週刊金曜日公式ブログ 週刊金曜日ニュース

朴槿恵氏と安倍昭恵氏の違いはなぜ生じたのか(黒島美奈子)

韓国憲法裁判所が朴槿恵(パク・クネ)大統領(当時)の罷免を決定した3月上旬、日本でも政権を揺るがすスキャンダルが急浮上していた。いわゆる「森友学園問題」だ。

安倍晋三首相の妻・昭恵氏が名誉校長就任を引き受けていた私立小学校への、財務省近畿財務局による異例の安価での国有地提供や、大阪府による異例の新設認可などが明らかになった。

親友とされる崔順実氏へのさまざまな便宜供与の疑いに端を発した朴氏問題と、森友学園への便宜供与が疑われる昭恵氏。韓国と日本、政権の似たようなスキャンダルの行方が注視された。

報道の当初から安倍首相は積極的に言及し、疑惑を否定した。「自分も妻も少しでも関わりがあれば首相も国会議員も辞める」と主張して幕引きを図ろうとしたが、逆に、新設認可申請の際の虚偽報告暴露で窮地に追い込まれた森友側が「昭恵氏経由で晋三氏からの寄付金を受け取った」と首相夫妻との関係性を公表。学校法人理事長・籠池泰典氏の国会証人喚問へと発展した。

偽証すれば罪に問われるという立場で籠池氏は、報道とほぼ同じ主張を繰り返した。すなわち「昭恵氏に土地提供の便宜を依頼した」「寄付金を受け取った」。加えて昭恵氏が私的な行動に、昭恵氏付きの公務員を従わせたり、公的費用を使っていた疑いも浮上した。疑惑は一層深まった。さあこれからさらなる疑惑解明を――と思っていたら、国会も報道もなぜか急速にトーンダウンしてしまった。いまや在京大手メディアが報じるのは森友学園の保育園運営が、危機的状況にあるということぐらいだ。

一方の韓国で朴大統領の疑惑が最初に報じられたのは2016年秋ごろ。徐々に朴政権の支持率は下がり、退陣を求める国民の大規模デモが毎週のように繰り返されるようになった。国会での追及も激しさを増し、検察当局はついに4月、前大統領の異例の起訴に踏み切った。

森友問題の顚末とのあまりの違いに、思わず韓国で暮らす知人にその理由を尋ねてみた。知人は一言「韓国では疑惑解明にメディアが大きな役割を果たした」。最初に報じたのは小さなテレビ会社だったが、その後、大手を含むメディアがさまざまな角度から朴政権を検証し、粘り強く報じた。結果、国民が問題を十分理解するところとなり、政権の支持率低下やデモにつながったのではないか――という。

かたや日本はどうか。

各種世論調査では「森友問題の疑惑解明をすべき」との意見が大半を占める一方で、安倍政権の支持率は高止まりという「ずれ」が生じている。

安保法の時も同じだった。「経済政策がうまくいっているから」「野党がだらしない」と分析する向きもあるが、安倍政権下での世論のずれは、それだけでは説明できそうもない。

日本メディアの権力監視能力の弱体化を体現しているのではないか。そう思わずにはいられないのは、名護市辺野古の米軍基地建設問題でも再び移設賛成の世論が頭を持ち上げているからだ。地元紙として発信力の不足を痛感する。同時に「最高裁判決が結論」との安倍政権の主張だけを、何の検証もなしに報じ続ける在京大手メディアの姿が、賛成世論の増加と重なって見える。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。4月28日・5月5日号)

教育勅語を認めた安倍政権はヒトラーの『我が闘争』も認めるのか

民進党の宮崎岳志衆議院議員は4月6日、安倍内閣に対し、ナチスドイツの指導者だったアドルフ=ヒトラーの著作『我が闘争』について、「批判的な視点や歴史的事実として紹介する場合以外でも、この書物の一部を抜粋して道徳や国語の教材として用いることは、否定されないのか」との質問主意書を提出した。

これに対する内閣の答弁書(14日付)は、一般論として、教育基本法等の趣旨を踏まえたものである限り校長などの責任と判断で使用できるとした上で、「仮に人種に基づく差別を助長させるといった形で同書を使用するのであれば(中略)不適切」としたが、質問には直接答えなかった。

宮崎議員は衆議院文部科学委員会で同5日、教育勅語について「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とした内閣の閣議決定に関連して、前述の質問主意書と同趣旨の質問をしていた。

これに対して、松野博一文部科学大臣は「『我が闘争』に書かれている内容の精神をそのまま生徒児童に伝える目的をもって使用されるならば適切ではない」と質問をずらせて答弁した。

宮崎議員は筆者の取材に対し、「塚本幼稚園(森友学園)で園児らに教育勅語を暗唱させたのと同じようなことが、『我が闘争』に関してもありうるのでは、との思いで質問した」とし、「文科大臣の答弁も内閣の答弁書も、私の質問から逃げている」と批判した。

同議員は、「安倍内閣には森友学園的なあり方と思想的に近い人が多くいる」とし、教育勅語に関する閣議決定について、「勅語を『使えない』ことを否定し、『使える』余地を残した。曖昧なままにし、あとは解釈で、との意図を感じる」と述べた。

この問題は、安倍内閣の反立憲民主主義的かつ復古的な政治の一環として捉える必要がある。

(星徹・ルポライター、4月28日号)