週刊金曜日公式ブログ 週刊金曜日ニュース

教育勅語を水平社宣言で読み破れ(佐高信)

問題の森友学園理事長の籠池泰典が、
「教育勅語のどこが悪い?」
と叫ぶのを見ながら、私は『橋のない川』(新潮文庫)の作者、住井すゑの次の提言を思い出していた。

「教科書に一つの方法として『教育勅語』と『水平社宣言』を並べて印刷し、表紙をめくったら『教育勅語』がある。その次には『水平社宣言』があるというような教科書をつくったらいいんじゃないか。どっちが人間的であるか、どっちが人間的真実を訴えているか、どっちがより人間的哲学を生かしているか、一目でわかると思うんですね。『教育勅語』をむざむざと葬ってしまって、今の子どもが知らないというのも、ある意味ではマイナスですね。明治、大正、昭和の敗戦まで、このような教育の名のもとに調教をやってきたんだということをくり返しくり返しみんなで反省する必要があるんじゃないかと思いますね」

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗」の教育勅語と、「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」で始まり、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれる水平社宣言を並べて教えよという住井の主張を生かさなかったから、いま復讐されているとも言える。

いいものだけを教えてきた弱さ、いいものを悪いものとの比較に於て教えなかったもろさが、いま、出てきた。

「昼の光に夜の闇の深さがわかるものか」と言い放ったのはニーチェだが、闇との対比に於てこそ、光は意味をもつのである。そのことを住井はよくわかっていた。

住井すゑにお礼を言った児玉誉士夫

住井と永六輔の『人間宣言』(光文社)に「いい話」がたくさん出てくる。

亡夫の犬田卯の遺骨を持っていらっしゃるそうですね、と永が問いかけると、
「これね、遺骨にしてそれを地下へ埋めるということは忍びないですよ、できないですよ。だから書斎の簞笥のいちばんいい場所にあります。もう何十年もたちますけれども。ときどきは骨をかきまわしてやってます」
と住井は笑い、
「ぬかみそじゃないんだから」
と永がまぜっ返すと、
「好きな男の骨なんだもの、ときどきさわって話しかけるっていう意味よ」
と住井は答えている。

『橋のない川』のモデルは水平社宣言の起草者、西光万吉だといわれる。西光はその後、転向したが、住井との深い信頼関係は崩れなかった。

住井が西光の家を訪ねると、西光の妻は仏間に並べて二人の布団を敷き、住井と西光は遅くまで語り合ったという。

あれほどはっきりと天皇制廃止を主張しながら、住井のところには不思議に右翼が糾弾に来なかった。それについて住井は、
「私は来るのを待っているんですがね。もし来てくれれば帰りには左翼にして帰しますから」
と笑っていた。

永との『人間宣言』によれば、『橋のない川』の第四部を発表した段階で、右翼の親玉の児玉誉士夫が、
「いい小説を書いてくれてありがとうございました」
と言ってきたとか。

そして、それから住井が上京するたびに、外車で迎えに来て、乗ってくれ、という。右翼の世話になる気はないからと断ってタクシーに乗ると、護衛のつもりか、その車がついてくる。

そういうくらいだから、住井によれば右翼は、
「土産は持ってくるけど、文句はいってこない」

多分、住井の迫力に気押されたのだろう。

そんな住井を偲びつつ、娘の増田れい子は棺に住井の大好きだったキャラメルを入れたという。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、3月17日号)

温かく“肉体的な”ツノ──カナダ=エスキモー8(本多勝一)

イスマタがカリブーの大腸を手づかみにして食べると、中の糞が外へ大量にこぼれ出た。

これまでの自分の知識とまるで違っていたことの第一は、カリブーのツノがふさふさとした毛皮でおおわれている点だ。やわらかくて、ビロードの縫いぐるみを撫でているみたい。

第二は、ツノが胴体と同じように温かいことだ。血液がかよい、まさに生き生きとしている。とりわけ成長中の先端は、まだグニャグニャである。ツノというものは、ツメや毛などよりも〝肉体的〟なのですね。よく飾りものにしてあるシカやトナカイのツノ。あれはツノの骸骨と言うべきものだろう。

この見事なツノに私はほれこんで、剝製にできないものかと思った。ともかく藤木さんに写真をまずとってもらおうと、イスマタに「ピオヨ(立派だね)」と声をかけたとたん、彼は「イー、ママクト(うん、うまいぞ)」と答えるなり、ツノの先端をナイフで切り落としてしまった。

