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育鵬社版の中学校社会科教科書を読んでみた

横浜と大阪両市の教育委員会が選んだ、2016年度から市立中学校で使う社会科教科書(歴史、公民)はどのような内容なのか検証する。

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歴史──衣の下の鎧、「大国主義」を遂に押し出してきた(高嶋伸欣)

育鵬社版の見本本が、日本教育再生機構を通じて販売されている。以前のように市販本の体裁を取らず、見本本そのものを販売するという、新たな手法だ。この点について、同機構の八木秀次理事長は「今回からそのようなことが可能になった」と強調している。「育鵬社版歴史・公民教科書出版記念&採択に向けた集い」(5月13日)の冒頭発言でだ。

文部科学省による採択向け活動の規制では、教育委員会関係以外の公立学校教員への見本本の無料配布を禁じている。一方で、見本本の販売を禁止する規定がないことが以前から判明していた。その盲点を今回突いた形だ。

だが同時に、これで同機構は見本本の販売・普及活動の当事者となり、独占禁止法による公正な販売競争の規制対象に含まれることになった。4年前の採択直後から機関誌『教育再生』を通じて「次の採択戦はすでに始まっています」と会員に呼びかけ、他社本批判を繰り返してきた事実がある。これまで「同機構は販売・普及活動の当事者ではない」としてきた公正取引委員会の見解も、今回は通用しない。公取委が試される番だ。

八木氏たちの不用意さはそれだけではない。歴史教科書本文に、そのことが表れている。同書は全6章、85テーマで構成されていて、その最終テーマ「日本の現状とこれから」の本文末尾が、新たに次のように締めくくられているのだ。

「世界の中の大国である日本は、これからもすぐれた国民性を発揮して、国内の問題を解決するとともに、世界中の人々が平和で幸せに暮らしていけるよう国際貢献していくことが求められています」と。

   原始・古代から日本は“大国”だった?

「世界の中の大国である日本」などという表現が、とうとう登場した! 同書31・33頁にはコラム「世界最大の墓・大仙古墳(仁徳天皇陵)」「古墳は『語る』」がある。面積では、クフ王のピラミッドや始皇帝陵よりも仁徳天皇陵が上回っているという。すでに現行版から登場している記述だ。まるで「世界一長い海苔巻を作ってギネス登録に成功した日本はスゴイ!」と自慢しているようなもの、と笑われていたものだ。ピラミッドや始皇帝墓のような立体的な構造物を築く技術が未熟で、平面の規模を大きくするしかなかったことは、小学生でも容易に気付く。

その物笑いの記述が、今回さらに強調した形で再登場した。日本は古代から「世界の中の大国」であったのだ、と印象づける意図が読める。

さらにその意図を増幅させているのが、縄文時代を、「世界4大文明」に匹敵するものとイメージづけしている記述だ。現行版の2頁分が6頁に拡大された。八木氏も、5月13日の集会で「今回は縄文時代が一つの特徴だ」としている。金属器の使用が遅く、記録も中国などの文字史料などに依存するしかない時代を、ここまで無理に誇示している。原始の時代から日本は「世界の中の大国」だった、と思わせたいためだろう。

26頁の「文明のおこり」では、本文冒頭に「わが国が縄文時代の時を刻んでいるころ、アフリカ・アジアの大河の流域では」云々とある。紀元前3500年頃を語るのに早くも「わが国」としている。現行版では「日本が」だがどちらでも、国家意識丸出しであることに変わりはない。

それでも、八木氏は「縄文時代から日本の文明が始まっている」とした上で「外から文化や文明を受け入れて」いる、と先の集会で発言した。海外からの進んだ文化や指導を受け入れて進歩が生まれた、と認めたものだ。しかし、同書215頁には「三・一独立運動」の写真に「女学生がソウルで行ったデモ行進」との説明をつけている。現行版にもあるこの写真説明に対して、韓国の市民団体から、「女学生ではなくキーセンのインチョン(仁川)での行進」であるというのが現在の韓国歴史学界の結論、という参考資料が育鵬社に昨年中に渡されている。

韓国などからの働きかけを「韓国の圧力」視によって、切り捨てての誤記継続だろう。ここにも「世界の中の大国である日本」のおごりの一端が垣間見える。衣の下に隠されていた鎧の「大国主義の歴史観」を表に遂に掲げるまで増長したのが育鵬社版歴史教科書だ。

安倍政権の「戦争法」制定と軌跡を一にした同書の普及、採択は世論の力で食い止めたい。
(たかしま のぶよし・琉球大学名誉教授。文部省の検定の違法性などを問う「高嶋教科書訴訟」(1993~2005年)の原告。2015年6月5日号)

