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被害対策弁護団が発足――「ブラック企業」は根深い問題

「ブラック企業被害対策弁護団」の結成を表明する佐々木亮弁護士(中央)ら。(撮影/内原英聡)

「ブラック企業被害対策弁護団」の結成を表明する佐々木亮弁護士(中央)ら。(撮影/内原英聡)

過酷な長時間労働や賃金の不払いなど、不当な条件を労働者に強いる「ブラック企業」が社会問題化している中、全国組織「ブラック企業被害対策弁護団」が七月三一日に結成され、同日、東京・霞が関の厚生労働省で会見を開いた。

 代表の佐々木亮弁護士は「ブラック企業の狭義の定義は、新興産業において若い労働者を採用しては使い潰す会社をいい、広義には不当な労働を強いて労働者の心身を危険にさらす企業」と説明。

 その典型例として長時間労働(安全配慮義務違反)や残業代の不払い、詐欺まがいの契約(固定残業代、直前での雇用形態の変更など)、管理監督者制度・裁量労働制の濫用、パワーハラスメント、過労鬱・過労自殺・過労死の隠蔽などを列挙した。

 今後の活動として、被害者の法的権利実現、被害の対応策研究と情報の発信、ブラック企業の実態調査、社会への問題提起などを展開していく。

 北海道から長崎県まで、五〇人超が同弁護団に名を連ねており(三一日時点)、今後も規模を拡げ、「組織としては各都道府県に一人ぐらい、被害者が相談できる窓口をおきたい」(佐々木氏)と話す。

 会見では実際にブラック企業の被害者三組も列席し、それぞれの実体験を報告した。エステ・マッサージ職に従事してきたという二〇代の女性は、深夜におよぶ重労働や、朝礼で過度に叱責されるなど生々しい現場を証言し、「働いている間はずっと辛かった」と振り返った。また、会見後の本誌の取材に対しては、「相談して気持ちが楽になった。自分と一緒に怒ってくれる人がいることが嬉しかった」と話し、同世代の被害者に「一人で悩まないで」と呼びかけた。

 なお、同弁護団はインターネット上にホームページ(URL http://black-taisaku-bengodan.jp/)を開設。随時、情報を更新していくという。

(内原英聡・本誌編集部、8月9日号)

朝鮮戦争停戦から六〇周年――平和協定求めるシンポ開催

ジョンソン大統領時代に司法長官を務めたウィリアム・ラムゼイ・クラーク氏。(撮影/野中大樹)

ジョンソン大統領時代に司法長官を務めたウィリアム・ラムゼイ・クラーク氏。(撮影/野中大樹)

朝鮮戦争の停戦協定から今年で六〇年を迎えるにあたり八月一日、東京都千代田区の学士会館で「ソウル―ピョンヤン―東京 リレー国際シンポジウム 戦争から平和へ、朝米平和協定締結の道へ」が開かれた。主催はシンポ実行委。

 基調報告としては、一九六七年から六九年まで米国司法長官を務めたウィリアム・ラムゼイ・クラーク氏が講演。「朝鮮半島はなぜ分断されたか。米国の軍事戦略を担った人々は、日本の安全のために基地を(韓国に)確保したかった。これは朝鮮にとって残酷きわまりない決定だった」とし、多数の朝鮮人が犠牲になったことは「ジェノサイド」だと指摘した。

 パネルディスカッションでは、ブライアン・ベッカー氏(反戦反人種差別行動ANSWER事務総長)、鄭己烈氏(清華大学客員教授)らが朝鮮戦争の政治的背景や現在の政治状況について討議した。

 ベッカー氏は、ブッシュ大統領(当時)がイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んで緊張を高めた例を挙げ、「朝鮮半島はソウルでもピョンヤンでもなく、ワシントンの政治の結果に左右されている」と強調した。金英子氏(朝鮮大学校)は、日本が朝鮮戦争を通して米軍を支え、朝鮮半島の分断と緊張状態の維持に特別な役割を果たしている点を指摘した。

