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命をつなぐ(小室等)

「さんさ酒屋のコンサート」は岐阜県中津川上野の坂下地区にある蔵元「山内酒造場」で開かれる。主催は二一代当主、山内總太郎氏と満由美夫妻(總太郎氏は、あの伝説の全日本フォークジャンボリーの実行委員でもあった)。

コンサート当日は、小野櫻と春一番地の新酒が蔵出しされ、“かみさん連”の奮闘によるさまざまな手作り料理が並ぶ。仲間たちの畑でとれた新鮮な野菜、とりわけ僕の気に入りは、“みそマヨ”で食べる生の玉ねぎ苗。そう三月一九日、コンサートに招かれ、地付きのフォーク・グループ「我夢土下座」「土着民」らに混ざって歌ってきた。過去三回招かれたが、一八回目の今年が最終回であった。

四月になって、僕の好きな「春一番地」が届いた。同封の山内夫妻のメッセージがあまりに素敵なのでほぼ全文を紹介する。

〈今年も新酒が搾れ、恒例の「さんさ酒屋のコンサート」を催しました。私たち夫婦は今期限りで酒造りを引退することに決め、「さんさ酒屋のコンサート」も今回を最後といたしました。一九年、一八回(大震災の年は中止しました)もやってこられたのもフィールドフォーク(七一年から山内さんたちがはじめたフォークソング運動=小室注)の仲間たちのお蔭です。

私たちの活動は歌だけでなく、もの作りを生業にした者もあれば、農家農村からの情報発信をめざした交流体験農場「椛の湖農業小学校」もやってきました。

「農小」では、農と食に理解を深めてもらい、食の安全と自然や環境を守ることを一緒に考えました。子どもたちに農作業を教えるだけでなく、自然の中での暮らしぶりなど伝えたいことがいっぱいある中で、一番は「我らは野菜の命を途中でいただいて、命をつないでいる」ことを実感してもらうことでした。言葉を替えて言えば「命を大事にする人になってほしい」ということです。

自分の命を大事にする人は他人の命も大事にするはずで、それは自然や環境を大事にし、平和を守ることにつながると信じるものです。その「農小」は昨年度二三期で閉校しましたが、今は新しい交流体験の場を準備中です。

命がないがしろにされたり、平和が脅かされている時代にあって、フィールドフォークの仲間たちもそれぞれの歌や活動をつづけるなかで、小さな声でも上げ続けていくことでしょう〉

「さんさ酒屋のコンサート」は終わったが、山内さんたちの生きる活動はこれからも続く。人知れず、という言い方は適切ではないかもしれないが、人知れず素敵な人は“田舎”に住んでいる。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、4月21日号)

開沼博の正体〈後編〉──避難者の「死亡」原因が「反原発運動」?(明石昇二郎)

開沼氏の言説をていねいに追ってゆくと、根拠があやしいものが少なくない。一例を挙げれば彼が多用する、震災後の避難者の割合をたずねる「クイズ」がそうだ。どこが問題なのか。まずは、そこから検証しよう。

昨今、福島第一原発事故に関する評論を通じ、マスメディアで名前をよく見かけるようになった社会学者・開沼博氏。2016年4月21日付「WEDGE REPORT」で開沼氏は次のように語る(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6618?page=2)。

「拙著『はじめての福島学』では、冒頭で、あるクイズを紹介しています。福島から震災後避難して県外に移った人って震災前の人口の何%だと思いますかと講演などで聞くと、たいてい20~30%などという答えが返ってくる。避難者の話をよく聞いているという関西の地方紙の記者は40%と答えました。でも、正解は2%。極端な情報ばかり流れてきた証左です」

開沼氏は約1年後の『SIGHT』65号(17年3月1日発売)でも、同様の趣旨で語っている。この「クイズ」が相当気に入っているようだ。だが、ちょっと待ってほしい。

作為的に使われる避難者統計データ

東日本大震災直前の11年3月1日における福島県の推計人口は202万4401人。一方、福島県がホームページで公表している避難者数は、12年5月のピーク時で16万4865人である。最大で8・1%にも及ぶ県民が避難していた計算になる。

 一方、開沼氏が正解とする「2%」という数字は、14年当時の県外避難者数約4万6000人をもとに弾き出したものだ。ピークから2年後とはいえ、福島県が公表している「8・1%」とはかなりズレがある。

