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政府案のNHK新経営委員、報道関係者は“ゼロ”――市民団体、籾井会長に辞任要求

「放送の自主・自律を投げ捨てた」「政府の方針に順応することを明言した」などとして、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ(以下、コミュニティ)、日本ジャーナリスト会議、放送を語る会の三つの市民団体は2月10日、籾井勝人・NHK会長に辞任を求めるとともに、会長に任命した経営委員会に対しては、罷免を求める申し入れ書を提出した。

籾井会長の“妄言”は昨年1月の就任以来、やむ気配がまったくない。今年2月5日の記者会見で、戦後70年を迎える今年、旧日本軍の「慰安婦」問題を取り上げた番組制作の有無について問われ、「正式に政府のスタンスが見えない。今取りあげるのは妥当か慎重に考えないといけない。夏にかけて政府のどういう方針が分かるのかがポイント」などと述べたという。

昨年1月の就任会見では国際放送に絡み「政府が右というものを左とは言えない」と発言。また、昨年12月の衆院選を前に、自民党の萩生田光一・筆頭副幹事長、福井照・報道局長の両衆院議員が連名で「選挙報道の公平中立などを求める要望書」をNHK、そして在京民放キー局に送りつけた。籾井会長は記者懇談の場で、本件の内容を支持する考えを示すなど、NHKの「国営放送」化を目指すかのような発言も繰り返している。政府の政策を監視する役割を求められる報道機関の姿勢とは、相容れないジャーナリズム観であることは明らかだ。

10日の申し入れの中でコミュニティは、経営委員会の責任を重視し、浜田健一郎経営委員長に対して、会長罷免ができない場合の委員長の辞任要求にまで踏み込んだ。共同代表の醍醐聰・東京大学名誉教授は「浜田委員長は国会で監督責任を果たすと何度も答弁しながらまったく履行していない」と指摘する。

一方、政府は2月で任期満了を迎える経営委員の百田尚樹氏の後任に阪神高速道路会長の森下俊三氏とするほか、新任の井伊雅子氏(一橋大学国際・公共政策大学院教授)、佐藤友美子氏(追手門学院大学学長直属特別任用教授)の3人を含む計4人の人事案を国会に提出した。人事案が可決されれば、新経営委員会は12人全員が、メディア関係の出身者以外で占められることになる。

(臺宏士・ライター、2月20日号)

『朝日』記事は「誤報」ではない──約650人の原発作業員の福島第二原発への退避を吉田所長は知らなかった(参考、吉田調書の重要部分)

先の記事(1)~(4終)記事を補完するために、「吉田調書」の重要部分を掲載する。
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緊急対策本部の要員数は約400人

質問者 平時にいろんな仕事をされている方の中から、これは全部が全部ではなくて、本部要員というのがあらかじめ定められているということでよろしいですか。
吉田所長 はい。約400人。

「ダブルのラインで話があって」

吉田所長 撤退というのは、私が最初に言ったのは、全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然、操作する人間は残すけれども、最悪のことを考えて、これからいろんな政策を練ってくださいということを申し上げたのと、関係ない人関は退避させますからということを言っただけです。
質問者 恐らく、そこから伝言ゲームになると、伝言を最後に受ける菅さんからすると、ニュアンスの伝え方があると思うんですね。
吉田所長 そのときに、私は伝言障害も何のあれもないですが、清水社長が撤退させてくれと菅さんに言ったという話も聞いているんです。それは私が本店のだれかに伝えた話を清水に言った話と、私が細野さんに言った話がどうリンクしているのかわかりませんけれども、そういうダブルのラインで話があって。
質問者 もしかすると、所長のニュアンスがそのまま、所長は、結局、その後の2号機のときを見てもそうですけれども、円卓のメンバーと、運転操作に必要な人員とか、作業に必要な人員を最小限残して、そのほかは退避という考えでやられているわけですね。
吉田所長 そうです。

