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証人を怒鳴りつけた検事が弁護士に転身

 横浜地裁から「検察官として、あるまじき行ない」と批判された横浜地検の検事が三月末に辞職し、約一カ月後の五月六日に弁護士登録していたことがわかった。関係者によると元検事は、知人が詐欺で得た現金を自宅に隠したとして組織犯罪処罰法違反に問われた被告の捜査を担当。昨年一二月の公判中、証人待合室で証人男性に対し電話に出ないことを理由に怒鳴りつけたという。男性は被告の共犯と疑われ、一月に起訴猶予となったが、公判では嫌疑を否定。被告の有罪・無罪にも関わる証人だった。

  九月の判決公判で横浜地裁は、無罪を主張した被告を懲役一年六月・執行猶予三年とする一方、元検事が待機中の証人を怒鳴りつけたと指摘、冒頭のように批判した。だが、日弁連や元検事の所属弁護士会、最高検、法務省にも元検事の言動は報告されていないという。

  横浜地検は取材に対し、判決で指摘された元検事の言動を事実と認めつつ、「証人威迫等を企図したものではなかったと承知している」「口頭で厳重に指導するとともに、速やかに関連事件の捜査の担当を別の検察官に変更するなどの対応を講じたものである」などと説明。上級庁や日弁連に報告していないことについては、「判決で指摘された当該検察官の言動には適切さを欠く点はあったものの、証人威迫等には該当せず、上級庁等に報告を要する事由が認められないことから、上記対応を講じた時点で上級庁等に報告しなかったものである」と回答した。

  一方、元検事こと高橋壮志弁護士は、横浜地検も認めた怒鳴りつけ行為を「事実ではない」とし、「呼び出すために話しかけたというのが事実。被疑者を呼び出すのも検事の仕事」と説明。さらに「辞職はこの件と一切関係ない」と強調した。

  横浜地検は改めて事実確認の上、裁判所に「あるまじき行ない」と批判された高橋元検事の言動の真相を公表すべきだろう。

( 片岡健・ルポライター)

「黒船」は自由の幕開けか、破滅への道か――党を超えて高まるTPP反対の声

 「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という展望の見えないものでは、農村の未来は壊されてしまうだけだ」

「TPPを受け入れたら、日本の民主党は米国の民主党のようになってしまうだろう」

  一一月四日の「TPPを慎重に考える会」で金子勝慶應大学教授が鳴らした警鐘を聞いて、参加した民主党議員はみな驚愕した。

  同じ日に、自民党の有志議員約一〇〇名が「TPP参加の即時撤回を求める会」を結成し、「TPPへの参加は農林漁業、地方経済・社会にとどまらず、我が国の多方面における国益を著しく損なう」という決議文を採択している。

  奇しくも民主党と自民党が同日に反対集会を開いたTPPとは、二〇〇六年五月にブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの四カ国で始まった自由貿易協定で、域内では例外品目なく一〇〇%自由化を実現するもの。現在ではさらに米国、豪州、ペルー、ベトナムそしてマレーシアが参加を決定しており、コロンビアとカナダも今後の参加を目指しているところだ。

   TPPについての議論は、一〇月一日の所信表明演説で菅直人首相が参加検討を表明したことが発端だ。これを受けて前原誠司外相は、一〇月八日の記者会見で「積極的に日本も参画するという前提で考えがまとまるように努力していきたい」と述べ、閣僚としては最も意欲的な姿勢を見せている。

  一一月一日には経団連が「TPP早期参加を求める」声明を出し、菅政権の後押しをしていた。彼らの頭には経産省の試算があった。TPPに参加しない場合の損失は実質GDPで一〇・五兆円にも上るからだ。当然これに賛同する自民党他の議員もいる。

  とはいえ日本がTPPに参加した場合、国産米の九〇%が壊滅して農業は崩壊し、四兆一〇〇〇億円の生産額と七兆九〇〇〇億円のGDPが減少するという農水省の試算もある。多くの民主党議員はこう考える。

