週刊金曜日公式ブログ 週刊金曜日ニュース

戦争は始まっている!?(黒島美奈子)

戦争は始まっているのかもしれない。この1年を振り返るとそう思わずにはいられない。

幕開けは2016年12月13日。名護市安部の海岸に米軍普天間飛行場所属のオスプレイが墜落した。

集落から歩いて行ける現場の浅瀬は、家々からわずか数百メートル。何百、何千と散った機体の残骸は、今も見つかっている。墜落機と共に飛んでいた僚機は同日、機体の不具合から前輪が出ず、普天間飛行場に胴体着陸した。

年が明け2017年1月19日、嘉手納基地所属のF15戦闘機が油漏れのため同基地に緊急着陸した。翌日にはうるま市の農道に、新型攻撃ヘリAH1Zが不時着。機体から出る熱風で畑の作物が焼けた。

3月8日、キャンプ・ハンセンで米軍ヘリUH1からつり下げられた複数の車のタイヤが宜野座村に落下。同21日には、C130輸送機が、燃料を放出させながら嘉手納基地に着陸するのが目撃された。6月6日、伊江島の米軍補助飛行場にオスプレイが緊急着陸。

同10日には奄美空港にも緊急着陸した。オスプレイは8月28日にも、山口県岩国基地で白煙を上げ着陸。同29日には岩国基地を出た1機が大分空港に緊急着陸後、煙と炎が上がった。同機は6月に伊江島で不具合を起こしていた機だったことが後に判明。9月29日には、オスプレイ2機が石垣空港に緊急着陸した。

10月11日、米軍ヘリCH53が、東村の民間の牧草地で炎上。11月22日には、嘉手納基地を飛び立ち空母ロナルド・レーガン艦載機として訓練中だったC2輸送機が洋上で墜落した。米兵3人が行方不明となっている。同30日、米軍戦闘機F35が機体右側のパネルを付けず嘉手納基地に着陸したことが発覚。翌日、在沖米軍は「おそらく海上で落下した」と発表した。

12月7日、宜野湾市の保育園の屋根で、米軍ヘリCH53の部品が見つかった。保育園関係者によると、屋根でドスンと大きな音がしたので点検すると部品があった。米軍は、米軍機から「落ちた」ことは否定したが、米軍機の部品であることは認めた。

そして、1昨年のオスプレイ墜落からちょうど1年目の12月13日、同市普天間第二小学校の校庭に、上空を飛行中の米軍ヘリCH53が窓枠を落下させた。校庭にいた男児1人が、落下時の衝撃で飛んだ石でけがをした。

ヘリから戦闘機まで米軍基地の多種多様な機種が事故を頻発する様子は、朝鮮戦争時(1950~53年)、ベトナム戦争時(1955~75年)の沖縄と重なる。石川市(当時)の宮森小学校に米軍戦闘機F100が墜落し死傷者227人を出したのも同時期だった。同じ期間には嘉手納村や読谷村でも米軍機による事故で住民が数人死亡している。

翁長雄志知事が「負担軽減どころか、復帰前に戻ったよう」と憤る姿に、もはや想像力は必要ない。しかし米軍機からの窓落下事故を受け、山本朋広防衛副大臣は、沖縄県が要求する「米軍機全機の飛行停止」に対し「他の飛行機も(事故機と)同じように扱うというのは、どういうロジックなのか分からない」と首をひねった。

この国の閣僚には想像力どころか、目の前で起こっていることを認識する力さえないことに愕然とする。次の戦争が始まるか否かは、そんな政治家たちに委ねられている。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。2017年12月22日号)

【憲法を求める人々】萩谷麻衣子(佐高信)

 むのたけじは『詞集たいまつ』(三省堂新書)でこう喝破した。

「戦場で死んだ兵士は最後に『かあさん!』とよんだ。しかし母親のだれも、むすこのそのこえを聞いていない」

萩谷はむののこの言葉に全身で共感するだろう。『俳句界』12月号の「佐高信の甘口でコンニチハ!」で、私に次のように語ったからである。

「テレビで『憲法改正反対』とか言うと、すぐに反日左翼だとネットでは言われるんですけど、あまり左右というのは意識したことがなくて、ただ子どもの母親として戦争反対なんです。特に、ちょうど十八歳の息子もいますから」

安倍晋三を筆頭として勇ましげな議論をしている人たちは決して自分は戦争に行かない。安全な立場で声高に主張しているが、
「では、誰が行くの?」
と問いたい、と萩谷は言う。

改憲して軍隊を持つことにしたら、自衛隊だけでは絶対に足りなくなって徴兵制にせざるをえなくなるだろう。

「そのときにうちの子どもやその友達を戦争に行かせられるのかといったら、私は絶対反対。それを言うと感情的だとか、お国のことを思っていないのかと言われるけど、それなら、あなたが行きなさいよと思うんです。あの世代の子たちを戦争に行かせて人を殺させて、殺されるかもしれないんだったら、攻撃されて死んだ方がいいじゃないかと、母親としての思いが強いです」

