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「スーパー堤防」事業差し止めと慰謝料求めた裁判――あきれたコピペで却下・棄却

裁判所前で「不当判決」へのコメントを出す原告弁護団の大江京子弁護士(右端)。(撮影/樫田秀樹)

1月25日、東京都江戸川区北小岩1丁目の93世帯が国の「スーパー堤防」事業で立ち退いたことで、地権者ら4名が、国に対しては「スーパー堤防事業の差し止め」を、江戸川区に対しては、精神的苦痛への賠償として「1人100万円の慰謝料」を求めた裁判の判決が言い渡された。

東京地方裁判所の岸田日出夫裁判長は、前者は「却下する」、後者は「棄却する」と述べただけでものの10秒で退廷した。

スーパー堤防とは、概ね200メートル前後もの幅を有する巨大堤防で、洪水が越水しても堤防が崩れないのをウリにしている。そのためには河川沿いの住民の立ち退きが必須で、「事業実施前に、住民の移転承諾を得て盛り土工事を行わねばならない」と定められている。だが本件では、誰一人国から承諾を求められておらず、区の区画整理事業との名目で立ち退きを迫られ、更地になったところでスーパー堤防事業が始まった。この事実に住民は、「国に盛り土工事の権限がない」と訴えていたのだ。

判決後、弁護団は入手した判決文に肩透かしを食らった。

スーパー堤防では、造成後に元住民が戻ってくるのは可能だが、二度の移転は特に高齢者には無理だ。つまり、コミュニティ崩壊もはらむ事業なのに、岸田裁判長は「限度を超える権利侵害とは言えない。二度の移転を回避したければ、区の先行買収(土地を売り払うこと)に応じればよかったはず」と判示したのだ。

問題は、この判決文が、住民がこの件で区を訴えた「江戸川区スーパー堤防取り消し訴訟」の2013年12月の判決文の、いわゆるコピペであったことだ。

原告の1人、宮坂健司さんは最後まで立ち退きを拒んだ1人だが、「判決は想定内。だが、裁判所が深い考慮をしていないことが分かった。それでも私は声をあげ続け世論に訴える」と語った。

(樫田秀樹・ジャーナリスト、2月3日号)

いる、いる、まさに8頭──カナダ=エスキモー5(本多勝一)

3人のエスキモーたちは、ひと昔まえの望遠鏡でカリブーをさがす。狩猟のリーダー格は右端のイスマタ。その左にムーシシとカヤグナ。(『朝日新聞』1963年7月の連載「カナダ=エスキモー」第20回目、藤木高嶺記者写す。)

エスキモーたちは天測をするわけでも無論なく、吹雪か曇り日が続くこのころでは、沈まぬ太陽がどこにあるかも分からない。地形の記憶で走りつづける。人間の形をした岩だの鳥のような岩だのは重要な目じるしだから、固有名詞がついている。

1時間ほど走って、イスマタはまた望遠鏡をのぞく。彼がカリブーをその視野に入れて固定してから、私たちものぞく。うん、見えた。3頭だ。靄のかかった灰色のシルエット。首を地表にたれている。それも動いたから分かったのであって、まだ遠い。2キロメートルはあるだろう。あとの5頭はすわりこんでいるらしい。肉眼では、いくら目をこらしても見えない。

さらに20分ほど走ると、小さな湖に滑りおりた。凍結した氷に穴をあけて、ソリ3台を綱でしばりつける。犬が勝手に走りださないためだ。

イスマタを先頭に、その湖をかこむ丘陵へ登る。と、イスマタがそっと指さした。カリブーが1頭だけ立っているのだ。約200メートル先。ここからではこれ以上ちかづきにくい。前こごみの姿勢で、やや低い窪地ぞいに左手へ。窪地と言っても、高度差は数メートル以下。

再び高みへ這い上がる。イスマタが「ここまで来て止まれ」と合図。そこで腹ばいになって頭をあげると、いる、いる、まさに8頭。(敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

『石原慎太郎への弔辞』の追伸(佐高信)

2012年2月24日号の『週刊金曜日』アンテナ欄に「瓦礫処理事業を受注する鹿島建設役員に石原知事元秘書」というニュースが載っている。その記事によれば、瓦礫処理について石原は会見で不思議なほど積極姿勢を示し、
「反対する人には黙れ、と言えばいい」
と豪語したとか。