 「TPP参加は食糧自給率の向上を目指すマニフェストにも違反するし、次期総選挙や来年の統一地方選で農村票が入らない」

  こうして民主党内では意見がまっぷたつに分かれてしまう。

  四日に開かれた民主党「APEC・ERA・FTA対応検討プロジェクトチーム」ではそうした相反する意見を集約できず、とうとう交渉に参加するかどうかの決定を先送りにせざるをえなかった。

  そして政府は九日、「包括的経済連携に関する基本方針」を閣議決定。菅首相は一四日に横浜で開かれたTPPの首脳会議にオブザーバーとして招かれ、参加した。

 一方で反対派の動きも活発だ。

  同日夕方に急遽開かれた「第四回TPPを慎重に考える会緊急集会」では民主党、国民新党、社民党の重鎮が顔を揃えた。彼らは一様に政府に対して厳しく批判しながら、反対決議を採択している。

 「(菅首相は)消費税にしても思いつきで発言した。TPPも国民が知らない間に決められそうだ。国民が丸裸にされる不安がある」(亀井静香国民新党代表)

「政府があるから与党があるのではない。政府が党に先行したことはこれまで一度もない。農業か貿易かの問題ではなく、農業をしっかり守り、貿易もしっかり守るというのが政治だ」(渡部恒三民主党最高顧問)

  地方でも、「反対」が根強い。

 「地元でTPPについて反対だと言ったら、『お前、こっちへ来い』と自民党側に言われた」とある民主党議員は打ち明ける。

  一一日には宮崎県選出の江藤拓衆院議員、川村秀三郎衆院議員が官邸に出向き、TPP反対を申し入れた。江藤氏は自民党、川村氏は民主党所属。地元の利益は党益を超えるのだ。

  そんな中で仙谷由人官房長官は六月をめどにTPPへの参加の是非を判断することを表明した。

  TPPはしばしば黒船にたとえられるが、この「黒船」が自由な社会の幕開けとなるのか、それとも破滅の道に繋がるのか、まだ見えない。

 (天城慶・ジャーナリスト)

水俣病の責任はどこへ

  水俣病特別措置法のもとでチッソが進めている事業再編計画。これによって、原因者責任を消滅させてはいけないと三日、東京でシンポジウムが開催された。

  再編計画の柱は、チッソの事業部門を引き継ぐ子会社の設立(分社化)だが、一方で残る補償部門を担当するチッソ(親会社)は、子会社株の売却による計画的倒産(原因企業の消滅)を行なう可能性もあり、被害者らを不安にさせている。先月、再編計画案が掲載されたチッソのウェブサイトには、株売却の記述はなかったものの、それを否定する記述もなかった。

  シンポで除本理史氏(東京経済大学教授)は、「親会社、あるいは子会社が責任を継承したり、親会社が清算消滅せず存続し、原因者責任を保ち続けることも選択肢としては可能」と話し、この点を再編計画に盛り込むことは、特措法で排除されていないと説明した。  また、特措法を根拠とした特例が適用される分社化は、国民の意見を反映した内容にする必要があるとし、チッソと国にはその責任があると述べた。

  シンポの最後には、計画案からはチッソが将来にわたって水俣病の責任を継承し続けることが確認できない等の理由から、再編計画案に賛同できないとするアピールが採択された。

  翌四日、水俣病被害者互助会がチッソ本社で面談した堀尾俊也総務部長は、ネットで公開した情報が不十分だという指摘に対して、「あくまでも案。これから内容を完成させる」と説明した。

  分社化に必要な環境大臣の認可を得る前に患者団体や市民に説明をするかについては、「周知させるのかどうか、時期も含めて検討する」とだけ回答した。

(奥田みのり・フリーライター)

秋葉原ジャパン・クール!(4/4)――典型的末期症状としての「非実在青少年」問題

 ここで私は冒頭に記した「嗜好の受動性」に立ち返りたい。仮にどのような性嗜好であれ、それを抱いてしまったきっかけは本人の意思によるものと限らない。私が実写の幼児ポルノをとりわけ嫌悪するのは、それに「出演」させられた児童の心に消し難い傷跡が残すからでもある。幼時の原体験は生涯に亘ってその人を強く支配する。これを「性犯罪者は累犯傾向が強い」と言うこともできる。だがここで気をつけねばならないのは「犯罪ではない内心の傾向」としての嗜好、露骨に記すなら個人の性の嗜好が、決して本人の意思のみで決定されず、多くの場合受動的に刷り込まれてしまう事実だ。密かにトラウマを負いながら、誰に迷惑をかけるでもなく、内心「ロリコン」である人々を東京都は、あるいは私たちは「撲滅」してしまうべきなのか?

