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安倍政権が“忖度”か?──内閣法制局で異例人事(西川伸一)

2017年4月26日5:01PM

異例の官僚人事がまた行なわれた。3月31日付で松永邦男・内閣法制局第一部長が定年退官したのである。

内閣法制局には7人の幹部がいる。総務主幹、四つある部の各部長、内閣法制次長、そして内閣法制局長官である。「七人の侍」と呼ばれる(『大森政輔オーラル・ヒストリー』東京大学先端研牧原出研究室、2015年)。全員が他省からの出向者である。昇進ルートは、総務主幹→審査部(第二部〜第四部)のいずれかの部長→意見部である第一部の部長→次長→長官と定式化されていた。

また、内閣法制局には「四省責任体制」なる不文律が存在する(同『大森政輔オーラル・ヒストリー』)。長官と次長には法務省、旧大蔵省、旧通産省、旧自治省いずれかの省の出身者が就く、という意味である。小松一郎長官(外務省出身)の抜擢人事があるまで、破られることはなかった。言い換えれば、これら4省から総務主幹に出向すれば、やがては長官になることを出向者は予測できた。

こうした人事慣行が制度化する起点である吉国一郎長官時代(1972年7月〜76年7月)以降で、第一部長就任者は松永氏までで17人いる。そのうち次長以上に上がれなかったのは彼以外に2人しかいない。1人は病気療養の休職中の86年1月に死亡した前田正道氏(大蔵省出身)。もう1人は第一部長を最後に88年1月で退官した関守氏(農林省出身)である。関氏は上記4省以外からの出向なので、次長以上にのぼる途はそもそもなかった。一方、松永氏は旧自治省出身であるから、当然有資格者である。それなのに第一部長に据え置かれて無念の定年退官となった。これは何を含意するのか。

長官は特別職国家公務員なので定年はない。一方、次長以下は一般職国家公務員のため定年がある。次長は62歳、それ以外の職員は60歳である。それぞれその年齢に達して最初の3月末日が定年退官日となる。もし松永第一部長を既定の出世コースに乗せるのであれば、1956年10月生まれの彼の定年退官日となる今年3月末日までに次長に上げる必要があった。

また、これまで長官になれなかった次長はいない。そこで、その日までに横畠裕介長官が退き、近藤正春次長が長官になる人事も不可欠だった。ちなみに、横畠長官は次長時代の2014年3月末日に定年退官日を迎えた。しかし、病身の小松長官を支えさせるとの理由で政権が同日に定年の1年延長を決めた。その後同年5月に小松長官は退官し、横畠次長が後を継いだのである。

さて、近藤次長は56年1月生まれなので、2018年3月末日が定年退官日。ということは、その直前まで横畠長官の留任が数字の上では可能になった。仮にそれまで続投すれば、横畠氏は4年近い長期在職となる。横畠氏からさかのぼって10人の長官の在職期間をみると、宮礼壹長官(在任06年9月〜10年1月)の3年4カ月弱が最長だ。横畠氏は次長として小松長官を補佐し、次いで長官となって安保法案成立に貢献した。その「ごほうび」として、政権が「忖度」した人事なのだろうか。

今回の人事は3月29日付『読売新聞』がまず報じた。『産経新聞』と『毎日新聞』は31日付だった(『朝日新聞』は未掲載)。この時差も興味深い。

(にしかわ しんいち・明治大学教授。4月14日号)

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