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【ネット初掲載】鎌田慧の痛憤の現場を歩く「冤罪・袴田事件(下)」

2014年4月4日7:01PM

袴田事件の一刻も早い再審開始と、袴田巌さんへの無罪判決を願い、問題点がよくわかる2007年の記事を著者の了解のもと、連続で掲載します。
(年齢や年数表記などは初出の2007年当時のままです)


袴田事件の元裁判官、熊本典道さんインタビュー

「無罪だと確信している」

 

 袴田事件の静岡地裁判決書には、異例なことに、「付言」がある。

「本件捜査のあり方は、『実体真実の発見』という見地からはむろん、『適正手続の保障』という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する」

 捜索令状に記載されていて、捜索されたものの、なにも発見されなかった味噌タンクのなかから、なぜか、一年二カ月もたってから、ズボンなど五点の衣類がはいった麻袋が発見された。それまでの自供を撤回させて、犯行着衣を衣替えさせる、というやりかたは、あまりにも横暴なやりくちとして前段で批判されている。

 判決本文はもっと厳しく、警察官の調書二八通、検察官の調書一七通のうち、四四通が「任意にされたものではない疑いのある自白」として職権排除され、憲法三一条が定めている「適正手続の保障」がなされていない憲法違反、と断定されている。にもかかわらず、検事調書の一通だけは、「適正手続き」と認められ、死刑宣告をささえるために使われた。これまた異例である。

 判決のあと、石見勝四裁判長(当時)は、
「捜査方法は法の精神にもとり、憲法三八条違反の疑いもあり、無法者同士の争いとして大いに批判され反省されるべきである」
と言い添えた。警察官ばかりか検察官まで、「無法者」にされたのだから、これも前代未聞である。

 それから四〇年がたって、三人の裁判官のうちのひとり、判決文を書いた熊本典道さん(六九歳)が、「無罪判決にするはずだった」と告白した。これも例のないことで、死刑の判決文にこめられていた良心が、いまになってようやくはじけたかのようである。

 地裁裁判官が、あたかも「奴隷の言葉」によって書いた「死刑判決」は、高裁や最高裁をそのまま通り抜けた。袴田巌さんは、日夜執行を待つだけの、死刑確定囚として幽閉されている。この不条理のドラマは、なぜ成立したのか、二〇〇七年三月下旬、話を聞いた。
   *   *   *
――袴田事件とのかかわりは……。

「袴田事件と直接かかわったのは、六六年一二月二日の第二回公判からです。その少し前に福島地裁から静岡地裁へ転勤したんです。そのとき私は、石見(勝四)裁判長に、まったく静岡ははじめてだし、この事件ももちろんはじめて。もう一回最初の罪状認否からやってくれと言って」

――そのときも袴田さんは否認したでしょうけれど、どんな表情で、それをみて、どう思われたんですか。

「よく覚えています。低すぎはしないけれども低い声で、『私はやっておりません』。ムキになったでもなく、それだけなんです。そうしたら石見さんが、もっと聞きたそうな表情で。その日が終わって、地裁の法廷の後ろに三人用のイスがあるんですよ。そこに座って『石見さん、これはわれわれ三人が裁かれているような気がしますけれどね』と言ったら、『うん、そうだな』って。本当に印象的で覚えています」

――その日も認否だけで閉廷したわけですね。第一回とおなじように。

「はい。書記官に聞いたら、前とまったく同じ、あんな調子ですよって。法廷が終わって、裁判官室にもどったら、第一回の法廷に入った吉川裁判官が私を訪ねてきて、熊本さん、あの事件、難しいよと言った。

 自民党の代議士で、島田事件などの弁護士をやった鈴木信雄先生が突然私を訪ねてこられて、『熊本さんってあなたですか。東京にいたとき、えらい活躍したそうだね』。

『いや、検事にいじめられましたよ』『静岡はね、二俣事件をはじめとしていろんな事件があってね』『聞いています』『昼から予定ないですか』『ありません』『じゃあ飯を食いに行こう』

 鈴木先生が町の中心にある中島屋に連れていってくれて、夕方に、一回役所に帰らなきゃいけないというころまでビール等を飲みながら、静岡の刑事事件の歴史、刑事弁護の歴史を話してくれた。『あんたを見込んでだけど、三年は静岡にいるんだろうからがんばってくださいよ。静岡はいろいろなインチキな警察官が相当多いからな』といわれて」