種明かしをすれば、彼が挙げている数字には、被災した地域から福島県内の別の地域に避難している「県内避難者」が含まれていないのである。

同県が公表している今年2月時点の避難者総数は、ピーク時のほぼ半数となる7万9446人。そのうち「県内」避難者数は3万9608人で、「県外」避難者数もほぼ同数の3万9818人(避難先不明者は20人。グラフ参照)。つまり、開沼氏は全国各地での講演で、半数の避難者をいないものとして説明しているのである。しかも開沼氏が掲げた数字には、震災が起きるまで暮らしていた地域への帰還を諦め、避難先で定住する道を選んだ人々の数は含まれていない。

開沼氏が「福島学」として語る「2%」という数字は、震災や原発事故によって故郷を追われ、避難している県民一人ひとりの苦悩や、故郷への帰還を諦めた県民一人ひとりの心の傷や悲しみといった「福島県民の感情」を作為的に削ぎ落として、他人事にする。震災被害や原発事故被害を矮小化して伝えたい時くらいにしか使えない。

こうした“学問”は、誰から歓迎されるものなのだろう。

都合のいい証拠に頼る「確証バイアス」の虜

関西地方の新聞記者氏が“粗忽者の見本”としてネタにされていたことからもわかるように、迂闊に開沼氏の質問に答えるのは大変危険である。話した内容が開沼氏の意に沿うように“つまみ食い”され、予期せぬ全く別のストーリーの中で使われる恐れがあるからだ。それも、匿名の人物が語った話として使われるので、ネタにされた当人は全く気づかない。

そのことを知ってか知らずか、開沼氏の「調査」や「取材」を受けたことがあるという人はかなりいる。それは、東京や福島をはじめとした各地で反原発運動をしている人々にまで及び、例えば「脱原発弁護団全国連絡会」の共同代表で弁護士の海渡雄一さんも、彼の“調査対象”にされた経験がある。彼の調査のため、わざわざ時間を割いて協力したのだという。

が、彼が書いた記事や書籍の中で、海渡さんが登場したことはない。海渡さんも、
「あれはいったい何のための取材だったのか」
と訝しがる。

ところで、認知心理学や社会心理学における専門用語に「確証バイアス」というものがある。15年3月31日付『毎日新聞』ウェブ版でインタビューに答えていた開沼氏の言葉を借りれば、「自分にとって都合のいい確証・証拠ばかり集めようとする偏見のこと」であり、自分の持論や主張に反していたり否定したりする事実や情報は無視してしまう傾向のことだ。

開沼氏は、反原発を主張する人々は確証バイアスに囚われている、と考えている。彼によれば、反原発派の人々は「福島は放射性物質で汚れている」「福島に行ったら病気になる」と唱え続け、その考えを補強する証拠や情報しか受け入れようとしないのだという。しかし、そういう開沼氏自身が確証バイアスに侵されている疑いがある。

「開沼博の正体〈前編〉」で紹介した、見てもいない11年4月10日の「高円寺デモ」を「ウザい」と決めつけ「見過ごせません」と罵倒した話や、疫学と因果推論などが専門の津田敏秀岡山大学大学院教授が行なった疫学研究に対して、社会学者でありながら自分でデータを検証しないまま「専門家コミュニティーからフルボッコで瞬殺されています」と他人の褌を借りて全否定してみせた話は、自らの持論や主張を否定する話への反発であり、開沼氏が確証バイアスに侵されていると考えれば辻褄は合う。

彼が確証バイアスの虜になっていることを疑わせる材料は、他にもある。

反原発運動にあおられた「過剰避難」で人が死ぬ?

横浜や新潟などで発覚した、福島県からの「県外避難者」児童や生徒に対するいじめの問題の背景を尋ねられた開沼氏は、「避難を続ける中で心身に不調をきたすことによる2次被害」があり、地震や津波による1次被害の死者数より2次被害による死者数のほうが多いとした上で、次のように答えている。

「この理由の一つとして考えられるのは、福島の惨事に便乗して過剰に不安をあおる人が現れ、『過剰避難』が生じたことです。一言で言えば福島への負の烙印。(中略)こうしたことを、私たちは風評被害と呼んできました」
「もう一つが差別・偏見の問題です。(中略)県内の通学路を地元の子供たちがゴミ拾いする活動に、『子供を殺す気か』といったメールやファクスが主催者に殺到したなど、例を挙げれば切りがありません。その流れの中で、当然いじめの問題が出てきた。そういう見方をしなければなりません」(『北海道新聞』17年1月14日付)

