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宋日昊(ソン・イルホ)大使、「朝日平壌宣言は大切」(伊藤孝司)

朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が計画する核実験と米韓合同軍事演習で、朝鮮戦争以降で最大の軍事的危機が高まっている。

単独会見に応じる宋日昊大使(撮影/伊藤孝司)

そうした中で朝鮮は、4月15日に金日成主席生誕105年の記念日を迎えた。その取材に訪れた日本メディアの記者団に、宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は17日、会見に応じた。それを聞いた翌日、私は記者団と平壌から車で約5時間かかる咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市に向かい、残留日本人と日本人妻を取材した。

84歳のリ・ウグン(日本名・荒井琉璃子)さんは、自宅でインタビューに応じた。熊本県出身の両親の間に「京城」(現在のソウル)で生まれる。日本敗戦の混乱の中で家族とはぐれ、朝鮮人に育てられて結婚。中国東北地方と同じ状況がソ連軍管理下の朝鮮半島北部でもあり、残留日本人がたくさんいた。

13日に単独インタビューした「日本研究所」の曺喜勝(チョ・ヒスン)上級研究員は、今までの調査で残留日本人9人を確認していることを明らかにした。咸興市では、在日朝鮮人の夫とともに「帰国事業」によって朝鮮へ渡ったいわゆる日本人妻たちによる「咸興にじの会」の会員たちとその事務所の取材もすることができた。

平壌へ戻った20日夜に、宋大使への3時間に及ぶ単独インタビューが実現。17日の会見では出なかった、より突っ込んだ話があった。

私はまず、残留日本人と「にじの会」を初公開した意図について聞いた。「日本の記者から取材希望があったが、個別に認めると(朝鮮の)工作活動と言われるので、多くの記者が来た時に設定した」と述べた。だが「日本の政府・民間を問わず、(日本人埋葬地)墓参や残留日本人での提起があれば前向きに対応する」と語るなど、人道的課題を見せようとしたのは確かだ。

ストックホルム合意は消滅

宋大使は17日の会見で「ストックホルム合意」は「すでになくなっており、その責任は日本にある」とした。そして「合意」に基づいて日本人調査を実施していた「特別調査委員会」は「解体された」と語った。この発言に対して岸田文雄外務大臣は18日、「まったく受け入れられず、合意の履行を引き続き求めていく」と強く反発。私は宋大使に、それをどのように受け止めるか質した。「拉致問題だけを進めるよう求める発言であり認められない。合意とは、破棄すると再び戻すことができないもの」と述べ、復帰する意思がまったくないことを明言した。

しかし宋大使は「『朝日平壌宣言』は首脳会談によるものなので非常に大切にしており、関係改善の里程標となっている」とした。つまり、金正日総書記が署名した宣言は絶対的なものであり、あくまでも守ろうとしているのだ。

「朝鮮革命博物館」がリニューアルされて3月30日に開館。朝鮮の解放と建国、社会主義建設の歴史が約100室に展示されている。私は外国人ジャーナリストとして初めて取材できた。日本に関する展示室にはパネルや写真、日用品などが並び、植民地支配の実態を細かく解説。昨年6月には、日本・米国との対決の歴史を若い世代に教えることを目的とした「中央階級教養館」がオープンしている。

宋大使は「『朝日平壌宣言』の中核は過去の清算であり、これを抜きにして(日本との)実りある関係は結べない」と語った。その姿勢を改めて示しながらも、日本国内で批判が出にくい人道課題で対話の糸口を再び探る。これが現在の朝鮮の、日本に対する方針のようだ。

(いとう たかし・フォトジャーナリスト。4月28日・5月5日号)

トランプ米政権の「外交ビジネス」(佐藤甲一)

米国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の緊張が高まる中、4月16日朝、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した。ミサイルは空中爆発したとみられ、米韓当局は「失敗」との見方を示している。

今月5日に打ち上げたミサイルも不成功との評価が出ており、2回続けての失態である。すでに、米国側が北朝鮮に対するサイバー攻撃を進めている、との指摘もあり、今回の打ち上げの結果がそうした「電子戦」がもたらしたものだとするなら、米朝はすでに「開戦状態」とみることもできる。

米朝の直接対峙に目が奪われがちだが、米国のシリア空爆に端を発した今回の危機の焦点は別のところにあるとみるべきだろう。それはトランプ政権の「本質的転換」である。

一連の動きの中で従来の解釈では不可解なことがいくつか浮上している。一つは米ロ間の緊張が見せかけではないか、ということだ。というのも、ティラーソン国務長官は予定通り訪ロし、ラブロフ外相とプーチン大統領とも会談した。両国はこの問題を協議するための「特別代表」を任命することでも合意した。溝は深まるどころか、むしろ両国間の「パイプ」は太くなった。

