻版を取り寄せて読んでみました。そこには突然の召集で一家の大黒柱だった夫を戦地にとられ、幼子とともに残された妻の、「この苦しみを二度とくりかえされないようお願いしたいものです」と結ばれた手記や、焼夷弾の猛火の中を幼い弟と逃げるも、ついに両親には会えなかった姉の、「いつかは両親が訪ねてきてくれると信じていたかった」と記された手記など、人々の日常の暮らしが戦争によってどのように変えられてしまったかが、250頁にわたって記録されていた。

創刊者であり編集長だった花森安治さんは後書きに、「どの文章も、これを書きのこしておきたい、という切な気持ちから出ている。書かずにはいられない、そういう切っぱつまったものが、ほとんどの文章の裏に脈うっている」と書いています。

日本国憲法は、多くの日本人が持っていた「切な気持ち」の中から生まれ、歓迎され、定着し、そして今も力を発揮し続けている。

中島 若狭さんは希望の党設立前、新党の一番のテーゼは一院制にすることだと言っていました。ですが、国家意思を決めるのに時間がかかる二院制を取っているのは、死者からの私たちに対する歯止めなんです。これを簡単に崩壊させることはあってはならないし、安倍さんが議会内の慣習などを平気で破り、閣議決定によって憲法の解釈を変えていくやり方も見すごせない。この姿勢は、死者の経験値をないがしろにすることで、死者に対する冒涜です。

大切なものを“守る”ための改革が必要

中島 そこで<図>の〈ローマ数字2〉の軸、野党共闘について考えてみると、保守である私の考えと共産党の挙げる政策には一致点が非常に多い。最近、面白い論考が『中央公論』10月号に出ていて、世論調査をしたところ、共産党を保守の側だと位置づける若者が多いというんです。これは、国民の生活を守る、地方における零細企業の雇用を守る、グローバル資本主義経済の餌食にならないよう農家の所得を守るなど、共産党が「生活の地盤を守る」ということを非常に強く言っているからだと思います。それが若者にとっては大変保守的なものだとうつる。

私はこの若者の感覚はするどいと思っていて、私自身もここ5年ほど、保守を考えれば考えるほど共産党の主張と近くなっていくという現象を体験しています。「大切なものを守るためには変わらないといけない」というのが基本的に今の共産党の政策だとするならば、保守の哲学者エドマンド・バークが言ってきた「保守するための改革」ということとまったく同じなんです。

共産党はTPP反対であり、日豪EPA(経済連携協定)や日米FTA(自由貿易協定)についても非常に厳しい立場ですので、グローバル資本主義や新自由主義の暴走への対峙というその姿勢も私と一致します。さらに、大企業に課税し、引き下げられすぎた所得税の最高税率を元に戻すべきだとする共産党の姿勢も当然の話で、安倍さんの言う消費税増税より先に手をつけないといけない。内部留保を社会に還元して、最低賃金を上げるという共産党の政策もその通りだとしか言いようがなく、保守的な政策に見える。

山下 アベノミクスは開始から5年弱経つのに、恩恵の実感を持つ人が非常に限られている。これは失敗であったと位置づけられるべきものなのに、自民党は今回の選挙公約にアベノミクスの「加速」を挙げています。グローバル資本主義や新自由主義のもとで、安倍さんのやっている政治は、ごく一握りの富裕層と大企業の利益をさらに増やしているだけにすぎません。「大企業が豊かになれば、やがて富が国民全体にしたたり落ち(=トリクルダウン)、経済が成長する」という説明でしたが、大企業の利益は史上最高を更新し続けているのに、労働者の実質賃金はずっと減り続けている。中間層がやせ細り、貧困層が増大しています。

その最大の原因は、1990年代の雇用破壊だと思います。1999年の労働者派遣法改訂により雇用の規制が緩和され、派遣労働が基本的に自由化されました。2004年には製造業への派遣も解禁された。こうして、どんなに企業が利益をあげても、それが労働者にトリクルダウンしない仕組みが作られ、企業の内部留保が膨らみ続けている。

日本経済全体が健全に成長発展するには、労働者派遣法を抜本改正して規制を元に戻す、中小企業の支援とセットで最低賃金を引き上げるなど、内部留保を社会全体に還元する政策を進める必要があります。破壊された雇用のルールを再構築しなくてはいけない。

中島 その通りだと思います。私は保守の立場から派遣労働に反対してきました。福田恆存という戦後保守を支えてきた文芸批評家の著書『人間・この劇的なるもの』(56年、新潮社)が私の座右の書なのですが、ここでは人間は演劇的な動物であると述べられている。社会の中で人間は役割というものを演じ、その役割を味わいながら生きていると。自分がその場で必要とされ、役割が与えられているということが人間にとっては重要だと彼は言っている。

