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中国の多面性を見よ(西谷玲)

東京都議会選挙(7月2日投開票)では自民党が歴史的大敗を喫した。この結果がいかに国政に影響するかどうかが当面の焦点だが、ここではちょっと違う話題にふれたい。中国の話である。

今月1日に香港の中国返還20年を迎え、記念式典で演説した習近平国家主席は、独立を容認しない考えを強い表現で示した。これに見られるように昨今の中国には、人権についての厳しい姿勢が目立つ。ノーベル平和賞を受賞した人権活動家、劉暁波氏ががんに侵され、海外での治療を希望しているとされるが叶わない(編注:7月13日死去)。ネットの統制を強める「インターネット安全法」も施行された。中国では以前からグーグルもフェイスブックもツイッターも使えない(それに類する中国独自のものはあるが)。

だが、中国の社会はこれだけが事実ではない。たとえば、今年4月に本誌で麻生晴一郎氏も指摘していたように、中国では今、多くのNGO(非政府組織)が台頭しつつある。こちらでも人権系のNGOは規制され、海外のNGOとつながる団体には「境外NGO管理法」が施行されて監視も強化されているものの、他方では政府はNGOとの連携も強化しているのである。というのは、環境悪化や都市と地方の格差、貧困問題、教育など、中国は社会的課題が多すぎて、もはや政府の力だけでは対応できないのだ。NGOの力を必要としているのである。

しかも、都市部を中心に豊かな環境で育ってきた若者たちや、若くして事業で成功して富を得た人々がいる。経済的には満ち足りた彼らが、社会的課題の解決に興味を持ち、NGO活動に流入してきているのだ。ビジネススキルやノウハウを持ち、それを社会的課題の解決に生かす。しかも、資本も持っている。これはこの業界に大きな進歩と変革をもたらす可能性がある。日本でも同様の現象はあるが、はるかに中国のほうが速い。人数も多い分、変化がダイナミックなのである。

彼らは政府に対して、いろいろ思うところはあるものの、正面きっては歯向かわない。それをどう評価するかは別だが、いわば面従腹背的な活動で、目の前の社会的課題の解決をめざしている。政府も彼らの活動に頼っている側面があり、これは体制にもいずれ変化をもたらすかもしれない。

そして、テクノロジーの進化もカギである。IT(情報技術)の進歩で、コストをかけずに多くのことが可能になっている。たとえば、NGOではないが、今、北京で大はやりなのが乗り捨て自転車。シェアリングエコノミーの一種でレンタルサイクルなのだが、ITで管理をして、そこに自転車があればどこから乗ってもいいし、どこにでも乗り捨て可能なのだ。日本でもレンタルサイクルは普及しつつあるが、どこでも乗り捨て可能、というわけではない。

こういった中国の側面を理解しなければ、日本は置いていかれるだけである。ほかにもある。北京や上海といった都市部では、ベンツやBMWなど、高級外車が走っている率は日本より高い。しかも、若者はおしゃれである。一見しただけでは、中国人だか日本人だかわからない。そして、大学教育を受けた人々は当たり前のように英語を話す。我々は、自分たちの見たい中国の部分だけ目を向けていないだろうか。

(にしたに れい・ジャーナリスト、7月7日号)

小池百合子より舛添要一がマシな一点(佐高信)

『産経新聞』ソウル支局長(当時)の黒田勝弘と彼の地で会ったのは2005年の3月だった。

韓国のテレビに出て、
「独島は韓国のものですが、竹島は日本の領土です」
と悪びれることなく言うらしい黒田に私は好感を持った。

その黒田が客員論説委員となって2016年3月26日付の『産経』の連載コラムに次のように書いたという。

「ソウルの日本人学校は1972年に創立された。当初は都心の雑居ビルを借りた塾のような学校だった。80年に漢江の南の街はずれに畑地を購入し、運動場や体育館もある、ちゃんとした学校になった。(中略)それから30年後の2010年、学校が老朽化したため建て直しを機に移転した。(中略)新しい学校用地はソウル市が元の学校の土地と交換する形で提供してくれた。元の地域は地価が高騰していたため、差額で最先端の新校舎も建てられた。最初の土地購入は韓国政府のお世話になっている」

よく、これが載ったなと思うような『産経』のこのコラムを秀逸として引いているのは前都知事の舛添要一である。『都知事失格』(小学館)に舛添はこれを引き、そして黒田の次の結びも引用する。

「最近、東京の韓国人学校の移転先に都立高校跡地を提供する計画に反対、批判の声が出ているとの記事が本紙に出ていたが、こうした反対はまずい。ソウル日本人学校もお世話になっているのだから、ちゃんと実現してほしい」