瓦礫処理は鹿島を中心とする大手ゼネコン9社が約2000億円で受注したが、その鹿島には常務執行役員(現専務執行役員)で石原の元公設第一秘書である栗原俊記がいた。この名に覚えのある人も少なくないだろう。1983年の衆議院議員選挙で石原の対立候補の新井将敬の選挙ポスターに、「(昭和)41年北朝鮮から帰化」とシールを貼って公職選挙法違反に問われた事件を主導した人物である。

この時、石原は、
「秘書が勝手にやった」
と、いつもの手で逃げた。

日本一の無責任男である石原の責任転嫁の数々については、拙著『石原慎太郎への弔辞』(KKベストブック)で詳述したので、そちらを参照してほしいが、石原を批判すると、かつては、こんな手紙が舞い込んだ。2000年頃、石原の差別的な「三国人」発言が問題になった時である。当時、私は、作家の宮崎学や人材育成コンサルタントの辛淑玉と共に石原批判の運動を展開していた。

「佐高信 オマエは今すぐにくたばれ 石原知事を選んだ日本人をぶじょくしたな 三国人と言われて おこるのは朝鮮人か、シナ人だからな オマエのようなこの世に必要のねぇカスに 日本人をナメられて だまっていねぇからな
コラ、朝鮮人、いい子ちゃんぶってるんじゃねえよ
オマエの朝鮮顔見てるとヘドが出るんだよ 正義の味方か オマエは 知事にやめろと言う前に この世の中に必要のねぇ佐高、オマエが死ねや
にせ五〇〇円 貴金属荒し強盗 佐高 オマエが被害にあった事がねぇから言えるんだよな
パチンコ荒し 殺人 三国人の犯罪の多さにワシら人間はムカついているんだよ
佐高 オマエが被害者に保障してくれるのか 死んだ日本人を生き返らせてくれるのか
それができねぇんだったらとぼけた事いってるんじゃねぇよ
佐高は朝鮮人だろうが シナ人だろうが どうでもいいんだよ
ようするに 日本人は一日も早く佐高が地獄に行ってほしいとねがってるんだよ たのむから死んでくれや」

臆面もなくテレビに顔を出す猪瀬直樹

この人たちは、いま、ようやく明らかになりつつある“石原慎太郎の犯罪”にはどう思っているのか?

豊洲移転が問題になっている築地市場は、そもそも、銀座の隣の築地市場を移転させて跡地を利権にしようと考えた奴らのもくろみが出発点だった。それで、東京ガスが市場には無理だと拒否するのを強引に説き伏せて、知事の石原と、のちに副知事にまでなる腹心の浜渦武生が移転を強行決定する。

そこで、冒頭の鹿島と石原の関係がクローズアップされるのである。

ちなみに、森喜朗とべったり、いや、森がべったりなのが大成建設だとか。

拙著では石原の「橋下徹と組み、猪瀬直樹を後継指名した罪」も追及したが、不思議でならないのは、徳洲会からの5000万円問題で都知事をやめ、公民権停止となった猪瀬が臆面もなくテレビに顔を出していることである。

公の席に顔を出せる身かと私などは思うが、猪瀬も石原と似た体質なのだろう。
(さたか まこと・評論家、2月3日号)

獲物にみせる余裕な態度──カナダ=エスキモー4(本多勝一)

3人のエスキモーたちは、広大な雪面をはうようにしてカリブーたちに近づく。カメラを抱いて後を追うのは写真記者の藤木高嶺氏。

だがしかし、カリブーの一群を見つけたからと、すぐ追撃を始めるのは「エスキモー流」の態度ではない。獲物がリッパならリッパなほど、余裕のあるところを示さないと。まずはタバコ。次は雪をとかしてお茶だ。またタバコ。

3台のソリが追跡を始めたのは1時間あとだった。小高い丘から盆地状の低地へと、エスキモーたちは声をひそめるわけでもなく、いつものように犬をりつける。

突然、先頭のイスマタの犬ゾリが視野から消えてしまった。驚いて近づくと、10メートルほどの崖から墜落して、ソリが逆立ちしている。空と地平とが白一色で区別できないから、こんなことも起きる。イスマタは大笑いしながらソリを直し、そのまま走りだす。つづく2台は遠まわりして崖を避ける。崖のふちに、カリブーの足跡が点々と続く。