これはきわめて保守的な人間観だと思います。しかし、派遣労働あるいは非正規労働は、ここを破壊する。とくに派遣労働者は、現場で「派遣さん」と呼ばれ、代替可能性というものを常に突きつけられている。

アベノミクスには“未来”がない

中島 アベノミクスも保守としてどうおかしいのか考えると、企業の内部留保の問題に行きつきます。アベノミクスは一時的な現象であって、未来は不安定だと考えているから、企業は内部留保を貯める。数十年先の安定的なビジョンと政策があってこそ、思い切った投資や企業の活性化というものができるわけで、それがない以上、みんな内向きに縮小していく。中小の零細企業まで政治が支えていくという体制がなければ、経済の循環は生まれません。

アベノミクスは年金をさまざまなマーケットにつぎ込み、結果、そのお金はグローバル企業に流れていっており、これが日本の土台をどんどん潰していっています。こんなことをしている人間に保守を名乗ってほしくない。

山下 派遣労働者は90年には全国で50万人でした。しかし、2008年のリーマンショックの直前には400万人にまで増えていた。「若者が正社員になれないのは、働く意欲と能力が足らないからだ」という自己責任論も盛んに振りまかれましたが、個々の若者の「意欲と能力」の問題にしたのでは、派遣労働のこれほどの急増は説明がつきません。雇用のルールを変えた政治の責任なのは明らかです。

リーマンショック後、派遣切りの嵐が吹き荒れ、08年末から09年初めにかけて派遣切りされた人たちに食事や居場所を提供するために東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が開設されました。非正規雇用というのは、単に不安定で低賃金な雇用というだけではなく、いざという時には使い捨てられ、住むところまでなくなるんだということが可視化された。

リーマンショック後、首都のど真ん中に派遣村が出現したのは、日本くらいじゃないでしょうか。それほど雇用と社会保障のセーフティーネットがない。全国各地で派遣切りされた労働者への支援、労働組合を結成するなど闘いに立ち上がった労働者への連帯が広がり、共産党は、「だれもが人間らしく働けるルールある経済社会」をキャッチフレーズに、国会論戦と政策活動に取り組みました。

中島 私は自民党ではなく共産党のほうが、正しい意味での「愛国者」だと思っているんですよね。愛国というものはもともと「民主」という概念とともに生まれてきたものなんですが、少なくとも困っている国民がいたら、ちゃんと助けましょうという連帯意識が含まれている。もちろん排外主義にならないようにリベラルな規制がなければいけないんですが、それがまっとうな愛国。日本共産党という名前の意味は、多分そこにあるんですよね。

山下 はい、「国民の苦難軽減」が立党の精神です。

中島 自己責任という観念についても、ちゃんと乗り越えていかなければいけない。社会的な弱者として位置づけられる人たちが自己責任論に魅了されてしまうケースもあります。維新の橋下さんが典型で、「自分はこんなに頑張って這い上がってきたんだから、この人生を認めてほしい」という承認欲求や実存的アピールが自己責任論になっている。この構造をうまくほぐさないといけない。

批評家の小林秀雄が面白いことを言っていて、伝統がどういう時に現れるかというと、大きな破壊の嵐に見舞われた時だというんです。これを現在に当てはめて考えると、自民党や維新、希望の党の人たちが破壊者であり、それに対して伝統を大切にせよと言うのが共産党と本来の保守ということになる。

山下 競争と分断を特徴とする新自由主義の政治の暴走に抗う中で、私たちと保守の方々との接点が広がり、地域での連帯がむしろ再生されてきたと感じます。

中島 おっしゃる通り、破壊者が出てきた時にようやく、共産党と保守の溝が埋まった。なんだ、同じこと考えていたんじゃないかって(笑)。

脱原発、対米従属からの脱却、安倍9条改悪反対というリアリズム

中島 原発についても同じで、保守の人間は原発なんてそう簡単に推進できない。少なくとも福島における伝統、慣習っていうものの総合体を失っているわけですよね。大量破壊兵器や原発は慎重に避けるべきであるというのが保守の叡智であると思うんです。つまり原発は廃止したほうがいいということになる。ここの考えも現在の共産党と一致していると思いますが、それは、ある種の科学万能主義っていうところから、共産党も変わってきているからだと思います。

山下 原発の焦点は今、再稼働の問題です。希望の党の小池さんは「原発ゼロ」を目指すと言う反面、原子力規制委員会が認めた原発は再稼働させるとも言っている。しかし、規制委員会の規制基準というものが、いかにいい加減なものか。そもそも福島第一原発事故の原因さえ究明されていないんですから。