あきれて見ていると、イスマタはバナナの皮をむくようにしてその毛皮を剝ぎ、ツノの中身をかじっている。「ネリヨマプンガ(俺も食いたいね)」と言って、私も別のツノを切って食べてみる。いくらか桃色がかった白い中身は、ナマコみたいにコリコリしていて、かなり甘味もある。生臭さはほとんどない。味はカリブーの脚骨の髄とよく似ている。
(一部敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

船村徹の通夜へ(佐高信)

2月22日、作曲家の船村徹の通夜に行った。古賀政男の評伝『酒は涙か溜息か』(角川文庫)を書く時も取材に応じてもらったし、『俳句界』の対談にも出てもらったからである。彼が常宿にしていた東京・九段下のホテルグランドパレスの地下の寿司屋でも何度かバッタリ会った。

栃木県出身の船村は私に、
「落合恵子さんとは同郷ですが、親しくされておられるようですね。今度は三人で会いたいですね」
と言っていたが、それは果たせなかった。船村は落合の母親を知っていたという。

土井たか子は演歌嫌いながら、船村の一番弟子の北島三郎と交友があり、誕生日に電話口で「ハッピー バースデー」を歌ってもらったと話していた。

それを伝えると、船村は、
「社民党はイデオロギーからいっても、ワークソングである演歌を好きになってもらわなくちゃ困るな(笑)。北島も不運なヤツで、食えない時代、ぼくの栃木の田舎に帰して、田の草取りや麦を育てたりさせた時期もあったんですよ。おかげさまでいい弟子として育ってくれました。船村徹同門会というのがあって、彼は会長です。ただ、唯一ヤツの欠点は奈良漬でも酔っ払うところですね。酒が一切ダメなんですよ(笑)」
と語っていた。

2005年夏に『俳句界』で対談した時である。

その船村の「生まれかわっても弟子になりたい」という北島は通夜の席で涙ぐんでいた。やはり、早すぎるという思いなのだろう。

編曲家の若草恵は私の母の妹の息子で従弟になるが、通夜の席では受付にいた。私との関係を知って船村は、
「若草君も、ひばりさんの『愛燦燦』など、いい仕事をしていますね」
と言ってくれた。

船村は30歳を目前にして、事情があってデンマークのコペンハーゲンに滞在したことがある。

留守にすることも多いので、きちんとしたメイドを雇いたくて募集広告を出したら、応募は結構あったのだが、最終的に日本人ということがわかると、「恐い」と言って断られた。そのころはまだ、「カミカゼ、ハラキリ」のイメージが強かったのである。

この時、船村はフランスのシャンソン歌手、ジョルジュ・ムスタキの指導をしている。

2歳下のムスタキにひばりの歌などを歌わせたのである。

もちろん、ムスタキが無名のころだった。

横浜刑務所の“専属”だった

「ムスタキといえば、私の友人の小室等さんなど、神のように崇めていて、知る人ぞ知る偉大なアーティストです。どういうキッカケで?」
と尋ねると、船村は、
「そう、ムスタキ君ね。昔は飯炊きだかムスタキだかわからんかったけど(笑)。ぼくと彼とがなぜ、といまでもよく訊かれますね。彼は、ぼくがコペンハーゲンに住んでいた時代の弟子の一人です。敗戦後の日本では、海外旅行なんて夢のまた夢。まだ業務渡航しか許されない時代、一九六一、二(昭和三十六、七)年ころでした」
と答え、詳しく語ってくれたが、それは省略しよう。

船村がいつも行っていた横浜刑務所のカラオケ大会の話で結びたいからである。

「船村さんはよくいらしてるんですよね」
と水を向けると、船村は、
「もう専属のようなものですから」
と笑い、こう続けた。

「審査に行っています。忙しくてぼくが行けないときは弟子が代わりに行く。刑務所では拍手以外はすべて禁止で、掛け声や合いの手など一切禁止。だから歌に対してストレートで、いいお客ですよ」

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、3月3日号)

街を歩く安心感(小室等)

二月一〇~一一日、障害者の地域生活を推進するための全国的なネットワーク作りが目的の《アメニティーフォーラム21》に行ってきた。毎年二月に滋賀県大津市の「びわ湖大津プリンスホテル」で開催されているもので、二一回目の今年は全国の福祉に携わる一五〇〇人近くが集まった。