 アキバやコミケに集う、ロリコンを自覚したオタクの中には、二次元のキャラクターによって性欲という「思い」を喚起される人が存在する。そうした内容の「言葉」を小説に書いたり、コミックを描いたりもする。それらは現実世界で隣家の幼児に性的いたずらをする「行為」と全く別の次元に属する。実行すれば刑法に問われる行為を単に想起した、あるいはマンガや小説に書いたというだけで罪に問うなら、推理作家は全員有罪になってしまう(團藤重光[だんどう・しげみつ]+伊東乾著『反骨のコツ』朝日新聞出版を参照)。実際にそんな「行為」はしない。秋葉原は「クール」なのだ。

 古くは伊藤整の「チャタレー裁判」から澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ)の「サド裁判」、先ほどの『愛のコリーダ』のケースなど表現と規制を巡って私たちの社会が歩いてきた道のりがある。個別表現の可否はそれが刑事犯罪とならない限り、成文法ではなく社会の良識が判断する性質のものであると私は確信する。法や条例が立ち入る領分ではない。

     典型的末期症状としての表現規制

 都条例の文案を見て最初に想起したのは江戸幕府末期の「天保改革」、特に戯作者や歌舞伎へのヒステリックな弾圧だ。当時幕府はすでに末期症状を呈していた。急速に成長する資本主義経済の前で中世以来の封建経済支配は原理的に破綻し、徳川政権に可能な施策はせいぜい「徳政」と称して大名の借金を無理やり棒引きにする程度だった。これとブッシュ政権末期に臨界点を超えた金融破綻は若干二重写しにも見える。

 末期の幕閣で老中水野忠邦(みずの・ただくに)は一方で反動的な経済・財政「改革」に終始、並行して為永春水(ためなが・しゅんすい)、柳亭種彦(りゅうてい・たねひこ)など「人情本作家」を弾圧。風俗は取締りを強化して寄席類を閉鎖、特に歌舞伎は七代目市川團十郎が江戸処払(ところばら)い、歌舞伎は再び江戸に戻ることなく、再解禁されたのは明治五年、「東京」と名前が変わった後だった。

「公共事業仕分け」など長年続いた乱脈財政の清算期、これと並行して綱紀粛正と称する風俗表現規制を見て私は天保の改革を想起する。いま必要なのは「表現の自由を守れ」などのスローガン以上に現在の日本が末期症状を見せている冷静な状況認識ではないか? 「立ち枯れ」直前のゾンビ行政をいかに生命溢れる形に再生できるか? 折からの「坂本龍馬ブーム」は「幕末型」のコミケいじめと表裏一体に見える。私たちは二一世紀の「幕末」に窒息しかけている。新しい空気を入れる必要がある。

(終わり、文/伊東乾、写真/編集部)

………………
いとう けん・作曲家、指揮者。東京大学大学院情報学環准教授。マインドコントロールの問題を追った『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。同書は今年11月、集英社文庫に収録。

秋葉原ジャパン・クール!(3/4)――典型的末期症状としての「非実在青少年」問題

     「表現の自由」以前に「内心の自由」がある

秋葉原の街頭

  都条例案の「非実在青少年」規制については、各種マスメディアからインターネット上まで、多くの意見が提出されている。賛成意見は特定のコミックを指して「ああいうものは良くない」と感想を述べ、杜撰な条文本体には殆ど触れていない。規制反対の立場からは、本当に児童ポルノなど犯罪規制を目的とするなら現行法で十分で、新たに条例を定める必要など全くない事が指摘されている。

