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和歌山カレー事件、林さんの支援者らが大阪で再審支援集会

18日、大阪市内で開かれた林眞須美さんの支援集会。(撮影/片岡健)

 一九九八年七月に急性ヒ素中毒で六〇人以上が死傷した和歌山カレー事件の元被告人で、昨年五月に死刑確定した林眞須美さん(四九歳)の支援者らが大阪市内で一八日、林さんの再審請求活動を支援する集会を開いた。約一四〇人が参加した。

 会では、昨年七月に再審請求した弁護団が、三月に和歌山地裁に新たに鑑定請求をしたと公表。林さんの毛髪から高濃度のヒ素が検出されたとする鑑定に不自然な点があったとし、再鑑定を求めたものだ。弁護団は従前の毛髪鑑定の結果が否定されれば、ひいては、同じ鑑定人が同様の手法で認めた「カレーに混入されたヒ素」と「林家で見つかったヒ素」の同一性も否定される、との考えを示した。

 会には、ドキュメンタリー作家の森達也さん、講談師の神田香織さんが出演。森さんは「林さんが白か黒かは僕にはわからないが、裁判は明らかに不当だった。無罪推定が守られなかった典型例」と指摘。判決確定前に林さんを弟子に迎えた神田さんは、林さんと子どもらの手紙をもとに構成した講談を披露。「こんな素敵なお母さんと子どもたちを一日も早く自由にしてあげましょう」と呼びかけた。

「再審請求していなかったり、支援者がいない死刑囚は刑が執行されやすい印象がある。こういう集会は今後もやっていかねばと思う」と『林眞須美さんを支援する会』の鈴木邦男代表。大阪拘置所の林さんは現在、親族や弁護人以外との外部交通を一切許されない状態が続いており、弁護団と支援者は同拘置所に林さんの処遇改善も求めていく構えだ。

(片岡健・ルポライター)

小泉・竹中改革の“モデル”が破綻―― 「木村剛銀行」事件の底知れぬ闇

 自らが作成に携わった金融検査マニュアルに違反し金融庁の検査を忌避(妨害)――竹中平蔵元金融担当大臣の懐刀として不良債権処理に辣腕をふるい、その後日本振興銀行(以下、振興銀)に会長として君臨した木村剛容疑者(四八歳)が逮捕された容疑は皮肉なものだった。

 七月一四日、警視庁捜査二課は前会長の木村容疑者をはじめ、振興銀社長・西野達也容疑者(五四歳、逮捕後解任)ら計五名の振興銀幹部らを、金融庁の立入検査の際、電子メールを削除して検査を妨害した検査忌避の疑いで逮捕した。木村容疑者は容疑を否認し、他の四人は認めているという。

 逮捕された木村容疑者は、一九八五年に東京大学を卒業し、日本銀行に入行。主要部局を歴任後、金融コンサルタントとして独立する。

 小泉政権時代の二〇〇二年一〇月から金融庁の顧問になり、いわゆる竹中チームの一員として金融政策立案に関与。厳格査定と不良債権の迅速処理を迫り、銀行経営者を震え上がらせた。

 ところが木村容疑者のコンサルタント会社は、〇三年五月、振興銀の設立準備会社社長から、新銀行設立に関する「金融庁との交渉戦略」をアドバイスする契約を交わし、「コンサル料」として一億円を受け取る。木村容疑者は、設立準備会社が金融庁に銀行業の予備免許を申請する同年八月二〇日まで金融庁顧問をしていた。

 税金で報酬を支払われ守秘義務を負う金融庁顧問が、一方で既存の銀行を追い込みながら、他方で新銀行設立のため、自らが属する金融庁との交渉法を指南し高額の報酬を得る。構造改革のモデルとされた振興銀発足の陰で、木村はマッチポンプで稼いだのだ。

SFCGと振興銀
その“ただならぬ仲”

 既存の銀行からお金を借りられない中小企業のために、無担保で融資する。貸倒リスクが高い点は、やや高い金利をもらうことでカバーする――これが、振興銀が当初描いたビジネスモデルだった。

 同行取締役の一人は筆者の取材に、「金利五~一五%の中小企業向け融資を中核に据えた銀行は前例がない。いわば銀行業におけるベンチャービジネスだ」と語った。

 石原慎太郎東京都知事の肝煎りで設立された新銀行東京も同じような旗を掲げ、一足早く経営危機に陥った。同取締役は「ベンチャー」の経営が「起業家とは正反対である役人にできるはずがない」と “石原銀行”を切り捨て、「それに引き換え、振興銀は悪戦苦闘して生き残る道を見つけた」と説明した。