三日間、朝から晩まで四〇を超える講座とシンポジウム。

ちなみに一日目のプログラムのタイトルを少しだけあげると、「今あらためて共生社会を」「人とのかかわりを職業とすることの意味・私たちはなにを期待し、求めているのだろうか」「ピアサポーターが精神障害者のリカバリーを促進する」「高次脳機能障害となった夫と私と娘の10年」等々。

同時開催で、映画祭、アール・ブリュット展、毎回参加している小室や北山修のライブなどもあったが、その話はいずれまた。

二日目の「津久井やまゆり園の出来事を言葉にすること~その事を語る私を確かめる~」をのぞいてみた。登壇者は、福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)、田口ランディ(作家)、伊原和人(厚生労働省年金局年金管理審議官)、野澤和弘(進行、毎日新聞社論説委員)。

全盲で全ろうの福島智さんの「被害者のほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る『心身の能力』が制約された重度障害者たち。こうした無抵抗の重度障害者を殺すことは二重の意味での『殺人』と考える。一つは人間の肉体的生命を奪う『生物学的殺人』。もう一つは人間の尊厳や生存の意味そのものを優生思想によって否定する『実存的殺人』であり、被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、『人の魂にとってのコンピュータウイルス』のような危険をはらむ大量殺人だと思う」という重要な話に加え、あの事件の直後、福島さんが聞いた、車いす生活をする同僚の〈街を歩く安心感の根っこが抜けてしまった〉という感慨は切実だ。

田口ランディさんの死刑問題に波及した、殺していい命といけない命の選別の問題も大事な話だったが、街を歩く安心感の話は僕の心に沈潜した。

障害者の安心感と比肩できることではないが、健常者にとっても、最近の世の中は不安だ。そう、街を歩く安心感が今奪われている。

街を歩く安心感。

実存的安心感。

奪っているのは政治だ。

顔が浮かぶ。安倍、麻生、稲田。

生物学的安心感はもとより、実存的安心感を、紛れもなくこの人たちが奪っている。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2月24日号)

ローハイ!(小室等)

映画音楽の巨匠ディミトリー・ティオムキン、といっても今の若い人たちは知らないよね。僕たちの世代だと、まずは一九五九年から六五年にかけて放送されたアメリカのテレビ西部劇「ローハイド」、そうカントリー・シンガーのフランキー・レインが歌う、♪ローレン ローレン ローレン ローハイ! 日本では「伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ」が歌っていた。日本中知らない人はいないほどヒットしたんだけどな。

余談だが、準主役のクリント・イーストウッドは直後に出演したマカロニ・ウェスタンの映画『荒野の用心棒』が当たってスター街道をはしっていくことになる。

話を戻そう。ティオムキンは、作曲家として三〇年代から六〇年代にかけてハリウッド映画音楽の一翼を担った大巨匠である。アカデミー賞は、五三年に『真昼の決闘』(監督:フレッド・ジンネマン、出演:ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー。このときは歌曲賞も)、五五年に『紅の翼』(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、主演:ジョン・ウェイン)、五九年に『老人と海』(監督:ジョン・スタージェス、主演:スペンサー・トレイシー)の三つ。そのほかノミネートは無数。

それらの中で三九年の『スミス都へ行く』(主演:ジェームズ・スチュアート)など、社会派の映画をいくつも担当していてそれはよいのだが、問題は六〇年の『アラモ』だ。

総指揮、監督、主演のタカ派俳優ジョン・ウェインが求める、あるべきアメリカの姿を示す映画で、五七年後の今日、それを地で行くのがトランプだとすれば、『アラモ』は長~い時間をかけたトランプ・プロパガンダ映画だったとも言える。

なんとわれらがフォークグループ「ブラザース・フォア」も、主題歌「遥かなるアラモ」の歌唱でそのお先棒を担いでいる。僕はと言えば、映画館の暗闇の中でスクリーンを食い入るように見つめ、ブラフォーのその主題歌を好きで口ずさんでいたのだから文句を言えた立場ではないのですがね。

そのあとの六三年、これもタカ派俳優チャールトン・ヘストン主演の『北京の55日』。義和団事件を扱っているが、史実を都合よく脚色し結局アメリカは偉かったという映画で、ここでもブラフォーがちゃっかりティオムキン作曲の主題歌担当。

さてさて、強いアメリカン・メッセージのお手伝いをしたティオムキンはといえば、ロシア帝国領ウクライナで一八九五年に生まれ、一九二五年にアメリカに移住。アメリカ国民の多くがそうであるように、ティオムキンも移民だ。トランプも移民の血筋だよね。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2月10日号)