 朝鮮戦争が勃発したのは一九五〇年。米国とソ連の代理戦争として、四八年に成立した大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が戦火を交えた。犠牲者は軍人・民間人あわせて数百万人と言われ、家族の離散もあいついだ。五三年に停戦協定が結ばれたが、現在も休戦状態にあり、東アジアにおける冷戦構造を規定しつづけている。

 この日のシンポでは、平和協定締結への重要性が繰り返し説かれた。参加者は約三五〇人。七月二六日にソウルで行なわれたシンポには約二五○人が出席した。

(野中大樹・編集部、8月9日号)

過労死をなくそう!龍基金――二紙の記者が受賞

「過労死をなくそう!龍基金」中島富雄賞の第七回授賞式が八月四日、東京・すみだ産業会館で開かれ、代表の中島晴香さんから、過労死や過労自殺問題を意欲的に報じてきた『東京新聞』記者の中沢誠さんと皆川剛さん、『産経新聞』記者の小野木康雄さんの三人に賞が贈られた。中沢さんらは「これを励みに、引き続き過労死問題に取り組んでいきたい」などと述べた。

 同基金は、(株)すかいらーくに勤務中の二〇〇四年八月に過労死で亡くなった中島富雄さんの遺志を継いで設立。〇七年から過労死や過労自殺根絶のために活動する団体・個人を顕彰し、これまでは闘う当事者や遺族が中心だったが、今回はそれらを伝えるマスコミの役割も重要とし、初めて報じる側の受賞となった。

 授賞式では、昨年同賞を受賞したワタミ過労死遺族の森豪・祐子さん夫妻が、入社二カ月で死亡した娘・美菜さん(二〇〇八年当時・二六歳)の過労自殺についてワタミフードサービス前会長の渡邉美樹氏(現・参議院議員)の責任を追及している問題について報告。「八月二日付の『朝日新聞』にインタビュー記事が載ったが、まったく反省などしていない。『二四時間働け、三六五日働け』などという人が国会議員になってしまい、この国の将来が不安」などとし、引き続きワタミの社会的責任を追及していく決意を述べた。

 また、「全国過労死を考える家族の会」の寺西笑子世話人代表が、「過労死防止基本法」制定をめざす請願運動について「議員連盟もでき、一〇〇万人署名は現在、四五万人まで近づいている」とし、協力を呼びかけた。第二部では、『毎日新聞』記者の東海林智さんが「労働は商品ではない! いのちと働く者の尊厳を守るために」と題して講演した。

(片岡伸行・本誌編集部、8月9日号)

公務執行妨害で罰金四〇万円――歩いていて逮捕勾留

「まさに青天の霹靂。花見に行く目的で桜橋を目指して歩いていただけ。それが公務執行妨害で逮捕されるなんて」――。

 七月二四日、東京地裁の法廷で、最終弁論の後、原田浩さん(仮名、五十二歳)は、意見陳述を行ない無罪を主張した。しかし、八月二日の判決で安東章裁判長は、公務執行妨害により罰金四〇万円の支払いを命じた。

 原田さんは三月二四日、浅草方面の桜橋で花見をしようと、吉野通りと明治通りとが交わる泪橋交差点方面に向け歩道を歩いていた。ニット帽にマスク、背にはリュックといった格好だった。すると後方からパトカーが来て、突然警察官らが職務質問のため歩くのを止めるよう執拗に迫ってきたという。

 パトロール中の警察官らは、「ニット帽を深くかぶり、マスクをしていて、目の辺りしか顔を見せていない状態」「(山谷が)犯罪多発地域と認識されている場所」などの理由から原田さんを挙動不審者と決めつけたが、ここ一〇年の警視庁の統計で山谷が特別に犯罪の多い地域とはなっていない。

 原田さんは、警察官らの高圧的な態度から職質に応じる必要はないと、そのままその場を立ち去ろうとしたが、その中で警察官一名が「転倒」。「転び公妨」と疑われる形で現行犯逮捕された。