  私は、一市民として児童ポルノなど悪質な犯罪を防止するべきだと思うのと同時に、一芸術家として表現の具体的内容とは、行政をはじめ国がそこに立ち入ってかき回すべきものではなく、成文法と別の社会良識が判断すべき範疇(はんちゅう)だと考える。

  判(わか)りやすい別の例を挙げよう。日本国憲法は「信教の自由」を謳(うた)う。国は特定の宗教を国教に定めたり、あるいは禁圧したりすることができない。だからといって、「教義である」「修行の一部である」と称して人を殺傷するような宗教は決して許されない。これと信教の自由をごちゃ混ぜにするのは許され難い。

  かつて「オウム真理教」は薬物洗脳によって恐怖感情を植え付けた人間ロボット状態の「出家信者」たちに「修行の一環である」として地下鉄にサリンガスを散布させた。実行犯たちはそれが殺人行為であると認識しつつ、信仰という刷り込みのもと、殺人すら「ポア(霊的ステージが上昇する「成仏」をオウムはこう呼んだ)されて良かったね」と肯定され、破壊活動を継続していた。私の大学時代の同級生、豊田亨(とよだ・とおる)君もまたこの洗脳によって地下鉄サリン事件の実行犯となり、昨年一一月に最高裁で死刑判決が確定した。宗教の名を騙(かた)るこのような犯罪を私は心底憎む。

  そしてオウムを憎むのと全く同じ根拠と確信をもって、私は権威が個人の内心の自由に無用に束縛の網をかける事に危機感を持つ。かつて中世キリスト教会は、封建支配の体制下、すべての領民を信者として教会に登録し、彼らの「思いと言葉と行ない」に倫理的な規制の網をかけた。中世の悪名高い「魔女裁判」はすべてこの「思いと言葉と行ない」で異端を宣告し、多くの人を火刑台に送った。

 『聖書』は「汝(なんじ)姦淫(かんいん)するなかれ」と説く。これを「思いと言葉と行ない」から検討してみよう。「行ない」は実際に「姦淫の行為を行なってはいけない」事を示す。中世キリスト教会はさらに姦淫にまつわる「言葉」を発すること、それを文字に記すことも禁止している。日本国憲法の観点で考えれば、これは「表現の自由」を保障しない事に当たる。特定の表現、たとえば「非実在青少年」の性交渉を描くことの禁止はこのレベルに相当する。実際、「表現の自由」の観点から都条例の違憲性を指摘する見解も聞く。

  だが、それ以上により深刻と思うのが「思い」の部分である。中世キリスト教会は「行為」や(文字や発言など)「言葉」のみならず、姦淫を想起すること、つまり「萌え」と思うこと自体を「罪」と断じた。かりに一切、行為や発言がなくても、罪深い「思い」を持つ者は「魔女」と認定し、公開の場で火であぶり殺した。「見せしめ」による恐怖支配のマインドコントロールが常態化していた。

  都条例案の作文で私が危惧感を持つのは、個人の「内心」の傾向に行政が不用意に手を突っ込もうとする杜撰さである。実写版の「幼児ポルノ」は許されない、私もそう思う。罪もない幼児に性的暴力を振るうなど言語道断である。それと一〇代の愛や性を文学や絵画が描く表現とをない交ぜにするなら「源氏物語」を禁書指定する愚に直結するだろう。だが都条例はそれ以上に、俗に「ロリコン」と呼ばれるような若年性嗜好そのものを、将来的になくしてゆく方向性で安易に語ってしまう傾向を持つようにみえる。人類の歴史は拙(つたな)い行政が容易に「思想浄化」に走ることを教える。ナチス・ドイツの「退廃芸術」攻撃はその典型例だ。ヒトラー政権は特定の表現を「ユダヤ的」として弾圧した。ちなみに物理学の相対性理論や量子論も「ユダヤ的」の烙印(らくいん)を押された。後に米国に亡命した「ユダヤ系」物理学者たちが、ナチス念頭に原子爆弾を開発、だがその完成前にドイツは降伏し、落し所を失った原爆はヒロシマとナガサキに投下された。

(つづく、文・伊東乾、写真/編集部)