「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ」

質問者 (前略)あと、一回退避していた人間たちが帰ってくるとき、聞いたあれだと、3月15日の10時か、午前中に、GMクラスの人たちは、基本的にほとんどの人たちが帰ってき始めていたと聞いていて、実際に2Fに退避した人が帰ってくる、その人にお話を伺ったんですけれども、どのクラスの人にまず帰ってこいとかいう。
吉田所長 本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGM から帰ってきてということになったわけです。
質問者 そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。
吉田所長 今、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して。
質問者 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。
吉田所長 線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に。

(編注)
■ 調書の「回答者」はわかりやすいように「吉田所長」とした。
■ 本部要員=事故対応にあたる緊急対策本部
■ 清水社長=清水正孝・東京電力社長(当時)、菅さん=菅直人首相(当時)、細野さん=細野豪志首相補佐官(当時)。
■ GM=グループマネジャー事故対応を指揮する部課長級の社員。
■ 2F=福島第二原発、1F=福島第一原発

( 伊田浩之・編集部、2014年10月10日号)

『朝日』記事は「誤報」ではない──約650人の原発作業員の福島第二原発への退避を吉田所長は知らなかった(4終)

 他の調書の開示こそ

そして所員の9割が福島第一を留守にしていた15日午前9時、福島第一正門付近の放射線量が最高値である毎時11・93ミリシーベルトを記録する(図参照)。原子力資料情報室の伴英幸共同代表はこう話す。

「100ミリシーベルトの被曝で急性障害がでる領域ですから、とてつもなく高い数字です。2号機近くではもっと高かったでしょうし、さらに有害な中性子線の線量も上がっていたと思います」

吉田所長が、結果として〈何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った〉(吉田調書)と振り返ったのはこのためなのだ。

理由はわからないが、福島第一正門付近の放射線量は正午ごろから下がりはじめる。このため、作業に必要不可欠な要員を少しずつ呼び戻すことができ、必死の冷却作業が続いた。もし、高線量が続いていれば福島第一にとどまった吉田所長らは急性放射線障害で死にいたり、他の所員も現場に戻ることはできなかった。4号機の使用済み核燃料プールも冷却不能となり、東京からも住民の退避が必要になったかもしれない。

原発作業員はいかなる場合でも事故収束にあたれ、と主張したいわけではない。深刻な事故が起きれば、(1)指揮命令系統は混乱し所長にも把握不可能な事態が生じる、(2)大勢の作業員が命をかけなければならない状況は杞憂ではなく、命をかけたとしても事故収束の保証はない、ということである。

労働者には「逃げる権利」もある。原発の安全性を最終的に担保することは不可能であることこそ学ばねばならないのではないか。

残された謎がある。誰が所員を福島第二に移動させたのかという点である。海渡弁護士が言う。

「吉田所長は、『ダブルのラインで話があった』と言っています。私の推測では、東京電力最高幹部らは、吉田所長の指示とは別に、70人程度の要員を残し、緊急事故対策にも必要な者を含む650人を福島第二に退避させたのではないか。このように考えると吉田所長のダブルのラインという話とも符合し、前後の事態が合理的に説明できます」

にわかには信じがたい推測だが、重要な問題提起だ。木野さんは「事実解明には、政府事故調や国会事故調の作成した他の調書を公開する必要があります。吉田調書を表に出した『朝日』記者はほめられるべきで、他紙は『朝日』を叩くより更なる情報公開を求めるべきです」と強調する。
(伊田浩之・編集部、2014年10月10日号)

1F

『朝日』記事は「誤報」ではない──約650人の原発作業員の福島第二原発への退避を吉田所長は知らなかった(3)

福島第一原子力発電所3号機(2011年3月21日、提供/東京電力)

福島第一原子力発電所3号機(2011年3月21日、提供/東京電力)

 所長の指示に違反

福島第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が約10キロ南の福島第二原発に行っていたのは報道されているとおりだ。「退避」が吉田所長の意に反していたことも吉田調書から明確に読み取ることができる。

