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中嶌哲演・原告団長の意見陳述書(大飯原発差し止め控訴審)

2014年12月4日4:22PM

11月5日、裁判の方向集会で訴える中嶌哲演・原告団長。(中央、撮影/伊田浩之)

11月5日、裁判の方向集会で訴える中嶌哲演・原告団長。(中央、撮影/伊田浩之)

(1)立地住民である小浜市民らの不安の声

 私が住職をしております明通寺は大飯原発から16キロメートル、全市民が居住する小浜全市域は20キロメートル圏内にすっぽり入ります。私たち小浜市民は40余年にわたり、有権者過半数の署名運動などに上って小浜原発等を拒否し続けてきました。

しかし、大飯原発から10キロメートル以内の住民分布中約7割を占めながら、実質上の地元住民としてその建設・増設には関与できませんでした。かれこれ30年前の、大飯原発3・4号機増設に強く反対していた小浜市民の切実な声の一部をお伝えします。

●子ども、孫の代まで一生死刑宣告を受けたのと同じである。とにかく止めることをおねがいいたします。
●これ以上の増設は絶対反対、家の二階からよく見えて事故なきを毎日祈り居る状態です。
●二児の母として断固反対します。
●さけびたいほど反対です。これ以上デンキをおこさないでも昔の様にはたらくとよろしい(七八歳の老婆)。
●原発を持たぬ都会でのムダ使いを何とかならぬものか!
●何年か先、いろんな困ったことが出てきて、その時になって子や孫からこれを許した我々が、どれだけ恨まれることか、謝ってすむような単純なものではないと思う。

また、「大飯原発の不増設を願う若狭の仏教者有志」が、当時の大飯町内に新聞折り込みしたチラシの中で次のように訴えました。

「…<黄金の光>は、私たち人間の弱い心を引きつけてやみません。/巨大な危険性とひきかえの、大飯原発3・4号機増設に伴う交付金や協力金も、その例外ではないようです。/しかし、その光の及ぶ範囲は狭く、時は短いのではないでしょうか。その光の届かぬ先は、深い闇が私たちをのみ込もうとしているかもしれないのです。/一方、私たちの人間としての<良心の光>は、透明で、まことに無力に見えます。が、その光の及ぶところは広く、長いのであります。/先祖代々守り続けてきた、美しい若狭の海は、私たち地元住民だけではなく、広く関西や中京方面の都市住民にも、大きな恵みを与え続けています。その<真実、自他共に生かされ、生きる道>を、最愛の子どもたちや孫たちに伝えて行こうではありませんか。」と。

(2)不安を現実化した福島原発事故,そして事故を踏まえた歴史的一審判決

 私たち小浜市民の予感は、30年後に過酷な「福島原発震災」として現実化してしまいました。福井地裁判決は、「250キロメートル圏内に居住する住民」の大きな不安と請求に応えて、「大飯原発3・4号機の原子炉を運転してはならない」と言い渡したのです。

「250キロメートル圏内」の根拠を、樋口裁判長は必ずしも反対派の科学者や住民の主張でなく、チェルノブイリと「フクシマ」の現実や、「国策民営」の原発推進を補佐してきた専門分野のトップの証言に求めていることを銘記するべきでしょう。原子力委員会の近藤駿介委員長は、2011年3月の事故時に、最悪のシナリオとして「避難区域が250キロメートルに及ぶ」ことを想定していたことが開示されたのは、なんと翌年2012年1月のことでした。さらに、判決後には東京電力の吉田昌郎福島原発所長の証言「われわれのイメージは東日本壊滅」が公表されたことにも留意しなければなりません。