 生き残りを賭けて振興銀が選んだのは、消費者金融や商工ローンなどノンバンクから債権を買い取って融資残高を膨らませる道だった。〇七年三月には約二八〇億円だった融資残高は、〇九年三月末には三一三四億円に急伸する。

 なかでも “ただならぬ仲” になったのが、商工ローン最大手SFCG(旧商工ファンド、大島健伸前会長、〇九年二月経営破綻)だった。多数の元SFCG社員が振興銀に入行し、荒稼ぎの手口を伝授する。SFCG元幹部が明かす。

「ある芸能プロダクションは、振興銀から売掛先に債権譲渡通知を打たれてつぶれかけた。仕組みをつくったのは、うちから行った人間だ。大島と木村も深い仲で、一時は大島が、振興銀の朝礼であいさつするほどだった」

 貸金業者に勤めた経験もある、ある元行員も「振興銀の支店では、朝から晩まで融資勧誘の電話営業をさせられました。法律ぎりぎりの高い金利で、銀行ではなく、まるで商工ローンでした」と話す。

「銀行の看板で商工ローンをする」戦略には、落とし穴もあった。ノンバンクが抱えている不良債権が振興銀に移動し、自己資本比率が低下することだ。

 SFCGに至っては、先に複数の信託銀行に譲渡していた債権を、素知らぬ顔で振興銀に二重(一部は三重)譲渡した。その額は約七〇〇億円。二重譲渡債権が信託銀のものとなったら、振興銀は一挙に債務超過に陥りかねない。

 だが、こうした危機的状況は、これまで決算に反映されていなかった。そこでフルに使われたのが、木村容疑者が理事長を務める「中小企業振興ネットワーク」に組み込んだ融資先=親密企業群だ。

 カラクリは二つある。自己資本比率を計算するとき「分母」となる不良債権を減らすことと、「分子」となる自己資本を増やすことである。ただしどちらも、きわどい帳簿操作だった(左の図参照)。

 すなわち一つは、親密企業群にキズモノ債権を飛ばすことだ。SFCGからの二重譲渡債権の一部は、アラバマ・キャピタル、アリゾナ・キャピタルといった名ばかり会社に「譲渡」され、帳簿から外された(本誌二月五日号参照)。

 もう一つは、振興銀がノンバンクを営む親密企業A社に融資し、A社が別の親密企業B社に融資。B社が振興銀の増資を引き受ける、という「振興マネーのぐるぐる回し」だ。もともと自分が貸したカネを資本に組み入れるのだから、実のある増資とは考え難い。

 いくら融資を受けたとはいえ、自社の経営を大きく損なう飛ばしや架空増資まがいの行為に、なぜそこまで協力するのか。ある親密企業の元幹部はこう証言する。

「振興銀から借りたカネで親密企業が互いに株を持ち合わされた上、社長人事を握られていました。中小企業振興ネットワークは『連結人事』で、振興銀で採用して割り振られる。『社長の人事異動』も頻繁で、レオパレスが社宅でした」

 ちなみに、木村容疑者と一緒に逮捕された西野容疑者も、みずほ銀行を退職して振興銀に入行。〇八年、同行が買収した消費者金融アプレック(現、中小企業信用機構)に会長として“派遣” され、〇九年六月、振興銀に戻って社長に据えられた。西野容疑者の前任社長は、西野容疑者と入れ替わりに中小企業信用機構の社長に就いた。木村容疑者の絶対権力の前に、中小企業振興ネットワーク各社の社長の座はいかにも軽い。

 こうして木村容疑者は、決算上は連結でないものの、実質は人とカネで縛られた親密企業群を自在に操って、振興銀の帳簿をピカピカに見せ、グループ内で融資をぐるぐる回しながら荒稼ぎしてきた。

 振興銀が削除したメールには、親密企業群とのやりとりも含まれているとされる。警視庁が「不正の全容」にどこまで迫れるか。捜査の進展が注目される。

論客としての重用
懲りないマスコミ?