秋葉原ジャパン・クール!(2/4)――典型的末期症状としての「非実在青少年」問題

     都は「源氏物語」を有害図書指定するか

 山口弁護士からメールで送って貰った東京都「青少年健全育成条例」改正案。文面を一読してびっくりした。驚くべく杜撰な代物だったからだ。とりわけ「非実在青少年」という概念には開いた口が塞がらなかった。「実在」する子どもをポルノヴィデオなどに登場させる者があるなら、現行法で処罰せねばならないのは言うまでもない。だが都条例案とされる作文には、「非実在」の未成年者の性交渉を含むやり取りを描くこと全体を、極めて乱暴に「規制」の対象としていた。

 もしこんな作文を認めたら紫式部『源氏物語』から谷崎潤一郎、川端康成まで、日本文学の主要な作品はのきなみ「規制対象」となってしまう。だが都側は杜撰な条文案はそのまま、運用レベルで特定の「有害コミック」だけを規制するから「安心して欲しい」と言う。これはしかし話が逆で看過出来るものではない。

 法治とは成文法で的確に定めたルールを守って成立する。あいまいな文案を条例と定め、運用と称して担当者の裁量で勝手に適用不適用をさじ加減するなら「法治」ならぬ恣意的な「人治」のレベルに堕してしまう。あり得べからざる退廃である。

 凡そ古今東西を問わず、恋愛文学の圧倒的多数は一〇代の青年の性関係を扱う。例えばシェークスピアの『ロミオとジュリエット』はロミオ(一六歳)とジュリエット(一三歳)の一〇代の性急な恋愛と、事故に起因する悲しい顛末を描く。二〇世紀中盤にこれをニューヨークの不良少年グループの物語に焼きなおしたのが、レナード・バーンスタインの音楽でも知られるブロードウェイ・ミュージカル『ウエストサイド・ストーリー』だ。

 私の身近でも、世界初演を指揮した松平頼則(まつだいら・よりつね)のオペラ『源氏物語』(一九九五年)の中で光源氏(二一歳)は若紫(一四歳)と無理やりの関係を持つ。渡邊守章(わたなべ・もりあき)の演出は『源氏物語』「葵」巻そのままに、極めて穏当なものだった。だがこれを「二一歳(の大学生)が一四歳(の中学生)を無理やり……」と「原作どおりに」描くなら? 性格は当然変わるだろう。演出方針一つでビジュアルは幾らでも変わる。もし『源氏』のオペラをアキバ仕様で演出したら、公演パンフレットは(かつて大島渚監督の映画『愛のコリーダ』リーフレットで問われたように)「非実在青年を描いて有害」と難癖つけられてしまうのか? 冗談じゃない、と軽い身震いすら覚えた。

 もしあんな条例を定めるのなら、東京都は『源氏物語』本体を有害図書指定するのが筋というものだ。都内の高等学校で『源氏』を教えるなどもってのほかだろう。本気であんな条例を考えるのなら、政策の整合性念頭で覚悟を決めて取り組むべきだ。むろん東京都が『源氏』を有害指定するなら、学識経験者をはじめ各界からどのような集中砲火を浴びるかは明らかだ。だが同じ事を「オタクの集まるアキバ、コミケやエロゲ」だったら、と見過ごしていて良いのか? 私にはそうは思えない。

 学生たちと出かけたアキバの「ドン・キホーテ」では、売り場で(映画『地獄の黙示録』で用いられポピュラーになった)ヴァーグナーの管絃楽曲『ヴァルキューレの騎行』が流れていた。”戦う女の子”が人気という。先に引いた「魔法少女リリカルなのは」も「美少女魔法バトルもの」だそうだ。実際ヴァーグナーの楽劇でも、美少女キャラが死を賭して戦う。「ヴァルキューレ」はそんな「戦う女神たち」の総称で、彼女たちが軍馬で天を翔ける音楽を伴奏に、アキバでは美少女キャラが鎧(よろい)に身を固めて踊っていた。