そして、もう一つはトランプ大統領の政策の根幹を支えてきた、バノン首席戦略官の突然の「失脚」である。バノン氏はトランプ氏とともに大統領選挙を戦う中で「アメリカ・ファースト」を掲げてきた。戦後の米国が貫いてきた国際協調路線こそ、一部の既得権者に富をもたらすだけであり、米国が「世界の警察官」をやめることが、アメリカ人誰もが等しく豊かになる方策である、とした。そのために経済分野ではメキシコ国境に壁を設け、国内の雇用を増やし、保護貿易を進め、貿易不均衡を是正する、となったのである。

ところが、こともあろうか人道主義を掲げてシリア攻撃を行なったのは、「アメリカ・ファースト」とは真逆であり、なにより訪米中だった中国の習近平国家主席に対し、北朝鮮への関与を深めれば、米中の貿易不均衡是正について考慮する、との「取引」まで言っている。中国にとり貿易問題は成長戦略に不可欠な課題であり、そのことを取引材料にして北朝鮮制裁の前面に立つことを求めたのである。

これこそ、トランプ政権の経済外交政策の本質的転換と読まないわけにはいかない。バノン氏の国家安全保障会議(NSC)閣僚級委員会メンバーからの更迭はシリア空爆に反対したからと伝えられているが、更迭の本意はこの政策の大転換をめぐる対立にあったと想像される。

この政策転換により、トランプ政権はプーチン大統領、習近平国家主席という地域大国の両リーダーと、国際協調という外交理念ではなく、あたかも商売のように「取引」しながら共同歩調をとり、安全保障上の均衡を図るのではないか、と思えるのである。これこそがトランプ政権が目指す米国による「国際新秩序」、すなわち「外交ビジネス」による真の「アメリカ・ファースト」ではないだろうか。

日本は、こうしたトランプ政権の真意を分析し、その意図と野望を探り、日本が採るべき道の再構築を急ぐべきだろう。トランプ大統領の新外交安全保障政策による「国際新秩序」が、この通りだとしたら、日本の出る幕はない。

(さとう こういち・ジャーナリスト。4月21日号)

貧しい者、虐げられた者への共感が原点だったケネス・アローの経済学(佐々木実)

米国の経済学者ケネス・アローが2月21日に死去した。95歳だった。数理経済学者のアローの論文は抽象的かつ難解ということもあり、日本ではアローの名は一般にはあまり知られていない。訃報も小さな扱いだった。

アローは一般均衡理論と厚生理論への貢献で1972年にノーベル経済学賞を最年少で受賞した。同時代に活躍したポール・サミュエルソンは「20世紀で最も重要な理論家」と評したが、実際、アローの業績は多岐にわたり、いずれも根源的なテーマばかり扱っている。

ただ私にとってアローは、経済理論の礎を築いた天才という以上に、日本人の経済学者宇沢弘文を「発見」した人物として重要だった。宇沢の評伝を企画したときからいずれ会わなければと心に決めていたが、インタビューが実現したのは宇沢が亡くなって1カ月後の14年10月だった。

取材はスタンフォード大学で2日間にわたって行なった。初日はアローの研究室、2日目はファカルティークラブのレストランだった。高齢ながらアローの眼光は若いころの写真そのままの鋭さで、記憶の衰えもまったく感じさせなかった。

まだ無名だった20代の宇沢から論文が送られてきたときのことをたずねると、「論文を読んだその日か翌日には、ヒロに手紙を出しましたよ」と昨日のことのように語った。アローに招聘された宇沢はスタンフォード大学で才能を開花させた。「グレイト・コラボレーター(偉大な共同研究者)だった」とアローは讃えたが、アローに見いだされていなければ、宇沢が米国で活躍することもなかった。

宇沢は生前、アローからしばしば子どもの頃の思い出話を聞かされたと懐かしそうに話していた。食事の際にそのことを伝えると、アローは両親の話などを腹蔵なく語ってくれた。

アローの両親はともにユダヤ人でルーマニアからの移民だった。大恐慌のあおりでアロー家は破産、10年ほどのあいだアローは極貧生活を強いられた。最初に通った大学がニューヨーク市立大学だったのは授業料がタダだったからである。サンドイッチをほおばりながら、「学校はタダだったんだよ」「タダですよ」と何度も繰り返す天才理論家の姿に妙に親近感を覚えたものである。