 裁判では、警察官らの職質の適法性、原田さんの暴行の有無が争われた。多賀亮介弁護士は言う。「裁判所の判断としては、警察官が二、三人同じことを言っているから信用できる。そういう前提。しかし警察ではいくらでも口裏合わせをする機会があった」。また、「原田さんは最初は徹底的に闘う意欲を見せていたが、終盤は支援が入るまで拘禁反応と思われる症状で気力を奪われていった」とした。

 一三一日にも及ぶ勾留から二日ようやく解放された原田さんは後日、「(警察などの)やり方が偏見に満ち満ちていて許せない」と語った。現在、控訴を検討中という。

(西村仁美・ルポライター、8月9日号)

避難継続・移住補償を求め政府交渉――強行される「帰還」に抗議

「住民の意向を聞く」とした原子力災害対策本部の松本氏(右から2番目)。(撮影/阪上武)

「住民の意向を聞く」とした原子力災害対策本部の松本氏(右から2番目)。(撮影/阪上武)

原発事故による避難者に対し、「帰還」を事実上強制する動きが進んでいる。この中、避難継続・移住を希望する避難者への総合的な支援策の一刻も早い確立を求めて七月三一日、東京・永田町の参議院議員会館で「原発被災者の権利を守ろう!」(主催・FoE Japan、福島老朽原発を考える会)と題する集会と政府交渉が行なわれた。約一三〇人が結集した。

 福島県伊達市の特定避難勧奨地点ではすでに、住民の意向を無視した一方的な指定解除と賠償打ち切りが強行された。解除の基準は、指定の基準と同じ、年二〇ミリシーベルト(mSv)とされた上、年一mSv以下にとの除染目標は消滅。一回の測定で勝手に解除が決められ、一方的な通知と三カ月後に賠償を打ち切る“兵糧攻め”が避難者の生活を圧迫している。

 次に解除が狙われているのが南相馬市の特定避難勧奨地点だが、指定を受けた当事者で市議の大山弘一さんは同日、「いまだに汚染は深刻で、年一mSvの基準が守られないのは人権侵害」と訴えた。

 このほか、元の計画的避難区域と警戒区域でも、年二〇mSv以下の避難指示解除準備区域において解除に向けた動きが進んでいる。

 政府は、田村市都路町の避難指示解除準備区域で、個人線量計による線量の自主管理を行ない、住民の宿泊を認める実験をこの八月から開始。個人線量で評価すれば数値が空間線量よりも小さくなることが知られている。これで被曝線量を抑えたことにし、被曝を前提とした帰還の強制につながることが危惧される。

 田村市都路町から金沢に避難している浅田正文さんは集会で、「自己管理というが、住民を使った実験ではないか」と反発した。

 同日の政府交渉で、原子力災害対策本部被災者生活支援チームの松本真太郎氏は、「今後は住民の意向を聞く」と回答するにとどまった。

(阪上武・福島老朽原発を考える会、8月9日号)

強制捜査はまだか!! 東電告訴1年

約300人が集った「告訴団」いわき市集会。(写真/明石昇二郎)

約300人が集った「告訴団」いわき市集会。(写真/明石昇二郎)

 検察当局が福島第一原発事故の刑事責任を問う告訴状を受理してから1年を迎えた8月4日、福島原発告訴団主催の「強制捜査はまだか!!」集会が福島県のいわき市文化センターで行なわれ、全国から約300人の告訴・告発人が参加した。

 冒頭、告訴団の武藤類子団長は「東京電力への強制捜査と起訴を強く求めるために、告訴受理から1年の今日、ここに集まった」と挨拶。検察に提出した陳述書約7000通の中から50通を抜粋した書籍『これでも罪を問えないのですか! 福島原発告訴団50人の陳述書』(発行元・『週刊金曜日』)を8月末に刊行することが報告され、「原発事故の記憶が風化していく今、事故が私たちに何をもたらし、何を奪ったのかを心に刻むための本。本来は検察に出されたものだが、たくさんの人に読んでもらいたい」と訴えた。