〈本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。〉

〈私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。〉

吉田所長は調書で〈よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った〉とも答えている。だが、これは所員が福島第二に行ってしまったことを聞いた後の感想だ。つまり「追認」だ。最高指揮官が、部下がどこに行ったのかも知らなかったということを認めた発言だと言える。原発事故のさなかにこんなことがあっていいのだろうか。東電の指揮命令系統は機能していなかった。

原発訴訟に長年取り組んできた海渡雄一弁護士はこう分析する。

「650人の作業員の大半の者たち、とりわけ下請け作業員らに吉田所長の『必要な要員は残る』という指示は徹底されていませんでした。東電社員の指示に従って移動したという認識でしょうから、『朝日新聞』に〈所長命令に違反〉と書かれたことに違和感があったことは理解できます。しかし、吉田所長自身が『しようがないな』と言うように、所長の指示には明らかに反した状態になっていたのは間違いありません。
ただ、事故を引き起こした東京電力の経営幹部の法的責任は徹底的に追及しなければなりませんが、命がけで事故への対応に当たった下請けを含む原発従業員に対しては社会全体で深く感謝するべきです」

吉田調書によると、事故対策にあたる緊急対策本部の人員は約400人。高線量区域には長くとどまれないため、機器操作は多人数の作業員が交代で行なう必要があった。事故後、福島第一に取材で4回入ったジャーナリストの木野龍逸さんは次のように話す。

「福島第一と第二の間は約10キロとはいえ、地震で道がグズグズでしたから30分程度は移動にかかっていたようです。現場から所員がいなくなったのは事実。吉田調書で判明したことも多く、『朝日』の調査報道には大きな意味があった」

前出の海渡弁護士も「この時点で吉田所長の指揮下に残された約70人どころか、緊急対策本部要員の400人でも足りず、さらに作業員を追加して集中的な作業をしなければならない状況でした」と分析している。

東京電力のホームページによると、2号機については3月15日の午前7時20分から午前11時20分まで事故の収束作業に不可欠なデータを記録できておらず、1・3号機も同様だった。
(つづく、伊田浩之・編集部、2014年10月10日号)

『朝日』記事は「誤報」ではない──約650人の原発作業員の福島第二原発への退避を吉田所長は知らなかった(2)

 東電本店の報道資料

15日午前6時すぎ、2号機で大きな衝撃音が起きた。吉田所長から政府などにあてた通報内容(異常事態連絡様式)は「対策要員の一部一時避難」「対策本部を福島第二へ移すこととし、避難」などと混乱している。

実は衝撃音後も放射線量が上昇していない(図参照)。ここがポイントだ。事故を取材してきたベテラン記者はこう語る。「放射線量が上昇していないということは、格納容器が破損したわけではない、という可能性が出てきたことを意味しています。深刻な事態でなければ、わざわざ福島第二まで所員が退避する必要はありません。だから吉田所長は現場付近でと、指示を変更したようです」

原発と東電本店を結んで対策を話し合ったテレビ会議の、この時の音声記録は「録音ミス」で残っていないとされるが、柏崎刈羽原発(新潟県)で筆記されたメモが東電内部に残されている。吉田所長が「福島第二への移動」から「現場近くでの一時待機」に判断を変えた、15日午前6時42分の記述だ。〈構内の線量の低いエリアで退避すること〉

だが、実際には所員の大半が福島第二に移動してしまった。一方、東京電力は3月15日午前8時30分過ぎから本店で開いた記者会見で、実態とは符合しない次のような発表をしている。

「午前6時14分頃、福島第一原子力発電所2号機の圧力抑制室付近で異音が発生するとともに、同室内の圧力が低下したことから、同室で何らかの異常が発生した可能性があると判断しました。今後とも、原子炉圧力容器への注水作業を全力で継続してまいりますが、同作業に直接関わりのない協力企業作業員および当社職員を一時的に同発電所の安全な場所などへ移動開始しました」

「同発電所」とは福島第一を指している。この時間はすでに所員が福島第二に到着している時間だ。東電はなぜ福島第二に所員が行ってしまったことを会見で発表しなかったのだろうか。
(つづく、伊田浩之・編集部、2014年10月10日号)

