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釜山総領事の更迭にみる「共謀罪」の片鱗(西谷玲)

国会は6月18日の会期末を控えて、最終盤に入った。加計学園の獣医学部新設問題など解明すべきことはたくさんあるが、7月2日に東京都議選があることに加え、そして政府は種々の問題を解明したくないのであろうから、大幅延長は望むべくもない。

その限られた会期末までの期間の中で、政府が何としても成立させようとしているのが「共謀罪」法案である。政府の答弁は安定せず、大臣と官僚の言うことが違い、いったいこの法案が通ったら、どうなるのかよくわからない。捜査権が乱用され、監視社会を招く懸念は一向にぬぐえない。

「安倍政権むかつく。秘密結社つくって革命だ」。筆者が実際に最近送ったメールの一節である。こんなメールだって、問題にされかねないのである。

安倍晋三首相に近いある幹部級の官僚にそう言ったところ、「運用次第ですよね」とこともなげに答えた。ほら、やはりそうなるじゃないですか、と言うと、「すべての法律はそういうものだから」。なるほど、そういうものだろう。だから、人権ができるだけ侵害されないように配慮することが重要なのだ。今の法案審議の中では、政府からその姿勢は見られない。

そんな中、ある人事のニュースが流れた。新聞もテレビもごく小さい扱いだった。何かと言うと、韓国・釜山の総領事が6月1日付で交代するというのである。昨年6月に着任したばかりであって、通常、外交官や官僚の人事というのは2年が一つの単位だから、1年で交代というのは異例である。

新聞によっては理由を報じていないところもあったが、数紙には書いてあった。それによると、前総領事は、昨年12月に釜山の日本総領事館の前に少女像が設置された後、一時帰国した。この間、知人との私的な会食で政府の対応を批判したことを首相官邸サイドが問題にしたというのである。

記事にはさらっと書いてあったが(書いてあるだけましだが)、これ、よく考えてみると恐ろしい事態である、私的な会合での会話が問題にされての更迭である。

つまり、その場にいた誰かが、「あいつがこんなことを言っていた」と流し、政府がそれをキャッチしたわけである。共謀罪が通ったら、この種のことが多くなる、というか、国家権力の元で行なわれないとも限らない。おちおち国家の悪口を言えない。すでにその萌芽は見られるのだ。

また、最近の別の記事。2013年、特定秘密保護法が通った。その後、同法の運用をチェックする独立公文書管理監が、防衛省や経済産業省の特定秘密を含む文書の廃棄を「妥当」と判断したそうである。今年5月の管理監の報告書で明らかになった。

このまま文書が廃棄されると、何が特定秘密なのかわからないままである。一体どういう政策がどのように政府内で検討されて意思決定されていったのか検証できず、闇の中に消えていってしまうかもしれないのである。これは、法案の審議段階から指摘されていた。いざ法律が施行されて、本当にその通りになっているのである。

共謀罪だって、だから「ほらやはりあの時言った通り、心配した通りになったじゃないか」となりかねないのである。その時に後悔したとしても、あまりに代償は大きい。すでにその片鱗はあるのだ。

(にしたに れい・ジャーナリスト、6月9日号)

牛久入管が「痛い」と泣き叫ぶベトナム人を“見殺し”
(『週刊金曜日』取材班)

グエンさんが収容されていた牛久入管。(撮影/『週刊金曜日』取材班)

「痛い痛いと泣き叫ぶ彼を入管は見殺しにしました」――。茨城県牛久市にある法務省入国管理局の東日本入国管理センター(通称・牛久入管収容所)の被収容者は、こう訴えたという。3月末、40代のベトナム人男性が牛久入管収容所の独房で死亡した。男性は死後も放置された可能性が高い。関係者の話を総合すると、入管の対応はあまりに非人道的だ。6月20日の「世界難民の日」に合わせて記事を配信する。

泡を吹いて医務室へ

牛久駅からバスで約30分、林の中の道を進んだ先に牛久入管収容所はひっそりとたたずんでいる。この収容所の独房で、ベトナム人男性Nguyen The Huan(グエン・ザ・フン)さんは死亡した。被収容者や支援団体関係者によると、グエンさんはインドシナ難民として28年前に来日。昨年11月に名古屋入管(愛知)に収容された後、品川入管(東京)を経て、3月15日に牛久収容所に移された。

