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「擅権の罪」に問われる“ソバいや解散”(佐高信)

2017年10月17日5:39PM

政権与党の幹部は口をそろえて「衆議院の解散は総理大臣の専権事項」と言うが、憲法のどこにもそんなことは書かれていない。

大体、彼らは「専権」のセンを「擅権(せんけん)」のセンと勘違いしているようだ。専は「もっぱら」だが、擅は「ほしいまま」で、微妙な違いがある。

かつての大日本帝国の陸軍刑法に擅権の罪というのがあった。

第35条が「司令官外国ニ対シ故ナク戦闘ヲ開始シタルトキハ死刑ニ処ス」であり、第37条が「司令官権外ノ事ニ於テ已ムコトヲ得サル理由ナクシテ擅ニ軍隊ヲ推進シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮ニ処ス」である。そして第38条には「命令ヲ待タス故ナク戦闘ヲ為シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮ニ処ス」ともある。

しかし、陸軍中央の制止を振り切って出先の関東軍が中国への戦争を仕掛け、これは有名無実のものとされた。

たとえば柳条湖事件でも、板垣征四郎は独断で兵を動かし、司令官の本庄繁に報告したのは、独立守備隊が北大営を、第29連隊が奉天城内を、ともに闇討ち同然に攻撃してからである。

これは明らかに前記の刑法に引っかかる擅権の罪だった。板垣と気息を合わせていた石原莞爾も同じ罪に問われることは言うまでもない。

歴史にイフは禁物だが、私は『石原莞爾 その虚飾』(講談社文庫)を書いて、この時、板垣や石原が「擅権の罪」で「死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮」に処されていたら、その後の日本の歩みは大分違っていただろうと思わざるをえなかった。

“緑のタヌキ”ならぬ“緑のコウモリ”の小池

まさに安倍晋三の今度の身勝手解散は擅権の罪に問われるものである。

森友学園と加計学園の疑惑を、そばに引っかけてモリカケ疑惑と呼ぶらしいが、結局、安倍はこれを追及されるのが死ぬほどイヤだった。モリもカケも、ともかく、そばは食べたくないから、解散に逃げ込んだ。だから、この解散は名づければ“そばイヤ解散”である。野党はこの点を徹底して追及していかなければならない。

安倍の“そば隠し解散”の共犯者が例によって公明党だが、この公明党ならぬコウモリ党が自民党に付くのか、小池(百合子)新党と手を結ぶのかも注目される。どちらとも協力するというのだろうが、力点は自民に置くのか、新党に重心を傾けるのかということである。

たとえば、東京12区の公明党の太田昭宏のところには、新党は候補者を立てないという。都知事選で公明党は小池を応援したのだから、ある意味では当然だろう。しかし、ここは自民と公明の選挙協力の象徴のようなところであり、公明は自民と新党の間で股裂きのような状態になるのではないか。

太田は京都大学時代、相撲部に入っていて、得意技はぶちかましらしいが、それで解決する問題ではない。

ちなみに、平凡社の『世界大百科事典』でコウモリの項を引くと、西洋では「たそがれや月夜など光と闇が拮抗する時間にだけ姿を現すといわれ、しばしば不浄で気味悪い動物とみなされた」という。また、日本では「鳥のように飛び獣の姿でもあるところから、古くからどちらにも属さなかったり形勢によってあちこちに立場を変える者をこの名で呼ぶ」とある。

まさに公明党にピッタリだと思うが、私には、そのコウモリ党と同一歩調をとる小池百合子自身もコウモリに見えてくる。即席めんの商品名をもじって、小池を“緑のタヌキ”と呼ぶ人がいるらしい。しかし、“緑のコウモリ”の方がふさわしいのではないか。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、9月29日号)

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