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オスプレイは“空飛ぶ恥”(黒島美奈子)

つぶの一つ一つにさわれそうなゴーヤーや、花びら1枚1枚がピンと張ったアザミ。植物をモチーフにした繊細な水彩画の作者は、沖縄で暮らして20年になるという奥西眞澄さん(77歳)だ。航空自衛隊の元パイロットで、約30年間、民間航空会社のパイロットをも務めた経歴を持つ。今年1月に「オスプレイを斬る」の題名で紙芝居を披露し話題を呼んだ。

「みなさん、飛行機が羽ばたくことを知ってますか?」。航空力学の知識を駆使し、オスプレイの構造をコウモリや竹とんぼになぞらえて解説する。「分かりやすい」と評判で講演の依頼が舞い込んでいる。2月中旬に初めて会った日にも、その携帯電話に、紙芝居を譲ってほしいとの依頼が寄せられていた。

奥西さんは広島県呉市出身。商船大学への進学が決まっていたが「模擬試験代わりに」と友人に誘われ空自を受験したのが入隊のきっかけだ。一緒に受けた7人のうち合格したのは奥西さん含め2人だけ。入隊後は、戦闘機の操縦に必要な数学・物理・英語の履修を徹底させられた。テストの出来が悪いと除隊もあったといい、当初180人余の同期は2年目が終わるころは70人余に。奥西さんは、同期で数人というテストパイロットになるほどの優秀さだった。

「戦闘機はスポーツカーのようなもの」と言う。夢中になるのに時間はかからなかった。特にテストパイロットの仕事はやりがいがあった。操縦にたけたテストパイロットが「安全」と判断して初めて、他のパイロットが操縦できるようになる。危険な仕事だが手当は当時1日200円だった。「命を懸けてこの額か」と皮肉ったこともある。それでも操縦できる喜びが勝った。34歳で空自を後にしたのは、地上勤務に配属されたことが理由だった。空の仕事を求めて民間航空会社に入社した。

温暖な気候にひかれ沖縄で暮らすようになったのは55歳のころ。61歳でパイロットを退職。8年前に脳梗塞から失語症を発症した。当初は、病室で医師の問いかけに答えようとしても声が出ず、絶望感を味わった。リハビリに始めたのが描くことだった。

日常を取り戻し始めたころ、米軍普天間飛行場へのオスプレイ配備を知った。戦闘機のパイロットだった経験から、構造上の問題には早くから気づいた。「オスプレイは、パイロット仲間には“空飛ぶ恥”と呼ばれている。買うのは世界中探しても日本ぐらい」。

昨年、いつも参加する模合(沖縄での頼母子講)でオスプレイの話をしたら「危険性がよく理解できた」と好評だった。得意な絵と一緒に説明すればさらに分かりやすくなるのではないかと、切り絵の紙芝居を作成した。

失語症の影響で以前のようにはしゃべれない。早口でのやりとりは苦手なので、あらかじめ台本を作成して臨む。披露する前日は何度も練習を重ねるという。「そこまでしてなぜ訴えるのか」という問いへの答えが印象的だった。

「沖縄風に言えば『ワジワジー』(怒り心頭に発)している。自衛官の安全と命を政府は何だと思っているのか」

危険なオスプレイの導入、「戦闘」のある海外への派遣……。「国を守ると言いながら、国民を危険に晒す行為だ」。元自衛官の奥西さんの言葉が重い。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。3月3日号)

神奈川朝鮮中高級学校の美術部が「戦争と平和」をテーマに横浜で作品展示

積み重ねられた戦車。約40日間、6人それぞれが工程作業をくり返したという。(撮影/野中大樹)

神奈川朝鮮中高級学校の美術部展示会が2月11日~16日の6日間、神奈川県横浜市の横浜港大さん橋国際客船ターミナルで開かれ、高校生と中学生の美術部員12人が、戦争と平和について問い続けた作品計40点を展示した。

段ボールから無数の戦車を組み立て、乱雑に置かれた状態を作品にして見せたのは朴鎮享さん(17歳)を中心とした6人。

何を表現しようとしたのか。朴さんは次のように語った。

「戦争とは何だろう、と考えた時、二つのことを思いました。一つは人を殺すということ。もう一つは、人の内面をも殺すということです」

そして「戦争が起きるまでの過程に、多くの人が一つの流れにのまれていく様子が目に浮かんだ」のだという。

「戦車は私が設計しました。この型のものを大量生産するために、6人でそれぞれの工程を分担し、約40日間、同じ作業をくり返したのです。するといつの間にか、作っている自分たちも道具の一部になったような気がしてきて、ああ、こういう時に個性は失われるんだと思いました。誰かが作った型にみんながハマッていく。そんな自分たちの姿が客観的に見えてきました」

無造作に積み上げられた戦車の山。これは「道具と化した人の姿も重ねた」と朴さんは語る。

【人が人でなくなる時】

形状が崩れ、女性なのか男性なのか、そもそも人間なのかすら判別できない絵を描いたのは趙延修さん(17歳)。

「かつて日本軍『慰安婦』にされた女性を描きました。彼女たちが本来持っていた女性性や人間性が失われてしまった様を想像していくと、こういう姿にいきつきました」

趙さんは「人が人でなくなった」状態を、元「慰安婦」の彼女たちだけではなく、加害者たる元日本兵たちにも見いだしたという。

「朝鮮を植民地にし、現地の女性を『慰安婦』にできてしまう感覚は、おそらく本来の人間性を保ったままではできないと思ったのです」

女性たちの背後には、目を充血させ、焦点定まらぬ様子の日本兵のものとおぼしき複数の顔がにょろにょろっと描かれている。

「被害者だけでなく、加害者の人間性をも奪ってしまうのが戦争だと思う」

どうすれば人間性を失わずにいられるだろうか、と趙さんに聞いてみた。

「今できることは、過去に起きたことを忘れないことだと思います。日本人には、過去に起きた加害の歴史を直視してほしい」

その際、趙さんはこうも言った。

「今、僕たちが使っている教科書には『日本人拉致』の記述がありません。だけど僕らは拉致の事実を知り、なぜ起きたのかを知っておかなければならないと思う」

美術部顧問の姜泰成さん(38歳)はこう話す。

「情報社会の中で、人は見ようとするものしか見えない。だから何を見ようとするのかが問われてくる。生徒たちには、自力で本質を見極め、それを表現する力を養ってもらいたいと考えています」

小誌2月24日号では、同校に通う15歳の生徒が、神奈川県の学費補助が受けられなくなったことに対する想いを語っている。

10代の彼らは、「北朝鮮のミサイル」や「拉致」といった自分たちとは関係のない話を理由に、補助が受けられないままでいる。

(野中大樹・編集部、3月3日号)