グエンさんと同室(4人部屋)だった男性によると、「15日にきたときは元気だった。普通にごはんを食べて、タバコを吸っていた」という。しかし17日20時ごろ、様子は一変。「グエンさんは2段ベッドの上で横になっていましたが、急にガガガガと口から変な音が出てきたんです。寝て夢を見ているんだと思い、『起きて、起きて』と言いました。でも起きなくて、見ると口から泡を吹いていた。変な音は泡を吹く音だったんです。起こそうとしましたが、目は開かない。おしっこも漏らしていました」

同室だった男性は急いで担当職員を呼び、職員4人と同室の被収容者3人でグエンさんをシーツごと下ろした。グエンさんは収容所内の医務室に運ばれたが、そこから外部病院には運ばれず、翌18日夕方に独房ブロックの一室に移された。

グエンさんと同じインドシナ難民で、同じブロックの三つ隣の独房だった男性は、「18日にきてからグエンさんはずっと寝込んでいて、ごはんも食べていなかった」と話す。収容所は毎日9時半から11時半、13時から16時半まで部屋のドアが開放され、被収容者は共有フロアに出てシャワーや洗濯をしたり、電話をしたり、同じブロックの他の被収容者と交流したりするなどできる。

男性は19日に様子を見に行ったが、グエンさんは「頭と首と胸が痛い」と言い寝ていた。額を触ると高熱があった。職員を呼んだが、職員は氷枕を持ってくるだけの対応だったという。

21日昼、グエンさんはフロアに出てきたが、「痛い」「我慢できない」と、頭、首、胸の激しい痛みを訴えた。そのうち動けなくなり、フロアの卓球台に横になった。だが職員は誰も来なかったので、みなで「医者に見せてほしい」と監視カメラに向かい頼んだ。

その後、グエンさんは収容所内の医務室に連れて行ってもらえたが、レントゲン撮影をし、痛み止めや湿布を渡されただけだったという。

22日夜には、グエンさんは「痛い、痛い」と叫び声をあげて痛みを訴えた。男性は職員を呼んだが、職員は「静かにしろ」「うるさい」などと言い放ったという。グエンさんはその後、休養室に移されたが、やはり外部病院には運ばれず、翌23日朝に独房に再び戻された。

同日も、グエンさんは寝込んでいた。24日朝10時半ごろ、男性の部屋にグエンさんがきて少し会話をしたが、グエンさんはすぐ部屋に戻った。その後の11時から20時ごろまでの長時間にわたり、グエンさんは継続的に「痛い、痛い」と泣き叫ぶほどの苦しみを見せた。しかし、その間、職員は一人もこなかったという。

遺体に心臓マッサージか

20時ごろ、急にグエンさんの叫び声などがなくなった。収容所では毎日22時ごろに職員が灰皿のゴミを回収にくる。この日も職員が「灰皿ちょうだい」とグエンさんの独房にやってきた。通常、被収容者が食器口から灰皿を渡すが、グエンさんは何の反応もしていないようだった。

15分後、職員が他の職員数人とグエンさんの独房に再びやってきて、ドアを開け部屋の中に入った。だがその次の瞬間、職員らは慌ただしく部屋から出てきてドアを閉め、その場を去っていった。

日付が変わった25日1時ごろ、数人の職員がグエンさんの部屋に再び入っていった。部屋からはAED(自動体外式除細動器)の機械の音が漏れ聞こえてきた。しかし、職員がグエンさんに声掛けしている様子はなかったという。そのうち救急隊員もきて、グエンさんはストレッチャーでフロアに出された。

男性が食器口からのぞくと、グエンさんは、両腕を胸のあたりで曲げ、片足が斜め上に上がった状態で固まっていた。救急隊員が腕を引っ張って伸ばそうとしたが、硬直していてピクリとも動かなかった。男性は「死後硬直している」と思った。それでも救急隊員はグエンさんの胸に注射をし、心臓マッサージをほどこした。そして目の反応を確認し、死亡の診断がされたという。

男性はこう話す。「ずっと痛いと訴えていたのに、外の病院に連れて行ってもらえず、グエンさんは死んでしまった。本当にかわいそう。担当職員は私たちの言うことを『嘘の病気』と思うみたいです。グエンさんは、叫び声が聞こえなくなった24日20時ごろに死んだと思います。22時ごろに職員がグエンさんの部屋に入ってすぐ出たのは、グエンさんが死んでいたから逃げたんじゃないでしょうか」

男性はC型肝炎と肝硬変を患っているが、収容所の医師からは「ここに治る薬はない。外に出てから治しなさい」と言われたという。「この中にいる限り、人間の扱いは受けられない。こんなところで死にたくない」(同男性)