 こうした不正ビジネスを許してきた背景には、金融行政に対する竹中氏の威光とともに、木村容疑者を論客としてもてはやした一部マスコミの姿勢があった。田原総一朗氏の司会で知られるテレビ朝日系の「サンデープロジェクト」(サンプロ、今年三月に終了)では、〇八年二月、「どうなる? 日本経済」という特集を組み、竹中氏と木村容疑者をスタジオに出演させた。

 竹中氏と木村容疑者は、グレーーゾーン金利と過剰融資を禁止した貸金業法等の改正によって「コンプライアンス不況」(木村容疑者)が起きたとし、金利など「市場経済の大原則のところを縛っちゃいけない」(竹中氏)と高金利自由化論をぶった。グレー金利をたっぷり含んだ債権を買って稼ぐ「銀行」のトップが「グレー金利規制撤廃」を唱えるとは実にわかりやすい “ポジショントーク” だが、それを公共の電波で垂れ流したのは見識が疑われよう。

 強制捜査が始まる一週間前、木村容疑者は金融庁から処分されたことなどに対し「これは天から与えられたチャンスである」とうそぶいた。それに呼応したわけでもあるまいが、木村容疑者を重用していたテレビ朝日は、逮捕四日後の一八日、サンプロ後継番組で、橋下徹大阪府知事が旗を振る「貸金特区」(違法高金利を大阪では認めようという構想)を好意的に紹介した。一つの事件が弾けても、懲りない面々の蠢きは終わらない。

(北健一・ジャーナリスト)

録音・撮影が認められない”東京地検会見”は記者会見とはいえない

     5月11日から新規登録申請の受付はなし

 昨年九月の政権交代以来、フリーランス記者たちにも徐々に門戸が開かれ始めた各省庁の記者会見。今年三月二六日には鳩山由紀夫首相(当時)が官邸での記者会見を一部オープン化。この決断により、財務省など、これまでフリー記者らに質問権を認めてこなかった多くの省庁でも参加・質問が認められるようになった。

 特筆すべきトピックは、検察の記者会見の一部オープン化だろう。四月二二日、最高検察庁は全国の地検と高検に対し、「フリーランスの記者も参加する会見を開くよう」通知したのだ。

 筆者は政権交代以来、東京地検に何度も「会見に参加したい」旨を訴えてきた。「会見のオープン化」を求める要望書を検察広報官に手渡そうとして地検入口から電話をかけたこともある。その際、地検の広報担当者は次のように答えた。「お会いすることはできません。そもそも、その要望書を受け取る必要があるんでしょうか」

 筆者は、次席検事宛に書いた要望書を郵送することにした。しかし、その後二カ月を経ても検察側から返事が来ることはなかった。

 これまで司法記者クラブに所属しない記者たちにとって、検察はまさにブラックボックスだった。検察の記者会見で何が話されたのかはもちろん、会見自体がいつ開かれるのかも一切知らされてこなかった。その理由は検察側が、「情報はすべて司法記者クラブに対してのみ提供しています」との姿勢を崩さなかったからだ。

 その検察が、ついに記者会見をオープンにするという。筆者はこの動きを歓迎しつつ、事前登録の準備にとりかかった。しかし、そこには大きな壁があった。地検側が求める「事前登録」の条件が、あまりにも厳しすぎたのだ。

「直近3か月において執筆・掲載した刑事事件に関する署名記事等(少なくとも毎月当たり1記事、計3記事以上)の写し」「記者としての十分な活動実績・実態を有していることについて、各会員社において発行した証明書」……。

 筆者は「推定無罪」の原則を無視して、あえて言いたい。これは「登録希望者をふるい落とすための文言」ではないのか。

 私よりも真面目な『週刊金曜日』の記者は「雑誌協会に加盟していない」というだけの理由で記者会見への事前登録を断られた。

 また、事前登録申請は五月一一日で締め切られ、その後、追加での登録申請は一切受け付けられていない。今後の受付予定も「未定」だという。これではとてもオープンな記者会見とはいえない。

     会見の内容に踏み込まない大手メディア


 筆者はさいわい、参加が認められたため、第一回目となる六月一〇日の記者会見にも参加できた。

 しかし、東京地検の入り口に到着した筆者は目を疑った。地検の入り口から会見場までは、一・五メートルおきにおかれたポールとロープで「専用コース」が作られていたのだ。そしてポールのそばには四〇人近い職員が配置され、記者たちの動向を”監視”していた。まるでフリー記者たちが「危険人物」であるかのような扱いだ。

 この異常な雰囲気は、筆者が会見場に到着しても続いた。なんと会場正面に貼られた大きな注意書きには、次のような信じられない文言が書かれていたのだ。

「撮影・録音はできません」

 本来、記者会見とは情報を「正確に伝える」ために開くものである。記者として、正確な報道を期するために会見を録音するのは当然だ。それなのに録音禁止。おまけに撮影も禁止だ。法廷画家のように絵を描けということなのか。