『世界最悪の旅』の新訳完成(本多勝一)

2017年1月に刊行された中田修氏訳の『世界最悪の旅』(左)と、本多勝一の『アムンセンとスコット』。(撮影/『週刊金曜日』編集部)

世界の諸言語の中で日本語に訳されている文献は、古典から現代文まで膨大な量になろうが、理科系の手引き書とか古典的文学作品の類は別として、いわば“普通の”「本」として日本語に全訳されている例は、案外すくないのではなかろうか。

ここでとりあげるチェリー=ギャラードの著書『THE WORST JOURNEY IN THE WORLD』(By Apsley Cherry-Garrard)にしても、日本語版全訳『世界最悪の旅』(中田修訳、オセアニア出版社、税別7000円)は今年の1月15日刊行だが、原書(英語版)が出たのは1922年12月だから、こんどの全訳日本語版発行はその95年後ということになる(注)。

そして、二段組み760頁にもなるこの古典的大著の翻訳書が、今年の始めに中田修氏ご自身から新刊書として送られてきたとき、私は快挙に感激してすぐ中田氏に電話したものだが、まもなく同氏からこんなハガキがとどいた――

「お電話を有難うございました。うれしくてのぼせ上がり、わけのわからないことを言っていたようで失礼いたしました。原著に近い本をという小生の希望から、出版社と印刷所がはりきってくれて、よい本になりました。部数は五〇〇部です。次には少し手軽な安価な本にして、広く読んでもらえるようにできたらと思っております。」

中田氏は1929年生まれで、本多の2年先輩にあたる。『アムンセンとスコット──南極点への到達に賭ける』(教育社・1986年)は、私にとっては新聞記者になって以来はじめての書きおろし単行本だが、その「あとがき」の一部に次のような記述がある。

〈アムンセンとスコットというたいへん異なる個性が演じた「史上最大のレース」について、同時進行的に検証する方法を試みました。これまでどちらかというとスコット隊の悲劇があまねく知られ、しかも同情的・浪漫的に理解され、他方ではアムンセン隊がどのように成功したかが具体的には知られていなかった傾向があります。何よりの証拠に、人類として南極点に初到達したアムンセンの遠征記『南極』が、いまだかつて一度も日本語に全訳されていないのです(部分訳や抄訳はあったが)。一方、スコット隊の記録にしても、第三者(支援隊員)のチェリー=ギャラードによる分析の書『世界最悪の旅』は加納一郎氏による全訳があるものの、かんじんのスコット自身の長大な行動日誌はまったく訳されていません。つまり世界的古典としての両雄の原著作を、日本語で読むことは今だにできないのであります。これでは両隊について日本での認識が浅いのも、むしろ当然と言えましょう。〉

あらためて、中田修氏による大労作たるこの「全訳」の成果を祝いたいと存じます。

〈注〉『世界最悪の旅』の日本語版は、古い例としては加納一郎(故人)の訳書(1944年、 朋文堂)があり、朝日文庫版(1993年)にもなっているが、実質的な意味では「訳されていないところがときどきある(訳者あとがき)など、厳密には「全訳」とは申しにくいと思われる。日本語の「本」としては、このたび刊行された中田修・訳が真の全訳と考えられよう。
(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員、2月10日号)

いる、いる、まさに8頭──カナダ=エスキモー5(本多勝一)

3人のエスキモーたちは、ひと昔まえの望遠鏡でカリブーをさがす。狩猟のリーダー格は右端のイスマタ。その左にムーシシとカヤグナ。(『朝日新聞』1963年7月の連載「カナダ=エスキモー」第20回目、藤木高嶺記者写す。)

エスキモーたちは天測をするわけでも無論なく、吹雪か曇り日が続くこのころでは、沈まぬ太陽がどこにあるかも分からない。地形の記憶で走りつづける。人間の形をした岩だの鳥のような岩だのは重要な目じるしだから、固有名詞がついている。

1時間ほど走って、イスマタはまた望遠鏡をのぞく。彼がカリブーをその視野に入れて固定してから、私たちものぞく。うん、見えた。3頭だ。靄のかかった灰色のシルエット。首を地表にたれている。それも動いたから分かったのであって、まだ遠い。2キロメートルはあるだろう。あとの5頭はすわりこんでいるらしい。肉眼では、いくら目をこらしても見えない。