「詐病が多い」との偏見

入管側は、グエンさんの死因はくも膜下出血で、死亡時刻は25日2時20分ごろ、死亡の確認場所は病院だとしている。北村晃彦所長(4月より清水洋樹氏が新所長に)は発表時、「現時点で処遇に問題はなかった」とコメントした。

これに対して港町診療所(横浜市)の山村淳平医師は、「グエンさんが24日にこれまでにない強い痛みを訴えていたようなので、このとき、くも膜下出血の診断と緊急手術がなされれば助かった可能性はある」との見解だ。24日22時ごろにグエンさんの死亡を職員が発見していたとすると、その時点で救急車を呼んでいないことにも大きな問題があるとした。グエンさんが医務室に行ったときのことについては、「胸のレントゲン写真と心電図検査、血圧測定、胸の聴診、身体の触診をする必要があったと考えられる」と指摘した。

牛久入管に確認すると、3月末に法務省に検証チームが設けられて現在調査中のため、詳細は答えられないとした。調査チームについて、「死亡事案だから、一応、すべて調べる必要があるじゃないですか」という言いぶりで説明した。

しかし支援者によると、現在までのところ、被収容者への聞き取りがなされた様子はないという。牛久入管はまた、24日22時ごろに職員がグエンさんの死亡を確認していたのではないかとの質問には、「そうした事実は把握していない」と答えた。

入管収容所の医療については以前から多くの問題が指摘されている。「牛久入管収容所問題を考える会」の田中喜美子代表は、「収容所生活のストレスで、病気が悪化したり、薬が効かなくなったりする人をたくさん見てきた」と話す。収容所に常勤医師はいない。とくに3月は18日から20日が連休で、17日17時から21日13時まで医師は不在だった。同会は入管に、常勤医師の早急な確保、職員への人権教育の徹底、外部病院への柔軟な通院を認めることなどを求める申し入れをした。被収容者が外部病院に通院できるケースはごくわずかで、通院できても腰縄に手錠という非人道的な扱いを受ける。

同会によると、「(グエンさんは)早くここから出たいから病気であると嘘を言っている」などと職員が話していたとの被収容者からの告発もあった。グエンさんと同ブロックだった男性も、同会会員に手紙で、この惨状を真っ先に訴えていた(手紙は、同会ホームページに全文掲載されている→http://www011.upp.so-net.ne.jp/ushikunokai/)。山村医師が入手した資料よると、牛久収容所は2010年から12年にかけての毎年の業務概況書で、「詐病やささいな疾病により診断を要求するものが多い」と記していた。

同所では10年に日系ブラジル人と韓国人が自殺。14年3月にはイラン人とカメルーン人が相次いで“病死”している。低待遇に加え、差別意識と偏見が悲劇を招いていることは間違いない。

(2017年6月16日号を一部修正)

G7の隠れ孤立男、安倍首相(浜矩子)

「6対1だった。」ドイツのメルケル首相の言葉だ。5月26・27日に、イタリアのタオルミナでG7サミット(主要国首脳会議)が開催された。上記のメルケル発言は、この会合について語る中で出てきたものだ。

この「6対1」は、「トランプ米大統領対その他6カ国首脳」を意味している。今回のサミットで、トランプ大統領は少なくとも二つのテーマについて他の国々の首脳たちと衝突した。その1がパリ協定。その2が貿易である。

パリ協定は、地球温暖化対策に関する国際的枠組みだ。2015年にG7各国を含む国々の間で合意を得ている。ところが、トランプ大統領はパリ協定を受け入れるか否かの判断を留保した。何しろ、大統領選を闘う中で「地球温暖化はでっち上げだ」と叫んでいた人だから、スンナリ受け入れられるわけがない。

貿易に関する焦点は保護主義だ。大統領就任演説の中で、トランプ氏は「保護は豊かさをもたらす」と宣言した。これまた、保護主義排除を謳い上げる共同宣言に、素直に合意できるはずがない。

貿易とのかかわりでは、サミット開催直前に、こともあろうにドイツを名指しして、対米貿易黒字が大き過ぎると不平不満をぶちまけた。「ドイツは悪い!」そう叫んでしまった。

こんなトランプ芝居に突き合わされれば、メルケル首相が「6対1だった」と不快感を露わにするのは、とてもよく解る。さぞかし、憤懣やるかたなかったことだろう。

ただ、それはそれとして、今回のG7サミットは、正確にいえば、「6対1」ではなかったと思う。確かに、表面的にはトランプ氏が1人で浮きまくっていた。だが、本当の構図は「5対1対1」だったと思う。もう1人の「1」が、日本の安倍晋三首相である。なぜなら、彼には、このサミットで決して明かすことがなかった大いなる野望がある。