いったい、どの方角へ走っているのか。もはや磁針は北をささない。北磁極(磁石の示す北極)が、ここから僅か800キロメートルほど北西にあるためだ。その角度からすると、およそ東北東に進んでいる。

北磁極は、1831年にJ=C=ロスが発見した当時、ブーシア半島南西部の陸上にあったが、現在(1963年)は実際の北極から1600キロメートル南だ。年に8キロメートル(当時)ほど移動する。(敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

狩猟民族の眼の凄さ──カナダ=エスキモー3(本多勝一)

追いつめられたカリブー群の中で、負傷した1頭が動けなくなった。

カナダ北極圏メルヴィル半島のカリブー(トナカイの一種)は、地元のイニュイ(俗称エスキモー)たちにとっては重要な主食である。肉も狩猟動物の中で一番うまい。

この写真は1963年5月末の、北極圏としては比較的あたたかい日の“風景”だ。3人のエスキモーたちのカリブー猟に同行した私たち(『朝日新聞』の藤木高嶺記者と私)は、かれらの犬ゾリに乗ってメルヴィル半島の奥地へと進んだ。

40キロメートルほどはいった谷の丘で狩猟リーダーのイスマタが、18世紀の戦争を思わせるような古い望遠鏡で30分間ほどのぞいたけれど、カリブーは見えない。この日は谷間におりてテントを張った。気温はマイナス13・5度。

翌日はカリブーの凍った生肉で朝食をすませると、出発1時間後、小高い岩に寐そべったイスマタが、望遠鏡をのぞきはじめた。「タクビ(見えるか)?」と聞くと、彼は大きくうなずいた。「カシニ(何頭)?」──こんどは両手で8本の指を出し、ニヤリと笑った。
ところが、その方角を私がのぞいても分からない(私の視力は1・5)。イスマタもカリブーを望遠鏡の視野に入れて固定してくれたが、それでもダメだ。狩猟民族の眼の凄さは聞いていたが、こんなに差があるのか。(敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

日本政府・社会の異様しめす山城博治さんの長期勾留(黒島美奈子)

1月16日朝、山田親幸さん(83歳)から予期せぬ電話があった。「正午に那覇地裁前に行くから君も来ないか」と言う。名護市辺野古や東村高江での新基地建設・ヘリパッド建設への抗議活動を巡り逮捕された沖縄平和運動センター議長・山城博治さんが勾留されて3カ月を迎える。異議を示すため、何人かが声を掛け合い、裁判所前に集まるという。

沖縄県視覚障害者福祉協会会長の山田さんは、先天性の強度弱視で高校卒業ごろに視力を失った。県立盲学校の教師を務め、沖縄がまだ米軍統治下だった1960年代、沖縄県高等学校障害児学校教職員組合(高教組)の創立(67年7月)にかかわった。同じく創立メンバーの1人、元参院議員の山内徳信さん(81歳)からの連絡で、裁判所前に駆け付けたのだった。

山城さんは、山内さんの出身校の後輩だ。「勾留はあまりに理不尽。かつての同級生たちと何かできないか話した」という。それが釈放を求める署名活動だった。新年と同時に始まった署名はあっという間に広がり、この時点で約3万人分が寄せられた。

山城さんは昨年10月17日、米軍北部訓練場の侵入防止のために沖縄防衛局が設置した有刺鉄線をペンチのようなもので切断したとして、器物損壊の疑いで現行犯逮捕された。その後、昨年8月の防衛局職員への傷害・公務執行妨害容疑、昨年1月の防衛局に対する威力業務妨害容疑が付け加えられた。

「被害者」はいずれも国または国の職員であり、どれも抗議活動の中で「発生した」とされる。三つの容疑の中で一般に重いのは傷害容疑だが、防衛局も県警も連日のように抗議活動を録画しているにもかかわらず、逮捕は発生から2カ月後だった。3番目に容疑に加えられた威力業務妨害は、発生から1年近く経過している。