 現在私はヴァーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』のプロジェクトを進めている。これは英雄トリスタン(一六歳程度)が敵方の姫君イゾルデ(一四歳程)と、誤って性的に興奮する薬を飲んで関係を持ち、ついには心中同然の半自殺を遂げる物語だ。日本の例で言うなら、尾崎豊が盗んだバイクで走り出し、あるいは覚せい剤など無茶をやりすぎて短く燃え尽きる物語と変わらない。トリスタンの物語は古代ササン朝ペルシャに起源を持ち、アイルランド中世の物語として語り継がれたが、こうした話は今も昔も枚挙に遑(いとま)がない。ヒトが一〇代に思春期を迎える以上、避ける事が宿命的に避けがたい悲劇として、語り継いでゆくべきものと思う。

(つづく、文/伊東乾、写真/編集部)

秋葉原ジャパン・クール!(1/4)――典型的末期症状としての「非実在青少年」問題

(編集部注:以下の記事は『週刊金曜日』2010年5月28日号に掲載しました。東京都が12月都議会=11月30日開会=に再度、東京都青少年健全育成条例の「改正案」を提出することから、筆者である伊東乾さんのご了解をえて、公開することにしました。新「改正案」からは、”非実在青少年”という文言はなくなりましたが、条例案の問題の本質が変わっていないどころか、悪質になっている点があるためです)

「恋に落ちる」という表現は奥が深い。恋愛に限らず人間が感情を持つ全般で、当初私たちはまったく「受身」の存在になるからだ。まるで落とし穴に落ちるように、自分の意にすら反して、私たちは感情を抱く。食べ物の好き嫌いを考えれば判りやすいだろう。幾らアタマで好きになろうと思っても、嫌いなものは嫌いなのが人間だ。ヒトの脳はそのように作られているからだ。また逆に、何であれ一度「あ、萌え」などと惚れてしまったら運のツキ、「恋は盲目」と言うように、私たちは長くその感情に支配されてしまう。(伊東乾、写真撮影/編集部)

 四月の新学期、大学院の講義演習「音響空間情報論」の一貫で、学生たちと東京・秋葉原(アキバ)の町を歩いてみた。そこで目にした無数のアニメやコミック・キャラクターたちを眺めつつ、改めてこの生理的な事実を思い出した。誰しも「自分の嗜好」がある。極論すれば「好き嫌い」によって人格が作られる側面すらある。だがこの「好き嫌い」を心に抱く当初、私たちは決して自分の意思で選択していない。思春期の甘酸っぱい記憶を辿るなら、多くの人が意に反して感情を抱え込み、煩悶した記憶があるのではないか。「アキバ」では多くのオタクたちが嬉しそうにコミックやフィギュアを眺めていた。その好悪感情に理由はない。出合ってしまった、好きになってしまったという「原体験」が彼らを行動に駆り立て、長く支配し続ける。

 正直なところクラシック音楽をなりわう筆者にはアキバに溢れ返るアニメもコミックも、俗に「エロゲ」と呼ばれる18禁のパソコンゲームも全く縁が遠い。たまたまオウム真理教などカルト犯罪被害者救済でご一緒する山口貴士弁護士から「児童ポルノ法」や「東京都青少年健全育成条例」、また「コミックマーケット(コミケ)」規制の動きがあると聞いた。後述するように私は「アキバ」と「オウム」に通底するものがあるように思う。そこで『週刊金曜日』の伊田浩之さんにご相談し、学生たちと一緒にアキバの街やコミック同人誌の展示即売会場を案内して頂くことにした。

     コミック市場は学園祭の賑わい

 有明の東京ビックサイトで開かれた同人誌即売会「COMIC1(コミックいち)」を訪ねた。ここで扱われるコミックの大半はノンプロが自費で作成した成人マンガ同人誌で、露骨な性的表現が少なくない。

「都条例や児童ポルノ法の規制が検討されるマンガ即売会場」は、いったいどんな雰囲気なのだろう……期待して現地に向かったが正直なところアテが外れた。あまりに健康的だったからだ。確かに会場は賑わっている。だがこの賑わいは大学のキャンパス内で見る学園祭と殆ど変わらない、ごく普通の若者の集うお祭りとして、全国どこでも見られるものに過ぎなかった。