――石見さんは何歳ぐらい上の裁判官だったんですか。

「息子さんが私と同じぐらいだった。東京でもそうでした。私が判決を書いたときが二九歳だから、その一年半前で二七、八歳ぐらいか」

――むこうは五〇すぎぐらいですね。

「大体みんなそう。東京の裁判長も娘さんの年が私といっしょで、見合いしろと言われたこともある。高井吉夫裁判官は三四、五歳ぐらいでしょうかね」

――第二回の公判がはじまったとき、石見裁判長には少し慎重にしようという思いがあったわけですね。

「私が主任で行ったから、おそらくある種の安心感を持ったんじゃないかと思うんです」

――裁判はどうはじまったんですか。

「特徴的なのは、石見さんは証人尋問を、一言一句メモするんです。私は証人尋問の間は一切メモをとらない。話をじっと聞いて、顔をじっと見て。見ていると表情がわかる。当事者から異議とかいったときに、誘導尋問かどうか、すぐ判断できる。それで石見さんは私に任せておいて」

――なるほど。そうすると石見さんはかなり慎重な人だったんですね。

「そう、そう。古き良き時代の戦後自由な裁判官。官僚臭もないし、きばった片意地張ったような人でもないし、来た事件を淡々とやるタイプ」

     報道が裁判長をミスリードした?

――第一審の判決文は、はじめのほうに、袴田さんにたいする取り調べが、「適正手続の保障を定めた憲法三一条にも違反する取調である」という無罪判決のトーンで始まっていますよね。

「もちろんそうですよ」

――そのあと、とって付けたように有罪主張になっていくんですよね。どうして急に逆転しちゃったんですか。

「本当は逆転じゃないです。私は合議の前に無罪の判決を書いていました。三六〇枚ぐらい。そのときは有罪は高井、無罪が石見、熊本。二対一でこっちが勝ちだと思った。それで合議を始めました。そのうちに、高井の一は変わらない。石見さんの一がどっちに転ぶか。信憑性のある検事の自白調書が一つ残っていると言いますが、あれもだめです。そうすると自白調書ゼロ。そうすると何が残るかというと、何も残らないんです。自白には任意性と信用性がなければならない。

 丸二〇日間、なんで何回もしつこく調べなきゃいけないんだろうか? ということは、物証がなかったからだろう、と私はそう推論した」

――判決文にも「連日執拗に」と書いていますよね。

「そうです。二〇日間いっぱい調べる、しかも起訴後の調書でしょう。どう考えてもおかしい。他に決定的な証拠がない。もうそのときに結論は決まっていました。有罪にはできないという」

――石見裁判長はどうして変わったんですか。

「二つあると思います。一つは新聞等が連日、連夜、『極悪非道』と決めつける。むちゃくちゃですよね」

――「血ぞめのシャツを発見」などとデタラメですね。

「あれを夕刊、朝刊で見てご覧なさい。それからテレビ、ラジオ。裁判官が朝昼晩まじめに見るでしょう。影響がないといえば嘘です、絶対」

――でも、そういう俗情というか、世情というか、世論と違ったところにいるのが裁判官じゃないですか。

「いや、人間だからそうはいきませんよ」

――高井さんの心証は、なぜクロがチラチラしていたんですか。

「確かに忙しいのは忙しいんですよ。主任にならないと『イチ抜けた』という、これが実態。今でもそうだと思う」

――主任と裁判長ががんばればいいんだけど、裁判長自体もあまりにも善良で、がんばりきれなかった。

「一つは新聞記事。もう一つは、自白があることに対する特異な雰囲気、妙な威圧感、そういうものは今の裁判官でもありますよ」

――いったん自白があがると安心するわけですね。

「そう。正確に言うとよりどころ。屁理屈の理由づけになります」

――一通だけを任意性と信用性があると判断したのは、とにかく一つの調書を認めないと有罪だという論拠が成立しないから、それを使った?