原発事故後の反原発運動が、被災者の死者数を増やし、いじめや差別の原因にもなっているというのだ。そこで疑問が生じる。

まず、「過剰避難」の規模を人数等のデータで示すことは可能なのか。次に、「過剰避難」による死者数は何人なのか。

それに「過剰」とは、避難する必要がないのに避難したことを意味するのか。その場合、「避難する必要がない」かどうかは、どのような立場の者がどのような基準で判定するのか。そしてその基準は、福島県等の行政機関から同意を得ているものなのか。それとも開沼氏の「偏見」なのか。

当の「県外避難者」男性が開沼氏に反論する。

「開沼氏が言うように、避難者は他人にあおられたから避難したわけではありません。東京大学や大阪大学の教授が『安全』を盛んにあおっていましたが、信用しませんでした。そうした御用学者らはメルトダウンも否定していましたが、私はメルトダウンを危惧して遠距離避難を選択したのです。
遠距離避難者の中には、関東地方など福島県以外から避難した人たちも多数います。開沼氏は全国各地で公演活動を行なう合間に、そうした避難者からも聞き取り調査をしている。にもかかわらず開沼氏は彼らを無視し続けています。多数の『福島県外からの避難者』の存在は“開沼『過剰避難』説”にとって不都合なのでしょう」

架空の人物を“徹底批判”

まだある。

開沼氏は、沖縄県で起きた大阪府警機動隊員による「土人」発言の問題を『琉球新報』紙上で論じた際も、唐突に福島県の話を引き合いに出し、
「今、インターネットで『福島』『子ども』と検索すると『奇形』『健康被害』という関連ワードが自動的に出てくる」「このようなワードを関連させて検索しているのは反原発の立場で福島を応援したいと願う人々である」
と、証拠も示さず反原発運動が“犯人”だと決めつける。そして、
「彼らにしてみれば、原発をやめる理由として『福島』の『子ども』が『健康被害』に侵されているという事実があるのだと思い込みたいのかもしれない」
とする。

開沼氏が言う彼ら――すなわち「奇形」「健康被害」というワードを関連させてネット検索している反原発の人々で、福島の子どもが健康被害に侵されているという事実があるのだと思い込みたい人――とは、開沼氏が作り上げた架空の人物であり、偏見以外の何ものでもない。その上で開沼氏は、
「このようなゆがんだ『正義心』が差別につながるのだということについても、われわれは改めて考えてみる必要がある」
と、大見得を切る(開沼氏の言葉は『琉球新報』16年11月10日付「機動隊差別発言を問う」より)。もはや妄想の次元である。

開沼氏を起用するメディアに「怒り覚える」

こんな調子で反原発運動に対する敵意を剥き出しにする開沼氏に対し、今回、6項目にわたる質問【質問内容は本誌サイトで公開】を同氏のオフィシャルサイトから送ったが、回答期限までに返答はなかった。

そんな開沼氏の“福島愛”は、福島県民からどのように受け止められているのか。

同県中通り在住の女性が語る。

「開沼さんは、反原発の運動をしている人も放射能被害を訴える人も大嫌いなのでしょうね。一方的に『福島は安全だ』と主張するばかりで、幼稚に見える。正直言って、このような人に福島県のことを語ってほしくない」

前出の「県外避難者」男性にも聞いた。

「開沼氏はまるで“福島県民の代弁者”のように振る舞っていますが、迷惑な話です。私をはじめ避難者の多くは、彼の発言に当初は怒りを感じましたが、今では呆れています。むしろ、開沼氏を“福島県民の代弁者”として起用し続けるマスメディアに対して怒りを覚えます」

開沼博氏の「正体」は、不正確な言葉を操り、自らの主観と事実を混同して語る稚拙な論客であり、ルポルタージュの方法も、科学者としての作法も知らないデマゴーグだった。したがって、より本質的な問題は、その正体に気づかずに起用し続けているマスメディアの側にある。猛省を促したい。

(あかし しょうじろう・ルポライター。4月14日号掲載。前編は4月7日号に掲載しています

♪おれ~俺 俺~詐欺~(小室等)

三月二六日、埼玉で「第12回ゆめ風であいましょう 永六輔さんを偲び『永縁』を紡ぐお話と音楽の集い」(共催/認定NPO法人ゆめ風基金・わらじの会・カタログハウスの学校)が催された。

永さんは、自然災害で被災した障害者を支援するNPO法人「ゆめ風基金」の呼びかけ人代表だった。同基金の全国ネットワークに参加する春日部市の団体「わらじの会」が今回の実動部隊。出演は、オオタスセリ、竹田裕美子、坂田明、中山千夏、李政美、こむろゆい、そして僕。