 この日の会見には、大鶴基成(おおつるもとなり)次席検事、片岡弘(かたおかひろむ)総務部長、稲川龍也(いなかわたつや)特別公判部長の三人が出席した。質問については制限がなかったため、私は「会見の運用方法」について質問をした。

畠山「この会見は本当に正式なものなのか。私は正確な報道をしたいと思っているが、録音できないと記事を書く際に確認もできない。これは『いい加減に書いてもいい』ということなのか。せめて地検側が会見を録音して、その要旨を公開する予定はないのか」

片岡総務部長「会見の要旨を公開することは考えておりません。数字などについては後で確認いただければお答えできるようにしていきたいと思っております。言ってはいけない固有名詞を言ってしまったりということを恐れておりまして、今のところ慎重になっているとご理解いただければ」

 新聞やテレビは、地検の記者会見がオープンになったことは報じた。しかし、会見で出た質問内容まで踏み込んで報じた社はほとんどなかった。会見の要旨も発表されないため、その内容について外部から検証することも不可能だ。改めてもう一度問いたい。これは本当に「記者会見」と呼べるのか。

     「不可視化の記者会見」で可視化を問う

 基本的に「撮影・録音」が禁止されている地検の会見だが、例外が二回だけあった。それは検事正と特捜部長の就任会見である。一例として、筆者も参加した六月一八日の鈴木和宏検事正・就任記者会見の模様を再録しよう。

 この日は、初めて撮影・録音が許可された記者会見だった。そのため、私は会見のすべてを録画するためにビデオカメラを持ちこんだ。しかし、撮影・録音が可能だったのは冒頭の三分間のみ。その後の質疑応答は撮影も録音も許可されなかった。

 冒頭、鈴木検事正の挨拶(文書読み上げ)が終わると、会見の司会進行を担当する松並孝二総務部副部長はカメラマンたちに向かってこう呼びかけた。「それでは冒頭の挨拶をこれで終わらせていただきますので、申し訳ございませんが、カメラ担当の方々、撤収をしていただけないでしょうか」

 この時点で会場で撮影をしていたスチールカメラマン七人、テレビカメラ六台は会見場を後にすることになった。ICレコーダーの録音もここでストップ。検察の記者会見は、わずか三分で再び「不可視化」されてしまったのだ。

 私は「不可視化された記者会見」で、あえて取り調べの可視化について質問した。

畠山「取調べの可視化にむけて、地検の準備はどこまで進んでいるのか。それとも『可視化はできない』と説得するための準備が進んでいるのか」

鈴木検事正「可視化の録音・録画については、既に裁判員裁判対象事件に関して一部行なわれていると承知しています。検察としては、供述の正確性を期すため必要な限り録音しているという例も聞いています。一部可視化がやられているという言い方をしてもいいかなと思いますが、全面可視化はどうなのかと。法務省で勉強会なども開かれている。現場の立場としてはいろんな勉強会をしているという行政の中身を見守っている。可視化について、やらないように準備するとか、やるように準備するというのはコメントできません」

 しかし、このやりとりも私が報じなければどこにも記録が残らない。逆を言えば、何度同じ質問をしても検察としては文句を言えないということだ。

 私はしつこく聞き続けたい。「撮影・録音が認められない理由は」

(畠山理仁・フリーランスライター)

布川事件再審開始 43年前の起訴状に桜井氏怒り収まらず

 一九六七年に茨城県利根町で六二歳の男性が殺された強盗殺人罪で、桜井昌司さんと杉山卓男さん(ともに六三歳)が二九年間、懲役刑に服した布川事件の再審公判が九日、水戸地裁土浦支部で始まった。二四枚の傍聴券を求め七〇〇人近い希望者が抽選に並んだ。
 罪状認否で桜井氏は「無実の証拠を隠し続けている検察官は私たちの無実を一番知っているはず」とし、杉山氏は「あの日は東京にいたから殺人などできない」と力強く述べた。
 起訴状朗読では、桜井氏が「そんな起訴状読んで恥ずかしくないのか」と検察官をにらみつけて怒り、神田大助裁判長にいさめられる場面もあった。小学生の子どもがいる杉山氏は「殺人者の子どもというレッテルを外してやりたい」と述べた。
 検察は被害者の手足を縛っていたシャツや口に詰められていたパンツのDNA再鑑定を求めたが、神田裁判長は次回(七月三〇日)以降に採否を持ち越した。弁護側は「現場で別人を見た」と供述した女性の証人尋問を求めた。
 会見で桜井氏は「四三年前のそのままの起訴状を読まれて怒りが止まらなかった。検察は何一つ立証していない。無実の証拠を検察が隠していたことを明らかにさせたい」と話した。杉山氏は「落ち着いて臨んだけど桜井が興奮したので、こっちも止まらなくなりそうで危なかった」と笑わせた。
 シャツやパンツは捜査官が取調室で二人の前に出した上、検察が再審公判前に裁判所から借り出しており、鑑定材料としての信用性はゼロである。検察は取り調べのテープも隠しつづけていた。