『ニューヨーク・タイムズ』のアローの訃報記事に、「彼の政治的な立場は、明確にリベラルです」というロバート・ソローのコメントを見つけ、少々驚いた。かつて宇沢が語った言葉そのままだったからだ。「アローの経済学の原点には貧しい者、虐げられた者への共感がある」と宇沢は語っていた。

ソローもノーベル経済学賞受賞者で、アロー、宇沢の親友だった。じつは、アローに会う前に取材したのがソローで、ふたりの話から宇沢がアローとソローに特別な信頼を寄せていたわけが理解できた。「リベラル」への信奉が終生、3人を結びつけていたのである。

「リベラル」な態度を知の探求者の必須の条件とみなした彼らは、知識人が知識人でありえた時代の碩学だったように思う。時代は確かに変わった。アローの訃報に接して、「リベラル」の意味を今更ながら考えさせられている。

(ささき みのる・ジャーナリスト。3月24日号)

やさしさがない安倍外交(西谷玲)

国会では森友学園問題が火を噴いている。野党は徹底的に追及すべきだ。外交に目を転じれば、トランプ米大統領と安倍晋三首相は先月の訪米で蜜月関係を築けたという。トランプの無茶苦茶にはまるで意見せず、「Trumpabe」(トランペイブ、トランプ=安倍)の様相である。

さて、外交のもう一つの懸案、安倍政権の行き当たりばったり、戦略のないさまがよく表れているもの……それは、日韓関係である。

「慰安婦」問題で象徴として建てられた少女像をどうするのか、解決が見えていない。昨年末に釜山の日本総領事館前にも少女像が設置された。日本はそれに抗議して、この1月に駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させた。

その後どうなっているかと言えば、韓国外相が、少女像撤去を要請する文書を釜山市や同東区に送っている。が、何の効果もないどころか、今月1日の、日本統治下での大規模な独立運動の記念日である「3・1節」には、各地で新たな少女像の設置、除幕式が続々と行なわれた。さらに、今計画中のものもあるという。こんな状況で大使と総領事をまた派遣させるわけにもいかず、日本政府はまさに振り上げたこぶしのやり場に困ってしまっている状況である。

ご存知の通り、朴槿恵大統領はスキャンダルで弾劾訴追され、4月にも退陣、6月にも新たな大統領を選ぶ選挙が行なわれそうである。つまり、国政の混乱状況がずっと続いており、それまで現政権は当事者能力をとても持ちえない状態なのだ。しかも、次の大統領選では文在寅氏をはじめとして、野党の候補が勝つであろう可能性が高い。文氏は「慰安婦」問題に関する日韓合意を批判しており、少女像問題に対しても撤去の必要はないという意見である。

このような情勢のなか、大使と総領事を帰国させてしまったら、その後の落としどころに困ると予測するのは容易だっただろう。それなのに確固たる戦略もなく、行き当たりばったりで対応するからこんなことになるのである。

ある元外交官が言った。「安倍外交にはやさしさがない」。

こんな状況を生んだのは、まさにこのことに起因するのではないだろうか。毅然たる、決然たる、断固たる……そんな勇ましい言葉ばかりが躍る安倍外交。しかし、外交とは何枚腰、そして硬軟両様の使い分けが必要。さらに、人の心の重さをどう考えるか、どう見えるかがとても大切だ。外交だけでなく、政治全般がそうなのだが。

元「慰安婦」の人たちが何に怒っていて、何が赦せないかといえば、突き詰めていけば、やはり心の問題ではないだろうか。やさしさ、思いやり、心の底から悪かったと思う気持ち……。それが安倍首相に見えないというのである。

「慰安婦」問題について、歴代の首相はずっとお詫びの手紙を書いてきた。確かに一昨年末の日韓合意で日本は政府から10億円を拠出することに合意した。それは画期的には違いない。いつまで謝ればすむんだ、という声もわからないでもない。首相には「嫌韓」な人々の支持が多い以上(森友学園を見よ)、あそこまで譲歩したのも画期的であるともいわれる。それも理解したうえで、でも、心が必要なのだ。これは政治家でなければできないし、一流の政治家だったらできることだ。

(にしたに れい・ジャーナリスト。3月10日号)

森友学園の異様さに(雨宮処凛)