1F

『朝日』記事は「誤報」ではない──約650人の原発作業員の福島第二原発への退避を吉田所長は知らなかった(1)

2011年3月15日、福島第一原子力発電所4号機。(提供/東京電力)

2011年3月15日、福島第一原子力発電所4号機。(提供/東京電力)

 朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)が11月12日、東京電力福島第一原発の元所長・吉田昌郎氏(故人)に対する政府事故調査・検証委員会の聴取結果書「吉田調書」をめぐり、『朝日新聞』が今年5月20日付朝刊で報じた記事について見解をまとめました。PRCは「報道内容に重大な誤りがあった」「公正で正確な報道姿勢に欠けた」と判断し、朝日新聞社が記事を取り消したことは「妥当」としています。
『週刊金曜日』は、この見解に強い違和感を持ちます。2014年10月10日号の特集「吉田調書と官邸」の記事を緊急ネット配信します。

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木村伊量朝日新聞社社長は吉田調書記事について、〈「命令違反で撤退」という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事〉として謝罪した。だが、誤報かどうかを判断するには2011年3月15日の状況を総合的に判断する必要がある。

東日本大震災は2011年3月11日午後2時46分に発生した。福島第一原子力発電所では外部からの電力を運ぶための鉄塔が倒壊したことなどから外部電源を失ってしまう。このため、非常用交流電源(ディーゼル発電機)が起動したが、津波に襲われて発電が不可能になった。こうして原子炉は全交流電源を失い、ゆっくりとだが、確実に暴走してゆく。

東日本壊滅の危機

12日午後3時36分、1号機が水素爆発する。そして、14日午前11時1分には3号機が爆発する。

14日夜の状況について、福島第一原発の吉田昌郎所長(当時、2013年死去)はどのような危機感を抱いていたのか。吉田所長は政府事故調査・検証委員会に答えた「聴取結果書」(吉田調書)で次のように振り返っている(丸カッコ内は筆者注、以下同)。

〈2号機はだめだと思ったんです、ここで、はっきり言って。〉

〈3号機は水入れていましたでしょう。1号も水入れていましたでしょう。(2号機は)水入らないんですもの。水入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、何も冷やさないと、圧力容器の壁抜きますから、それから、格納容器の壁もそのどろどろで抜きますから(略)。燃料分が全部外へ出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころの話ではないわけですよ。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ。〉

そして、吉田所長は職員の退避を考える。吉田調書はこう伝える。

〈完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです。/これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。〉

〈そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる。/そうなると、結局、ここから退避しないといけない。たくさん被害者が出てしまう。勿論、放射能は、今の状態より、現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず、ここにいる人間が、ここというのは免震重要棟の近くにいる人間の命に関わると思っていましたから、それについて、免震重要棟のあそこで言っていますと、みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤(武藤栄・東京電力副社長=当時)に言ったのかな。1つは、こんな状態で、非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人間は必要ミニマムで置いておくけれども、それらについては退避を考えた方がいいんではないかという話はした記憶があります。〉

〈免震重要棟。そのときに、■■君(名字は黒塗り)という総務の人員を呼んで、これも密かに部屋へ呼んで、何人いるか確認しろと。協力企業の方は車で来ていらっしゃるから、(・・・)。うちの人間は何人いるか確認しろ。特に運転・補修に関係ない人間の人数を調べておけと。本部籍の人間はしようがないですけれどもね。使えるバスは何台あるか。たしか2台か3台あると思って、運転手は大丈夫か、燃料入っているか、表に待機させろと。何かあったらすぐに発進して退避できるように準備を整えろというのは、こんなところ(本店と結んだテレビ会議の記録)に出てきていませんが、指示をしています。〉

要は、事故対策ができなくなれば放射性物質を広範囲高濃度でまき散らすことになるかもしれないが、事故が進行して放射線量が高まれば被曝で死ぬため、最小限の人員を残して退避させようと考え、準備を進めていたということだ。本店主導で撤退準備が進んでいたこともテレビ会議からわかる。このように、14日夜から福島第二への退避計画が進められていた。そして、問題の15日朝を迎える。