安倍首相の野望とは、「世界の真ん中で輝く国創り」である。これが、今日における彼のメイン・テーマだ。主旋律である。そうだということを、今年の1月20日、通常国会の冒頭における施政方針演説の中で、安倍首相はみずから高らかに宣言している。

これは凄いことである。トランプ大統領の「アメリカ第一」などとは、野望度の高さがまるで違う。「アメリカ第一主義」は、ただ単に、アメリカはアメリカに引きこもりたいと言っているだけだ。アメリカはアメリカのことしか考えない。アメリカはアメリカの外に出ていかない。外からアメリカに入って来てほしくもない。引きこもらせて。ほっといて。そう言っているだけである。

だが、世界の真ん中で輝くとなると、これは、大変だ。要は、自分が太陽になるのだと言っている。その他大勢は、惑星どころか衛星と化して、我が周りを回っておれ。これは、世界一になりたいというのとも、大いに違う。世界一になるというのは、多くの競技者の中で一番になることだ。太陽になるつもりの人は、衛星たちと競ったりする気はない。これぞ、本当の孤立だ。G7の隠れ孤立男こそ、重大要注意人物である。

(はま のりこ・エコノミスト。6月2日号)

私たちも彼らも同じ人間──ニューギニア高地人1(本多勝一)

交易のためにザシガからナッソウ山脈を越えてやってきたアヤニ族の男たち(藤木高嶺うつす)。彼らがザシガへ帰るとき、藤木氏と私とは、彼らに従って山を越えていった。護衛の兵隊はもちろん、武器の類など一切もたなかった。

1963年の12月17日。『朝日新聞』の藤木高嶺記者と私は、インドネシアの西イリアン島北海岸から内陸高地のエナロタリへ、現地のカトリック教会専属の小型セスナ機で飛んだ。

そのとき小飛行場の滑走路でセスナ機をとりかこんだのは、この写真のような人々だった。日本人とは、共通点の少なすぎる形相と挙動。何を考えているのか――歓迎しているのか、何かたくらんで(?)いるのか、心中を読みとり難い表情……。

この7カ月ほど前、カナダの北極圏でエスキモーたちと初めて対面したとき、私は何の不安も感じなかった。日本人とよく似た彼らの顔が笑うとき、それは笑顔以外の何ものでもなかった。彼らの感情が、そのままこちらに伝わってくるように思われた。が、ここでは逆だ。暗色の顔が白い歯をみせて笑うとき、笑顔には違いなくとも、私たちの不安をむしろ募らせる。

「ニューギニア」と言えば、すぐに「ヒト食い人種」とこだまが返る。その彼らと共にジャングルを歩き、彼らと共に岩かげでゴロ寝しては夜を明かした。それでも私たちは“殺されずに”帰ってきた。

私たちの肉がマズイと思われたわけでもなければ、文明の波が山奥まで浸透したわけでもない。理由はひとつだけ。――私たちが人間であるのと同じ程度に、彼らも人間だったからである。
(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』で連載しているものです。ニューギニア高地人は1964年に『朝日新聞』夕刊で連載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。連載当時の社会状況を反映しているため、いまの時代にそぐわない表現があることをお断りします。

「のれん」に押しつぶされた東芝(佐々木実)

日本郵政が初めて赤字に転落した。2017年3月期連結決算の純損失は289億円。15年5月に買収した豪州の物流会社トール・ホールディングスの業績不振に伴い、4003億円もの特別損失を計上したことが原因である。

買収に失敗すると、なぜ損失が発生するのか。「のれん」という名の資産を減損処理しなければならないからだ。通常、企業を買収する際、買収額は買収される企業の純資産より大きい。買収した企業はこの差額を「のれん代」として、バランスシート(貸借対照表)の資産の部に計上する。買収の失敗が明らかになると、「のれん代」を減額しなければならず、損失が発生するわけである。

「のれん」は「ブランド力」とか「超過収益力」などと説明されることも多いが、買収の失敗は「のれん」の過大な評価から生じる。日本郵政はトールを約6200億円で買収したが、あとで巨額損失を被ったのは「のれん代」が巨額だったからにほかならない。