デタラメな飛行のコウモリ・公明党

舛添がこのコラムを「干天の慈雨」として読んだのは、舛添が2016年3月16日に韓国人学校への用地貸与の方針を発表してから、嫌韓派からの猛烈なバッシングを受けたからだった。

右翼の街宣車などが都庁だけでなく、舛添の自宅にまで押しかけ、
「売国奴、国辱外交をやめろ!」
と大音量の拡声器でがなりたてた。最大で車両17台を連ねてやってきたこともあり、特に自宅周辺の住民には大変な迷惑をかけたという。

舛添が北京やソウルを訪問して展開した都市外交が気に入らなかったわけだが、特に元都知事の石原慎太郎のシンパは「親中派、親韓派の知事を排除せよ」と息まいたとか。

問題なのは石原と小池が、この点では一致することである。都知事になって小池が最初にやったのは、韓国人学校への援助反対の急先鋒、野田数(のだ・かずさ)を特別秘書に任命したことだった。野田は、小池が「都民ファーストの会」の代表になるまで、そのかわりを務めていた男である。

私は舛添を弁護するつもりはない。しかし、ヘイトスピーチがはびこる中で、韓国人学校への用地貸与を進めようとしたことは重要だろう。

舛添は前記の黒田のコラムを引用した後にこう書く。
「小池百合子知事は、この計画を白紙に戻すことを決めて韓国側にもその旨が伝えられたという。日韓関係を改善する一歩だったのに残念でならない」

この小池と公明党は都議選で手を組んだ。コウモリはまっすぐには飛べないトリだが、コウモリ党の公明党もデタラメな飛行を繰り返している。

『都知事失格』で舛添は、その公明党の裏切りを批判する。「与党として支援してきた私を弊履のごとく捨てた」というのだが、それは自業自得の側面もあるだろう。裏切り常習の公明党に乗っかってきたからである。いまさら泣き言を並べても仕方がない。

今度、「東京・生活者ネットワーク」も小池と手を結んだが、舛添が小池よりマシな一点は無視してもいいのか。私は多大の疑問を持っている。見逃してはいけないポイントだと思うからである。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、6月16日号)

管官房長官の陰湿人事(西川伸一)

外務省は森本康敬・在釜山日本総領事を6月1日付で退任させた。森本氏は昨年5月1日付の発令なので、在任は1年1カ月でしかなかった。前任者が3年、さらにその前任者が2年勤務してそのポストで定年退職している。つまり、在釜山日本総領事はノンキャリ外交官のいわば「上がり」ポストなのである。森本氏もここで定年を迎えるはずだった。

なぜそうならなかったのか。昨年12月に釜山の日本総領事館前に「慰安婦」問題を象徴する少女像が設置された。日本政府は対抗措置として、森本氏と長嶺安政駐韓大使を今年1月から4月まで一時帰国させた。その帰国中、森本氏は知人との私的な会食の際に政府の対応を批判した。それが官邸に伝わって、事実上更迭される事態となった。

ではなぜ私的な会話を官邸は知り得たのか。これについて『週刊文春』6月15日号は、「森本氏は『政権寄りの新聞社が取材メモを官邸に持ち込んだようだ』と漏らしていました」との「外務省関係者」の発言を紹介している。新聞社が政権にご注進に及ぶとは。事実ならば癒着もきわまれりだ。加えて、私的会話にまで目くじらを立てる政権の陰湿さには驚く。

菅義偉官房長官は6月1日午前の記者会見でこの人事を問われ、「(政権の対応への批判は)承知していない。通常の人事だ」と口を拭った(6月1日付『朝日新聞』夕刊)。何をもって「通常」というのか。森本氏の次のポストはまだ決まっていないではないか。

同様の強引な人事は過去にもあった。6月3日付『毎日新聞』によれば、2015年夏の総務省人事で、ある幹部の昇格を菅官房長官が「それだけは許さない」と阻止したという。この幹部には、菅氏の「手柄」であるふるさと納税創設にかかわる規制緩和に異を唱えた「前」があった。高市早苗総務大臣は面目をつぶされた。菅氏による人事介入の制度的根拠となったのが、内閣人事局である。

14年5月に内閣官房に設置された同局により、政権は各省庁の事務次官と局長・審議官級の約600人の幹部人事を一元管理することを目指した。首相に委任された官房長官が幹部候補者名簿を作り、各省の大臣は首相と官房長官と協議して、名簿登載者の中から適任者を任命する。したがって、官房長官が強い影響力を発揮できる。当時、菅氏は「公務員には省益ではなく国益を考えて活動してほしい」と語っていた(14年5月20日付『毎日新聞』夕刊)。