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公民──憲法改正に向けての動きを作り出すツール(山口智美)

育鵬社版の公民教科書は、国家に貢献できる人材づくりを目指したものだ。そして、前回検定版にも増して、改憲に向けての動きを作り出そうという狙いが明白な作りである。

冒頭で「グローバル化」を扱うが、そこでは国の歴史、伝統、文化を踏まえた存在こそが「グローバル人材」であると定義づけられる。その主張を強化するために、曽野綾子氏の「よき国際人であるためには、よき日本人であれ」という文章が掲載されている。他の章でも、愛国心や国家への意識の重要性が強調されている。

日本国憲法の解説として「国民主権と天皇」と題された節があるが、その中に「国民としての自覚」という項目を新設。「国民」の(権利ではなく)義務と責任を強調している。同項のコラムには、東日本大震災の被災地で黙祷する天皇皇后の写真とともに、「日本の歴史には、天皇を精神的な支柱として国民が一致団結して、国家的な危機を乗りこえた時期が何度もありました」と書かれている。別の東日本大震災についての頁も「自分を犠牲に住民守った公務員」や「感動与えた日本人の秩序」など、国家への自己犠牲を賞賛し、ナショナリズムを煽る内容だ。

改憲に関連する記述が多いことも特徴だ。「憲法改正のしくみ」については、今回「主な国(二院制)の憲法改正要件の比較」という表も追加された。基本的人権に関しても、社会秩序を優先し、個人の権利や自由の行使が制限されることもあるとし、集会・結社の自由の制限などの例を挙げる。また、新たに「政府の仕事」に追加された「国民を守る防災・減災」では、災害時の危機管理システム構築の重要性が強調される。現在改憲派の最優先項目といわれる「緊急事態条項」の導入に直結した内容といえるだろう。

また、環境権などの新しい人権を憲法に明記すべきという考え方があるとも書く。さらに国防の義務が日本国憲法にないことが珍しいということも、繰り返し主張され、「平和主義と防衛」という節では、有事への備えが現在の法律では不十分と述べ、中国や北朝鮮の軍事的脅威が強調される。改憲派が主張していることがもれなく盛り込まれている。

   さながら“安倍晋三ファンブック”

育鵬社の宣伝誌『虹』によれば、今回の教科書の最大の特色の一つが「人生モノサシ」という図だ。「学校教育の時代」「社会人の時代」(結婚を含む)「親の時代」(出産・子育て・家庭教育を含む)「高齢期」という人生のモノサシが示されている。結婚や出産、子育てが前提となった画一的なモデルだけが提示され、多様な生き方という視座はない。

執筆陣は全員男性だ。男女共同参画社会の説明は、基本法の定義とは乖離。「男女のちがいというものを否定的にとらえることなく、男らしさ・女らしさを大切にしながら……」という記述もあり、「夫婦同姓制度も家族の一体感を保つはたらきをしていると考えられています」と説明されるなど、家族の一体感や維持の重要性を強調。改憲派の提案する「家族保護条項」に直結した内容だ。

領土問題については、約4頁にもわたり日本の立場のみが詳細に示される。辺野古への米軍基地移転は地元への「負担軽減」という解釈も、政権の立場に偏った記述だ。

また、人権や差別問題に弱いという本教科書の特徴は、「人種差別」を海外の問題と位置づけ、「社会権」は外国人に保障されるものではないなどとの定義づけにも。ニートは「学校に通わず就職もしない」と自己責任であるかのように描かれ、社会構造の問題という視点も非常に弱い。

他にも、たとえば村上和雄氏の「遺伝子の世界と『サムシング・グレート』」と題するコラムが残ったが、これは反進化論「インテリジェント・デザイン」論と近い考え方で、非科学的という指摘もある。ちなみに、史実にはないとして保守陣営内からの批判もある「江戸しぐさ」は、検定合格後に削除されたという。

「日本がもっと好きになる教科書」を謳うが、あくまでも安倍政権が理想とする「日本」を好きになれ、というものでしかない。そして、これは「安倍晋三をもっと好きになる」ための教科書だ。掲載された安倍氏の写真は15枚に及ぶ。「安倍晋三ファンブック」と化している本教科書だが、政権の目指す改憲のためにはこの上ないツールと見なされるだろう。この動きは止めなくてはならない。
(やまぐち ともみ・米国モンタナ州立大学 社会学・人類学部教員。専門は文化人類学、フェミニズム。2015年6月5日号)