日本郵政の長門正貢社長は4月下旬の会見で、巨額買収劇の背景について「株式上場前に成長ストーリーを示したいという意図もあったのでは、と思う」と語った。買収当時、日本郵政は株式の上場を控えていた。トールの買収は弱点と見られていた郵便事業で「海外展開で成長」の「成長物語」を投資家にアピールするねらいがあった。法外な「のれん代」には、バラ色の成功物語の値段が上乗せされていたわけだ。

「シッポが犬を振り回す」というが、「のれん」はときに企業を振り回す。最悪の例が、東芝である。

東芝は2006年に米国の原子力会社ウェスティングハウス・エレクトリック(WH)を約6400億円で買収した。WHの純資産は約2400億円で、およそ4000億円を「のれん」に相当する無形資産として計上することになった(「のれん代」の3507億円とは別に「ブランド代(非償却無形資産)」として502億円を計上)。

現在、東芝は上場廃止さえ懸念されているが、迷走の原点はWHの買収だ。福島原発の事故後、巨額にのぼるのれん代の減損処理が必至だったにもかかわらず、東芝は「のれん代の償却は必要ない」と強弁し続けた。のちの不正な会計や不自然な企業買収を誘発する土壌をつくってしまった。「原子力ビジネスで成長」の夢から醒めたとたん、「のれん」に押しつぶされたのである。

「のれん」は不思議だ。企業の将来にわたる総合的な評価を、現時点で現金に換算するのだから、必ず不確実性が伴う。未来を正確に予測できないように、「のれん」を正確に算定することなどできない。

しかし一方で、「のれん」は企業を膨張させる。ソフトバンクは16年に英国のアーム・ホールディングスを約3兆3000億円で買収した際、約3兆500億円もの「のれん」という見えない資産を手に入れた。まるで魔法の杖だ。

結果的に買収が成功するか失敗するかにかかわらず、「のれん」には「物語」が潜む。資本主義の主役たる「企業」が商品として売り買いされるとき、資本主義に内在する幻想性が「のれん」となって姿を現す。そう解釈することもできるのではなかろうか。

(ささき みのる・ジャーナリスト。5月26日号)

宋日昊(ソン・イルホ)大使、「朝日平壌宣言は大切」(伊藤孝司)

朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が計画する核実験と米韓合同軍事演習で、朝鮮戦争以降で最大の軍事的危機が高まっている。

単独会見に応じる宋日昊大使(撮影/伊藤孝司)

そうした中で朝鮮は、4月15日に金日成主席生誕105年の記念日を迎えた。その取材に訪れた日本メディアの記者団に、宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は17日、会見に応じた。それを聞いた翌日、私は記者団と平壌から車で約5時間かかる咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市に向かい、残留日本人と日本人妻を取材した。

84歳のリ・ウグン(日本名・荒井琉璃子)さんは、自宅でインタビューに応じた。熊本県出身の両親の間に「京城」(現在のソウル)で生まれる。日本敗戦の混乱の中で家族とはぐれ、朝鮮人に育てられて結婚。中国東北地方と同じ状況がソ連軍管理下の朝鮮半島北部でもあり、残留日本人がたくさんいた。

13日に単独インタビューした「日本研究所」の曺喜勝(チョ・ヒスン)上級研究員は、今までの調査で残留日本人9人を確認していることを明らかにした。咸興市では、在日朝鮮人の夫とともに「帰国事業」によって朝鮮へ渡ったいわゆる日本人妻たちによる「咸興にじの会」の会員たちとその事務所の取材もすることができた。

平壌へ戻った20日夜に、宋大使への3時間に及ぶ単独インタビューが実現。17日の会見では出なかった、より突っ込んだ話があった。

私はまず、残留日本人と「にじの会」を初公開した意図について聞いた。「日本の記者から取材希望があったが、個別に認めると(朝鮮の)工作活動と言われるので、多くの記者が来た時に設定した」と述べた。だが「日本の政府・民間を問わず、(日本人埋葬地)墓参や残留日本人での提起があれば前向きに対応する」と語るなど、人道的課題を見せようとしたのは確かだ。

ストックホルム合意は消滅

宋大使は17日の会見で「ストックホルム合意」は「すでになくなっており、その責任は日本にある」とした。そして「合意」に基づいて日本人調査を実施していた「特別調査委員会」は「解体された」と語った。この発言に対して岸田文雄外務大臣は18日、「まったく受け入れられず、合意の履行を引き続き求めていく」と強く反発。私は宋大使に、それをどのように受け止めるか質した。「拉致問題だけを進めるよう求める発言であり認められない。合意とは、破棄すると再び戻すことができないもの」と述べ、復帰する意思がまったくないことを明言した。