とはいえ、内閣人事局が発足して3年が経過したいま目立つのは、「国益を考えて活動」するのではなく、政権の意向を忖度して動く官僚たちだ。「モリカケ問題」はまさにそれを実証している。小沢一郎自由党代表は、内閣人事局は「ゴマスリ役人製造機」になっていると喝破した(3月20日付ツイート@ozawa_jimusho)。

批判的な発言は私的なものさえ封じ込め、忖度官僚を侍らせる。菅氏のいう「通常の人事」とは、この3年間でそうした人事が「通常」化したことを意味していたのか。菅氏の次の発言はその点で参考になる。「慣例のみに従って人事はやるべきではない。私は当たり前のことをやっているんです」(2月27日付『朝日新聞』)。

その代償こそ公正な行政の崩壊である。

(にしかわ しんいち・明治大学教授。6月16日号)

民主主義を窒息死させる共謀罪(宇都宮健児)

共謀罪(テロ等準備罪)法案は、5月23日の衆院本会議で、自民・公明・日本維新の会の賛成多数で可決され、現在参院で審議されている。(編注:6月15日、“異例”の中間報告により参院法務委員会での採決を省略し、参院本会議で可決・成立)

安倍晋三首相は「2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて(共謀罪の)創設が不可欠だ」と強調し、共謀罪法案をあたかもテロ対策法案であるかのように説明している。

しかしながら一方で政府は、2000年11月に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」を批准するために、共謀罪法を制定する必要があると説明してきている。

国際組織犯罪防止条約は、マフィアなどによる国境を越えた麻薬取引、人身売買、マネーロンダリングなどの経済的利益を追求する組織的犯罪を取り締まることを目的とした条約である。

したがって、政府が説明しているようなテロ対策を目的とした条約ではないのである。テロ対策に関しては、日本は既に「ハイジャック防止条約」「人質行為防止条約」「爆弾テロ防止条約」「核テロリズム防止条約」など13の国際条約を批准している。

また、国際組織犯罪防止条約を批准するために、共謀罪の新設が必ず必要とされるかというとそうでもない。わが国では、内乱罪、殺人罪、強盗罪、爆発物取締罰則違反などの重大犯罪については、「予備」「準備」「陰謀」「共謀」などを処罰する制度が整っているので、新たに共謀罪を新設しなくても、国際組織犯罪防止条約を批准できるのである。

国際組織犯罪防止条約は187カ国・地域で既に批准されているが、共謀罪を新設したのはノルウェー、ブルガリアの2カ国だけである。

共謀罪は過去三度廃案となっているが、今回の法案で新たに要件として付け加えられた「組織的犯罪集団」や「準備行為」は定義があいまいであり、実質は「犯罪の合意」を処罰する法律であるという点では、これまでの共謀罪法案と変わらない。

わが国の刑事法体系は、「意思」を処罰するのではなく、法律違反の「行為」を行なったこと、すなわち「既遂」を処罰することを原則としてきている。

共謀罪法案は、法律に違反する犯罪行為を実行しなくても、話し合っただけで市民を処罰できる思想・言論の処罰法である。

「犯罪の合意」を処罰する共謀罪では、盗聴が共謀立証の重要な手段になってくる。そのため、電話、メール、ライン、市民の会話などの盗聴が行なわれ、市民の日常生活が監視される危険性がある。また、共謀立証のためいろいろな団体やグループに捜査機関がスパイを送り込んだり、協力者をつくり、共謀があったことを密告させることになりかねない。

このように共謀罪法案は、わが国において監視社会化を進め、自由な言論活動を萎縮させ民主主義社会を窒息死させる法律である。

国連のプライバシー権に関する特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏も共謀罪法案に関し、「プライバシーの権利や表現の自由を不当に制約する恐れがある」と批判している。

あまりにも問題の多い共謀罪法案は、参院で廃案にするしかない。

(うつのみや けんじ・弁護士、6月16日号)

釜山総領事の更迭にみる「共謀罪」の片鱗(西谷玲)

国会は6月18日の会期末を控えて、最終盤に入った。加計学園の獣医学部新設問題など解明すべきことはたくさんあるが、7月2日に東京都議選があることに加え、そして政府は種々の問題を解明したくないのであろうから、大幅延長は望むべくもない。

その限られた会期末までの期間の中で、政府が何としても成立させようとしているのが「共謀罪」法案である。政府の答弁は安定せず、大臣と官僚の言うことが違い、いったいこの法案が通ったら、どうなるのかよくわからない。捜査権が乱用され、監視社会を招く懸念は一向にぬぐえない。

