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【憲法を求める人々】前川喜平(佐高信)

 たたずまいというのは、ある意味で恐いものである。

前川が姿を現しただけで、加計学園の問題で首相の安倍晋三とそれに盲従する官僚たちのウソが明らかになった。

その前川が東京大学法学部の学生時代、最も熱心に聴講したのが芦部信喜(あしべ・のぶよし)の憲法だった。安倍がその名を知らないと告白して話題になった憲法学の泰斗である。

前川は民事訴訟法や商法等には興味が持てなかった。それは前川が“詩人”だったからだろう。

ここに1冊の詩集がある。1981年に出された『さよなら、コスモス』である。作者が秋津室で挿絵が原一平。共に前川の筆名で前川の生まれた奈良県の地名などに由来している。当時、前川は26歳だった。「コスモスよりもコスモスのような人へ」と献辞があるが、つまり、最初で最後のこの詩集が前川と結婚したひとに献げられたものだった。

「新しい朝に」の中の詩の一節だけ引こう。

〈語るべきことが無いときに
あえて語ることはいつわりを語ることだ。
だから今は僕は
君に愛を語ることはできない。
喧騒と焦燥に埋め尽くされた今の僕から
出て来る言葉は全きいつわりか
さもなくば救い難い饒舌だ。
だから今は僕は何も語らない。〉

そんな前川は学生時代、東大仏教青年会に入っていた。悩める青年はまた、宮沢賢治にも親しみながら、自らの拠りどころを固めていく。

『週刊金曜日』10月6日号掲載の座談会で寺島実郎が指摘しているように、「記憶にない」を連発した柳瀬唯夫や和泉洋人らの現官僚や元官僚は「組織の論理」に徹して安倍を守ったが、そうするには前川は「自分の言葉」を持ち過ぎていた。

組織に埋没して自分を消すことはできなかったのである。

前川は憲法の精神を生かすために文部省(現・文部科学省)に入ったが、この省はイデオロギーの波に激しく揺さぶられるところであり、特に教育基本法の改変の時は辛かった。その改変に前川は反対なのに大臣官房総務課長として成立に走りまわらなければならなかったからである。この時は十二指腸潰瘍になった。

前川が口走って問題となった「面従腹背」もそう簡単にできるわけではない。

拘束衣を着せられたような官僚生活を卒業して、いま、前川はこんな決意を固めている。『週刊朝日』の11月3日号での意志表明だが、「安倍政権下での改憲には反対」という前川は、
「それでも安倍首相が改憲を実行するというのなら、私も国会正門前に行ってデモに参加しますよ」
と語っているのである。

ある種の気骨ある官僚として、前川は城山三郎が描いた『官僚たちの夏』(新潮文庫)の主人公、風越信吾のモデルとなった元通産(現・経産)事務次官の佐橋滋に擬せられる。

佐橋は次官になっても護憲を強調し、非武装中立の立場を崩さなかった。ために、政財界人から、
「あの主張だけはいただけん」
とヒンシュクを買ったが、死ぬまでそれを曲げなかった。

日本興業銀行(現・みずほ)元会長の中山素平も護憲で、唯一と言っていいほど佐橋をかばったが、その意味では、前川は佐橋以来の護憲派の剛直官僚である。しかし、前川も佐橋も「異色」と呼ばれる。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、11月3日号。画/いわほり けん)