しかし宋大使は「『朝日平壌宣言』は首脳会談によるものなので非常に大切にしており、関係改善の里程標となっている」とした。つまり、金正日総書記が署名した宣言は絶対的なものであり、あくまでも守ろうとしているのだ。

「朝鮮革命博物館」がリニューアルされて3月30日に開館。朝鮮の解放と建国、社会主義建設の歴史が約100室に展示されている。私は外国人ジャーナリストとして初めて取材できた。日本に関する展示室にはパネルや写真、日用品などが並び、植民地支配の実態を細かく解説。昨年6月には、日本・米国との対決の歴史を若い世代に教えることを目的とした「中央階級教養館」がオープンしている。

宋大使は「『朝日平壌宣言』の中核は過去の清算であり、これを抜きにして(日本との)実りある関係は結べない」と語った。その姿勢を改めて示しながらも、日本国内で批判が出にくい人道課題で対話の糸口を再び探る。これが現在の朝鮮の、日本に対する方針のようだ。

(いとう たかし・フォトジャーナリスト。4月28日・5月5日号)

トランプ米政権の「外交ビジネス」(佐藤甲一)

米国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の緊張が高まる中、4月16日朝、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した。ミサイルは空中爆発したとみられ、米韓当局は「失敗」との見方を示している。

今月5日に打ち上げたミサイルも不成功との評価が出ており、2回続けての失態である。すでに、米国側が北朝鮮に対するサイバー攻撃を進めている、との指摘もあり、今回の打ち上げの結果がそうした「電子戦」がもたらしたものだとするなら、米朝はすでに「開戦状態」とみることもできる。

米朝の直接対峙に目が奪われがちだが、米国のシリア空爆に端を発した今回の危機の焦点は別のところにあるとみるべきだろう。それはトランプ政権の「本質的転換」である。

一連の動きの中で従来の解釈では不可解なことがいくつか浮上している。一つは米ロ間の緊張が見せかけではないか、ということだ。というのも、ティラーソン国務長官は予定通り訪ロし、ラブロフ外相とプーチン大統領とも会談した。両国はこの問題を協議するための「特別代表」を任命することでも合意した。溝は深まるどころか、むしろ両国間の「パイプ」は太くなった。

そして、もう一つはトランプ大統領の政策の根幹を支えてきた、バノン首席戦略官の突然の「失脚」である。バノン氏はトランプ氏とともに大統領選挙を戦う中で「アメリカ・ファースト」を掲げてきた。戦後の米国が貫いてきた国際協調路線こそ、一部の既得権者に富をもたらすだけであり、米国が「世界の警察官」をやめることが、アメリカ人誰もが等しく豊かになる方策である、とした。そのために経済分野ではメキシコ国境に壁を設け、国内の雇用を増やし、保護貿易を進め、貿易不均衡を是正する、となったのである。

ところが、こともあろうか人道主義を掲げてシリア攻撃を行なったのは、「アメリカ・ファースト」とは真逆であり、なにより訪米中だった中国の習近平国家主席に対し、北朝鮮への関与を深めれば、米中の貿易不均衡是正について考慮する、との「取引」まで言っている。中国にとり貿易問題は成長戦略に不可欠な課題であり、そのことを取引材料にして北朝鮮制裁の前面に立つことを求めたのである。

これこそ、トランプ政権の経済外交政策の本質的転換と読まないわけにはいかない。バノン氏の国家安全保障会議(NSC)閣僚級委員会メンバーからの更迭はシリア空爆に反対したからと伝えられているが、更迭の本意はこの政策の大転換をめぐる対立にあったと想像される。

この政策転換により、トランプ政権はプーチン大統領、習近平国家主席という地域大国の両リーダーと、国際協調という外交理念ではなく、あたかも商売のように「取引」しながら共同歩調をとり、安全保障上の均衡を図るのではないか、と思えるのである。これこそがトランプ政権が目指す米国による「国際新秩序」、すなわち「外交ビジネス」による真の「アメリカ・ファースト」ではないだろうか。

日本は、こうしたトランプ政権の真意を分析し、その意図と野望を探り、日本が採るべき道の再構築を急ぐべきだろう。トランプ大統領の新外交安全保障政策による「国際新秩序」が、この通りだとしたら、日本の出る幕はない。

(さとう こういち・ジャーナリスト。4月21日号)

貧しい者、虐げられた者への共感が原点だったケネス・アローの経済学(佐々木実)