国会では安倍晋三首相への追及が続き、「第二の森友学園」疑惑が浮上するなど「アッキード事件」は広がっていくばかりだ。

そんな森友学園が運営する塚本幼稚園の映像が連日テレビに映し出されている。

教育勅語の暗唱、運動会で「安倍首相、頑張れ!」「安保法制国会通過、良かったです」などと言わされる園児たち。

塚本幼稚園の映像を見て思い出したのは、今まで5回訪れた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)だ。

初めて北朝鮮に行った時、連れて行かれたのは幼稚園だった。

そこには、幼稚園なのになぜかファンデーションをがっちり塗り、唇を真っ赤に塗るなどしたフルメイクの子どもたちがきらびやかなチョゴリに身を包まれていた。

私たち外国人が教室を訪れると、「うちのお父さんは主席から勲章をもらった」という歌を朗々と歌い上げたり、集団で一糸乱れぬダンスを披露してくれたりしたのだった。

また、幼稚園の先生が「この日はなんの日ですか?」と聞くと、「大元帥様のお生まれになった日です!」と全員が大きな声で唱和。子どもたちは可愛かったものの、歌ったり踊ったりするときの子どもらしさのまったくない作り込まれた表情に、なんとも言えない違和感が残った。

それから数年後、また北朝鮮を訪れた際、今度は小学生が芸術活動をする場所に連れていかれた。

やっぱり綺麗にメイクをして、琴のような楽器を弾いたりバレエをする子どもたちの表情は作り込まれていて、演奏やダンスはもちろん完璧だった。

そんな子どもたちを次々と見せられているうちに、一緒に行った男性の1人が突然泣き出した。混乱して、動揺して、とにかく何もかもが異様で、耐えられなかったのだという。彼が泣く姿を見て、「ああ、やっぱりこれって泣くくらいのことなんだよな」と、妙に冷静に思った。が、北朝鮮のガイドは、終始「わが国の子どもはこんなに素晴らしい教育を受けている」と自慢げだった。

そんな北朝鮮を彷彿とさせる森友学園が新設する「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に、首相の妻である安倍昭恵氏が就任していたのだ(現在は辞任)。しかも、教育方針に感銘を受けたことを語っている。

森友学園の問題が発覚する数日前、あるヴィジュアル系バンドのコンサート会場で昭恵氏を見た。終演後、出口に向かう昭恵氏は満面の笑顔だった。布袋寅泰氏もそうだが、彼女は随分とミュージシャンが好きなようである。彼女には公費で5人の秘書がついているというが、あの時、秘書は同行していたのだろうか。

なんだかとても、気になる。

(あまみや かりん・『週刊金曜日』編集委員。3月10日号)

温かく“肉体的な”ツノ──カナダ=エスキモー8(本多勝一)

イスマタがカリブーの大腸を手づかみにして食べると、中の糞が外へ大量にこぼれ出た。

これまでの自分の知識とまるで違っていたことの第一は、カリブーのツノがふさふさとした毛皮でおおわれている点だ。やわらかくて、ビロードの縫いぐるみを撫でているみたい。

第二は、ツノが胴体と同じように温かいことだ。血液がかよい、まさに生き生きとしている。とりわけ成長中の先端は、まだグニャグニャである。ツノというものは、ツメや毛などよりも〝肉体的〟なのですね。よく飾りものにしてあるシカやトナカイのツノ。あれはツノの骸骨と言うべきものだろう。

この見事なツノに私はほれこんで、剝製にできないものかと思った。ともかく藤木さんに写真をまずとってもらおうと、イスマタに「ピオヨ(立派だね)」と声をかけたとたん、彼は「イー、ママクト(うん、うまいぞ)」と答えるなり、ツノの先端をナイフで切り落としてしまった。

あきれて見ていると、イスマタはバナナの皮をむくようにしてその毛皮を剝ぎ、ツノの中身をかじっている。「ネリヨマプンガ(俺も食いたいね)」と言って、私も別のツノを切って食べてみる。いくらか桃色がかった白い中身は、ナマコみたいにコリコリしていて、かなり甘味もある。生臭さはほとんどない。味はカリブーの脚骨の髄とよく似ている。
(一部敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

子牛ぐらいの6頭をうちとる──カナダ=エスキモー7(本多勝一)

カリブー8頭のうち6頭が倒され、解体される。

ところが、カリブー(トナカイの一種)の1頭は銃声とほぼ同時に立ちすくんだ。重傷らしい。あとはバラバラに逃げる。右へ2~3頭、左へ4~5頭。3人のエスキモーたちの銃口が次々と連発する。カリブーの肌に命中する音。同時に倒れる者、後脚をひきずって立ちどまる者。きわ立って大きくのびたツノの1頭は、50メートルと走らぬうちに1発で倒され、うずくまった。