(つづく、伊田浩之・編集部、2014年10月10日号)

グーグルが仏ネット新聞に60億円――著作権料支払いに合意

 ネット新聞の読者が検索エンジンを使って記事を読む場合、グーグルは何の努力もなしに広告を掲載し、利益を得ているとメディア側から批判されてきた。

 そんな中、米インターネット検索エンジンのグーグル社のシュミット会長は二月一日、エリゼー仏大統領官邸を訪問。オランド大統領立会いの下、「政治一般紙協会」(IPJ)会長で左派系週刊誌ヌーベル・オブセルバトワール会長のコラン氏と、仏ネット新聞社への補償金として約六〇億円の資金提供に合意・署名した。同氏は「グーグルと戦争するよりも良い解決ができた」と満足している。

 ネット新聞の独立を目指す組合スピール(SPIIL)によると、グーグルのフランスでの売り上げは約一兆二〇〇〇億円だが、税金は約五億円しか払っていない。「今回の合意で得をしたのはグーグルではないか」「ネット新聞が支配され独立性が脅かされる」「編集者はますますグーグルに依存してゆく」と同組合の「スラート.fr」創立者の一人は心配している。

 一四日、筆者がSPIILのメンバーの「メディア・パー」に問い合わせたところ、「グーグルの資金形態がまだ不明確なために資金提供(著作権料)の受け入れについては返答できない」と言ってきた。グーグルとの合意は記事の著作権料だとされる。グーグルの代表者と編集者や独立した有識者など七人で諮問委員会を設置して資金の配分などを決めてゆく模様だ。

「ルポルター・サン・フロンチェー(RSF、国境なき記者団)」の欧州担当責任者ヨワンヌ・ビアー氏は、筆者に対し「グーグルの資金提供は仏メディアの独立性を脅かすものではない。すでに仏政府がメディアを支援してきた同じシステムでなされるからだ」と回答。

 グーグルがその著作権料を払うのは世界でもフランスが初めて。今後は世界のネット・メディアでも同様な要求が高まるのは必然だ。

(飛田正夫・ジャーナリスト、2月22日号)

『週刊朝日』問題で佐野氏が講演――「橋下氏をタブーにはしない」

公の場で連載中止について初めて語る佐野眞一氏(左)。右は高山文彦氏。(撮影/赤岩友香)

 橋下徹大阪市長の出自を探った記事で起きた『週刊朝日』問題から約三カ月半。連載記事の筆者でノンフィクション作家・佐野眞一氏が公の場で連載中止について初めて語った。

〈「『週刊朝日』連載中止問題と出版ジャーナリズムのあり方」を考える〉(主催=憲法と表現の自由を考える出版人懇談会)と題する勉強会が二月一日、東京都内で行なわれ、メディア関係者など約一〇〇人が参加した。

 佐野氏は自らの記事で差別を助長したことについて詫び「他人の作品を評価する資格はない」として、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞と開高健ノンフィクション賞の選考委員を辞退することを明らかにした。

 一方で同氏は「これで橋下氏がタブーになってはいけない」とし、橋下氏について書く気持ちがなくなったわけではないことを述べた。

 勉強会では、被差別部落の地区名を出すこと自体の是非や、表現方法などについて議論が交わされた。ノンフィクション作家の高山文彦氏は「密度の濃い取材ができていれば『ハシシタ』というタイトルにはしないはず」と記事を批判。参加したノンフィクション作家の多くは地区名を出すことについては肯定的だった。

 また、佐野氏は本誌昨年一二月一四日号掲載の記事「『週刊朝日』記者が犯した罪と忘れられた被害者の存在」(筆者・平野次郎氏)に誤りがあるとして、『週刊朝日』の当該記者が本誌に対し「抗議した」と紹介し、「アンフェアな取材はしていない」と話した。

