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元『朝日』記者でジャーナリストの柴田鉄治さん逝く 
平和・民主主義を貫いた人生

藤森研|2020年9月15日5:18PM

観測船「しらせ」船上で。(撮影/柴田鉄治=本誌2006年1月27日号への寄稿より)

『朝日新聞』で論説委員や科学部長、社会部長を歴任、『科学事件』『新聞記者という仕事』などを著したリベラルなジャーナリスト、柴田鉄治さんが8月23日、腎不全のため85歳で亡くなった。

東京大学理学部卒業で、自らの戦争体験に基づく平和の願いを実現しようと、ジャーナリズムの道を選んだ。社会部で事件事故や教育問題を手がけ、1965~66年には南極観測隊に同行取材した。

南極への思いは強く、退職後の2005年、再び南極観測隊にオブザーバー参加。著書『世界中を「南極」にしよう』で、国境も軍事基地もなく、環境を守り各国が科学観測で協力し合う南極条約を平易に紹介し、その考え方を世界に広げようと呼びかけた。たとえば日韓が対立する竹島(独島)問題でも、南極条約の知恵を借りて、30年とか50年の期限を決めて両国が領土権を凍結し、その間に共同利用を進めて事実上の共有化を実現することを提言した。

『原子力報道』などの著書では、権威や権力に弱いメディアを叱咤する一方、日本ジャーナリスト会議(JCJ)代表委員などを務め、後進の指導に心を砕いた。

1985年の日航機墜落事故当時、柴田さんは『朝日』社会部長、私は部員だった。「日航機がレーダーから消えた!」の一報に社会部が騒然とする中、柴田部長は私に「羽田へ行ってくれるか」と言った。「行け!」ではなく、ちょうど当日組み原稿を点検中だった部下への配慮がある柴田さんらしい言葉で、ヘリから見た御巣鷹山の光景とともに今でもはっきりと思い出す。95年に朝日新聞社が護憲の社説特集を出した際には総まとめ役の一人として、社会部員有志の集まりにも夜遅くまでつき合い、誠実、丁寧に質問に答えてくれた。民主主義を言葉だけでなく、きちんと内在化している上司だった。

ご遺体の表情は、とても安らかだった。初心を貫いた人の充足感のようなものを私は感じた。

(藤森研・JCJ代表委員、2020年9月4日号)

 

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