オオタスセリさんは、
♪おれ~俺 俺~詐欺~(サッカー応援歌)、
♪大飯の原発フル稼働 おじいさんの利権~(大きな古時計)、
♪じれったいじれったい 戦争するとか 派遣とかなら じれったいじれったい 駆けつけ警護も行きたくないわ~ 突然じゃない、みんなそうだわ 私たち、除隊Α(少女Α・中森明菜)、
♪風邪をひいたチキン、土の下に埋めて 渡り鳥が運ぶ 鳥の~インフルエンザ~(地上の星・中島みゆき)、
♪も~りと~もがくえん~払い下げ~ ハッハ~ハ 安倍がなく~ ハッハ~ハ 忖度だ~ ハッハ~(森へ行きましょう)
と、矢継ぎ早の替え歌であっという間に笑いと共感をつかみ取り、喉不調のハスキーが功を奏し、「ストーカーと呼ばないで」がGOOD!

昔ジャズピアニストが配偶者だった千夏さんとジャズ・サックス奏者の坂田明氏。波長は同期して、むやみな誉めそやし無縁の永さん話に花が咲いた後、千夏さんは小室と「老人と海」を歌う。久しぶりの芸能シーンは水を得た魚。

ルーツが済州島、在日二世のヂョンミさんは、東京・葛飾も私の故郷と「京成線」を歌った後、朝鮮民謡「珍道アリラン」と「密陽アリラン」をメドレーで。ヂョンミさんに流れる血が僕らの心を打つ。民謡は強い。

坂田氏は、顕微鏡の中のミジンコが「私を見て!」と言っているとオリジナル曲「Look At Me」の後、広島県呉出身の坂田氏、なんと呉の民謡「音戸の舟唄」をサックスとアカペラで弾き語りならぬ吹き語り。櫓をこぐ仕草を入れながらの歌に舞台が荒波に漕ぎ出る船と化し、ぐいっ、ぐいっと動きはじめた錯覚を覚える名唱。少年期、伝馬船を漕いでいた坂田明に流れる血も、ヂョンミさん同様、僕らの心を打つものであった。

核兵器禁止条約に日本が参加しないとか、大阪高裁が高浜原発再稼働を認めるとか、外ではいやな風が吹いているが、会場内には心地よい風が吹いていた。

夕方、スタッフたちは被災地障害者支援の活動に戻っていった。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、4月7日号)

青林堂の“沖縄ヘイト本”に絡む政治家――「辺野古」を「裏口」と呼び捨てる共著者も(内原英聡)

青林堂『沖縄の危機!『平和』が引き起こす暴力の現場』は、はすみとしこ氏が表紙のイラストレーションを担当している。(撮影/編集部)

今年1月、(株)青林堂から沖縄の基地問題に関連する書籍が刊行された。冒頭の章「はじめに」で〈「平和主義」を唱える〉のは〈反日集団〉だと断定するなど不確かな情報が多いこの本の共著者には自民党国会議員が名を連ね、緊急出版記念講演会では浦添市長も挨拶していた。

 

本のタイトルは『沖縄の危機! 『平和』が引き起こす暴力の現場』(以下、『沖縄の危機』)。兼次映里加、仲新城誠、ロバート・D・エルドリッヂ、仲村覚、宮崎政久(自民党衆院議員)の各氏が共著者だ。

ジャーナリストを名乗る兼次氏は『夕刊フジ』などに寄稿する人物。『沖縄の危機』では〈基地反対派〉を〈職業を持たずに、専ら「平和のための市民運動」をしている〉と断定。米軍新基地建設の阻止を求める市民運動は、〈「破壊活動」そのもの〉などと記述する。

産経新聞社と提携する『八重山日報』の編集長である仲新城氏は、同書で〈沖縄タイムスと琉球新報〉を批判。たとえば県内2紙は辺野古での「米軍新基地建設」と表記しているが、仲新城氏はこれを「嘘」だとし、日米両政府が主張するように「移設」だと強調している。仲新城氏は基地を〈駐在所〉、米軍を〈非常にガラが悪く、近所の評判が悪い〉〈警備員〉にたとえ、この〈駐在所を人目がつかない裏口に移動することにした〉と本書で解説した。裏口とはつまり辺野古のことだが、故郷をそう呼ばれる人びとへの配慮はないようだ。

エルドリッジ氏は(一社)日本戦略研究フォーラムに所属。関係者は改憲を目論む“右派”団体「日本会議」と多数が重複している。

仲村氏の肩書は政治系団体「沖縄対策本部」代表など。同書では〈沖縄のマスコミ〉や〈国連〉には中国の工作が入っており、侵略を狙う〈日本の敵〉などとある。

さらに、今回『沖縄の危機』の表紙イラストレーションには「はすみとしこ」氏を起用。はすみ氏は2015年9月、実在する難民の少女をモデルにした絵を公開し、「他人の金で。」「そうだ難民しよう!」との文言を添えた人物だ。