共産党は、ただちに「原発ゼロ」の政治決断を行ない、再稼働させずに、すべての原発を廃炉のプロセスにのせるべきだと考えています。3・11をきっかけにして2013年から約2年間、国内の原発が一基も動かなくても電力は足りていたわけですから。原発なしでも日本社会はやっていける。本当に「原発ゼロ」を目指すなら、再稼働は必要ありません。

私は希望の党の「排除の論理」も気になっています。先ほど話した若狭さんと同席した討論番組の中で、彼は選別基準を二つ示した後に、「私は検察官出身。嘘を見抜くプロだ」とニタニタしながら言ったんです。ゾッとしました。かりにもこれから同じ党の同志になろうという人に対して発する言葉なのかと。一人ひとりを大事にして、包摂していく政治や社会を作ることができるとは思えません。

これが永住外国人の地方参政権反対という主張にもつながっている。永住外国人は納税もしているわけですから、地方参政権を付与されるのは住民自治の見地からも当たり前です。これに反対する小池さんが、東京オリンピック・パラリンピックを主催することの矛盾も感じます。

中島 そういった主張を聞いていると、どこが「寛容な保守」なのかと思いますよね。

山下 もうすでに「寛容」でないことは見透かされつつありますが。

中島 日米関係については、本来の保守は基本的に、米国の従属に対して主権を取り戻せという立場です。日本の国土の中に実質的な治外法権の場所があるというのは、半独立国であるということ。さらに現状のまま集団的自衛権を認めるとなると、日米安保は完全な不平等条約になります。日本は米国を守らなくていい代わりに、基地を提供し、思いやり予算を提供してきた。

しかし、集団的自衛権が双方向的なものであるということになると、バーターが成り立たなくなる。日本に米国の軍事基地が残るという不平等性が顕在化する。なんで保守派を称する人たちが、喜んで不平等条約を抱きしめているのか。

山下 対米従属の問題を考える時、その「米」の世界戦略が今どのような状況に陥っているのか、検証する必要があると思います。01年のイラク戦争、03年のアフガン戦争は、数十万人の市民の命を奪い、泥沼の内戦を作り出し、「テロ」を世界中に拡散させて、IS(「イスラム国」)のような過激な武装組織が出現する要因となった。世界にこうした状況をもたらした米国の軍事的覇権主義は大破綻しています。その破綻した米国のやり方に追随していくのが安保法制です。そこに未来はあるのでしょうか。

非現実的な自民、希望、維新の主張

中島 自民党や希望の党の人たちは、リアリズムというものが日米安保にあると言うんですけども、これはまったくリアリズムを欠いている。冷静にリアリズムという観点に立つのであれば、これから10年、20年のスパンで考えるべきで、そこを見据えると、日米安保こそヤバい。米国のトランプさんが大統領選の時に、「在日米軍の経済的負担を日本が担わなければ、米軍を撤退させる」と言っていたのは米国人の本音で、さらに今は米国で日本は核武装すべきだという議論やデカップリング論(引き離し論)が非常に強い形で出てきている。

これはなぜかというと、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が大陸間弾道ミサイル(ICBM)を完成させると、防衛構想がかなり変わるからです。ICBMが飛んでくるとなると、米国も大きな被害を受けるので、北朝鮮の日本への攻撃に対する報復に慎重になる。集団的自衛権は割に合わなくなる。日本をサポートすることによって、ワシントンやニューヨークが核攻撃の対象となり、火の海になるかもしれない。

米国ではどんどん日米の切り離し論が現実味を帯びているんです。そうした時に、日本の安全保障はどうするのかというと、アジア諸国のアライアンス(連携)を強化しながら、アジアの国々となんとか緊張緩和を図っていくいくしかない。これがリアリズムだと思うんです。

山下 北朝鮮の核ミサイル問題をリアリズムで見ると、米朝間で軍事的緊張がエスカレートする中、最も懸念されるのは、当事者たちの意図にも反して偶発的な事態や計算違いによって軍事衝突が起こることです。このことはペリー元米国防長官も、ジェフリー・フェルトマン国連事務次長も指摘しています。これを避けるには米朝が直接対話をするしかない。もし戦争が起こればその時は核戦争ですから。そうなれば、安倍さんが言っている「国民の命と安全を守る」なんてことはできるはずがない。本当に「守る」ということに責任を持つのだったら、米朝の軍事衝突の危険をなくすことです。それには対話しかないんです。