 だが、実際は当該記者と本誌担当編集者との“話し合い”があり、取材に応じた人が話した当該記者の年齢など細部に実際との齟齬はあるものの、本誌記事については「訂正」をするような間違いはないことを確認している。

 なお、勉強会には『週刊朝日』編集部からの参加はなかった。

(赤岩友香・編集部、2月8日号)

第8回やより賞にフィリピンの活動家

左から謝花さん、ブラワンさん、OurPlanet-TVの高木祥衣さんと平野隆章さん。(写真/宮本有紀)

 

今世紀を戦争と性差別のない世紀にするために活動する女性に贈られる女性人権活動奨励賞(やより賞)は第8回の今年、フィリピンで活躍するアルマ・G・ブラワンさんに贈られ、贈呈式が12月1日、東京・早稲田で行なわれた。

 スービック海軍基地が存在した当時、周辺のバーで働いていたブラワンさんは、性産業の搾取と暴力を身をもって知り、性産業に従事する女性たちと、米軍人を父に持つその子どもたちのより良い暮らしのため、「ブックロード(「絆」の意)センター」を1987年に組織する。同センターは、子どもや女性たちが立ち寄り息抜きできる場所であり、性産業を抜け出す生活手段を構築する場所でもある。授賞式でブラワンさんは「米軍基地はなくなっても米国とフィリピンには軍事基地協定があり、定期的に米軍が滞在する。そのため人身売買や買春が続いている」と指摘。それらの被害を防ぐ人権セミナーや、マッサージ技術のトレーニングなど活動の様子を写真で紹介し、「やより賞はゴールではなく、女性と子どもの人権を守っていくという決意を固めるスタートとなった」と述べた。

 また、やよりジャーナリスト賞は、「慰安婦」問題や基地と女性などの問題に取り組んできた『沖縄タイムス』記者の謝花直美さんが受賞。ジャーナリスト特別賞は、市民メディアのシステムを作った功績からOurPlanet-TVが受賞した。

(宮本有紀・編集部、12月7日号)

取材源を萎縮させる恐れも――「秘密保全法案」提出阻止を

「STOP!秘密保全法共同行動」の様子=2012年11月8日。(撮影/古川琢也)

 政府が法制化を目指している秘密保全法に反対する集会「STOP!秘密保全法共同行動」が、一一月八日、日本ジャーナリスト会議、日本マスコミ文化情報労組会議などの主催により衆議議院第一議員会館で行なわれた。

 秘密保全法は、防衛や外交、安全保障に関する情報を政府が機密情報に指定し、これを漏らした公務員および情報を漏らすよう働きかけた第三者を厳しく処罰する法律。中曽根康弘政権時代の一九八五年にも「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(通称「スパイ防止法案」)として提出されたが、マスメディアの取材活動を制限し、国民の「知る権利」を侵害するとの批判を各方面から浴び、廃案になった。

 これが一昨年の尖閣諸島沖漁船衝突映像の流出事件を契機に再燃。昨年八月には、「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」が「法制を早急に整備すべき」との報告書を発表しており、野田佳彦政権は現在、同報告書に基づき法案提出の準備を進めているとされる。

 報告書は「正当な取材活動は処罰対象とならない」との意見を付すが、集会参加者からはこの点への異論が続出。「取材源を萎縮させる恐れは十分にある。そもそも“正当な取材活動”とは誰が決めるのか」(出版労連・寺川徹書記長)などの声が上がった。

 また日本体育大学の清水雅彦准教授(憲法学)は、「かつてスパイ防止法を廃案に追い込めたのは、当時のマスメディアや憲法学者が問題点を鋭く指摘したから。ところが今はメディアが批判に及び腰の上、影響ある憲法学者も有識者会議に取り込まれてしまっている」と指摘。二七年前と比べて厳しい状況にあるとの認識を語った。

 有識者会議の議事録は非公開とされ、法案の全体像は依然見えないものの、早ければ今国会で提出される可能性もある。

(古川琢也・ルポライター、11月16日号)