(粟野仁雄・ジャーナリスト)

“タナボタ”相撲騒動にみる警察の暴力団追放運動の虚実 安藤警察庁長官の目線は経済界に

 元大関の琴光喜らが関与したとされる野球賭博問題で日本相撲界が揺れる中、大相撲の名古屋場所が一一日、始まった。しかし、野球賭博、暴力団交際騒動は、すでに {千秋楽} との声も出ている。
「もともと愛知県は一〇〇年続く博徒の土地。裏カジノだって名古屋市内に四〇カ所はある。野球賭博は年間一〇〇〇億円の金が動くとも言われている。これは四〇年間やってきたし、今も相変わらずだ。その野球賭博の胴元を昨年死んだ、山口組弘道会系組長のSにおっつけたでしょう。まさに死人に口なし。これはもう今回の件は落着させるという意味だよ」
 地元事情に詳しい名古屋市内の飲食店経営者はこう言い切る。
 警察庁の安藤隆春長官は昨年六月の就任以来、山口組を支配する弘道会壊滅の笛を吹いてきた。
 今年四月には愛知県警が本部長をトップとする「山口組弘道会集中取締総合対策本部」を発足。五月三一日には都道府県警の本部長を集めた会議で「弘道会やその傘下組織の首領級の上部幹部検挙と、主要な資金源の遮断を徹底し、弘道会の弱体化、壊滅を現実のものとされたい。弘道会の弱体化なくして山口組の弱体化はなく、山口組の弱体化なくして暴力団の弱体化はない」と号令をかけている。
 つまり、来年出所する司忍六代目山口組組長の再逮捕もしくは弘道会の高山清司組長の立件。七月には司六代目が組長を務めた司興業の現組長も警視庁に逮捕された。警察担当の全国紙記者は一連の騒動を次のように分析する。
「警察庁という行政組織が優秀な人間を注力して弘道会壊滅という一点で動けば、この程度の成果は出るでしょう。とはいえ、必ずしもうまくいっていたとはいえません。警察庁は弘道会の分析レポートもまとめましたが、それは(山口組本部のある)兵庫県警と(弘道会がある)愛知県警に出させたデータを警察官僚がまとめただけの代物です。現場は大事な {ネタ} は上にあげませんから。
 そんな中、相撲の賭博問題は警察庁にとって、棚からぼた餅のネタだった。しかし現場は大変でしょう。ここまで問題が大きくなって、立件できるかわからない。下手したら捜査している警視庁は大恥をかくかもしれない」
 その警察庁はすでに満足しているという。「警察が暴力団と闘っているというイメージを世間の人に持ってもらえた。それに暴力団追放運動で警察権力の及ぶすそ野も広がっています。安藤体制になってから、証券、銀行、建設と暴力団がシノギにしてきた業界が軒並み暴力団追放を発表している」(前出記者)。
 安藤長官は証券業取引協会が作成予定の「反社会的勢力データベース」に警察が保有している暴力団員情報を提供するとし、五月二六日に日本証券業協会の安東俊夫会長が警察庁に支援を要請した。
「この {極道データベース} は警察官僚と業界団体が一体となってつくることになるのでしょう。警察庁はだれもが反対できない形で話をもっていくのがうまい。しかし経済界はどこまで警察にお付き合いしたらいいのか、本音では様子見でしょうね」(前出記者)
 思えば、長官就任早々の昨年八月、一連の芸能人薬物汚染に関して定例会見で「芸能界に必要な支援をする用意がある」と発言し、芸能関係にも色気を見せていた。
 先の飲食店経営者は憤る。
「今回の騒ぎでどれだけ警察が税金を使ったのか。これこそ事業仕分けしてほしいですわ」
 これぞ庶民の本音ではないか。