同時に、米国も核保有国なので、北朝鮮に核放棄を説得しようがありません。やはり北朝鮮の問題を根本的に解決しようと思ったら、7月7日に採択された核兵器禁止条約を米国や日本が率先して批准すべきです。

中島 完全に同意します。さらに北朝鮮問題を考える上でも、原発は廃炉に決まっていると思います。ミサイルを撃ち込まれたら終わりですから。なぜそのリアリズムを軽視するのか。「保守」を掲げる人たちは、共産党が最終的には自衛隊廃止と言っているので国防問題について無責任だと言いますが、私はこの議論は違うと思います。共産党は即時の自衛隊廃止は謳っておらず、当面自衛隊というものは必要であるとしている。しかし長期的な理想的ビジョンとしては、それを縮小しながら廃止に持っていくんだと。そういう二段構えなわけです。

これは基本的に保守と同じ発想です。福田恆存さんは、現実的な防衛論を説く自分の超越的な観念には、絶対平和という観念があると言っている。哲学者カントの言う統整的理念と構成的理念で考えるとわかりやすいのですが、前者は、絶対平和、まったく武器のない世界など、おそらく人間が不完全である以上そう簡単には実現しないような理念で、後者は、現実的な政治の場面におけるマニュフェストのような一個一個の理念です。理念というものは二重の存在でなければ成立しない。共産党の理念はこの構造になっている。

山下 安倍さんが変えたがっている憲法9条も、悲惨な戦争への反省から生まれてきた人類社会が進むべき理想ですから、統整的理念ですよね。

中島 9条には、自衛隊の縛りをどう考えるのかという構成的理念も含まれるべきだと私は考えていますが、これを具体化するのは安倍さんのもとでではない。

山下 「安倍政権のもとでの憲法9条改悪に反対する」というのが、野党の党首合意で、市民連合ともそういう一点で野党共闘が再生されているわけです。今は一致する点を大事にし、相手のことをよく知り、相手の立場に立って考える、これが共闘だと思っています。

中島 その姿勢が基本的な民主主義であり保守的態度だと思います。日本が〈ローマ数字2〉の方向に向かってほしいです。

10月6日、東京都・共産党本部にて
写真・まとめ/渡部睦美(編集部)
※『週刊金曜日』10月13日号に加筆修正しました。

(注1)「保守本流」の政治家。吉田茂氏以来の旧自由党の流れを継ぐ自民党派閥の原点・宏池会の会長に1971年に就任。72年に田中角栄首相の外相として日中国交正常化を実現させた。
(注2)現在の平成研究会。田中(角栄)派である竹下登元首相や金丸信元自民党副総裁らが旗揚げした自民党内の派閥。
(注3)国王の権限を制限する内容などが盛り込まれた、立憲主義の出発点となる憲章。1215年制定。
(注4)1689年、名誉革命直後に制定された、王権の制限、議会の権限などを定めた文書。

米ロにはねつけられた安倍首相の対北外交(佐藤甲一)

2月、トランプ米大統領との首脳会談を終え帰国した安倍晋三首相は首相公邸に親しい記者を集め、祝宴を開いた。大統領との親密な関係が構築できたことを誇示する首相に対し、記者たちからはプーチン露大統領との度重なる首脳会談も念頭に、今や「世界のアベ」と呼ぶに相応しいという「お追従」の声も上がったという。

だが、その「世界のアベ」も今や見る影もない。そこにあるのは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の相次ぐミサイル発射や核実験に翻弄され、その場しのぎの外交に終始する滑稽な姿である。

北朝鮮の核・ミサイル開発に対する安倍政権の姿勢は「対話のための対話はしない」という「圧力外交」であった。とはいえ、日本が北朝鮮に対して独自かつ有効な「圧力」を加える手段があるわけではない。あるのは米国の対北朝鮮政策に沿って、それを忠実にサポートすることだけだ。その方針に変化があったのは、前回8月25日号本欄で明らかにした田原総一朗氏からの「冒険」の誘いであり、北朝鮮への安倍首相の訪問も含めた「直接外交」だった。その結果はどうだったのか。

8月29日、日本上空を飛び越えて太平洋に落下した北朝鮮のミサイル発射を受け安倍首相はトランプ大統領と電話会談を行なった。この中で安倍首相は「北朝鮮に対話の用意がないことは明らかであり、今は圧力をさらに高めるとき」との認識を伝えた、と外務省の公式発表ではされている。「実はその言葉が、アメリカに言われたことそのものだ」と政府関係者は明かす。