米国の経済学者ケネス・アローが2月21日に死去した。95歳だった。数理経済学者のアローの論文は抽象的かつ難解ということもあり、日本ではアローの名は一般にはあまり知られていない。訃報も小さな扱いだった。

アローは一般均衡理論と厚生理論への貢献で1972年にノーベル経済学賞を最年少で受賞した。同時代に活躍したポール・サミュエルソンは「20世紀で最も重要な理論家」と評したが、実際、アローの業績は多岐にわたり、いずれも根源的なテーマばかり扱っている。

ただ私にとってアローは、経済理論の礎を築いた天才という以上に、日本人の経済学者宇沢弘文を「発見」した人物として重要だった。宇沢の評伝を企画したときからいずれ会わなければと心に決めていたが、インタビューが実現したのは宇沢が亡くなって1カ月後の14年10月だった。

取材はスタンフォード大学で2日間にわたって行なった。初日はアローの研究室、2日目はファカルティークラブのレストランだった。高齢ながらアローの眼光は若いころの写真そのままの鋭さで、記憶の衰えもまったく感じさせなかった。

まだ無名だった20代の宇沢から論文が送られてきたときのことをたずねると、「論文を読んだその日か翌日には、ヒロに手紙を出しましたよ」と昨日のことのように語った。アローに招聘された宇沢はスタンフォード大学で才能を開花させた。「グレイト・コラボレーター(偉大な共同研究者)だった」とアローは讃えたが、アローに見いだされていなければ、宇沢が米国で活躍することもなかった。

宇沢は生前、アローからしばしば子どもの頃の思い出話を聞かされたと懐かしそうに話していた。食事の際にそのことを伝えると、アローは両親の話などを腹蔵なく語ってくれた。

アローの両親はともにユダヤ人でルーマニアからの移民だった。大恐慌のあおりでアロー家は破産、10年ほどのあいだアローは極貧生活を強いられた。最初に通った大学がニューヨーク市立大学だったのは授業料がタダだったからである。サンドイッチをほおばりながら、「学校はタダだったんだよ」「タダですよ」と何度も繰り返す天才理論家の姿に妙に親近感を覚えたものである。

『ニューヨーク・タイムズ』のアローの訃報記事に、「彼の政治的な立場は、明確にリベラルです」というロバート・ソローのコメントを見つけ、少々驚いた。かつて宇沢が語った言葉そのままだったからだ。「アローの経済学の原点には貧しい者、虐げられた者への共感がある」と宇沢は語っていた。

ソローもノーベル経済学賞受賞者で、アロー、宇沢の親友だった。じつは、アローに会う前に取材したのがソローで、ふたりの話から宇沢がアローとソローに特別な信頼を寄せていたわけが理解できた。「リベラル」への信奉が終生、3人を結びつけていたのである。

「リベラル」な態度を知の探求者の必須の条件とみなした彼らは、知識人が知識人でありえた時代の碩学だったように思う。時代は確かに変わった。アローの訃報に接して、「リベラル」の意味を今更ながら考えさせられている。

(ささき みのる・ジャーナリスト。3月24日号)

やさしさがない安倍外交(西谷玲)

国会では森友学園問題が火を噴いている。野党は徹底的に追及すべきだ。外交に目を転じれば、トランプ米大統領と安倍晋三首相は先月の訪米で蜜月関係を築けたという。トランプの無茶苦茶にはまるで意見せず、「Trumpabe」(トランペイブ、トランプ=安倍)の様相である。

さて、外交のもう一つの懸案、安倍政権の行き当たりばったり、戦略のないさまがよく表れているもの……それは、日韓関係である。

「慰安婦」問題で象徴として建てられた少女像をどうするのか、解決が見えていない。昨年末に釜山の日本総領事館前にも少女像が設置された。日本はそれに抗議して、この1月に駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させた。

その後どうなっているかと言えば、韓国外相が、少女像撤去を要請する文書を釜山市や同東区に送っている。が、何の効果もないどころか、今月1日の、日本統治下での大規模な独立運動の記念日である「3・1節」には、各地で新たな少女像の設置、除幕式が続々と行なわれた。さらに、今計画中のものもあるという。こんな状況で大使と総領事をまた派遣させるわけにもいかず、日本政府はまさに振り上げたこぶしのやり場に困ってしまっている状況である。