現行犯は器物損壊だけという状況で、勾留が長引くにつれ、山城さんの逮捕は「政治的な意図によるものではないか」との不審が県民の間に広がっている。

「こんな内容の容疑による長期勾留は米軍統治下でも記憶にない。日本の人権問題や表現の自由は今、あの時代の沖縄より悪い」

裁判所前で山田さんと山内さんが声をそろえた。

復帰運動の盛り上がりと並行して立ち上がった高教組は、社会の問題に敏感に反応した。2人は米軍の圧政への抗議活動の最中、琉球警察や米軍との衝突を何度も経験したという。その2人をして「今の警察や司法より、米軍の方が物わかりが良かった」と言わしめる。黒人奴隷の解放の歴史やリンカーン大統領の名前を持ち出すと、米兵たちは「わかった」というように抗議活動への手を緩めたという。山内さんは「民主主義が何たるものか、米兵たちには実感があったんじゃないか」と振り返る。

米紙『ワシントン・ポスト』電子版は山城さんの長期勾留を「県民に沈黙を強いる異常事態」と報じた。国際人権団体アムネスティ・インターナショナル日本は、釈放を求める緊急行動を始めた。2人をはじめこの日裁判所に集まった100人近くが感じる異様さは、世界の感覚と通じるのだ。

それに対し気になるのが日本社会の沈黙だ。「政治はよく間違える。でも一番怖いのは、それをただす力がないこと」。2人の言葉が胸にささった。
(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者、2月3日号)

TPP違憲訴訟、締結状況も示さず、突然結審。「日本の司法制度がここまで劣化したか」

1月16日、報告会で闘いの継続を訴える山田正彦氏。(撮影/高橋清隆)

環太平洋戦略経済連携協定(TPP)の違憲確認などを求める「TPP交渉差止・違憲訴訟」第7回口頭弁論が1月16日、東京地裁(中村さとみ裁判長)で開かれた。原告側が釈明を求めた締結状況は示されず、突然の結審だった。

昨年11月の第6回弁論で通知なく裁判長が変わっていたことを受け、前半は更新弁論に充てられた。続いて、2人の原告が批准による損害を証言した。

アジア太平洋資料センターの内田聖子事務局長は、TPP交渉の秘密主義を批判。「甘利―フロマンの交渉記録も開示されると真っ黒に塗られて出てきて、『外交上の秘密でお答えできない』と言う。国民の知る権利に対する大きな侵害がある」と指摘した。

経済学者の植草一秀氏は「TPPは憲法が保障する生命や自由、幸福追求に対する国民の権利を根底から覆す明白な危険を伴うとともに、国民と国家の主権を喪失させる」と指摘。憲法が最高法規であることを定めた98条に照らし、公正な判断を求めた。

原告弁護団はTPP協定の締結手続きの現状を明らかにすることを求めた。被告の国側は「批准していないから訴えの利益はない」と棄却を主張してきたからである。国は「締結はなされていない」と答える一方、閣議決定の必要性については「この場では回答できない」と言及を避けた。

準備書面の交換について協議し始めると、裁判長が「その必要性はない。審議は尽くした」と発言。5分ほどの休廷を挟み、裁判長は突然「弁論を終結したい」と告げた。退出する3人の裁判官に怒号が飛ぶ。

「ひどい」「これが裁判かよ」

元農水相で「訴訟の会」幹事長の山田正彦氏は、「日本の司法制度がここまで劣化したか」と嘆いた。

政府は1月20日、国内手続が完了したことを寄託国のニュージーランドに通報した。

(高橋清隆・ジャーナリスト、2月3日号)

「共謀罪」で処罰逃れやスパイの“密告”も

「共謀罪」法案の危険性を訴える海渡弁護士。東京都千代田区にて。(写真/星徹)

通常国会初日の1月20日、犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」法案に反対する集会が参議院議員会館で行なわれ、350人以上の参加者で超満員となった。

共産党・民進党・社民党などの国会議員十数人も参加し、法案の危険性を訴え、法案阻止の決意を語った。

安倍内閣はかつて三度廃案となった「共謀罪」法案を一部手直しし、「テロ等組織犯罪準備罪」法案として今国会に提出する意向だ。切迫した状況にある。

海渡雄一弁護士は、政府が「普通(一般)の人が対象になることはない」と言うことに対し、「ある団体が犯罪を行なったとされれば、もともと適用外でも、組織犯罪集団ということにされる。一種のトートロジー(同義反復)だ」と語った。さらに、1925年に制定された治安維持法と現在の「共謀罪」法案の共通性を指摘し、「体制に抵抗する団体を一網打尽にできるという点で、同じような効果をもたらす可能性が高い」と訴えた。