(本誌取材班)

村木厚子元厚労省局長公判 判決は9月10日 村木氏「静かに待つ」

 厚労省の元局長村木厚子氏(起訴休職中)が虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた事件は、大阪地裁(横田信之裁判長)で六月二九日、最終弁論が行なわれ、弘中惇一郎主任弁護士は「いかなる視点からも被告人は無罪。裁判所は厳正なる無罪判決を」と結んだ。最後に被告人席に立った村木氏は「保釈まで五カ月以上も拘置所で暮らし、夫や娘に大変な心労をかけました。役所も休職の形になり一年以上離れています」と、メモを手に無念の心情を読み上げた。ほぼ五カ月の審理は終結し、九月一〇日の判決を待つ。
 三時間近い弁論では「倉沢氏(邦夫・凛の会会長)が石井一参院議員(事件当時は衆院議員)に口添え依頼した事実も、石井氏が村木氏の元上司へ(格安便認可の証明書発行を)依頼した事実もない。事件の大前提が崩れている」「検察のストーリーに合う供述調書を多数作成し、女性キャリア局長を起訴するというはじめに結論ありきの強引な捜査」などと検察を指弾した。
 弘中氏は「石井氏への捜査が村木さんを起訴した後といういい加減さ。議員案件事件を強調しながらこんな捜査があるのか」と批判した。
 懲役一年半を求刑されている村木氏は会見には出ず、「判決を静かに待ちたい」とのコメントを残した。弁論は多くの関係者証言について「偽証罪のリスクを冒して偽証するとは考えられない」とした。

(粟野仁雄・ジャーナリスト)

残業代支払い命じながら 「みなし労働」容認 東京地裁が矛盾した判決

 海外ツアーの旅行添乗員が「事業場外みなし労働」の是非をめぐり残業代の支払いを求めていた労働審判異議訴訟の判決が二日、東京地裁(田中一隆裁判官)であり、田中裁判官は被告の阪急トラベルサポートに対して残業代不払い分と休日労働割り増し賃金不払い分の支払いを命じた。
 しかし「みなし労働」については、「労働時間を算定しがたい」として被告主張を事実上容認。五月一一日に同じ東京地裁で出された「みなし労働は適用できない」とする判決(国内ツアーの残業代支払い請求訴訟)と矛盾する内容となった。
 訴えていたのは、全国一般東京東部労働組合に加盟する阪急トラベルサポート支部(塩田卓嗣委員長)の組合員で、海外ツアーを主とする添乗員の大島由紀さん。労働審判では二〇〇八年七月一八日、「会社が主張する事業場外みなし労働は適用できないため残業代を支払うべき」とする審判が出ており、それを不服とした阪急トラベルサポートが異議を申し立て本訴に移行していた。
 東京東部労組の菅野存委員長は「海外ツアーにおいても使用者からの指揮命令と時間管理は徹底しており、実態として労働時間を把握できる。裁判官自身が労働時間を算定し、不払い残業代の支払いを命じておきながら、みなし労働の適用を認めるのはおかしい」として、控訴する方針だ。一方、阪急トラベルサポート本社・総務課では「添乗業務について一一時間のみなし労働時間制の適用を認められた点は妥当であると考える。判決文を精査し、今後の方針を検討する」とコメントしている。

(片岡伸行・本誌編集部)