さらに20分ほど走ると、小さな湖に滑りおりた。凍結した氷に穴をあけて、ソリ3台を綱でしばりつける。犬が勝手に走りださないためだ。

イスマタを先頭に、その湖をかこむ丘陵へ登る。と、イスマタがそっと指さした。カリブーが1頭だけ立っているのだ。約200メートル先。ここからではこれ以上ちかづきにくい。前こごみの姿勢で、やや低い窪地ぞいに左手へ。窪地と言っても、高度差は数メートル以下。

再び高みへ這い上がる。イスマタが「ここまで来て止まれ」と合図。そこで腹ばいになって頭をあげると、いる、いる、まさに8頭。(敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

同性婚をめぐる改憲論の壮大な罠(藤田裕喜)

結婚は「両性の合意のみ」に基づくと規定する24条を同性婚否定と捉える人もいる。しかし同性婚を禁じてはおらず、「両性」とは「両当事者」とする解釈もされている。つまり24条は同性婚の障害ではないが、そうみなすことで改憲へ導く思惑はないか。

「人権の問題で多様性の問題なので、政権与党の自民党がしっかりと取り組んで、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー、の略)の方々の理解を促進していって、一つひとつの課題を解決していくことが重要だと思っている」

これは稲田朋美衆議院議員(当時は自民党政調会長)の発言である。2016年5月、性的少数者を中心としたパレード(東京レインボープライド)のイベント会場で、記者団の取材に対してこう答えた。かねてから「伝統的な家族」や「家父長制」を信奉し、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる問題に対しても、保守的とみられていた人が、なぜこうした発言に至ったのか。この「変節」ぶりはにわかには信じがたい。

稲田議員の狙いとは?

この発言には前段がある。稲田議員は15年12月11日、ニュースサイト「ハフィントンポスト」に「LGBT:すべての人にチャンスが与えられる社会を」という文章を寄稿している。そこには「基本は、すべての人々が生まれながらに置かれた境遇や身体的状況によって差別されることがあってはならず、すべての人々にチャンスが与えられる社会を作らなければならないということ」などとあり、性的少数者であるかどうかを問わず、少なくない人びとが好意的に受け止めた。

ただ、本当に性的少数者をめぐる課題に取り組むべきと考えているのか、それとも新しい支持層を獲得したいとの思惑か、あるいはさらに別の狙いがあるのか、その真意は明らかではない。

一方、自民党は性的少数者の人権状況に関して、どう考えているのだろうか。16年5月、自民党は「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」を発表。そして、翌6月には性的指向・性同一性(性自認)に関するパンフレットとQ&Aを公表し、「性的指向・性自認の多様なあり方をお互いに受け止め合う社会を目指す」として議員立法を含め、党としても性的少数者の課題に取り組むことを宣言した。

この中で同性婚については、現行憲法において婚姻が「両性の合意」により成立するものと定められており、「両性」は当然に「男性」と「女性」を意味することから同性婚は認められない、との立場を明らかにしている。また同性パートナーシップ制度についても慎重な検討を要するとしている。

「両性」とは「両当事者」だ

しかしながら、そもそも現行憲法において、同性婚の可能性は排除されていない。条文の「両性の合意」という文言は、明治期から続いた「家制度」を否定し、「戸主の同意」ではなく個人の自由な意思に基づいて婚姻ができることを意味する。「両性の合意」は「当事者間の合意」であり、この観点からは同性同士の婚姻についても、少なくとも禁止されておらず、その可能性も排除されていないと考えることができる。

憲法制定当時、確かに同性同士の婚姻については想定されていなかったかもしれないが、それは必ずしも同性婚ができないとの結論を導くものではない。また、憲法学においても、こうした理解がされており、現行憲法においても、同性婚が認められる余地・可能性は十分にある。

だが、同性婚を実現するためには、憲法の改正が必要であると主張する同性カップルもいる。ただし、憲法解釈をめぐる議論を踏まえた上での主張というよりは、たんに条文上、「両性」が「男性」「女性」を指すと考えられるため、同性婚が許容されていない、というある種の「誤解」とも言える根拠に基づく主張のように思われる。同性カップルの多数が共有する考え方だとも言えないだろう。

しかし注意しなければならないのは、こうした「当事者の声」があることだ。「当事者の声」は政治・政策を正当化するための常套手段であり、ポジティブにもネガティブにも利用される可能性を含んでいる点に注意しなければならない。すなわち、稲田議員の動きもあわせて考えるならば、「同性カップルの人たちが、同性婚のために憲法改正を望んでいる」と利用される可能性が浮上する。

