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戦時下のウクライナ 
シェルターの壁に子どもは戦車の絵を描いた

金平茂紀|2022年3月18日6:30PM

脱出する多数の人々の流れに逆らってウクライナに入国したジャーナリストの金平茂紀さん。ルーマニア国境に近い町を拠点に取材活動をして見えてきたものは――。

空襲警報中にシェルターで子どもたちが描いた戦車。チェルニフツィにて。(撮影/金平茂紀)

 2月24日、現地時間の早朝、ロシア軍はウクライナに対して軍事侵攻を行なった。歴史に刻まれるべき国際政治の流れの切断的な動きだ。モスクワ・クレムリンに拠点をおくロシア人の政府が、ソ連時代に同盟国に対して軍事侵攻したハンガリー動乱(1956年)やチェコ事件(68年)を想起させる。冷戦終結後の新冷戦とか命名している場合ではない。そこに住むウクライナの人々の生活が蹂躙され、死傷者が発生する大量破壊行為が公然と行なわれているのだ。

【脱出する人、人、人】

 この文章を書いているのはウクライナ西部の都市チェルニフツィ。現地時間の今は3月7日、月曜日の午前5時になるところだ。戒厳令が敷かれているので連日のように警報が発令され、その都度僕らは地下シェルターに退避させられる。昨日は発令がなかった。僕らは2月24日にトルコのイスタンブールからウクライナの首都キエフに行く航空便を予約して同空港のゲートで待機していたところ突然、便が欠航となった。TBS「報道特集」の取材チームの一員としてウクライナに向かっていたのだ。ウクライナ入りには抜き差しならぬ兆候があった。3日前、プーチン・ロ大統領は、東部ドンバス地方の2州を独立国家として承認、明らかに一線を越えた。これでロシア正規軍が同地域に親ロシア系住民保護を目的に侵攻・駐留する大義名分があるという形が無理やりつくられた。僕は2014年にキエフ及び東部ドネツク州などを現地取材していたので、是非とも今回も取材が必要と考えた。

ウクライナと周辺の国々

 詳細は省くが、筆者らはルーマニアから陸路でウクライナ入りをした。当初はモルドバからオデッサ入りをめざしたが、そのオデッサも空爆され被害が出た。現地のコーディネーターも国外脱出してしまった。ルーマニアのブカレストから国境までは車で7時間。すでに大勢のウクライナ人たちがこちら側に脱出してきていた。その流れに逆らうようにウクライナ側に入国した。目の前に見える光景はルーマニア側とは一変していた。ものすごい数の人がやって来ている。車の列が35キロメートルほど続いていてまったく動かないので、人々が車を乗り捨てている。

 成人男性はゼレンスキー大統領の国家総動員令で国外脱出が禁じられているので、女性と子どもたちが脱出者の多数を占める。家族の間で悲しい光景が出現していた。抱き合って泣きながら夫と妻と子どもが互いに別れを告げているシーンを目にして、胸が締め付けられる思いがした。

 僕らが拠点としたチェルニフツィは詩人のパウル・ツェラン(1920~70年)生誕の地。ナチス・ドイツの侵攻でゲットー(収容所)に送られたツェランゆかりの地で、ロシア侵攻を取材することになるとは。

【壁に描かれた戦車の絵】

 戦時下のウクライナは、首都キエフがロシア軍に攻撃・包囲されたものの首都機能を保っている(3月7日現在)。第二の都市ハリコフは中心部が破壊された。日本のメディアでは、『朝日新聞』とTBSが3月1日までキエフで取材を続けていた。その他のメディアもウクライナ国内にとどまっているが、ポーランドに近い西部の都市リビウが多いようだ。

 筆者は、この間のNHKの取材姿勢に疑問を持つ。外務省の邦人退避勧告(2月11日)から時を置かずして、東京からの指示でNHKの記者・カメラマンは全員ウクライナから退避させられた。侵攻開始の24日時点で、ウクライナにはNHK記者・カメラマンはゼロだったと関係者は言う。安全を確認してウクライナ国内を移動しながらの取材は実際に可能だ(注)。