当時は国際的に批判を浴びたが、青林堂は同年12月、作品集『そうだ難民しよう! はすみとしこの世界』を出版。ここにも差別煽動表現が含まれていたため、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」は同年11月18日、「差別を商業主義と結びつける卑劣な行為を強く非難します」との声明を発表した。

青林堂は14年、桜井誠氏(「在日特権を許さない市民の会」当時会長)の著書『大嫌韓時代』なども出版している。今年2月6日放送のNEWS23(TBS)では、社内の深刻なパワハラ被害が報じられるなど、話題多き出版社だ。

「本はまだ読んでいない」

松本哲治浦添市長が参加した緊急出版記念講演会のチラシ。宮崎政久衆院議員も講演した。(撮影/編集部)

この『沖縄の危機』に政治家が関与していた。1月28日沖縄の浦添市内で、同書の緊急出版記念講演会が開かれた。主催は前出の仲村氏らだが、松本哲治浦添市長(自民・公明両党が推薦)がここに招かれ、堂々と挨拶をしていたのだ。

松本市長は2月17日の市長選挙で2期目となる再選を果たした。翁長雄志知事とは事実上、対立関係にある人物だ。

『沖縄の危機』との関係を松本市長本人にたずねた。文書での回答は3月8日。要旨は以下の通りだ。〈特別ゲストとして発言をした。主催者や出版社のことは、本当に知らなかった。本はまだ読んでいない〉。さらに経緯については、共著者の宮崎議員が「市長選挙の選対本部長であり、選挙直前の急な依頼であったのでとりあえず参加した」のだと言う。

宮崎議員には3月6日質問を送っており、松本市長の回答も後日事務所に伝達した。しかし記事締め切りの13日まで回答は得られなかった。『沖縄の危機』では〈政治に身を置く者として〉〈自ら信ずるところを誠実にお伝えして理解を得る努力をする〉としていたが。

(うちはら ひでとし・編集部。3月17日号を一部修正)

白い花(小室等)

人は皆自分を殺して生きている、という芝居を観てきた。

二〇〇一年、旧日本軍による「慰安婦」制度を裁く女性国際戦犯法廷を紹介しようとしたNHKのドキュメンタリー番組が、政治家による圧力を受けて改変されたのは万人の知るところ。その事件を元に、劇作家の石原燃が書いた戯曲「白い花を隠す」を、演劇集団「Pカンパニー」が、池袋のシアターグリーンBOX in BOX THEATERで公演した。

圧力をかけた政治家とは、中川昭一と安倍晋三(当時は官房副長官)の二人だ。どのような圧力かについては、『番組はなぜ改ざんされたか「NHK・ETV事件」の深層』(一葉社)にくわしい。亡くなられているので中川氏の今を語るすべはないが、安倍という人のひどさは今も健在だ。

内部告発して組織を去った者にも、組織に居残った者にも沈黙の時が過ぎていくが、〇五年一月になって、NHKチーフプロデューサー(当時)長井暁氏が沈黙を破って涙の会見を行なう。

なぜ四年も経ってから告白する気になったのかという質問に、劇中ではMHK(NHKではない)の長井に扮する木村プロデューサーは、
木村 ……家族が路頭に迷うわけにはいかないので、この四年間、非常に悩んで……。(泣く。カメラのシャッター音)。やはり、真実を述べる義務があると、決断するに至りました。(上演台本より)

その会見に接したMHK外部制作会社の、自らも組織のため、家族のため、沈黙をし続けてきたプロデューサー大友敏也(年齢設定四五歳)は突如自虐的な哄笑を発し、
大友 家族が路頭に迷うわけにいかないって。藤田なんかとっくに路頭に迷ってるよ。谷だって田舎帰って。なんなんだよ、路頭に迷うわけにいかないって。笑わすなよ。(同)
と白い花を求めて家族と組織から去っていく。

ほかの役者もみんなすばらしかった。この芝居が上演されたことを、誇らしく思う。

大友役も演じたPカンパニー代表の林次樹さんもパンフレットで書いているが、この作品が含む問題は重層的。(「慰安婦」、組織、家族、表現の自由、自主規制、同調圧力、メディア、政治介入、公平中立……)。どの問題もすべて僕自身に突きつけられているが、とりわけ、まがりなりにもメディアにかかわる仕事をしている僕には切実だ。