「安倍政権むかつく。秘密結社つくって革命だ」。筆者が実際に最近送ったメールの一節である。こんなメールだって、問題にされかねないのである。

安倍晋三首相に近いある幹部級の官僚にそう言ったところ、「運用次第ですよね」とこともなげに答えた。ほら、やはりそうなるじゃないですか、と言うと、「すべての法律はそういうものだから」。なるほど、そういうものだろう。だから、人権ができるだけ侵害されないように配慮することが重要なのだ。今の法案審議の中では、政府からその姿勢は見られない。

そんな中、ある人事のニュースが流れた。新聞もテレビもごく小さい扱いだった。何かと言うと、韓国・釜山の総領事が6月1日付で交代するというのである。昨年6月に着任したばかりであって、通常、外交官や官僚の人事というのは2年が一つの単位だから、1年で交代というのは異例である。

新聞によっては理由を報じていないところもあったが、数紙には書いてあった。それによると、前総領事は、昨年12月に釜山の日本総領事館の前に少女像が設置された後、一時帰国した。この間、知人との私的な会食で政府の対応を批判したことを首相官邸サイドが問題にしたというのである。

記事にはさらっと書いてあったが(書いてあるだけましだが)、これ、よく考えてみると恐ろしい事態である、私的な会合での会話が問題にされての更迭である。

つまり、その場にいた誰かが、「あいつがこんなことを言っていた」と流し、政府がそれをキャッチしたわけである。共謀罪が通ったら、この種のことが多くなる、というか、国家権力の元で行なわれないとも限らない。おちおち国家の悪口を言えない。すでにその萌芽は見られるのだ。

また、最近の別の記事。2013年、特定秘密保護法が通った。その後、同法の運用をチェックする独立公文書管理監が、防衛省や経済産業省の特定秘密を含む文書の廃棄を「妥当」と判断したそうである。今年5月の管理監の報告書で明らかになった。

このまま文書が廃棄されると、何が特定秘密なのかわからないままである。一体どういう政策がどのように政府内で検討されて意思決定されていったのか検証できず、闇の中に消えていってしまうかもしれないのである。これは、法案の審議段階から指摘されていた。いざ法律が施行されて、本当にその通りになっているのである。

共謀罪だって、だから「ほらやはりあの時言った通り、心配した通りになったじゃないか」となりかねないのである。その時に後悔したとしても、あまりに代償は大きい。すでにその片鱗はあるのだ。

(にしたに れい・ジャーナリスト、6月9日号)

牛久入管が「痛い」と泣き叫ぶベトナム人を“見殺し”
(『週刊金曜日』取材班)

グエンさんが収容されていた牛久入管。(撮影/『週刊金曜日』取材班)

「痛い痛いと泣き叫ぶ彼を入管は見殺しにしました」――。茨城県牛久市にある法務省入国管理局の東日本入国管理センター(通称・牛久入管収容所)の被収容者は、こう訴えたという。3月末、40代のベトナム人男性が牛久入管収容所の独房で死亡した。男性は死後も放置された可能性が高い。関係者の話を総合すると、入管の対応はあまりに非人道的だ。6月20日の「世界難民の日」に合わせて記事を配信する。

泡を吹いて医務室へ

牛久駅からバスで約30分、林の中の道を進んだ先に牛久入管収容所はひっそりとたたずんでいる。この収容所の独房で、ベトナム人男性Nguyen The Huan(グエン・ザ・フン)さんは死亡した。被収容者や支援団体関係者によると、グエンさんはインドシナ難民として28年前に来日。昨年11月に名古屋入管(愛知)に収容された後、品川入管(東京)を経て、3月15日に牛久収容所に移された。

グエンさんと同室(4人部屋)だった男性によると、「15日にきたときは元気だった。普通にごはんを食べて、タバコを吸っていた」という。しかし17日20時ごろ、様子は一変。「グエンさんは2段ベッドの上で横になっていましたが、急にガガガガと口から変な音が出てきたんです。寝て夢を見ているんだと思い、『起きて、起きて』と言いました。でも起きなくて、見ると口から泡を吹いていた。変な音は泡を吹く音だったんです。起こそうとしましたが、目は開かない。おしっこも漏らしていました」

同室だった男性は急いで担当職員を呼び、職員4人と同室の被収容者3人でグエンさんをシーツごと下ろした。グエンさんは収容所内の医務室に運ばれたが、そこから外部病院には運ばれず、翌18日夕方に独房ブロックの一室に移された。