現在の憲法改正をめぐる議論をみると、一度でも改正の実例を作っておきたいという改憲派の意図が見え隠れする。そしてその改憲の口実に同性婚が利用される可能性が出てきているのではないか。

同性婚実現のための憲法改正にあたって自民党がまとまるためのハードルは決して低くないと思われるものの、世界の趨勢や社会の変化を踏まえるならば、「自民党が同性婚を認めることなどありえない」などと高をくくってもいられない。可能性は低くとも、ないとは言い切れない。

「同性婚」が悪用される

そして、万が一でも、憲法改正のきっかけとして同性婚の容認が利用されるとすれば、それはもはや現行憲法の終わりの始まりを意味することになるだろう。なぜなら今日、性的少数者の権利拡大に資する(と思われる)制度の新設に対しては、反対の声を上げることすらも非常に困難で、議論する機会も十分にないからだ。

「あなたは同性婚に反対するのか(=性的少数者の権利拡大に反対するのか)」と「踏み絵」を迫られる事態を、すでに引き起こしつつある。同性婚を実現する必要性はあるかもしれないが、そもそも戸籍制度や婚姻制度が有している、さまざまな問題点を直視することなく、また、広くパートナーシップのあり方を含めて議論することなく、安易に賛成することなど到底できない。

そうした議論がないままに「踏み絵」を迫られるとしたら、さらなる社会の分断を深める結果をもたらすだけだろう。幾重にも仕組まれた、壮大な罠と言わざるを得ない。

また、万が一でも自民党による憲法改正が実現したら、その先に待っているのは「個人よりも国家を優先すべき」という社会であることは明白だ。自民党憲法改正草案の24条では家族のあり方に国が介入するだけでなく、前文や13条においても基本的人権が否定され、自由な個人の生き方が否定されている。「公共の利益」のため、国家のために個人が存在しているという社会が待っている。性的少数者が否定され、生きることすら許されない社会の姿も、容易に連想されるのではないか。

わずか70~80年ほど前、同性愛者は自分たちだけでは子孫を残せないことから「公共の利益」に資する存在ではないとして、ナチス・ドイツにより強制収容所に送られ虐殺された。現代に強制収容所は復活しないかもしれないが、決して極端な見方であるとは思わない。自らの生き方すら許されない社会であるならば、その存在自体が抹殺されているに等しい。だからこそ現行憲法を、いま守る意義がある。

同性婚の法制化が実現すれば性的少数者が尊重される社会になるとは限らない。むしろ重要なのは、依然として根強い誤解や偏見、差別に基づく、自死にも至るいじめや嫌がらせを、少しでもなくしていく地道な取り組みではないか。

「同性婚ぐらいできて当たり前だよね」などと、安易に憲法改正に賛成すると、取り返しのつかないことになりかねない。

*本稿の内容は筆者個人の見解であり、団体の見解ではありません

(ふじた ひろき・特定非営利活動法人レインボー・アクション代表理事・事務局長。1月27日号)

TOKYO MXが沖縄基地問題のデマを放送し波紋──保守系メディアの〝常連〟、取材なしで一方的な主張展開(『週刊金曜日』取材班)

東京の地域テレビ局地上波が年始の番組で、沖縄の米軍基地に抗議する人々についてのデマや差別的な言説を放送した件で、放送倫理・番組向上機構(BPO)は2月3日、人権侵害の申し立てをした市民団体「のりこえネット」共同代表の辛淑玉(シンスゴ)さんに、「まずは当事者同士で話し合ってほしい」と連絡した。辛さんは週明けにも東京MX側に話し合いを求める予定。番組のどこが問題なのか、あらためて報告する。

「ニュース女子」(YouTubeの公式番宣より)

「ニュース女子」(YouTubeの公式番宣より)

問題となっているのは、「東京メトロポリタンテレビジョン」(TOKYO MX)が1月2日に放送した「ニュース女子」という番組だ。「緊急調査!! マスコミが報道しない真実 沖縄・高江ヘリパッド問題の〝いま〟」とのセンセーショナルなタイトルを掲げ、番組冒頭から約20分にわたり、沖縄についての放送がされた。

番組は、沖縄の米軍普天間飛行場前で抗議する人々が「月曜から出勤」していて「週休2日」で、現在は高江のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設地に「集中投入」されているようだとの主張を展開した。さらに、東京で配られていた「往復の飛行機代相当、5万円を支援します」とあるチラシを公開し、過去に普天間飛行場前で見つけたという「光広 2万」と手書きされた茶封筒も紹介。基地に抗議する人々には日当が配られているかのように報道した。