現に、いま僕がホストの「小室等の新音楽夜話」のテレビ局は東京MX。そしていま、辛淑玉さんたちが貶められた番組「ニュース女子」も東京MX。今まさに、重層された問題がすべて僕に突きつけられている。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、3月24日号)

教育勅語を水平社宣言で読み破れ(佐高信)

問題の森友学園理事長の籠池泰典が、
「教育勅語のどこが悪い?」
と叫ぶのを見ながら、私は『橋のない川』(新潮文庫)の作者、住井すゑの次の提言を思い出していた。

「教科書に一つの方法として『教育勅語』と『水平社宣言』を並べて印刷し、表紙をめくったら『教育勅語』がある。その次には『水平社宣言』があるというような教科書をつくったらいいんじゃないか。どっちが人間的であるか、どっちが人間的真実を訴えているか、どっちがより人間的哲学を生かしているか、一目でわかると思うんですね。『教育勅語』をむざむざと葬ってしまって、今の子どもが知らないというのも、ある意味ではマイナスですね。明治、大正、昭和の敗戦まで、このような教育の名のもとに調教をやってきたんだということをくり返しくり返しみんなで反省する必要があるんじゃないかと思いますね」

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗」の教育勅語と、「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」で始まり、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれる水平社宣言を並べて教えよという住井の主張を生かさなかったから、いま復讐されているとも言える。

いいものだけを教えてきた弱さ、いいものを悪いものとの比較に於て教えなかったもろさが、いま、出てきた。

「昼の光に夜の闇の深さがわかるものか」と言い放ったのはニーチェだが、闇との対比に於てこそ、光は意味をもつのである。そのことを住井はよくわかっていた。

住井すゑにお礼を言った児玉誉士夫

住井と永六輔の『人間宣言』(光文社)に「いい話」がたくさん出てくる。

亡夫の犬田卯の遺骨を持っていらっしゃるそうですね、と永が問いかけると、
「これね、遺骨にしてそれを地下へ埋めるということは忍びないですよ、できないですよ。だから書斎の簞笥のいちばんいい場所にあります。もう何十年もたちますけれども。ときどきは骨をかきまわしてやってます」
と住井は笑い、
「ぬかみそじゃないんだから」
と永がまぜっ返すと、
「好きな男の骨なんだもの、ときどきさわって話しかけるっていう意味よ」
と住井は答えている。

『橋のない川』のモデルは水平社宣言の起草者、西光万吉だといわれる。西光はその後、転向したが、住井との深い信頼関係は崩れなかった。

住井が西光の家を訪ねると、西光の妻は仏間に並べて二人の布団を敷き、住井と西光は遅くまで語り合ったという。

あれほどはっきりと天皇制廃止を主張しながら、住井のところには不思議に右翼が糾弾に来なかった。それについて住井は、
「私は来るのを待っているんですがね。もし来てくれれば帰りには左翼にして帰しますから」
と笑っていた。

永との『人間宣言』によれば、『橋のない川』の第四部を発表した段階で、右翼の親玉の児玉誉士夫が、
「いい小説を書いてくれてありがとうございました」
と言ってきたとか。

そして、それから住井が上京するたびに、外車で迎えに来て、乗ってくれ、という。右翼の世話になる気はないからと断ってタクシーに乗ると、護衛のつもりか、その車がついてくる。

そういうくらいだから、住井によれば右翼は、
「土産は持ってくるけど、文句はいってこない」

多分、住井の迫力に気押されたのだろう。

そんな住井を偲びつつ、娘の増田れい子は棺に住井の大好きだったキャラメルを入れたという。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、3月17日号)

温かく“肉体的な”ツノ──カナダ=エスキモー8(本多勝一)

イスマタがカリブーの大腸を手づかみにして食べると、中の糞が外へ大量にこぼれ出た。

これまでの自分の知識とまるで違っていたことの第一は、カリブーのツノがふさふさとした毛皮でおおわれている点だ。やわらかくて、ビロードの縫いぐるみを撫でているみたい。

第二は、ツノが胴体と同じように温かいことだ。血液がかよい、まさに生き生きとしている。とりわけ成長中の先端は、まだグニャグニャである。ツノというものは、ツメや毛などよりも〝肉体的〟なのですね。よく飾りものにしてあるシカやトナカイのツノ。あれはツノの骸骨と言うべきものだろう。