「COMIC1」でのブース一つあたりの出店料は五〇〇〇円という。そこで間口一メートル強の机とスペースを一つ借り、多くがノンプロのコミック作家たちが自費出版の同人誌を持ち込む。圧倒的多数の同人コミックは既存の「キャラクター」を借用している。昔で言うなら「鉄腕アトム」や「ウルトラマン」「仮面ライダー」のような誰もが知る有名なキャラクター(キャラ)である。ノンプロのコミック作家は、そうした「有名キャラ」たちに原作とは異なる行動を取らせる。その中に性的逸脱行動が含まれている。もし「赤胴鈴之助」や「リボンの騎士」がアラぬ振る舞いに及ぶなら、私は目のやり場に困るだろう。誰もが知るキャラがさまざまなシチュエーションで行為に及ぶからこそ興奮が喚起される。

 逆に私には「涼宮ハルヒ」「魔法少女リリカルなのは」など今日アキバで有名なキャラクターに馴染みがない。そのため彼らがどんなにアラレもない肢体で現れても、目のやり場には全く困らない。私たちの脳内では記憶と感情が深く関わりあう。「有名キャラ」のように古くからよく知る情報は個人の脳内で記憶に深く根を下ろしている。認知の生理から考えるとき、キャラ同士のセックス描写は知人の私生活の覗き見にも似た面を持つ。

(つづく)

東京「チャランケ祭り」が存亡の危機

 アイヌと琉球民族の歌と踊りの祭典、チャランケ祭りが3日、東京・中野駅北口広場で行なわれた。今年で17回目を迎えるが、毎年利用してきた北口広場が今年閉鎖されるため、来年以降の開催が危ぶまれている。

 祭りは沖縄伝統の「獅子舞~旗すがし」とアイヌ民族の儀式「カムイノミ」で始まり、演奏「朝鮮民謡・農楽」など、多様な民族の踊りや歌などが披露された。

 チャランケとはアイヌ語で「とことん話し合う」、沖縄の言葉で「消えるなよ(チャーランケ)」という意味。毎年、世界各地の先住民族を招いたり、日本各地からも伝統芸能を携えて集まった。

 しかし広場の閉鎖でこの場所での祭りは今年が最後。中野区によると、駅からの歩道橋が設置されるため、現在ある広場には作業ヤードと仮駐輪場施設ができるのだという。

 もともと北口広場は「ナイキ化」工事で強制排除と封鎖が行なわれた渋谷の宮下公園と同様、イベントや集会で多くの人が集まり、文化を発信してきた。

 チャランケ祭り2回目から実行委員を務める中島悦子さんは、「ここでやれるのは最後だが、やりたい気持ちがあればどこかでやれる」と語る。しかし、来年度以降の祭りの場所は見つかっていない。祭典の最後は実行委員長・沖隆寿さんの「今年で最後にはしたくない」という言葉で締めくくられた。

(根岸恵子・ルポライター)

武富士が「過払い」債権を売り飛ばし――詐欺的な“錬金術”に疑問の声

  会社更生法を申請して事実上破綻した消費者金融「武富士」が、今年五月から六月にかけて、返済が終わった上に利息を取りすぎている「過払い」状態の貸付債権を売却していたことが分かった。本来なら顧客に返金しなければならないにもかかわらず、これを売却して利益を得ていたわけで、「詐欺的ではないか」などと訝る声が出ている。

  法務局に届け出がされた債権譲渡登記によれば、武富士は今年五月二五日と六月一四日付で、大阪市の消費者金融「富士クレジット(株)」(大岩秀幸社長)に対して債権を売却している。売却された債権の件数や金額は不明だが、このうち少なくとも二件が一〇万円以上の過払いだったことが筆者の取材で確認できた。

  確認できた過払い債権の一つは関東地方在住の顧客に関するものだ。七月下旬に武富士から届いた「譲渡通知」には、九〇万円以上の債務が残って弁済は「富士クレジット」に変更する、といった内容が書かれていた。ところが実際には十数万円の過払いだった。本来、武富士が顧客に返すべきお金なのだが、同社が会社更生法を申請したため返還は困難だとみられている。