撫順戦犯管理所開館60周年 「鬼を人間に変えた」奇蹟受け継ぐ

 六月二〇日、快晴炎天下の中国遼寧省撫順市で、撫順戦犯管理所開館六〇周年式典が行なわれた。日本からは戦犯管理所に収監されていた元戦犯、坂倉清氏(九〇歳)、高橋哲郎氏(八九歳)とともに撫順の奇蹟を受け継ぐ会、日中友好協会、紫金草合唱団ら約一〇〇人が参加した。
 同管理所には、中華人民共和国成立翌年の一九五〇年、ソ連と中国の協定により、シベリア捕虜だった元日本軍将兵、「満州国」官僚ら約一〇〇〇人が移管された。 ソ連での待遇とは打って変わり、強制労働もなく三度の米の食事に、医療など徹底した人道的な待遇を受けた。その中で戦犯たちは、中国の戦場で犯した加害行為を直視し、罪を認め反省していく。それを「認罪」と呼んだ。管理所の職員も苦悩の連続だった。加害者が目前にいても仕返しは許されない。しかも自分たちよりよい食事が与えられる。不平が出るたびに話し合いをし、職員たちの人道主義政策への認識も高まっていった。戦犯の一人ひとりを丁寧に観察し、食べた食事の量までチェックされ健康管理も徹底的に行なわれた。
 五六年の瀋陽軍事法廷で、四五人の有期刑を受けた者以外はすべて不起訴、即日釈放となった。有罪の者も満期前に帰国を許され、死刑はなかった。帰国後、彼らは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を組織し、反戦平和、日中友好の活動を続けてきた。二〇〇二年に会員の高齢化のため解散したが、同時に若い世代が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」を結成しその精神と事業を継承している。
 式典では、高橋哲郎氏が中帰連を代表し、挨拶した。
「当時私たちは、全ての者が、日本の天皇中心主義の軍国主義に骨の髄まで侵されており、中国を侵略して、取り返しのつかない被害を中国人民に与えたという自覚を微塵も持っていませんでした。量り知れない被害を受け、恨みと憎しみに満ちている中国人民である管理所職員は、このような私たちの態度に対して、実に辛抱強く、誠心誠意を持って人道的に処遇してくれました。私たちは一歩一歩自己の過去を厳しく反省することができるようになり、中国人民に与えた被害の深刻さに愕然とし、心から自らの罪行を率直に認めることができました。二〇世紀の半ばに、この撫順の地において、平和を熱愛する中国人民の手によって『鬼が人間に』転変するという『奇蹟』を実現したこの管理所が、名実ともに大改修され、平和学習の殿堂として、世界の若い人びとに強い影響を与え続けることを心より祈念致します」
 開館六〇周年記念として、佐官・将官級の戦犯が入っていた二棟が改修され陳列館となった。ここでは、管理所と中帰連の六〇年の歴史が一次資料や写真パネルで詳しく紹介されている。戦犯が生活していた部屋、医務室、散髪室、風呂などは保存され見学できる。強制労働がなかったため、戦犯たちはスポーツで体力をつけた。また社会科学の学習はもちろん、演奏会や演劇など文化活動も盛んであった。映画も週一回鑑賞した。管理所時代に戦犯たちが踊りや演劇を披露した野外ステージも復元され、この日、元戦犯・矢崎新二氏の息子らが父親から受け継いだ「蒙古踊り」を再演、合唱団が組曲「撫順の朝顔」を披露した。
 中帰連の認罪は今でも続いている。高齢のため出席できないものは祝辞を託した。車椅子で参加したいと望んだ小山一郎氏が亡くなったのは六月三日のこと。
 戦犯を鬼から人間に変えたのは、被害者であった管理所の職員だ。命をかけて炎天下の式典に元職員たちと手を携えて参加した中帰連の二人の姿は、この地で起きた「二〇世紀の奇蹟の姿」そのものであった。

(荒川美智代・撫順の奇蹟を受け継ぐ会)