3人はそこで立ちあがり、なおも逃げている4頭を追う。全8頭が全滅かと思ったが、2頭だけは雪原のかなたへ消えた。

うちとった6頭のうち、3頭は即死、あとは負傷のまま立ったりすわったり。後脚をやられた1頭に近づいたイスマタは、手にした石の一撃で倒すや、ナイフで首にとどめを刺す。ほかの2頭も、カヤグナとムーシシが石やナイフで息の根をとめた。ムーシシは、ナイフについたカリブーの血を、惜しそうに舐めている。

藤木さん・カヤグナ・ムーシシの3人が犬ゾリをとりに行った間に、イスマタと私は倒したカリブーを一カ所に集める。ツノや脚をつかんで2人で引っぱり、雪面をひきずる。かなり重い。日本の野生シカよりずっと大きくて、子牛くらいはある。この6頭はみんなオスだった。

そのツノを握ってみたとき、ツノについての私の知識が全く誤っていることを知った。(一部敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

ノッシノッシと逃げ始める──カナダ=エスキモー6(本多勝一)

銃声と同時に8頭のカリブーは一斉に立ちあがって逃げはじめた。(藤木高嶺記者写す。)

姿を見せた8頭のカリブーは、全頭すわりこんで悠然としている。あの位置まで約100メートルか。今年の新しいツノは、まだ成長の途中だから短いが、1頭はきわ立って大きくのびている。まるで大きなカンザシ(簪)みたい。白っぽい体毛で、均整のとれた姿態だ。

イスマタが前進の合図。ヒジだけで体をずらせる。銃を持つ3人は、いつでも発砲できる姿勢だ。私たちはもうカリブーと全く同じ高みにいるので、体をかくせない。げんに3~4頭がこちらを見ているではないか。ふしぎそうに、キョトンとしつつ……。藤木さんの構える350ミリ望遠レンズの焦点が、距離80メートルを示した地点でストップ。

三つの銃口が8頭の群れに向けられる。口径303(約7・7ミリ)の5連発。午後8時40分。イスマタの銃が第1弾を放つ。反響のない鈍い銃声。瞬間、同時に8頭が立ちあがった。

3人のエスキモーたちは一斉射撃するものと私は思っていた。だが、イスマタに続くカヤグナの第2弾は、カリブーの8頭が立ちあがって四散する態勢に移ってからである。さらに2~3秒してムーシシの第3弾。

カリブーの動きも意外だ。銃声と同時に横っとびで走りだすかと思いきや、ゆっくり、あわてず、ノッシノッシと逃げ始めた。(敬称略)

(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は現在、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』に毎週連載しているものです。カナダ=エスキモーの連載は1963年に『朝日新聞』に掲載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。

稲田防衛相がすべきは制服組トップの処罰(佐藤甲一)

安倍晋三首相が任命した閣僚の適格性が問われている。いわゆる「共謀罪」をめぐる金田勝年法相のお粗末な国会対応の問題、さらに南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)への自衛隊派遣に関わる稲田朋美防衛相の一連の対応である。

両大臣の答弁をめぐってたびたび国会審議が中断する事態に及び、野党4党は2人の辞任を求めているが、今の国会の勢力図からみるとそこまで追い込むのは容易ではない。だが、ここに安倍政権にとっての構造的な問題が深層にあることに気がつかねばならない。

問題の本質は安倍政権という「一強多弱」政治が生み出した官僚機構の増長と、それを本来制御すべき「政治的抑止力」の劣化なのである。ならば単に担当大臣の資質が欠け、安倍首相の任命責任を問うという、俗人的な責任論を展開する民進党などの野党の追及は歴史的な視座からの問題意識に欠ける。

本稿ではより重大な自衛隊のPKO「日報」問題に絞りたい。この件では三つの問題が明らかになっている。(1)南スーダンでの活動を記録した「日報」の存在を隠していた、(2)「日報」に書かれていた「戦闘」という表現を憲法上の問題にかかわるとの判断から大臣答弁では「武力衝突」と言い換えた、(3)自衛隊当局が稲田氏に、「日報」に「戦闘」と書かれていたことを1カ月にわたり報告しなかった、の3点。いずれも極めて重大な問題である。