抗議する人々はお金で動員された活動家だ、という言説は、これまでにも保守系メディアで繰り返し主張されてきたことである。最近では、保守系のネットメディア「日本文化チャンネル桜」(以下、チャンネル桜)や日刊紙『夕刊フジ』などが断続的に報じてきた。沖縄の報道関係者はこう話す。

「何万円もの日当を払う資金力を備えた労働組合はありません。一部メディアは中国が資金援助しているのではないか、との憶測もばらまいています。日本にそのような外貨流入があればすぐ発覚してしまうでしょう。大学の研究者やジャーナリストなどで構成された沖縄米軍基地問題検証プロジェクトが16年に発行した『それってどうなの? 沖縄の基地の話。』という小冊子では、こうしたデマも明確に否定されています。それなのに、テレビ局が二番煎じの虚報に走るのは不可解でならない」

“オール保守系”の出演者

放送法には〈報道は事実をまげないですること〉〈意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること〉(4条)などとの規定がある。TOKYO MXも同趣旨の放送番組基準を掲げている。

沖縄の基地問題は、「意見が対立している問題」であり、多角的な観点を提供する公平、公正な報道が求められるのは間違いない。しかし「ニュース女子」はどうか。

防衛省・自衛隊沖縄地方協力本部が2016年11月21日に公開した迷彩服姿の井上和彦氏(左)と自衛隊員。(同地本Facebook公式アカウントより)

防衛省・自衛隊沖縄地方協力本部が2016年11月21日に公開した迷彩服姿の井上和彦氏(左)と自衛隊員。(同地本Facebook公式アカウントより)

出演者はチャンネル桜など保守メディアの“常連”が多く、ニュースにコメントを寄せる「女子」の面々も「おじさま」論客の主張に同調するだけ。1月2日放送回では沖縄現地取材者として、井上和彦氏が登場した。井上氏は「軍事ジャーナリスト(漫談家)」と称し、多数テレビ番組に出演している。「漫談家」として冗談交じりに話すこともあるが、実は別の“顔”もある。軍事装備ビジネスなどを展開する商社、双日エアロスペース㈱の正社員なのだ(本誌2015年12月4日号で詳報)。同社は戦闘機、ヘリコプターをはじめさまざまな〝武器〟を輸入・販売している。これを踏まえると、井上氏の姿は違って見えないか。

手登根安則氏は公認を受けた日本のこころを大切にする党「国政支部長」の肩書きを持つ。(同党公式ホームページより)

手登根安則氏は公認を受けた日本のこころを大切にする党「国政支部長」の肩書きを持つ。(同党公式ホームページより)

番組に「地元の人」として登場したのは、手登根安則(てどこんやすのり)氏だ。手登根氏はチャンネル桜の沖縄支局キャスターなどを務める一方、16年7月の参院選では日本のこころを大切にする党公認で立候補し、政界進出も目指していた。このときは落選に終わったが現在も同党国政支部長の肩書で活動中だ。

番組で「光広 2万」と書かれた茶封筒を紹介したのも手登根氏。だが同氏は、茶封筒が“発見”された日時や位置などは明らかにせず、画面からフェードアウトした。手登根氏は1月3日、自身のフェイスブックで〈沖縄のヘイワ運動の中には金貰っている奴らがいるということが暴露されました〉などと番組を紹介した。

我那覇真子氏(右)は自衛隊沖縄地方協力本部から委嘱され、昨年7月1日付で名護市の自衛官募集相談員にも就任している。(同地本Facebook公式アカウントより)

我那覇真子氏(右)は自衛隊沖縄地方協力本部から委嘱され、2016年7月1日付で名護市の自衛官募集相談員にも就任している。(同地本Facebook公式アカウントより)

ほかにも「地元の人」として登場したのは、我那覇真子(がなはまさこ)氏だ。我那覇氏もチャンネル桜のキャスターであり、地元内外で活動する「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」(15年4月結成)の運営代表委員だ。16年7月には自衛隊・沖縄地方協力本部の委嘱を受け、名護市での自衛官募集相談員にも就いた。我那覇氏は15年9月22日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会に出席。翁長雄志沖縄県知事が行なった「人権侵害」演説を否定する発言を繰り広げた。同行した沖縄県石垣市の砥板芳行市議は旅費について、「彼女の政治活動を支援する方々から出た」と本誌に語り、砥板氏には「航空券が送られてきた」とした。