トヨタ系列会社で事故多発 負傷者が出ても情報開示せず

「バーン」。大きな爆発音とともに「ショット機」と呼ばれる設備の鉄の扉が突然、激しい勢いで開いた。すぐ近くで作業していた社員Aさんは、厚さ一〇ミリほどの扉に顔面を直撃され、骨折する重傷を負った。
 四月二七日午後八時ごろ、トヨタ系部品メーカー・株式会社ファインシンターの春日井工場(愛知県春日井市大泉寺町)で爆発事故は発生した。設備から出た火は消火器で消し止められたものの、消防と警察が駆けつける騒ぎとなった。
 社員一人が大ケガをするという業務上過失傷害の疑いもある事件性の高い爆発事故である。にもかかわらず、東証二部上場企業であるファインシンターは現在に至るまで情報を開示していない。
 ファインシンターは、春日井市明知町に本社を置き、春日井をはじめ、埼玉や滋賀などにも工場を持つ。自動車のエンジンなどに使う粉末冶金製品を中心に製造しており、二〇一〇年三月期の連結決算は売上高三一六億円、純利益一一億円を計上している。
 筆頭株主はトヨタ自動車株式会社(二〇・八%)で、年間八〇億円ほどの取引がある。同社の水野豊社長も、トヨタ本社からの {天下り} である。
 ファインシンターの主力である粉末冶金製品とは、鉄粉などを高速でぶつけることにより、研磨したり、強度を高めたりした部品のこと。ショット機はそのための設備だが、部品にぶつかった後の細かい粒が原因で、粉塵爆発を引き起こす危険性があるとも指摘されている。
 Aさんと同じ工場で働くBさんによると、実はこのショット機の爆発事故は二回目だ。「事故の数日前に『安全対策に不備があるから、また爆発事故が起こる可能性がある』とAさんに話していた」ところだった。
 一回目の爆発事故は〇七年九月ごろに発生した。今回と同じ粉塵爆発による事故で、負傷者も出たという。「もともと危険性が高い設備なのに、会社は詳しい原因を調べなかった。掃除をこまめにすれば事故にならない、と結論づけた」。扉が簡単に開かないように加工するなどの措置もとらないまま、作業は継続。結果的に今回の事故につながった。
 これ以外にも「爆発事故や火災が頻繁に起こっている」とBさんは証言する。同じ春日井工場で、一回目の事故と同時期の〇七年九月ごろに真空炉の爆発事故が起こったほか、たびたび火災も発生。これらについては「労働基準監督署や消防署にも報告していない」と隠蔽している疑いさえあるという。
「安全で働きやすく活力に溢れた職場を確保します」「法令の遵守はもちろん、倫理規範に則した誠実で責任ある行動をとります」。ファインシンターが掲げる行動憲章にはこうした記述がある。
 しかし、Bさんは「コンプライアンス(法令遵守)も何もあったものではない」「利益を出すために安全に最低限のお金しか使わない」と会社の姿勢を批判する。
 Bさんは、労基署の対応にも不満を抱いている。一回目の事故の後、名古屋市東北部や春日井市などを管轄する名古屋北労基署へBさん自ら申告し、指導を要請していた。二回目の事故が起こり、五月二〇日にあらためて訪れたが、満足いく回答は得られなかった。
「労基署は(一回目の事故について)話を聞きながら十分な指導を怠り、(結果として)今回の事故が起こった」と、労基署の監督責任もあるのではないかと指摘する。
 会社側は五月一三日、春日井工場の全従業員を集め、安全対策の不備を認めるなど、反省の意を表した。また、筆者の取材に対し「これまでの安全管理が甘かったと言われれば、そうかもしれない。(水野)社長をトップにした安全衛生委員会で毎回議題に挙げて、対策は講じている」と説明した。
 今回の事故の被害者Aさんは七月一日にようやく職場に復帰した。Bさんによると、まだ顔面にしびれが残っている状態という。
 最近はレクサスのリコールがあったが、その報告遅れも指摘されている。メーカーとしての真摯な姿勢があらためて問われている。

(記者ネット名古屋)

65年後の沖縄「慰霊の日」 菅首相「お詫びとお礼」に「帰れ!」と怒号飛ぶ

 沖縄「慰霊の日」の六月二三日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開催された沖縄全戦没者追悼式(沖縄県及び同県議会主催)に出席した菅直人首相は、会場入口で「怒」の文字と抗議の声に迎えられた。
 夥しい血を吸ったかつての激戦地に、戦後六五年たってもなお癒えぬ傷を抱いて参列した五五〇〇人の人々の前で、首相は「沖縄の負担」への「お詫びとお礼」を述べた。
 鳩山由紀夫前首相から米軍普天間飛行場を名護市辺野古周辺に移設するとした日米合意を継承した菅首相の「お礼」は傷口に塩を塗るものでしかなく、会場からは「帰れ!」の怒号が飛んだ。
 主催者として式辞を述べた高嶺善伸県議会議長は、過去の戦争だけでなく現在も過重な基地負担に苦しむ沖縄の「普天間基地ひとつさえ返還できない状況」はとうてい納得できないと批判。仲宗根義尚県遺族連合会長も辺野古移設反対を訴えた。
 普天間高校三年生の名嘉司央理さんは自作の詩「変えてゆく」を朗読し、「当たり前に基地があって 当たり前にヘリが飛んでいて 当たり前に爆弾実験が行なわれている」日常を「変えてゆこう」と呼びかけた。
 式典後、菅首相は仲井眞弘多沖縄県知事と会談し、日米合意を進めていくスタートにしたいと語ったが、知事は「困難度はいっそう高まっている」と返した。
 米軍を受け入れている沖縄住民に感謝する決議案が同日、米国下院に提出されたとの報道もあり、「慰霊の日」における日米双方からの「感謝」は、死者を冒涜し、未来永劫の基地負担を強いるものだと県民の怒りをかき立てている。

(浦島悦子・フリーライター)