8月15日のトランプ大統領との電話首脳会談、その後の日米安全保障協議委員会(通称・2プラス2)などを通じ、北朝鮮との対話の試みを提案する日本側を、米国側ははねつけたというわけだ。8月末の北朝鮮のミサイル発射、それに続く6回目の核実験という北朝鮮の行動を見れば、「安倍訪朝」の試みなど、緊迫が続く国際外交の流れからすればまったくの的外れな提案だったのだ。

なぜこのような“失態”となったのか。身内びいきに過ぎることが指摘されてきた安倍首相特有の「人間関係観」にあるのではないか。大統領選挙当選後から続くトランプ大統領の厚遇に、国益を背負って相対する北朝鮮をめぐる外交の厳しさを見落とした。「親しい関係」レベルの発想に基づいた提案や交渉では、緊迫する外交には立ちゆかないのである。

思えば、度重なる失言にもかかわらず稲田朋美元防衛大臣をかばい、結局稲田氏が南スーダンPKOの日報隠蔽問題で引責辞任に追い込まれたことを思い出す。とどのつまりは同じ類いの政治的失態である。

安倍首相は9月7日、ウラジオストクでプーチン露大統領と19回目の首脳会談に臨んだ。過去18回にも上る首脳会談で築いた信頼関係を基に、プーチン大統領に北朝鮮への「最大限の圧力をかけることが重要だ」と働きかけ、国連の制裁決議に懐疑的な同大統領を説得することを試みた。

だが結果は「核問題の解決は政治・外交的手段によってのみ可能だ」という真逆な言葉を引き出してしまった。個人的な信頼関係など、こと首脳会談においてはまったく意味をなさないことをここでも突きつけられた。安倍首相の安直な首脳外交によって、日本は米ロ両国からの嘲笑を買ったのではあるまいか。

(さとう こういち・ジャーナリスト。9月22日号)

厚生年金は抜本的な検討が必要(鷲尾香一)

10月から会社員の給与が下がるのをご存知だろうか。9月から厚生年金の保険料率が18.3%に引き上げられたため。支払いは労使の折半のためだ。そして、保険料率は18.3%を最後に今後、引き上げは行なわないことになっている。

実は、厚生年金の財源(残高)は近年、順調に増加している。それは、二つの理由による。

第一は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が2014年10月に株式の運用比率を高めるなどの運用改革以降、運用が順調なこと。

それよりも大きな要因は、保険料収入が増加していることにある。保険料収入の伸び率は、12年度2.9%、13年度3.7%、14年度5.1%、15年度5.8%と増加傾向を辿っている。

毎年、保険料率が引き上げられてきたのだから、保険料収入が増加しているのは当たり前のように思えるが、実は賃金の上昇と雇用の増加によるところが大きい。その点では、アベノミクスの効果と評価することもできよう。

毎月勤労統計の1人当たりの現金給与総額は、12年は前年比0.9%減、13年同0.4%減だったが、14年には同0.4%増、15年同0.1%増、16年同0.5%増と給与が増加した。

さらに、人手不足が追い風となって、正規雇用が増加し、厚生年金加入者が増加してきたこと、16年10月から実施された厚生年金の適用拡大に伴い、加入者数が増加したことが大きい。

好調に見える厚生年金の運用だが、将来に対する懸念は大きい。保険料率を18.3%以上に引き上げないというのは、04年の年金改革によって決定している。

厚生年金の保険料率は、5年に一度行なわれる財政検証を経て、決定されるのだが、04年時点で現在のように、運用が順調で、賃金が上昇し、加入者の増加による保険料収入が増加するなどということが見通せていたわけではない。つまり、現状は“出来過ぎ”なのだ。

04年当時は、こうした好環境となっていなかった場合でも、18.3%まで保険料率を引き上げれば、以降、料率を引き上げなくとも大丈夫だと予測したわけだ。

だが、運用は“水物”だ。常に、運用成績が好調ということはあり得ない。事実、運用改革を行なう前のGPIFでは、08?11年度は赤字幅が10?20%を続けていた。

さらに、いつまでも保険料収入が増加するかは疑問だ。少子高齢化により、すでに労働力人口は減少段階に入っている。労働者そのものが減少しているのだから、将来の厚生年金加入者増は見込めない。むしろ、受給者が年々増加していくのだから、厚生年金の収支は徐々に苦しくなっていく。

そして、再び不況が来れば、賃金の上昇は止まる。むしろ、賃金が低下する可能性こそある。

こうした点を考えれば、保険料率が18.3%で打ち止めにできるというのは、甚だ疑問だ。

7月末、19年に公表予定の新しい公的年金財政の見通し(財政検証)に向けた作業が始まった。厚生年金財源に余裕のある今こそ、将来に向けた抜本的な検討が必要だろう。

(わしお こういち・経済ジャーナリスト。9月15日号)