グエンさんと同じインドシナ難民で、同じブロックの三つ隣の独房だった男性は、「18日にきてからグエンさんはずっと寝込んでいて、ごはんも食べていなかった」と話す。収容所は毎日9時半から11時半、13時から16時半まで部屋のドアが開放され、被収容者は共有フロアに出てシャワーや洗濯をしたり、電話をしたり、同じブロックの他の被収容者と交流したりするなどできる。

男性は19日に様子を見に行ったが、グエンさんは「頭と首と胸が痛い」と言い寝ていた。額を触ると高熱があった。職員を呼んだが、職員は氷枕を持ってくるだけの対応だったという。

21日昼、グエンさんはフロアに出てきたが、「痛い」「我慢できない」と、頭、首、胸の激しい痛みを訴えた。そのうち動けなくなり、フロアの卓球台に横になった。だが職員は誰も来なかったので、みなで「医者に見せてほしい」と監視カメラに向かい頼んだ。

その後、グエンさんは収容所内の医務室に連れて行ってもらえたが、レントゲン撮影をし、痛み止めや湿布を渡されただけだったという。

22日夜には、グエンさんは「痛い、痛い」と叫び声をあげて痛みを訴えた。男性は職員を呼んだが、職員は「静かにしろ」「うるさい」などと言い放ったという。グエンさんはその後、休養室に移されたが、やはり外部病院には運ばれず、翌23日朝に独房に再び戻された。

同日も、グエンさんは寝込んでいた。24日朝10時半ごろ、男性の部屋にグエンさんがきて少し会話をしたが、グエンさんはすぐ部屋に戻った。その後の11時から20時ごろまでの長時間にわたり、グエンさんは継続的に「痛い、痛い」と泣き叫ぶほどの苦しみを見せた。しかし、その間、職員は一人もこなかったという。

遺体に心臓マッサージか

20時ごろ、急にグエンさんの叫び声などがなくなった。収容所では毎日22時ごろに職員が灰皿のゴミを回収にくる。この日も職員が「灰皿ちょうだい」とグエンさんの独房にやってきた。通常、被収容者が食器口から灰皿を渡すが、グエンさんは何の反応もしていないようだった。

15分後、職員が他の職員数人とグエンさんの独房に再びやってきて、ドアを開け部屋の中に入った。だがその次の瞬間、職員らは慌ただしく部屋から出てきてドアを閉め、その場を去っていった。

日付が変わった25日1時ごろ、数人の職員がグエンさんの部屋に再び入っていった。部屋からはAED(自動体外式除細動器)の機械の音が漏れ聞こえてきた。しかし、職員がグエンさんに声掛けしている様子はなかったという。そのうち救急隊員もきて、グエンさんはストレッチャーでフロアに出された。

男性が食器口からのぞくと、グエンさんは、両腕を胸のあたりで曲げ、片足が斜め上に上がった状態で固まっていた。救急隊員が腕を引っ張って伸ばそうとしたが、硬直していてピクリとも動かなかった。男性は「死後硬直している」と思った。それでも救急隊員はグエンさんの胸に注射をし、心臓マッサージをほどこした。そして目の反応を確認し、死亡の診断がされたという。

男性はこう話す。「ずっと痛いと訴えていたのに、外の病院に連れて行ってもらえず、グエンさんは死んでしまった。本当にかわいそう。担当職員は私たちの言うことを『嘘の病気』と思うみたいです。グエンさんは、叫び声が聞こえなくなった24日20時ごろに死んだと思います。22時ごろに職員がグエンさんの部屋に入ってすぐ出たのは、グエンさんが死んでいたから逃げたんじゃないでしょうか」

男性はC型肝炎と肝硬変を患っているが、収容所の医師からは「ここに治る薬はない。外に出てから治しなさい」と言われたという。「この中にいる限り、人間の扱いは受けられない。こんなところで死にたくない」(同男性)

「詐病が多い」との偏見

入管側は、グエンさんの死因はくも膜下出血で、死亡時刻は25日2時20分ごろ、死亡の確認場所は病院だとしている。北村晃彦所長(4月より清水洋樹氏が新所長に)は発表時、「現時点で処遇に問題はなかった」とコメントした。

これに対して港町診療所(横浜市)の山村淳平医師は、「グエンさんが24日にこれまでにない強い痛みを訴えていたようなので、このとき、くも膜下出血の診断と緊急手術がなされれば助かった可能性はある」との見解だ。24日22時ごろにグエンさんの死亡を職員が発見していたとすると、その時点で救急車を呼んでいないことにも大きな問題があるとした。グエンさんが医務室に行ったときのことについては、「胸のレントゲン写真と心電図検査、血圧測定、胸の聴診、身体の触診をする必要があったと考えられる」と指摘した。