例えば、大飯原発3・4号機がもし再稼働すれば、1年間でその原子炉内(使用済み核燃料中)に広島型原発2000発分の「死の灰」を新たに生成、蓄積することになるという科学的な事実。それ故にこそ「五重の壁」も必要なのだという工学的な事実。さらに、火力発電所のように大電力消費圏にでなく、過疎地域に原発は立地・集中されてきたという歴史的・社会的な事実。麻薬的な巨額の交付金等が地元に供与されてきたという経済的な事実。―これらの基本的な事実を、「フクシマの過酷な現実」とともに、貴裁判所に先ずは認定していただくことを願うものです。また、「控訴理由書」で、相変わらず安全神話を前提とした、事業者や行政の旧態依然とした「科学的、専門技術的知見」に偏した事実認定を求めている被告には、これらの事実に対する深い反省を願わずにはいられません。

(3)貴裁判所に求めること

 この半世紀間に、若狭湾沿岸は15基もの世界一の原発密集地帯になりました。が、その全ての原発に対して、若狭の住民・福井県民は抵抗し、反対運動を展開してきました。14・15基目の大飯原発3・4号機の増設時には、県内外から集まった2,600人の集会・デモを、40数台の機動車、1,900人もの機動隊員と警官隊が制圧、4人の公務員を不当逮捕しました。同日開かれた名ばかりの「公開ヒアリング」会場では、増設と引き換えの99億円の交付金や町内全家庭の電気料金割引等の問答が交わされていたのです。 経済成長・繁栄を支えた原発の「必要神話」と、科学技術上のお墨付き信仰の「安全神話」は、立法・行政・司法の三権をはじめ、大多数の国民にも幻想を与えてきたのではないでしょうか。

「フクシマ」を受けて250キロメートル圏内の住民の「人格権」を何よりも優先すべきという原判決に感謝していますが、いま一歩踏み込んで、「原発マネー・ファシズム」によって「国内植民地化」された立地・周辺住民の「人格権」、特にそれに包含される「自由」(言論、集会、署名等の)が、遠隔の電力消費圏の住民のそれと同じように「平等」に担保されてきたのか、私は疑念を禁じ得ません。その「自由」の抑圧と束縛こそ、人格権の根幹部分である「生命と生活」を脅かし、奪いつくした「フクシマの現実」に帰結しているように思えるのです。

すでに累計54万人を超えた被爆労働者、放射能災害弱者の子どもたち、「死の灰」の巨大なツケを回される未来世代、海外輸出などへの倫理的責任も、貴裁判所は厳しく問い直していただきたいと思います。

(4)傾聴すべき碩学の警告

「福島原発震災」の引き金となったのは、1000年に一度(平安時代の貞観地震)の大地震・津波だったと言われています。地元若狭においては、多くの歴史地震が記録され、伝承されています。

「…その土地全体が人々の大きな恐怖と恐懽のうちに数日間振動したのち、海が荒れて、遠くから甚だ高い山とも思われるほどの大波が怒り狂って襲来し、恐ろしい轟音を立てて町に襲いかかった。そして、殆んどすべてを破壊して荒廃させてしまった。」(「イエズス会日本書簡集」より)

この1586年の天正大地震・津波にかかわる記録に登場する「若狭の町」が、高浜原発が立地するそれであるか否かは、文科省が今春行った津波痕跡調査の結果公表を待たなければなりません。島ごと海没し、40mの津波が襲ったと伝承される大宝(701)年間の大地震、三方湖畔の隆起・陥没で11集落が水没した寛文(1662)年間の大地震など、若狭湾沿岸の原発群と決して無縁ではないでしょう。

世界有数の地震列島が地震の静穏期から動乱期に突入していると、地震学者の石橋克彦氏は警告しています。「基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的な見通しにしかすぎない」という原判決が真摯に検討され、深められることを願わざるを得ません。

(5)国富の喪失を防ぐには、原発停止こそ最善であること

 被告の関西電力は、再稼働を急ぐ理由として、電力不足から「国富」の流出・喪失(火力発電所の燃料費等)へと軸足を移しています。しかし、「国富の流出・喪失」の最たるものは、福島原発震災がもたらしている広汎な対策費ではありませんか。東京電力は国費の支援なくして経営破綻をまぬがれません。被告が同じ轍を踏むことは断じて許されません。