 ウクライナ侵攻は、現場にいなければわからないことだらけだ。市民生活がどれほど逼迫しているのか、していないのか。国外脱出の切迫感がどれほど切実なものなのか。旧ソ連圏のウクライナ、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、モルドバの間では、もともと人的・物的に交流が盛んで、人々も親戚が国をまたいで当たり前のように暮らしている。ルーマニア側の国境近くでは、ボランティアの人々が無償で食料を配ったり、人々を無料で車に乗せて移動を手助けしたりしていた。前記のシェルター内で退避してきた幼い子どもが壁に描いていた絵の中に戦車が何気なくあったのをみて、子どもたちの心の中に戦争がひたひたと滲みていくのを実感した。

ウクライナからルーマニアへ脱出する人々。テレブレチェにて。(撮影/金平茂紀)

【大統領の支持率91%】

 ウクライナのゼレンスキー大統領は元コメディアンという異色の経歴の持ち主だが、今回のロシアの軍事侵攻を受けて、連日テレビやSNSで市民に対して徹底抗戦を呼びかけている。もともとはプーチン大統領とも協調を模索したりということもあって、国民からの評価は決して定まっていなかったが、今回の侵攻後は「戦時大統領」として人々の、メディア論上の、リーダー役を果たしているように見える(最新の支持率91%!)。なかでも彼がロシア侵攻後にSNSにあげたロシア語によるロシア人へのメッセージは内容が深い。ロシア・メディアに対して「あなた方が報じているウクライナは本当のウクライナとまったく違うものだ」と激しく批判していた点が印象に残っている。それほど今ロシアのメディアが報じている「侵攻」(この言葉をもちろんロシアのメディアは使っていない。あくまで「特別軍事作戦」である)の状況はまるでパラレル・ワールドだ。

 ウクライナ侵攻の動きを受けて、日本国内のさまざまな反応をオンラインを通じて僕らはウクライナの地で知ることになったが、とりわけ識者、専門家と称する一群の人々の、あまりの現実離れした空理空論ぶり、たちの悪い謀略史観ぶり、善悪二元論(正義vs.邪悪)、論理飛躍した中国攻撃説(中国はロシアの友、次は台湾だ、等)、最も低劣かつ悪質な「核シェア」論など、日本の危機があぶり出されているような錯覚にさえ陥る。ナオミ・クラインのいう惨事便乗型資本主義=ショック・ドクトリンの粗雑かつ幼稚な形態をみせつけられる思いがした。

【無力で圧倒的な言葉】

 この侵攻の結末は今の段階では見通しがつかない。泥沼化のおそれもある。1968年、加藤周一はソ連(ワルシャワ条約機構軍)のチェコスロバキアの首都プラハ侵攻の直後に「言葉と戦車」という歴史に残る文章を雑誌『世界』(岩波書店)に記した。「言葉は、どれほど鋭くても、またどれほど多くの人々の声となっても、一台の戦車さえ破壊することは出来ない。戦車は、すべての声を沈黙させることもできるし、プラハの全体を破壊することさえもできる。しかし、プラハ街頭における戦車の存在そのものを自ら正当化することだけはできないだろう。自分自身を正当化するためには、どうしても言葉を必要とする。すなわち相手を沈黙させるのではなく、反駁しなければならない。言葉に対するに言葉をもってしなければならない」「1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった」

 今、ウクライナの人々に言葉はあるか。僕にはそれが正直、わからない。代わりにウクライナ国営テレビでは、ウクライナ軍を賛美するビデオクリップがウクライナ語のラップをBGMにして、ほら、流れている。

(注)2月25日以降、NHKの海外支局要員が、ポーランドやルーマニアからウクライナ西部の都市リビウ、チェルニフツィなどに日帰りで取材していた事実が確認されている。NHKからも25日以降の取材実績について編集部は回答を得ている。24日以前の取材体制についてもNHKは「記者・カメラマンを退避させた事実はありません」と退避を否定している。

(金平茂紀・ジャーナリスト、2022年3月18日号)

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