  過払い債権を売却して金銭を得たことに問題はないのか。去る一〇月三一日、東京地裁による会社更生法の開始決定を受けて開かれた記者会見で、同社管財人の小畑英一弁護士にただした。そのやり取りは次のとおりである。

 ――過払い債権の売却は事実か。

 小畑管財人 債権譲渡につきましては、貸金業者の資金調達の非常に有力な方法でありまして、その中に過払い金が混じっているということについては、過去の例でも多数あるだろうと思っております。今後、その問題がどのような形で適正かどうかを判断されるかについてはこれからですが、少なくとも債権譲渡に関しては適正対価で支払われていれば、それが、たとえば債務返済の原資とかになっていたというようなことでございますので、それ自体が問題になるということはないと認識しています。

 ――「過払い隠し」ということにはならないのか。

 小畑 「過払い隠し」ではないか、ということについてはむしろ逆で、武富士に請求できるのは武富士に対して弁済されたものだけということになりますので、おのずと債権から過払い部分を切り分けるというような問題になってくるのではないかと思います。

 ――過払い債権の売却は問題ないという認識ですか。

 小畑 いや、売却した時点で武富士のほうにお金が入っているということなので、これが無効となったらお金を返さなきゃいけないでしょう。

  また、こうも語った。

 「譲渡価格についてはプロ同士の取り引きとして富士クレジットが判断することです。それで武富士に入ってきたお金は過払い金返済などに充てられます。取り引き自体が違法だとかという問題は生じません」

  つまり「過払い債権の売却は問題ない」という認識だ。しかし「武富士の責任を追及する全国会議」事務局次長の及川智志弁護士は次のように問題視する。

 「もし武富士が過払いを認識し、一方の富士クレジットが過払いと認識せずに通常債権として価格決定して債権譲渡がなされたとすれば、武富士の行為は詐欺的というほかない。あるいは、富士クレジットも過払いと認識したうえで譲渡を受けていたのなら、富士クレジットが過払い金の全額を返還すべきである」

  富士クレジットの取引先を調べたところ、東京都知事登録の貸金業者「(株)クリバース」の名があった。ここは、米シティグループ子会社のサラ金CFJから大量の不良債権を買い取ってサービサー法や貸金業法に違反した強引な取り立てを行ない、業務停止処分を受けた悪質な会社だ。また、クリバースの経営者である黒田武稔氏がかかわる別の会社の存在も浮かぶ。売却された武富士の「過払い債権」の行方はどうなるのか、要注意である。

(三宅勝久・ジャーナリスト)

「すき家」残業代未払い訴訟――宮城で勝利報告集会

  牛丼チェーン「すき家」を経営するゼンショーのアルバイト店員三人が未払いの残業代など九九万円の支払いを求めていた裁判が、今年八月に会社が原告の主張をすべて認めるという「認諾」で終了した。この全面勝利を受けて二日、原告らの勤務する宮城県仙台市内で勝利報告集会が開催され、「裁判を応援する会」が結成された。

  原告の福岡淳子さん(四三歳)らは、未払い残業代等について「首都圏青年ユニオン」に加入し団体交渉を行なってきたが、ゼンショーは団交を拒否。そこで二〇〇八年四月に東京地裁に提訴していた。ゼンショーは中央労働委員会などの救済命令にもかかわらず団交を拒否し、東京地裁に取消訴訟を提起。四日に第一回口頭弁論が行なわれている。

 福岡さんは「勝利できてとても嬉しい。しかし組合員のいる店舗で定期昇給が行なわれないなどの差別が今も続いている」と話した。同ユニオンの武田敦委員長は「会社が裁判の最終段階で白旗をあげたのは裁判と運動で追い詰めた成果だ」と述べた。みやぎ青年ユニオンの大友聡志委員長は「宮城でも非正規労働者からの相談が増えている。『裁判を応援する会』を宮城でも広げていきたい」と意気込みを語った。弁護団では今後、ゼンショーに対する慰謝料請求などの訴訟提起も検討している。

(大山勇一・首都圏青年ユニオン弁護団)