牛久入管に確認すると、3月末に法務省に検証チームが設けられて現在調査中のため、詳細は答えられないとした。調査チームについて、「死亡事案だから、一応、すべて調べる必要があるじゃないですか」という言いぶりで説明した。

しかし支援者によると、現在までのところ、被収容者への聞き取りがなされた様子はないという。牛久入管はまた、24日22時ごろに職員がグエンさんの死亡を確認していたのではないかとの質問には、「そうした事実は把握していない」と答えた。

入管収容所の医療については以前から多くの問題が指摘されている。「牛久入管収容所問題を考える会」の田中喜美子代表は、「収容所生活のストレスで、病気が悪化したり、薬が効かなくなったりする人をたくさん見てきた」と話す。収容所に常勤医師はいない。とくに3月は18日から20日が連休で、17日17時から21日13時まで医師は不在だった。同会は入管に、常勤医師の早急な確保、職員への人権教育の徹底、外部病院への柔軟な通院を認めることなどを求める申し入れをした。被収容者が外部病院に通院できるケースはごくわずかで、通院できても腰縄に手錠という非人道的な扱いを受ける。

同会によると、「(グエンさんは)早くここから出たいから病気であると嘘を言っている」などと職員が話していたとの被収容者からの告発もあった。グエンさんと同ブロックだった男性も、同会会員に手紙で、この惨状を真っ先に訴えていた(手紙は、同会ホームページに全文掲載されている→http://www011.upp.so-net.ne.jp/ushikunokai/)。山村医師が入手した資料よると、牛久収容所は2010年から12年にかけての毎年の業務概況書で、「詐病やささいな疾病により診断を要求するものが多い」と記していた。

同所では10年に日系ブラジル人と韓国人が自殺。14年3月にはイラン人とカメルーン人が相次いで“病死”している。低待遇に加え、差別意識と偏見が悲劇を招いていることは間違いない。

(2017年6月16日号を一部修正)

G7の隠れ孤立男、安倍首相(浜矩子)

「6対1だった。」ドイツのメルケル首相の言葉だ。5月26・27日に、イタリアのタオルミナでG7サミット(主要国首脳会議)が開催された。上記のメルケル発言は、この会合について語る中で出てきたものだ。

この「6対1」は、「トランプ米大統領対その他6カ国首脳」を意味している。今回のサミットで、トランプ大統領は少なくとも二つのテーマについて他の国々の首脳たちと衝突した。その1がパリ協定。その2が貿易である。

パリ協定は、地球温暖化対策に関する国際的枠組みだ。2015年にG7各国を含む国々の間で合意を得ている。ところが、トランプ大統領はパリ協定を受け入れるか否かの判断を留保した。何しろ、大統領選を闘う中で「地球温暖化はでっち上げだ」と叫んでいた人だから、スンナリ受け入れられるわけがない。

貿易に関する焦点は保護主義だ。大統領就任演説の中で、トランプ氏は「保護は豊かさをもたらす」と宣言した。これまた、保護主義排除を謳い上げる共同宣言に、素直に合意できるはずがない。

貿易とのかかわりでは、サミット開催直前に、こともあろうにドイツを名指しして、対米貿易黒字が大き過ぎると不平不満をぶちまけた。「ドイツは悪い!」そう叫んでしまった。

こんなトランプ芝居に突き合わされれば、メルケル首相が「6対1だった」と不快感を露わにするのは、とてもよく解る。さぞかし、憤懣やるかたなかったことだろう。

ただ、それはそれとして、今回のG7サミットは、正確にいえば、「6対1」ではなかったと思う。確かに、表面的にはトランプ氏が1人で浮きまくっていた。だが、本当の構図は「5対1対1」だったと思う。もう1人の「1」が、日本の安倍晋三首相である。なぜなら、彼には、このサミットで決して明かすことがなかった大いなる野望がある。

安倍首相の野望とは、「世界の真ん中で輝く国創り」である。これが、今日における彼のメイン・テーマだ。主旋律である。そうだということを、今年の1月20日、通常国会の冒頭における施政方針演説の中で、安倍首相はみずから高らかに宣言している。

これは凄いことである。トランプ大統領の「アメリカ第一」などとは、野望度の高さがまるで違う。「アメリカ第一主義」は、ただ単に、アメリカはアメリカに引きこもりたいと言っているだけだ。アメリカはアメリカのことしか考えない。アメリカはアメリカの外に出ていかない。外からアメリカに入って来てほしくもない。引きこもらせて。ほっといて。そう言っているだけである。