この見事なツノに私はほれこんで、剝製にできないものかと思った。ともかく藤木さんに写真をまずとってもらおうと、イスマタに「ピオヨ(立派だね)」と声をかけたとたん、彼は「イー、ママクト(うん、うまいぞ)」と答えるなり、ツノの先端をナイフで切り落としてしまった。

あきれて見ていると、イスマタはバナナの皮をむくようにしてその毛皮を剝ぎ、ツノの中身をかじっている。「ネリヨマプンガ(俺も食いたいね)」と言って、私も別のツノを切って食べてみる。いくらか桃色がかった白い中身は、ナマコみたいにコリコリしていて、かなり甘味もある。生臭さはほとんどない。味はカリブーの脚骨の髄とよく似ている。
(一部敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

船村徹の通夜へ(佐高信)

2月22日、作曲家の船村徹の通夜に行った。古賀政男の評伝『酒は涙か溜息か』(角川文庫)を書く時も取材に応じてもらったし、『俳句界』の対談にも出てもらったからである。彼が常宿にしていた東京・九段下のホテルグランドパレスの地下の寿司屋でも何度かバッタリ会った。

栃木県出身の船村は私に、
「落合恵子さんとは同郷ですが、親しくされておられるようですね。今度は三人で会いたいですね」
と言っていたが、それは果たせなかった。船村は落合の母親を知っていたという。

土井たか子は演歌嫌いながら、船村の一番弟子の北島三郎と交友があり、誕生日に電話口で「ハッピー バースデー」を歌ってもらったと話していた。

それを伝えると、船村は、
「社民党はイデオロギーからいっても、ワークソングである演歌を好きになってもらわなくちゃ困るな(笑)。北島も不運なヤツで、食えない時代、ぼくの栃木の田舎に帰して、田の草取りや麦を育てたりさせた時期もあったんですよ。おかげさまでいい弟子として育ってくれました。船村徹同門会というのがあって、彼は会長です。ただ、唯一ヤツの欠点は奈良漬でも酔っ払うところですね。酒が一切ダメなんですよ(笑)」
と語っていた。

2005年夏に『俳句界』で対談した時である。

その船村の「生まれかわっても弟子になりたい」という北島は通夜の席で涙ぐんでいた。やはり、早すぎるという思いなのだろう。

編曲家の若草恵は私の母の妹の息子で従弟になるが、通夜の席では受付にいた。私との関係を知って船村は、
「若草君も、ひばりさんの『愛燦燦』など、いい仕事をしていますね」
と言ってくれた。

船村は30歳を目前にして、事情があってデンマークのコペンハーゲンに滞在したことがある。

留守にすることも多いので、きちんとしたメイドを雇いたくて募集広告を出したら、応募は結構あったのだが、最終的に日本人ということがわかると、「恐い」と言って断られた。そのころはまだ、「カミカゼ、ハラキリ」のイメージが強かったのである。

この時、船村はフランスのシャンソン歌手、ジョルジュ・ムスタキの指導をしている。

2歳下のムスタキにひばりの歌などを歌わせたのである。

もちろん、ムスタキが無名のころだった。

横浜刑務所の“専属”だった

「ムスタキといえば、私の友人の小室等さんなど、神のように崇めていて、知る人ぞ知る偉大なアーティストです。どういうキッカケで?」
と尋ねると、船村は、
「そう、ムスタキ君ね。昔は飯炊きだかムスタキだかわからんかったけど(笑)。ぼくと彼とがなぜ、といまでもよく訊かれますね。彼は、ぼくがコペンハーゲンに住んでいた時代の弟子の一人です。敗戦後の日本では、海外旅行なんて夢のまた夢。まだ業務渡航しか許されない時代、一九六一、二(昭和三十六、七)年ころでした」
と答え、詳しく語ってくれたが、それは省略しよう。

船村がいつも行っていた横浜刑務所のカラオケ大会の話で結びたいからである。

「船村さんはよくいらしてるんですよね」
と水を向けると、船村は、
「もう専属のようなものですから」
と笑い、こう続けた。

「審査に行っています。忙しくてぼくが行けないときは弟子が代わりに行く。刑務所では拍手以外はすべて禁止で、掛け声や合いの手など一切禁止。だから歌に対してストレートで、いいお客ですよ」

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、3月3日号)

街を歩く安心感(小室等)

二月一〇~一一日、障害者の地域生活を推進するための全国的なネットワーク作りが目的の《アメニティーフォーラム21》に行ってきた。毎年二月に滋賀県大津市の「びわ湖大津プリンスホテル」で開催されているもので、二一回目の今年は全国の福祉に携わる一五〇〇人近くが集まった。

