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米国大統領の広島訪問とは何だったのか――オバマ演説の「光と影」

2016年6月13日11:48AM

献花後、演説に臨むオバマ大統領。5月27日、広島平和記念講演。(撮影/浅野健一)

献花後、演説に臨むオバマ大統領。5月27日、広島平和記念講演。(撮影/浅野健一)

バラク・オバマ米国大統領は5月27日、初めて広島を訪問した。オバマ氏は平和記念資料館を10分訪れた後、慰霊碑に献花し、約十数秒間黙祷したが、頭は下げなかった。筆者は慰霊碑の西側で取材した。

「71年前の雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった」。オバマ氏にしてはゆっくりした口調で演説は始まった。「(広島に来たのは)10万人を超える日本人の男性、女性、子どもたち、数千人の朝鮮人、そして12人の米国人を追悼するためだ」。

オバマ氏は「我々は、私が生きている間にはこの目標(核兵器の完全廃絶)を実現させることはできないかもしれないが、絶え間ない努力で破局の可能性を減らすことができる」と強調した。当初数分とされていた演説は17分間に及んだ。

オバマ氏は日本原水爆被害者団体協議会の坪井直代表委員に歩み寄り、手を握りながら話に耳を傾け、原爆の犠牲になった米兵捕虜を調査した被爆者の森重昭さんをハグした。その後、原爆ドームを見上げて広島を去った。平和公園での滞在はたった52分だった。

演説は格調高く、哲学的だが、用意された原稿を読み上げただけだった。本来は被爆者と対話して、資料館をじっくり見学した上で、所感を述べるべきだった。

オバマ氏の後ろに、「核のフットボール」と呼ばれる核攻撃命令の暗号を収めたブリーフケースを手に、将校がいた。平和公園が汚された。平岡敬・元広島市長は民放テレビで、「原爆は空から降ってきたのではなく、米国が投下した。原爆を使った過ちを認めることから未来を語るべきだ」と述べた。

オバマ氏が朝鮮半島から日本へ徴用などで移り住んだ人々が犠牲になったことに言及したのはよかった。広島で死亡した朝鮮人被爆者は5万人とされる。

2009年のプラハの広場では大群衆の中でオバマ演説が行なわれた。しかし、この日、公園に入れたのは招待者約100人(被爆者は4人)と約600人の報道関係者だけで、熱気のないセレモニーだった。「8・6平和記念式典」では1万1000席が用意される。

米国は世界中の核弾頭約1万5000発の7100発(約47%)を保有する。オバマ氏はノーベル平和賞を受賞した後、核兵器とその運搬手段の最新化のため、今後30年間で1兆ドル(約110兆円)の予算を承認した。核で世界を威圧する米軍最高司令官が自分の生存中に核廃絶はできないだろうと、他人事のように論評したのは残念だ。オバマ氏は大統領の任期中に、「核兵器禁止条約」の実現可能性を真剣に検討するなどの勇気を持ってほしい。

「米国の核の抑止力」に頼る安倍首相が終始横にいて長々と演説までしたのは不適切だった。被爆者代表と広島市長が同行すべきだった。

オバマ氏は米海兵隊岩国基地で米兵3000人を慰問した後、広島入りした。基地では、「みなさんが地域の平和と安定を守っている。日米を世界最強の同盟にする」と演説した。元海兵隊員の軍属による沖縄女性遺棄事件のことは頭になかった。オバマ氏は岩国基地訪問のための2時間を広島で被爆者との対話のために使うべきだった。(浅野健一・ジャーナリスト、6月3日号)

【覇権を求める大国のエゴ】

わずか10分足らずの原爆資料館訪問。用意された被爆遺品から12歳で逝った「サダコ」が病床で折った鶴をじっと見つめる大統領。

「実は折り鶴を持ってきました」

突然、そう切り出したオバマ。去り際に、自ら折った「折鶴」を記帳した芳名録のぺージにそっと、置いた。

日系三世の筆者の母は、この町で被爆。人間の尊厳を吹っ飛ばしたのは自国アメリカの爆弾。廃墟の一角で、混乱する自らに問い続けた酷い記憶の数々は終生語ることなく、「ヒバクシャ」であることを隠し通した。5月27日夕刻、オバマ氏広島到着の一報が、友人のそっと差し出してくれたイヤホーンから私の耳の奥に届いた時、さすがに胸がこみ上げた。元安川のほとりに佇み、オバマの演説を万感迫る思いで耳を傾けた。

彼の口調はいつになく静かである。71年の歳月を経て、17分以上にも及んだ演説は、核なき世界への決意のほどがひしひしと伝わっていた。「科学の発見によって、人々は海を越えコミュニケーションができ、雲の上を飛び、病を直し、宇宙への理解もできるようになった。だがその一方、より効率の高い殺人機をも生み出しているのだ」。

こうして「光と影」を巧みに融合させるのはオバマの特徴である。さらに彼は、宗教観にまで言及。すべての偉大な宗教において「自分の宗教の名の下で殺戮を肯定する信仰者が歴史的にも存在すること」を認めた。だが、その宗教は国家の戦争を正当化するために利用されてきた事実には踏み込んでいない。もっと言えば、広島・長崎の犠牲者のみならず、すべての戦争犠牲者を追悼した一方で、国家的指導者達の戦争責任を追及することはなかった。

2009年4月、チェコ・プラハ。核兵器を使用した唯一の国の大統領による、核軍縮を訴える演説は世界の人々を感動させた。以後、戦略核兵器削減条約(新START)をロシアとの間で結び、彼の描く方向に世界は流れるかのように見えた。包括的核実験禁止条約(CTBT)への批准も然りである。だが、実現することはなかった。

一方、テロ集団による核物質の入手阻止をめぐる核安全保障サミット開催の業績も残した。こうしてみると、核軍縮を推しすすめようとした彼の姿勢に偽りはない。だがしかし、アメリカをはじめロシアは大量の核を保有する現実。さらには、新型長距離巡航ミサイル(LRSO)の開発を進め、今後30年間で1兆ドルの予算を承認したオバマ。さきごろ開かれたスイスでの国連核軍縮作業部会においては、非核保有国が求める核兵器禁止条約の制定に反対。会議をボイコットしている。これがオバマ政権の実体であり、覇権を求める大国のエゴが透けて見える。

原爆ドームを背に、深い哲学に裏打ちされたオバマ大統領の演説は、多くの日本人の心を捉えたにちがいない。だがその背景にはこのような「影」も潜むことを忘れてはならない。

ほぼ閉ざされた道半ばでの任期終了が迫る中、オバマ自身が考察し続ける人間の内に潜む残虐性そして戦争の長い歴史に言及、さらには自身の生存中、核兵器なき世界は実現しないかもしれない、と消極的に語る。最後に「広島・長崎は核戦争の始まりではなく道義的な目覚めの始まり」であると締めくくり哲学者の片鱗も見せた。

「王は哲学者になるべきである。さもなければ人類の不幸はなくならない」――古代ギリシアの哲学者プラトンの名言を、想起させる広島訪問となった。(マリィ タナベ・ジャーナリスト、6月3日号)

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