だが、世界の真ん中で輝くとなると、これは、大変だ。要は、自分が太陽になるのだと言っている。その他大勢は、惑星どころか衛星と化して、我が周りを回っておれ。これは、世界一になりたいというのとも、大いに違う。世界一になるというのは、多くの競技者の中で一番になることだ。太陽になるつもりの人は、衛星たちと競ったりする気はない。これぞ、本当の孤立だ。G7の隠れ孤立男こそ、重大要注意人物である。

(はま のりこ・エコノミスト。6月2日号)

私たちも彼らも同じ人間──ニューギニア高地人1(本多勝一)

交易のためにザシガからナッソウ山脈を越えてやってきたアヤニ族の男たち(藤木高嶺うつす)。彼らがザシガへ帰るとき、藤木氏と私とは、彼らに従って山を越えていった。護衛の兵隊はもちろん、武器の類など一切もたなかった。

1963年の12月17日。『朝日新聞』の藤木高嶺記者と私は、インドネシアの西イリアン島北海岸から内陸高地のエナロタリへ、現地のカトリック教会専属の小型セスナ機で飛んだ。

そのとき小飛行場の滑走路でセスナ機をとりかこんだのは、この写真のような人々だった。日本人とは、共通点の少なすぎる形相と挙動。何を考えているのか――歓迎しているのか、何かたくらんで(?)いるのか、心中を読みとり難い表情……。

この7カ月ほど前、カナダの北極圏でエスキモーたちと初めて対面したとき、私は何の不安も感じなかった。日本人とよく似た彼らの顔が笑うとき、それは笑顔以外の何ものでもなかった。彼らの感情が、そのままこちらに伝わってくるように思われた。が、ここでは逆だ。暗色の顔が白い歯をみせて笑うとき、笑顔には違いなくとも、私たちの不安をむしろ募らせる。

「ニューギニア」と言えば、すぐに「ヒト食い人種」とこだまが返る。その彼らと共にジャングルを歩き、彼らと共に岩かげでゴロ寝しては夜を明かした。それでも私たちは“殺されずに”帰ってきた。

私たちの肉がマズイと思われたわけでもなければ、文明の波が山奥まで浸透したわけでもない。理由はひとつだけ。――私たちが人間であるのと同じ程度に、彼らも人間だったからである。
(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』で連載しているものです。ニューギニア高地人は1964年に『朝日新聞』夕刊で連載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。連載当時の社会状況を反映しているため、いまの時代にそぐわない表現があることをお断りします。

「のれん」に押しつぶされた東芝(佐々木実)

日本郵政が初めて赤字に転落した。2017年3月期連結決算の純損失は289億円。15年5月に買収した豪州の物流会社トール・ホールディングスの業績不振に伴い、4003億円もの特別損失を計上したことが原因である。

買収に失敗すると、なぜ損失が発生するのか。「のれん」という名の資産を減損処理しなければならないからだ。通常、企業を買収する際、買収額は買収される企業の純資産より大きい。買収した企業はこの差額を「のれん代」として、バランスシート(貸借対照表)の資産の部に計上する。買収の失敗が明らかになると、「のれん代」を減額しなければならず、損失が発生するわけである。

「のれん」は「ブランド力」とか「超過収益力」などと説明されることも多いが、買収の失敗は「のれん」の過大な評価から生じる。日本郵政はトールを約6200億円で買収したが、あとで巨額損失を被ったのは「のれん代」が巨額だったからにほかならない。

日本郵政の長門正貢社長は4月下旬の会見で、巨額買収劇の背景について「株式上場前に成長ストーリーを示したいという意図もあったのでは、と思う」と語った。買収当時、日本郵政は株式の上場を控えていた。トールの買収は弱点と見られていた郵便事業で「海外展開で成長」の「成長物語」を投資家にアピールするねらいがあった。法外な「のれん代」には、バラ色の成功物語の値段が上乗せされていたわけだ。

「シッポが犬を振り回す」というが、「のれん」はときに企業を振り回す。最悪の例が、東芝である。

東芝は2006年に米国の原子力会社ウェスティングハウス・エレクトリック(WH)を約6400億円で買収した。WHの純資産は約2400億円で、およそ4000億円を「のれん」に相当する無形資産として計上することになった(「のれん代」の3507億円とは別に「ブランド代(非償却無形資産)」として502億円を計上)。

現在、東芝は上場廃止さえ懸念されているが、迷走の原点はWHの買収だ。福島原発の事故後、巨額にのぼるのれん代の減損処理が必至だったにもかかわらず、東芝は「のれん代の償却は必要ない」と強弁し続けた。のちの不正な会計や不自然な企業買収を誘発する土壌をつくってしまった。「原子力ビジネスで成長」の夢から醒めたとたん、「のれん」に押しつぶされたのである。