 集会では、告訴団弁護団からの被災地報告に続き、いわき市出身の講談師・神田香織氏が、被災者の書いた詩を磐城弁で朗読。賠償請求の際に東電が被災者に要求する無理難題を扱った詩「一万円」は、参加者の涙を誘った。そして集会は佐藤和良副団長の、

「私たちは負けない。福島地検や東京地検まで筵旗を立てて攻め上る」

 との決意表明で締めくくられ、参加者らは市内のデモ行進へと向かった。

(明石昇二郎・ルポライター、8月9日号)

フィリピン現地調査で明らかに――問題ある強制送還

入管収容時に右手を怪我。適切な治療なく指が曲がらなくなった男性の写真。(撮影/西中誠一郎)

入管収容時に右手を怪我。適切な治療なく指が曲がらなくなった男性の写真。(撮影/西中誠一郎)

 法務省入国管理局がフィリピン人七五人をチャーター便で強制送還(七月六日)した問題で、支援者の現地調査により、入管の人権を無視した対応が明らかになった。

東京都内で七月二九日に行なわれた記者会見で、港町診療所(横浜市)の山村淳平医師は七月下旬に四日間、フィリピンで今回強制送還された男性七人に対面した内容を報告した。

 山村医師によると、強制送還の数カ月前から入管での面会件数が制限されるようになったという。送還前日深夜にフィリピン人被収容者だけが別室や保護房に集められ、突然送還を告知された。弁護士や家族にも連絡を取ることができないまま、翌朝フィリピン人一〇人につき二〇から三〇人の入管職員と一緒に護送車数台に分乗させられた。手錠をかけられ成田空港から飛行機に搭乗。マニラ空港に到着する三〇分前まで手錠をかけた状態で食事やトイレを済ませていたことなどがわかった。

 さらに、入管収容施設内で別室に移動する際に、無理矢理六、七人の入管職員に抱きかかえられ打撲を負ったケースや、入管収容中に怪我をしたが適切な治療が受けられず、後遺症が残った状態で送還された人もいたという。

 マニラ空港ではフィリピン社会福祉開発省職員から事情聴取を受け、一人当たり一〇〇〇ペソ(約二三〇〇円)程度の交通費が渡されたとした。中には一〇歳の時に来日し、タガログ語を話すことができず、両親が亡くなったためフィリピン国内に身寄りもなく途方に暮れている人や、日本に妻子を残し精神的に深刻なダメージを受けた人もいる。

 会見に同席した児玉晃一弁護士は「イギリスで強制送還が実施される際には、家族や弁護士に事前告知され面会もできる。日本の入管の内部規則でも、手錠などの使用は極めて限定的」と指摘し、「密室の強制送還」における人権上の問題を指摘した。

(西中誠一郎・フリーライター、8月9日号)

「過重負担はもう限界」不信増す県民――米軍キャンプにヘリ墜落

 八月五日午後四時ごろ、沖縄県宜野座村松田区に隣接する米軍キャンプ・ハンセン内の訓練場で、米空軍嘉手納基地所属のHH60救難ヘリコプター一機が訓練中に墜落、機体は黒煙を上げて激しく爆発、炎上した。墜落現場から一番近い住宅地まで二キロ、一キロ以内には沖縄自動車道(高速道路)もあり基地の危険と隣り合わせで暮らしてきた周辺住民たちに衝撃が広がった。

「基地内で白煙が上がっている!」。事故を目撃した同村役場担当者から沖縄県警に通報が入ったのは午後四時八分。しかし、米軍報道部からの発表はなく県警は独自にヘリを那覇空港から飛ばし現場を確認するしか手立てがなかった。

 同日、同時刻。宜野湾市内で仲井眞弘多県知事や関係市町村長らが集まった「県軍用地転用促進・基地問題協議会」の総会が開かれていた。NHK午後五時の全国ニュースを確認した県の担当者から直接一報を受けた又吉進知事公室長がヘリ墜落を伝えると出席者全員の顔が凍りどよめきの声があがった。