穏やかな口調ながらキッパリと、萩谷はこう言い切る。

そして、国民の多くが徴兵制を望むなら、「中高年男女問わず」そうしたらいい、と続ける。

むしろ、若い人は最後にして、中高年から前線に行くべきではないか。

「そこまでの覚悟をして憲法改正に一票入れるのかと、テレビでも言う機会があったら言いたいと思っているんですけどね」

やわらかな感じで語る彼女がテレビからはずされないことを祈るばかりである。

『朝まで生テレビ』で同席して、あの喧騒の中できちんと話す彼女に感心した。絶叫調でなく、しかし、言うべきことを言うのは、かなり難しい。それを可能にしているのは彼女の芯の強さだろう。

詳しいことは聞かなかったが、同業の彼と結婚する時に母親に反対され、板挟みになって、電車に飛び込もうかと思うくらい辛かった時期が数年あったという。

「でも、そのときの双方から責められて苦しかった状態が、今の仕事に生かされていると思います。そういう方が離婚の相談に来られると、何が苦しいのかわかるんです。苦しかった経験が生かされているので、いい仕事だなと思いますね」

もう一度、むのの『詞集たいまつ』を引けば「語り上手が良い聞き手であるとは限らない。しかし聞き上手は、必ず良い語り手である」とある。

萩谷も、よく聞くことから信頼関係は生まれることを学んだ。

弁護士は依頼者の話を聞きながら、どこが問題でどう戦うかという「法律構成」を組み立てるが、依頼者はそれとは関係ないことも話す。しかし、彼あるいは彼女がこだわっているところが重要だったりするのである。

「だから、時間をかけて聞く事は大事だなって思います」

国家なんて言葉は一番信用できないと思うとも萩谷は語る。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、12月15日号。画/いわほり けん)

70年前の衆院「排除」決議の重みを無視したデマゴギー 「教育勅語」の教材使用は問題

教育学の研究者らでつくる日本教育学会(会長・広田照幸日本大学教授)教育勅語問題ワーキンググループは、昨年12月12日、文部科学省に「教育勅語を肯定的に使用したりその理念を指導原理にしたりすることはできない」とする『教育勅語の教材使用問題に関する研究報告書』(同学会ホームページで公開)を出した。

安倍内閣は、昨年3月31日、教育勅語について、「教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」だが、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との見解を閣議決定した。

文科省の藤江陽子大臣官房審議官も、閣議決定と同趣旨を述べつつ、教育勅語には「夫婦相和し、朋友相信じなど今日でも通用するような普遍的な内容も含まれている」として、「適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない」(2017年2月23日衆議院予算委員会第一分科会)と述べた。

文科省は、「教育勅語の具体的使用状況は学校設置者が指導監督する」と筆者の質問に答えた。試しに東京都と大阪府に教育勅語の指導に関する調査をしたり、通達などを出したことがあるか聞いたが、都も府も「ない」と回答した。

また、都は「(昨年の)閣議決定をもって、教育勅語を教育における唯一の根本として位置付けられた戦前のような形で教育に用いることは不適切であることや、教育の場における教育勅語の活用を促す考えはないとの政府見解を踏まえつつ、憲法の基本理念や教育基本法の定める教育の目標等に基づいて、学校教育を推進していく」と回答。大阪府教育委員会も、「教育勅語を唯一の価値観として教えるのはダメだが近現代史の資料として使うのは問題ない」と答えた。

【客観的根拠を欠く】

同報告書の執筆者の一人である小野雅章日本大学教授は、藤江審議官の「普遍的な内容も含まれている」について、「間違い」と指摘する。教育勅語には12の徳目が挙げられているが、それらはすべて戦争になったら「一身を捧げて皇室国家に尽せ」という最後の徳目にかかる。「このことは、1940年に教育勅語の解釈を確定した文部省(現文科省)の協議会でも確認されています。だから、『夫婦相和し』などの徳目を最後の、『皇室国家に尽せ』から分離することはできません」と指摘した。

小野教授によれば、教育勅語は1890年に明治天皇の名で出されたが、作成にかかわった井上毅は明治憲法でも「臣民」の良心の自由に干渉しないとの原則が認められていたので、その原則との整合性に気を配り、苦肉の策として大臣の副署のない勅語(天皇が直接国民に呼びかける言葉)の形にしたという。だが、その後保守的な官僚らによって御真影(天皇皇后の写真)とともに学校の奉安殿に格納するなどの教育勅語の権威付けが行なわれ、ついには原爆が落とされても、広島工業専門学校(広島大学工学部)は生徒の安全より御真影の無事を文部大臣に報告したというような倒錯した事態になった(同報告書39頁)。「教育勅語は天皇制教化の『装置』でした。今の入学式卒業式の国旗国歌の強制も同じ」と小野教授は言う。

また、同報告書の執筆者の一人である中嶋哲彦名古屋大学大学院教授は、これまでも教育勅語問題は国会で取り上げられてきたが、昨年の第193国会では延べ43もの会議で取り上げられ最多となっただけでなく、政府答弁も、「一般論として教育勅語を教材として使用することが認められる」とまで述べ、「従来と異なる」と指摘する。

その上で、「唯一の指導原理でなければ教材として使ってもよい」との政府見解について中嶋教授は、1948年に衆議院で教育勅語について「指導原理的性格を認めない」と宣言、「排除」が決議されており、同年参議院でも「失効」が確認されているなどの歴史的事実を無視しているとし、「客観的根拠を欠いたデマゴギー」と批判している。

(永尾俊彦・ルポライター、2018年1月12日号)