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おばあさんが「辺野古」に抵抗する理由(黒島美奈子)

今年は慰霊の日(6月23日)をはさみ、沖縄にとっていくつかの節目を迎えた。一つは、大田昌秀元沖縄県知事の死去だ。慰霊の日の11日前、自らの誕生日に息を引き取った。

1925年、沖縄県の離島・久米島生まれ。45年鉄血勤皇隊に動員され、沖縄戦のむごたらしさと、軍隊の本性を目の当たりにした。大学教員として沖縄戦研究の第一人者となった大田さんは、90年の沖縄県知事選で初当選。復帰後初の県知事・屋良朝苗以来の革新県政誕生で、県民から基地問題の解決を託された。2期務めた後の知事選で敗れ、2001年に参議院議員に初当選も、07年には政界を引退。その後は「沖縄国際平和研究所」を設立し、沖縄戦の資料収集や出版にあたった。

終生を沖縄戦の教訓と共に過ごした1人で、常に基地問題の中心にいた。地元紙の記者として何度も話を聞いた。話し始めると2~3時間は当たり前。話の最後は山と積まれた沖縄戦の資料を指して「まだ知られていない戦争の真実がここにある。すべてを伝えたい」と締めくくった。

その大田さんが一度だけ「(女性の)君が取材すべきはぼくじゃない」と取材を“拒否”したことがある。09年衆院選で民主党(当時)が圧勝し、戦後初とも言える政権交代が実現したころだった。

「辺野古に行きなさい。あそこで座り込みを続けているのは男じゃない。おばあさんだ。彼女たちの話こそ聞くべきなんだ」

名護市辺野古の座り込み抗議は04年、新基地建設のアセスメント(環境影響評価)作業を止めようと始まった。当初は県内各地から応援の参加者が訪れたが、しだいに訪問者は少なくなり、メディアも同じだった。人もまばらになった海岸で、座り続けたのは辺野古のお年寄りたちだ。中でも女性の姿は途切れることがなかった。

「たんめーやはるさーんかい、んじゃーてぃち」(おじいさんは畑仕事に行っているから)。座り込む理由を聞くと大抵「おじいさんの代わりにいる」とそっけない返事だった。そして、隣にいる市民団体メンバーを指し「話はあの人に聞きなさい」と言って、自らは語ろうとしなかった。

基地問題が長引くにつれ辺野古集落の住民は分断を深めた。そんな状況に心を痛めながらも、沖縄戦の記憶が彼女らを新基地建設反対へ駆り立てたことは容易に想像できる。しかし、それだけだったのか。大田さんの言葉を反芻するうち、私は今、おばあさんの静かな抵抗の背景に別の理由を考えるようになっている。

今年「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議」が結成20年の節目を迎え、慰霊の日をはさんで沖縄で国際会議を開いた。基地問題について米軍駐留国の女性たちが情報交換するネットワーク。フィリピン、グアム、ハワイ、プエルトリコ、韓国そして沖縄。参加したどの駐留国も、基地を取り巻く歓楽街の存在と性暴力という共通した問題を抱えていた。

キャンプ・シュワブを抱える辺野古も、かつて歓楽街としてにぎわった。米兵たちが町へ繰り出し酒を飲む。そうした中での女性への振る舞いは想像に難くない。歓楽街だったころを「景気が良かった」と懐かしむ男性とは別の記憶が、辺野古のおばあさんたちにはあったに違いない。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。6月30日)