(1)は自衛隊組織の「隠蔽体質」が明らかになっており、(2)では、南スーダンへの派遣は憲法違反の疑いがあることを自ら語っているのに等しく、直ちに派遣を取りやめるかどうかの判断を下さなければならないはずである。そしてなにより不可解なのは(3)だろう。

稲田大臣は(1)が明らかになった段階で、自衛隊トップに公開を指示していた。調査に手間がかかるとの理由で自衛隊幹部が公開せず、大臣に1カ月も報告もしていなかったことは明らかに「抗命」といえまいか。自衛隊内部の「抗命罪」であれば、内規によって相応の処分で済ませることであろうが、事は文民の大臣と制服の自衛隊組織トップの間での「抗命」である。旧帝国陸海軍の暴走という戦前の反省に立ち、戦後日本が武力組織である自衛隊を創設するにあたって定めた根本原則である「文民統制=シビリアンコントロール」に明らかに抵触する。

そのことに気づかないのなら、稲田大臣はまさに資質に欠ける。本来なら制服組トップを処罰したうえで、統制力欠如の責任をとって辞任すべきだろう。国会での野党の追及を逃れれば済むという次元ではない。その点では、世論がこの問題に注ぐ関心の薄さもまた、深刻である。

安倍政権の下では菅義偉官房長官らが霞ヶ関の高級人事を動かすことで、官僚機構を把握しているともいわれている。だが水面下では、力不足の大臣の眼を掠め、官僚組織の勝手な「自己保全」が行なわれていると思わざるを得ない。文部科学省の「天下り問題」しかりである。圧倒的多数を占めているとはいえ自民党に量に見合った質の伴った政治家が揃っているか、といえば疑わしい限りである。盤石に見える安倍政権も一握りの練達な政治家に支えられているにすぎず、一歩誤れば、「砂上の楼閣」になりかねない。

(さとう こういち・ジャーナリスト、2月24日号)

ローハイ!(小室等)

映画音楽の巨匠ディミトリー・ティオムキン、といっても今の若い人たちは知らないよね。僕たちの世代だと、まずは一九五九年から六五年にかけて放送されたアメリカのテレビ西部劇「ローハイド」、そうカントリー・シンガーのフランキー・レインが歌う、♪ローレン ローレン ローレン ローハイ! 日本では「伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ」が歌っていた。日本中知らない人はいないほどヒットしたんだけどな。

余談だが、準主役のクリント・イーストウッドは直後に出演したマカロニ・ウェスタンの映画『荒野の用心棒』が当たってスター街道をはしっていくことになる。

話を戻そう。ティオムキンは、作曲家として三〇年代から六〇年代にかけてハリウッド映画音楽の一翼を担った大巨匠である。アカデミー賞は、五三年に『真昼の決闘』(監督:フレッド・ジンネマン、出演:ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー。このときは歌曲賞も)、五五年に『紅の翼』(監督:ウィリアム・A・ウェルマン、主演:ジョン・ウェイン)、五九年に『老人と海』(監督:ジョン・スタージェス、主演:スペンサー・トレイシー)の三つ。そのほかノミネートは無数。

それらの中で三九年の『スミス都へ行く』(主演:ジェームズ・スチュアート)など、社会派の映画をいくつも担当していてそれはよいのだが、問題は六〇年の『アラモ』だ。

総指揮、監督、主演のタカ派俳優ジョン・ウェインが求める、あるべきアメリカの姿を示す映画で、五七年後の今日、それを地で行くのがトランプだとすれば、『アラモ』は長~い時間をかけたトランプ・プロパガンダ映画だったとも言える。

なんとわれらがフォークグループ「ブラザース・フォア」も、主題歌「遥かなるアラモ」の歌唱でそのお先棒を担いでいる。僕はと言えば、映画館の暗闇の中でスクリーンを食い入るように見つめ、ブラフォーのその主題歌を好きで口ずさんでいたのだから文句を言えた立場ではないのですがね。

そのあとの六三年、これもタカ派俳優チャールトン・ヘストン主演の『北京の55日』。義和団事件を扱っているが、史実を都合よく脚色し結局アメリカは偉かったという映画で、ここでもブラフォーがちゃっかりティオムキン作曲の主題歌担当。

さてさて、強いアメリカン・メッセージのお手伝いをしたティオムキンはといえば、ロシア帝国領ウクライナで一八九五年に生まれ、一九二五年にアメリカに移住。アメリカ国民の多くがそうであるように、ティオムキンも移民だ。トランプも移民の血筋だよね。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2月10日号)