再稼働のための膨大な対策費、稼働後に「第二のフクシマ」が連発した場合の巨大なリスク・コストを考慮するならば、関西電力の健全経営そのもののためにも、速やかな廃炉決断と善後策にとりかかる方がはるかに賢明ではないでしょうか。しかも、世論調査ごとに再稼働に反対している6~7割の一般消費者・国民が、必ずや共感し、支持することでしょう。

一方、原発立地・隣接自治体(住民)の原発依存経済からの転換・脱却についても、私たち小浜市民有志は次のような提言も行ってきました。

●過酷な被災の後だったとはいえ、福島県は「原子力に依存しない、安全・安心で持続的な発展可能な社会つくり」を決断し、国も法的・財政的な支援をすでに始めています。
●福井県も自ら原発震災を被る前に、福島県をモデルにするべきでしょう。再稼働・延命存続のための巨額の予算と、脱原発に資する諸事業への少額の予算の配分を逆転させましょう。
●かつて国の基幹エネルギーとして石炭から石油へ転換した際に、「産炭地域振興臨時措置法」(1961-2001年)を制定・施行したことも再検討しましょう。
●原発の後始末や原発に依存しない地域つくりを試みている海外の先行事例も参照してみましょう。
●地元の草の根から原発にたよらない方途を模索している若い世代を支援しましょう。
●原発電力の「消費地元」たる関西大都市圏なども、原発の永久停止を条件に、合理的な電気料金値上げも含めて、脱原発への具体的で速やかな方策にとりかかりましょう。(2012年12月「若狭の原発を考える-はとぽっぽ通信」第190号より)

その後2013年10月に、福井県は国内の原発立地県に先駆けて「廃炉・新電源対策室」を県庁内に立ち上げ、海外の先行例を視察し、「安全協定」の廃炉版の具体化に着手しようとしています。その初歩的な方針の中に、「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」という原判決の魂を、私たち県民も吹き込んでいく必要があります。

現在、再稼働を認めないような福井県知事に求める県民署名運動が県下の全17市町でとりくまれています。住民自治・地方自治の本領を私たちは取り戻さなければなりません。

(6)おわりに‐金沢司法の輝かしい伝統を

 かつて国策としての戦争を推進した軍国主義政権は、「ヒロシマ」の惨禍をあびても敗戦を認めようとせず、「ナガサキ」後に降服せざるを得ませんでした。その戦争にも長い加害の前史があったように、「フクシマ」も決して一朝一夕に引き起こされたのではありません。「原子力ムラ」の根本的な責任は厳しく問わなければなりませんが、関東首都圏や関西圏の大電力消費のために遠隔の過疎地の福島や若狭に超危険な原発群を押し付けてきた、その差別的な構造そのものを温存したまま、再稼働や延命存続をはかることはもはや許されないのではないでしょうか。

平常時の1万倍もの放射線被爆を地元・周辺住民に余儀なくさせるまで避難させない防災計画を前提に、再稼働への動きが加速しています。「第二のフクシマ」を持たなければ、被告をはじめ、立法府も行政府も、廃炉-脱原発を決断できないのでしょうか。国民もまた、かつてのように総懺悔を繰り返す日まで、「第二のフクシマ」の到来を待つのでしょうか。

裁判長、福井地裁の原判決がかかげた司法の良心を引継ぎ、さらに前進させ、深めて、どうか事業者や原子力行政、多数派がおごる立法府の暴走に歯止めをかけてください。

この金沢は、フクシマ以前の一連の原発訴訟において、住民・国民側の勝訴判決(志賀原発差し止め訴訟ともんじゅ無効確認訴訟)を二度とももたらした唯一の地であります。フクシマ後において、金沢地裁と名古屋高裁金沢支部の両判決の意義はより一層光を放っています。

世界一の原発密集地帯の深まる闇の中で、福井地方裁判所は、国民的な共感と勇気を与える大光明を点じました。この北陸のゆかしい古都・金沢で、三度(みたび)、真に未来世代へ遺し得る貴裁判所の審理と判決を迎えられるよう切望しまして、私の意見陳述を終わります。

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11月5日の報告集会の動画はこちらです。

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