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「イー、イヒヒヒ」が常套語──カナダ=エスキモー2(本多勝一)

イスマタ。1963年当時、写真記者の藤木高嶺氏と共に住みこんだエスキモー集落の狩猟リーダー。日常的にユーモアにもゆたかである。ハンターとしての総合点で彼の右に出る者はいない。頑強な体格、精悍な顔つき、豪快な性格。

かぞえてみれば、今年からでは53年前になる1963(昭和38)年の5月18日午後8時すぎだった。私はまだ31歳、北極圏のカナダはメルヴィル半島東岸、北緯68度50分、西経82度10分、気温マイナス18・5度。

北極圏は、すでに夜のない季節にはいっていた。前日から一昼夜つづいた吹雪は夕方からすっかりやんで、大雪原の地平線上に太陽が冷たく輝く。犬と、ソリと、人間の影が、雪の上に長くのびて走る。私を乗せているソリの地元エスキモー(注)たるイケトックが、太陽を指さして言った――「シクリネルック」。

私たちが慣れぬ発音のエスキモー語で話しかけるので、彼は単語を教えようとしていたのだ。復唱してみせると、「イー」(はい)と答えてからその口のまま「イヒヒヒ」と笑った。「イー、イヒヒヒ」は彼らの常套語らしく思われた。――

……北極圏の53年前のあの小集落、全4軒で6家族35人は、その後どうなっていることか。ごく間接的な情報によれば、あの小集落はその後フォックス海(凍結)ぞいのウスアクジュ部落を引きはらい、百数十キロメートルはなれた軍事基地などもある小都市へ移住したようだ。

そんな間接情報の中から数年前、あの小集落の名狩人イスマタの、元気らしい消息も伝えられてきた。(敬称略)

(注)エスキモーという名称は、本来は近隣の先住民族が東シベリアの高緯度地方の民族につけたアダナで、「生肉を食う人」を意味する。正しくは自称「イヌック(複数イニュイ)」で人間のこと。

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

年に一篇ずつ執筆した長編ルポ──カナダ=エスキモー1(本多勝一)

北極圏の大雪原を黙々と走る犬ゾリ。

前回までで私の「社会部記者」としての立場は終わって編集委員(注)になったため、以後の仕事はほとんどが長編ルポの取材と連載だけであった。結果としてそのような長編、すなわち自分で選んだ長編主題だけを仕事とすることができたのである。

1963年の長編ルポ『カナダ=エスキモー』は、そうした結果でもあった。以後、年に一篇ずつの長編取材が続けられるようになるが、その選択を全く自由にさせてくれたのは、当時の田代喜久雄社会部長(のちに編集局長)である。エスキモーに続く『ニューギニア高地人』(64年)、その翌年の『アラビア遊牧民』。

ただアラビアの頃には、すでにベトナム戦争が世界の焦点となりはじめていた。ジャーナリストの“本業”としては、やはりベトナムこそが焦点であった。特に、当時まだまともには報道されていなかった解放戦線への潜入取材を、私は考えていた。しかしニューギニアの取材と発表がすんだころ、当時の朝日新聞外報部長は私のルポを高く評価するあまり、特に食事の席に招待してまで「もう一篇だけ」と懇願されたので、アラビアを加えざるをえなかった。

かくて65年、アラビアのルポ掲載が終わって後、ようやく66年12月から念願のベトナム取材に出ることができたのである。

(注)編集委員 編集委員制度が作られたこのとき、朝日新聞社編集局では4人の記者が編集局直属のライターとして任命された。そのための「編集委員室」も論説委員室の隣に設けられ、私も編集委員室にはいった。しかし1年か2年たつうちに、編集委員は「定員」がなかったので次第に増加され、ついに満室となってハミ出すに至り、要するに社内人事の御都合主義的人事異動の「場」にされてしまった。結局は編集委員制度自体の崩壊である。

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

レンタカー代均等割りだけで逮捕――埼玉公安の悪質な弾圧

 埼玉県警公安は1月18日、レンタカー代金とガソリン代、高速料金を均等割りして、原発「視察ツアー」を実施したことが「道路運送法第4条」の違反容疑にあたるとして3人を逮捕した。関西でも2015年6月に、京都府の反基地集会にワゴン車を借りて参加した3人が同じ理由で逮捕されているが、公安による市民運動の悪質な弾圧の手口として要注意だ。

 今回の逮捕口実となったのは、埼玉県の反原発グループ9人が15年9月、福島第一原発事故現場に近い福島県楢葉町に「視察ツアー」を実施したこと。その際、ワゴン車をレンタカー会社から借り、参加者全員がかかった費用を均等割りした。ところが埼玉県警公安は16年2月、「ツアー」参加者の自宅など4カ所を「道路運送法違反容疑」で家宅捜索。逮捕者はいなかったが、この1月18日になって今度は3人を逮捕したもの。

 同法4条は無許可での「一般旅客自動車運送事業」の「経営」を禁じているが、今回のようにレンタカーを均等割りして借りただけで誰も利益を得ておらず、「事業」でもない一般的な行為が、なぜ家宅捜索や逮捕の理由になるのか。

 さらに1月25日にさいたま地裁で、10日間の勾留延長がついたことに関する勾留理由開示公判が開かれたが、弁護側の「なぜ道路運送法違反容疑なのか」という求釈明に対し、來司直美裁判官は「答える必要はない。これが回答だ」などと発言。抗議した傍聴者8人が強制的に退廷させられた。

 今回の3人の逮捕にあたり、各メディアは理由に対する疑問を示さないどころか、逮捕者の実名のみならず容疑とはまったく関係ない所属するとされる政治団体を見出しに掲示。うち1人に関しては職場にまで取材をかけて「仕事熱心」「信じられない」(『東京新聞』)といったコメントを掲載するなど、報道各社が公安の思惑に沿って発表を無批判に垂れ流し、一体化している実態を示している。

(成澤宗男・編集部、2月3日号)