デマとヘイトに抗議声明

同番組では「韓国人がなぜ基地反対をするのか」として、反レイシズムの市民団体「のりこえねっと」の共同代表の1人である辛淑玉氏もやり玉に挙げられた。実は、「5万円を支援します」とのチラシを作ったのが「のりこえねっと」なのだが、これは「日当5万円」を意味するものではない。辛氏はこう説明する。

「まず、私も『のりこえねっと』も、この番組からは一度として取材を受けていません。取材もせずに公共の電波でデマを語ったのです。番組で取り上げられたチラシは、沖縄現地の状況をネットで発信するために特派員を募集し、その交通費として5万円を支援するとの内容で、日当とはまったく別物。カンパ金を捻出してやっと十数人派遣した程度のものです」

「のりこえねっと」は1月5日、「ニュース女子」は虚偽の報道と辛氏に対する誹謗中傷をしたとして、抗議声明を発表した。今後、あらゆる抗議をしていく構えだ。

この事態について、TOKYO MXの関係者は、「そもそも、問題の番組はDHCの持ち込み番組で、局が作ったものではないんです」と漏らした。さらに、「最近は、局で作っている番組でも、放送するハードルが低くなっているのは事実。ただ今回の件については個別の事実関係に間違いがあれば、局として訂正をするなり対応があると思います」と話した。

同番組はCSチャンネル「DHCシアター」と(株)ボーイズが共同制作し、放送している。前者は化粧品・健康食品大手DHCのグループ会社だ。「DHCシアター」は10~11年には野党時代の安倍首相が出演する番組も手がけた。当のDHCも、会長の吉田嘉明(よしだよしあき)氏が14年にみんなの党の渡辺喜美氏に8億円貸与したことを『週刊新潮』(新潮社)で暴露して波紋を呼んだ。吉田会長はまた、スラップ訴訟(恫喝訴訟)を提起することでも“有名”だ。訴訟を起こされたあるジャーナリストは、「吉田会長は、気に入らない記事に難癖つけて訴え、相手を黙らせてきました。『週刊文春』も過去に訴訟を起こされて550万円の賠償で確定している」と話す。

今回の番組放映には、現政権にすり寄りたいDHCの思惑があるのだろうか。TOKYO MXの放送倫理が問われることは間違いない。しかし同局は1月9日放送の「ニュース女子」でも、抗議声明を揶揄するなど居直り続けている。
(1月13日号、リードは新しくしました)

24条守るキャンペーン開始──LGBTの改憲利用注意

憲法24条改悪反対!――先の参院選で改憲勢力が3分の2以上の議席を獲得したことから、特に個人の尊厳と両性の平等を謳う24条の改悪を危惧する市民らが「24条変えさせないキャンペーン」を立ち上げ、9月2日に東京・上智大学でキックオフシンポジウムを開催。約180人が参加した。

自民党改憲草案の24条では「家族」は「助け合わなければならない」という義務規定を新設。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」する現行憲法に対し、自民党草案では「両性の合意に基づいて」と「のみ」をとっている。

木村草太・首都大学東京教授と作家の北原みのり氏の対談で、北原氏が自民党の改憲草案をどう思うか問うと、木村氏は「言及する価値がない。問題外」と答え「今は親の同意がなくても婚姻届は受理されることが当たり前なので24条のありがたみが見えにくくなっている」と話した。北原氏は「私も以前は当たり前のことが書いてあると思ったが24条のない世界では女の人生は拘束されていた。それに『両性の合意のみに基づいて』の『のみ』があるからこそ結婚しないでいられるとなると、24条は結婚している人だけではなく結婚しない私にも関係がある」などと条文の意義を語った。

藤田裕喜・レインボー・アクション代表理事が「稲田朋美さんがレインボーパレードに登場したり、自民党がLGBT(性的少数者)を利用しようとしている。同性婚を実現するために改憲が必要と言い出したら現行憲法の終わりの始まり。これは壮大な罠であり、24条は変えさせてはいけない」と呼び掛けたほか、DV被害や虐待に取り組む団体やひとり親家庭などの立場からも24条の存在価値が語られた。これを受け木村氏は「自民党草案の批判にとどまらず、何が女性の権利や性的少数者のためになるかという議論が盛り上がっていけばいいと思う」と述べた。

同キャンペーンは今後も賛同人を募り、活動を展開する予定だ。

(宮本有紀・編集部、9月9日号)