 さらに、同時刻、嘉手納基地周辺の三市町村長(嘉手納町・北谷町・沖縄市)がオスプレイの追加配備の撤回や嘉手納基地への空軍仕様オスプレイ配備反対を求める抗議要請文を武田博史沖縄防衛局長に直接手渡していた。抗議要請直後、報道関係者から墜落の情報を知らされた関係者たちは「懸念が現実になった」と批判した。この時点で沖縄防衛局も詳細を把握していなかった。

 墜落事故の情報は錯綜し情報は二転三転した。米軍報道部や沖縄防衛局から詳細を得られない県、県警、報道、まさに三すくみの状態で現場はさらに混乱していた。同村役場から通報を受けた消防と県警も車両を急行させた。しかし米軍側は「基地内」として立ち入りを拒否。六日現在、乗組員一人の死亡が確認されている。

(平良暁志・ジャーナリスト、8月9日号)

買収容疑で元陸将補逮捕――“ヒゲの隊長”に不祥事続々

十条駐屯地前で堀口英利陸将(中央)から選挙の激励を受ける佐藤正久氏(左)。(撮影/三宅勝久)

十条駐屯地前で堀口英利陸将(中央)から選挙の激励を受ける佐藤正久氏(左)。(撮影/三宅勝久)

 防衛省正門前に立ち、憲法遵守義務を持つ防衛大臣政務官の立場を名乗った上で、内部にいる部下に向かって「憲法を取り戻す」「(自衛隊は)軍隊として…」と叫んだ“ヒゲの隊長”佐藤正久参議院議員(自民・元陸自1佐・防衛大学校二七期)をめぐり、公私混同を濃厚に疑わせる胡散臭い事実が次々と浮かんできた。

 山形県警(世取山茂本部長)は七月三〇日、元陸将補で陸自第一一旅団長(札幌市)という自衛隊高級幹部出身者の松川史郎氏(五九歳)を公職選挙法違反の疑いで逮捕した。地元『山形新聞』などの報道によれば、松川氏は部下の元隊員一〇人にそれぞれ現金数千円を渡して票取りまとめを依頼した疑いがあるとされる。

 松川氏は防衛大二〇期卒で、第六師団副師団長兼神町駐屯地司令(山形県東根市)や富士学校副校長(静岡県小山町)、中央業務支援隊長兼市ヶ谷駐屯地司令(東京)という大部隊の指揮官を歴任、二〇一一年に退職し、同年三月から(株)ニコン(木村眞琴社長)に嘱託社員として天下り中だった。取材に対して同社は、「当社の嘱託社員が逮捕されたことを重く受け止めています。事実関係を確認のうえ、厳正に対処いたします」(広報・IR部)と回答した。

 松川氏は元陸将補・後藤英二氏(防衛大一三期)と入れ替わりでニコンに天下り。ニコンによれば松川氏のほかにもうひとり自衛隊出身者が在籍しているということだが、氏名や元の職責は不明。

 ニコンは三菱系の会社で、軍事用の照準器などを防衛省に納入。「従軍慰安婦」の女性をテーマにした写真家・安世鴻氏の写真展を突如中止したことでも知られる。

 松川氏の容疑について『山形新聞』はまた、「山形県隊友会」(阿部昭夫会長)という自衛隊退職者や現職自衛隊員ら約八万人でつくる公益社団法人・隊友会(事務局・防衛省内、西元徹也会長=防衛大三期)の下部組織の役員に、同氏がはがきで選挙協力を依頼した、とも報じている。公のために活動すべき公益法人が特定の政治家の支援に動いた疑いもある。

 隊友会の機関紙『隊友』(月刊)には、今年一月から七月まで八回連続で「防衛省は今 佐藤正久防衛大臣政務官に聞く」という記事が一面に掲載されている。国会議員を取り上げた同様の企画は、過去一年間の同紙を見る限り、ない。