元法務大臣の平岡秀夫氏は、「もし『共謀罪』法ができれば、いったん犯罪を行なおうと(複数人で)合意したら、後から『やめよう』となっても、処罰されることになる。処罰を逃れるには密告するしかない」と語った。また、「スパイが送り込まれて犯罪を煽り立て、『やろう』と決めた後でスパイが“密告”するというケースも想定できる」とした。

(星徹・ルポライター、2月3日号)

沖縄の宮古島市長選挙で示された「民意」──“再選市長”の疑惑は多々(内原英聡)

任期満了に伴う沖縄県宮古島市の市長選挙は1月22日投開票を迎え、現職の下地敏彦氏(自民党推薦)が9588票で再選された。当日有権者数は4万3401人(女性2万1956人、男性2万1445人)で投票率は68・23%。投票総数は2万9614人だった。

いわゆる”保守系”の支持者が多いとされる宮古島市で下地氏は2009年に初当選し、13年は無投票(対立候補なし)で再選。昨年6月市議会では陸上自衛隊の配備受け入れを表明し、今回で争点の「民意が示された」「陸自配備に弾みがつく」といった声があがる。大手メディアも軒並みこの論調だが、「民意」は現職に厳しい視線を向けている、というのが実態だ。

今回、第一声で「大変厳しい選挙」としながら“陸自配備反対”を明言した奥平一夫氏(前県議、民進推薦)は9212票で第2位につけた。現職との得票差も376票まで迫る勢いだ。第3位の真栄城徳彦氏は6545票を獲得。現職市政の相次ぐ不祥事や情報隠蔽体質を批判。陸自配備計画も全容開示がされないかぎりは「反対」との立場を示した。第4位の下地晃氏(医師、社民党と沖縄社会大衆党が推薦)は4020票を獲得。関係者によれば下地氏は自衛隊の任務(島嶼における急患搬送など)を一部認める半面、配備計画は依然危険性が高いとし、中盤からは「断固反対」を強調した。

現職市政では数々の不正が判明、疑惑浮上も相次いでいる。14年度の観光プロモーション事業では行政手続きの不透明性をめぐり、市議会で調査特別委員会(百条委)が設置され現在審議中だ。

22日は市議補欠選挙(欠員2)も同時に投開票され、会社員の前里光健氏(8374票)に次いで陸自配備反対を貫く石嶺香織氏(「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」共同代表)が、7637票で初当選を果たした。宮古島市の今後が注目される。

(うちはら ひでとし・編集部、2017年1月27日号)

「イー、イヒヒヒ」が常套語──カナダ=エスキモー2(本多勝一)

イスマタ。1963年当時、写真記者の藤木高嶺氏と共に住みこんだエスキモー集落の狩猟リーダー。日常的にユーモアにもゆたかである。ハンターとしての総合点で彼の右に出る者はいない。頑強な体格、精悍な顔つき、豪快な性格。

かぞえてみれば、今年からでは53年前になる1963(昭和38)年の5月18日午後8時すぎだった。私はまだ31歳、北極圏のカナダはメルヴィル半島東岸、北緯68度50分、西経82度10分、気温マイナス18・5度。

北極圏は、すでに夜のない季節にはいっていた。前日から一昼夜つづいた吹雪は夕方からすっかりやんで、大雪原の地平線上に太陽が冷たく輝く。犬と、ソリと、人間の影が、雪の上に長くのびて走る。私を乗せているソリの地元エスキモー(注)たるイケトックが、太陽を指さして言った――「シクリネルック」。

私たちが慣れぬ発音のエスキモー語で話しかけるので、彼は単語を教えようとしていたのだ。復唱してみせると、「イー」(はい)と答えてからその口のまま「イヒヒヒ」と笑った。「イー、イヒヒヒ」は彼らの常套語らしく思われた。――

……北極圏の53年前のあの小集落、全4軒で6家族35人は、その後どうなっていることか。ごく間接的な情報によれば、あの小集落はその後フォックス海(凍結)ぞいのウスアクジュ部落を引きはらい、百数十キロメートルはなれた軍事基地などもある小都市へ移住したようだ。

そんな間接情報の中から数年前、あの小集落の名狩人イスマタの、元気らしい消息も伝えられてきた。(敬称略)

(注)エスキモーという名称は、本来は近隣の先住民族が東シベリアの高緯度地方の民族につけたアダナで、「生肉を食う人」を意味する。正しくは自称「イヌック(複数イニュイ)」で人間のこと。

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。