「のれん」は不思議だ。企業の将来にわたる総合的な評価を、現時点で現金に換算するのだから、必ず不確実性が伴う。未来を正確に予測できないように、「のれん」を正確に算定することなどできない。

しかし一方で、「のれん」は企業を膨張させる。ソフトバンクは16年に英国のアーム・ホールディングスを約3兆3000億円で買収した際、約3兆500億円もの「のれん」という見えない資産を手に入れた。まるで魔法の杖だ。

結果的に買収が成功するか失敗するかにかかわらず、「のれん」には「物語」が潜む。資本主義の主役たる「企業」が商品として売り買いされるとき、資本主義に内在する幻想性が「のれん」となって姿を現す。そう解釈することもできるのではなかろうか。

(ささき みのる・ジャーナリスト。5月26日号)

宋日昊(ソン・イルホ)大使、「朝日平壌宣言は大切」(伊藤孝司)

朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が計画する核実験と米韓合同軍事演習で、朝鮮戦争以降で最大の軍事的危機が高まっている。

単独会見に応じる宋日昊大使(撮影/伊藤孝司)

そうした中で朝鮮は、4月15日に金日成主席生誕105年の記念日を迎えた。その取材に訪れた日本メディアの記者団に、宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は17日、会見に応じた。それを聞いた翌日、私は記者団と平壌から車で約5時間かかる咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市に向かい、残留日本人と日本人妻を取材した。

84歳のリ・ウグン(日本名・荒井琉璃子)さんは、自宅でインタビューに応じた。熊本県出身の両親の間に「京城」(現在のソウル)で生まれる。日本敗戦の混乱の中で家族とはぐれ、朝鮮人に育てられて結婚。中国東北地方と同じ状況がソ連軍管理下の朝鮮半島北部でもあり、残留日本人がたくさんいた。

13日に単独インタビューした「日本研究所」の曺喜勝(チョ・ヒスン)上級研究員は、今までの調査で残留日本人9人を確認していることを明らかにした。咸興市では、在日朝鮮人の夫とともに「帰国事業」によって朝鮮へ渡ったいわゆる日本人妻たちによる「咸興にじの会」の会員たちとその事務所の取材もすることができた。

平壌へ戻った20日夜に、宋大使への3時間に及ぶ単独インタビューが実現。17日の会見では出なかった、より突っ込んだ話があった。

私はまず、残留日本人と「にじの会」を初公開した意図について聞いた。「日本の記者から取材希望があったが、個別に認めると(朝鮮の)工作活動と言われるので、多くの記者が来た時に設定した」と述べた。だが「日本の政府・民間を問わず、(日本人埋葬地)墓参や残留日本人での提起があれば前向きに対応する」と語るなど、人道的課題を見せようとしたのは確かだ。

ストックホルム合意は消滅

宋大使は17日の会見で「ストックホルム合意」は「すでになくなっており、その責任は日本にある」とした。そして「合意」に基づいて日本人調査を実施していた「特別調査委員会」は「解体された」と語った。この発言に対して岸田文雄外務大臣は18日、「まったく受け入れられず、合意の履行を引き続き求めていく」と強く反発。私は宋大使に、それをどのように受け止めるか質した。「拉致問題だけを進めるよう求める発言であり認められない。合意とは、破棄すると再び戻すことができないもの」と述べ、復帰する意思がまったくないことを明言した。

しかし宋大使は「『朝日平壌宣言』は首脳会談によるものなので非常に大切にしており、関係改善の里程標となっている」とした。つまり、金正日総書記が署名した宣言は絶対的なものであり、あくまでも守ろうとしているのだ。

「朝鮮革命博物館」がリニューアルされて3月30日に開館。朝鮮の解放と建国、社会主義建設の歴史が約100室に展示されている。私は外国人ジャーナリストとして初めて取材できた。日本に関する展示室にはパネルや写真、日用品などが並び、植民地支配の実態を細かく解説。昨年6月には、日本・米国との対決の歴史を若い世代に教えることを目的とした「中央階級教養館」がオープンしている。

宋大使は「『朝日平壌宣言』の中核は過去の清算であり、これを抜きにして(日本との)実りある関係は結べない」と語った。その姿勢を改めて示しながらも、日本国内で批判が出にくい人道課題で対話の糸口を再び探る。これが現在の朝鮮の、日本に対する方針のようだ。

(いとう たかし・フォトジャーナリスト。4月28日・5月5日号)