 佐藤氏は「隊友会相談役」でもある。「元1佐」「政務官」「相談役」といった立場を利用して、選挙に有利に働くよう『隊友』を使った疑いは濃いというべきだろう。二〇〇七年夏の参院選に出馬した際も、自衛隊の事実上の機関紙『朝雲新聞』が佐藤氏の記事を多数回連載した経緯があった。

【収支報告「ゼロ」】

 松川氏の事件とは別に、政治資金のずさんな処理も明らかになった。福島市に事務所を置く「福島地区さとう正久を支える会」(福島県選挙管理委員会届出・渡邉和裕代表)が、医療法人社団・敬愛会から事務所を賃借しているにもかかわらず、その家賃を政治資金収支報告書にいっさい記載していなかったのだ。事務所費はゼロ。家賃だけでなく、光熱費・通信費なども計上されていなかった。「別の団体が肩代わりして払っている」と事務所は説明するが、肩代わりであれば寄附を受けた旨を記載しなければならない。不正確な収支報告であることに違いはなく、政治資金規正法で禁止する虚偽記載に抵触する恐れもある。

 松川氏の逮捕や事務所費の件で説明を求めるべく筆者は「ヒゲの隊長」の事務所に質問を送り、あわせてパーティ券に関する質問もした。大臣規範によれば、大臣・副大臣・大臣政務官が在任中に大規模な政治資金パーティを開くことを自粛するよう決めている。佐藤正久後援会(代表・森勉元陸幕長=防衛大一四期)は過去二〇〇九年から一一年にかけて、毎年一三〇〇万から一七〇〇万円のパーティ券収入を得ていることから、政務官就任後も同規模のパーティを開催したのかどうか尋ねた。本稿締め切りまでに回答はない。

(三宅勝久・ジャーナリスト、8月9日号)

阪急トラベル不当解雇事件――塩田さん職場復帰が確定

Resized-塩田卓嗣さん勝利和解

旅行添乗員の長時間・過重労働是正を求める闘いを進めていた全国一般東京東部労組阪急トラベルサポート(HTS、本社・大阪)支部の塩田卓嗣委員長が、阪急交通社の子会社である阪急トラベルサポートから受けた一方的な「アサイン(仕事割り当て)停止」を不当労働行為だとして争ってきた事件で、七月二六日、東京高裁での組合側勝利和解により塩田さんの職場復帰が確定した。

 塩田さんは本誌二〇〇九年二月二〇日号に掲載された派遣添乗員の労働実態に関する記事に登場したことで同年三月、事実上の解雇を受け、労働委員会や裁判で撤回を求めて闘ってきた。

 HTS側は、これを不当労働行為と断じた東京都労働委員会(二〇一一年二月)と中央労働委員会(同年一一月)の各命令に従わず、中労委命令取り消しを求める行政訴訟で、会社請求を棄却した東京地裁判決(今年三月)にも異議を唱えて控訴。しかし、東京地裁は判決と同日、「争いを続けたとしても労働委員会の命令は守れ」との「緊急命令」を発し、HTS側は五月になってこの緊急命令に従う旨を表明していた。

 これを受け、七月に始まった控訴審で東京高裁は和解を勧告。二六日に、塩田さんの職場復帰を確認する和解が成立した。塩田さんは近日中にも添乗を再開する。

 一人の派遣労働者が不当な扱いに屈することなく労働組合で闘い続け、職場復帰を勝ちとった意義は非常に大きい。ただ、同社は「事業場外みなし労働」(偽装みなし労働)撤廃を求める不払い残業代請求訴訟については、高裁判決を不服として上告中。派遣先である阪急交通社の団体交渉拒否問題では、同社が中労委命令を不服として行政訴訟を提起している。組合側では塩田さんの職場復帰を契機に、すべての闘いに勝利する決意を改めて固めている。

(菅野存・全国一般東京東部労組委員長、8月2日号)