ご存知の通り、朴槿恵大統領はスキャンダルで弾劾訴追され、4月にも退陣、6月にも新たな大統領を選ぶ選挙が行なわれそうである。つまり、国政の混乱状況がずっと続いており、それまで現政権は当事者能力をとても持ちえない状態なのだ。しかも、次の大統領選では文在寅氏をはじめとして、野党の候補が勝つであろう可能性が高い。文氏は「慰安婦」問題に関する日韓合意を批判しており、少女像問題に対しても撤去の必要はないという意見である。

このような情勢のなか、大使と総領事を帰国させてしまったら、その後の落としどころに困ると予測するのは容易だっただろう。それなのに確固たる戦略もなく、行き当たりばったりで対応するからこんなことになるのである。

ある元外交官が言った。「安倍外交にはやさしさがない」。

こんな状況を生んだのは、まさにこのことに起因するのではないだろうか。毅然たる、決然たる、断固たる……そんな勇ましい言葉ばかりが躍る安倍外交。しかし、外交とは何枚腰、そして硬軟両様の使い分けが必要。さらに、人の心の重さをどう考えるか、どう見えるかがとても大切だ。外交だけでなく、政治全般がそうなのだが。

元「慰安婦」の人たちが何に怒っていて、何が赦せないかといえば、突き詰めていけば、やはり心の問題ではないだろうか。やさしさ、思いやり、心の底から悪かったと思う気持ち……。それが安倍首相に見えないというのである。

「慰安婦」問題について、歴代の首相はずっとお詫びの手紙を書いてきた。確かに一昨年末の日韓合意で日本は政府から10億円を拠出することに合意した。それは画期的には違いない。いつまで謝ればすむんだ、という声もわからないでもない。首相には「嫌韓」な人々の支持が多い以上(森友学園を見よ)、あそこまで譲歩したのも画期的であるともいわれる。それも理解したうえで、でも、心が必要なのだ。これは政治家でなければできないし、一流の政治家だったらできることだ。

(にしたに れい・ジャーナリスト。3月10日号)

森友学園の異様さに(雨宮処凛)

国会では安倍晋三首相への追及が続き、「第二の森友学園」疑惑が浮上するなど「アッキード事件」は広がっていくばかりだ。

そんな森友学園が運営する塚本幼稚園の映像が連日テレビに映し出されている。

教育勅語の暗唱、運動会で「安倍首相、頑張れ!」「安保法制国会通過、良かったです」などと言わされる園児たち。

塚本幼稚園の映像を見て思い出したのは、今まで5回訪れた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)だ。

初めて北朝鮮に行った時、連れて行かれたのは幼稚園だった。

そこには、幼稚園なのになぜかファンデーションをがっちり塗り、唇を真っ赤に塗るなどしたフルメイクの子どもたちがきらびやかなチョゴリに身を包まれていた。

私たち外国人が教室を訪れると、「うちのお父さんは主席から勲章をもらった」という歌を朗々と歌い上げたり、集団で一糸乱れぬダンスを披露してくれたりしたのだった。

また、幼稚園の先生が「この日はなんの日ですか?」と聞くと、「大元帥様のお生まれになった日です!」と全員が大きな声で唱和。子どもたちは可愛かったものの、歌ったり踊ったりするときの子どもらしさのまったくない作り込まれた表情に、なんとも言えない違和感が残った。

それから数年後、また北朝鮮を訪れた際、今度は小学生が芸術活動をする場所に連れていかれた。

やっぱり綺麗にメイクをして、琴のような楽器を弾いたりバレエをする子どもたちの表情は作り込まれていて、演奏やダンスはもちろん完璧だった。

そんな子どもたちを次々と見せられているうちに、一緒に行った男性の1人が突然泣き出した。混乱して、動揺して、とにかく何もかもが異様で、耐えられなかったのだという。彼が泣く姿を見て、「ああ、やっぱりこれって泣くくらいのことなんだよな」と、妙に冷静に思った。が、北朝鮮のガイドは、終始「わが国の子どもはこんなに素晴らしい教育を受けている」と自慢げだった。

そんな北朝鮮を彷彿とさせる森友学園が新設する「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に、首相の妻である安倍昭恵氏が就任していたのだ(現在は辞任)。しかも、教育方針に感銘を受けたことを語っている。

森友学園の問題が発覚する数日前、あるヴィジュアル系バンドのコンサート会場で昭恵氏を見た。終演後、出口に向かう昭恵氏は満面の笑顔だった。布袋寅泰氏もそうだが、彼女は随分とミュージシャンが好きなようである。彼女には公費で5人の秘書がついているというが、あの時、秘書は同行していたのだろうか。

なんだかとても、気になる。

(あまみや かりん・『週刊金曜日』編集委員。3月10日号)