三日間、朝から晩まで四〇を超える講座とシンポジウム。

ちなみに一日目のプログラムのタイトルを少しだけあげると、「今あらためて共生社会を」「人とのかかわりを職業とすることの意味・私たちはなにを期待し、求めているのだろうか」「ピアサポーターが精神障害者のリカバリーを促進する」「高次脳機能障害となった夫と私と娘の10年」等々。

同時開催で、映画祭、アール・ブリュット展、毎回参加している小室や北山修のライブなどもあったが、その話はいずれまた。

二日目の「津久井やまゆり園の出来事を言葉にすること~その事を語る私を確かめる~」をのぞいてみた。登壇者は、福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)、田口ランディ(作家)、伊原和人(厚生労働省年金局年金管理審議官)、野澤和弘(進行、毎日新聞社論説委員)。

全盲で全ろうの福島智さんの「被害者のほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る『心身の能力』が制約された重度障害者たち。こうした無抵抗の重度障害者を殺すことは二重の意味での『殺人』と考える。一つは人間の肉体的生命を奪う『生物学的殺人』。もう一つは人間の尊厳や生存の意味そのものを優生思想によって否定する『実存的殺人』であり、被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、『人の魂にとってのコンピュータウイルス』のような危険をはらむ大量殺人だと思う」という重要な話に加え、あの事件の直後、福島さんが聞いた、車いす生活をする同僚の〈街を歩く安心感の根っこが抜けてしまった〉という感慨は切実だ。

田口ランディさんの死刑問題に波及した、殺していい命といけない命の選別の問題も大事な話だったが、街を歩く安心感の話は僕の心に沈潜した。

障害者の安心感と比肩できることではないが、健常者にとっても、最近の世の中は不安だ。そう、街を歩く安心感が今奪われている。

街を歩く安心感。

実存的安心感。

奪っているのは政治だ。

顔が浮かぶ。安倍、麻生、稲田。

生物学的安心感はもとより、実存的安心感を、紛れもなくこの人たちが奪っている。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2月24日号)

ローハイ!(小室等)

映画音楽の巨匠ディミトリー・ティオムキン、といっても今の若い人たちは知らないよね。僕たちの世代だと、まずは一九五九年から六五年にかけて放送されたアメリカのテレビ西部劇「ローハイド」、そうカントリー・シンガーのフランキー・レインが歌う、♪ローレン ローレン ローレン ローハイ! 日本では「伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ」が歌っていた。日本中知らない人はいないほどヒットしたんだけどな。

余談だが、準主役のクリント・イーストウッドは直後に出演したマカロニ・ウェスタンの映画『荒野の用心棒』が当たってスター街道をはしっていくことになる。

話を戻そう。ティオムキンは、作曲家として三〇年代から六〇年代にかけてハリウッド映画音楽の一翼を担った大巨匠である。アカデミー賞は、五三年に『真昼の決闘』(監督:フレッド・ジンネマン、出演:ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー。このときは歌曲賞も)、五五年に『紅の翼』(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、主演:ジョン・ウェイン)、五九年に『老人と海』(監督:ジョン・スタージェス、主演:スペンサー・トレイシー)の三つ。そのほかノミネートは無数。

それらの中で三九年の『スミス都へ行く』(主演:ジェームズ・スチュアート)など、社会派の映画をいくつも担当していてそれはよいのだが、問題は六〇年の『アラモ』だ。

総指揮、監督、主演のタカ派俳優ジョン・ウェインが求める、あるべきアメリカの姿を示す映画で、五七年後の今日、それを地で行くのがトランプだとすれば、『アラモ』は長~い時間をかけたトランプ・プロパガンダ映画だったとも言える。

なんとわれらがフォークグループ「ブラザース・フォア」も、主題歌「遥かなるアラモ」の歌唱でそのお先棒を担いでいる。僕はと言えば、映画館の暗闇の中でスクリーンを食い入るように見つめ、ブラフォーのその主題歌を好きで口ずさんでいたのだから文句を言えた立場ではないのですがね。

そのあとの六三年、これもタカ派俳優チャールトン・ヘストン主演の『北京の55日』。義和団事件を扱っているが、史実を都合よく脚色し結局アメリカは偉かったという映画で、ここでもブラフォーがちゃっかりティオムキン作曲の主題歌担当。

さてさて、強いアメリカン・メッセージのお手伝いをしたティオムキンはといえば、ロシア帝国領ウクライナで一八九五年に生まれ、一九二五年にアメリカに移住。アメリカ国民の多くがそうであるように、ティオムキンも移民だ。トランプも移民の血筋だよね。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2月10日号)