「それはそうですよ。同じ日のポリ(警察)の調べはおかしくて、検事になってからはおかしくないなんて、そんなバカなことはないです。だからそれはおっしゃるとおり」

――裁判長は結局、世論の力に負けて、じゃあ、これ、有罪にしようというふうに言ったんですか。

「いやいや、ちがう。そういわれると、それは本当に、裁判に対する誤解だと思う。あれは私がいちおう形の上でもっともらしく有罪判決をとりつくろった文章でしてね」

――それはよく表れています。

「でも鎌田さん、それらしききちんとした理路整然とした判決。だけど誰かわかってくれないかな。要するに、二兎を追う者は一兎も得ずで」

     自らの死に場所を探したこともある

――その矛盾を高裁は理解できなかった。

「控訴審の裁判長になった横川敏雄といえば、岸盛一とならぶ刑事裁判のエースですよ。それで私は気づいてくれると信じて、安心してました」

――高裁判決は、原審判決の作成について、法令違反があると弁護人は主張するが、「記録を精査しても(中略)所論のような事実があつたことを認めるに足りる証拠はない」と書いています。だから熊本さんが、バレーボールの球みたいにあげておいたんだけど、高裁はそれを打たなかったんですね。法令違反はないというふうに言い切ってしまうしか、原審を支持できない。

「それも屁理屈。そうなっているのか。まだ見せてもらっていないので」

――一審の判決文は、無罪の論理構造の上に有罪、「死刑」の主文がはいっている。鉄筋の土台の上に、急ごしらえのバラックを建てた。「無罪」と書いておくだけで、ご自分のつくった建築物はちゃんと機能したじゃないですか。

「私がなぜそうしなかったかって? だけど、私はしたくないんですね。有罪にできないんだ」

――でも主文は死刑、と書いてあって有罪と書いてあるわけですから。

「二審、最高裁、私の書き方でみんな引っかかったんですよ」

――有罪判決はまだそのまま維持されているわけです。高裁や最高裁は疑問を持ちながらでも、事実はいまだそのままなっているのですからね。

「だから今回オープンにしたんです」

――告白されたことを前提に聞きますが、なぜあのとき(無罪判決を)出せなかったのでしょうか。やはり法曹界というか、裁判所自体の問題なんですか。

「それは私自身の問題ですね」

――三人の裁判官がいるわけですから、本人だけがかぶるわけにいかないじゃないですか。

「だけどかぶるしかないですよ。数字的に言うと私は三分の一の責任だが、それを私は四〇年間背負ってきたんです。まだ背負った責を離したわけではありませんよ。今回の告白は、心理的、精神的な解放のきっかけだと思います。私の責任は絶対一生消えないと思う。けれど、その重さと袴田君の背負っている重さと比べれば質的に違うし、私が今後どれほど彼に何をできるかということ、それでも一〇〇分の一にも足りない。

 北欧三か国に実は三回行きまして、最初の二回はノルウェーのソグネフィヨルド、三〇〇〇メートルぐらい深い切り込んだ海の、あのへんで死に場所を探した。あそこで冷凍人間になったら一生誰にも姿かたちをみられない、と思ったこともあります。

 私がハンコを押さなきゃ物事は始まらなかった。じゃあ押さなかったらどうなった。結論が変わるかといったら変わらないですよ。もっとすんなりといったかもしれません。死刑執行されていたかもしれません。まあ、いろいろなことを考えて、私自身、ぶち切れそうになったのはなん度もあるけど」

――死刑判決のとき、袴田被告を裁判官席で見ておられて、その記憶は。

「忘れません、一生。『被告人、立って』。彼は、判決の主文いいわたしの直前まで、無罪と信じていた、とあとでききました。袴田君の肩がガクッと落ちて……その瞬間から、私は石見さんが何を読んだか覚えていない」

     インタビューを終えて

 熊本元裁判官が、四〇年近くにわたる苦悶から脱却し、勇気をふるって袴田判決の真実を語ったとき、会見場にいた記者から、「評議の秘密」を暴露するのは、裁判所法に違反している、との批判がだされた、という。実際、その批判は記事にされている。が、これは逆立ちした論理といえる。

 元裁判官は、自分が決定できなかった冤罪を解決したいがために、敢えて「生き恥を曝した」のである。この重大な「心の吐露」としての「内部告発」を、規則を盾にする小癪な批判で喰いとめられるものかどうか。まして、ひとりの生命がかかっているのである。

 記者はいったいだれのために記事を書いているのか。記者は先輩たちが尻馬に乗って煽り、冤罪をつくりだしたことにたいして自責の念がないのか。いまにいたっても、まだ警察や検察の援護射撃をするのか。それが職業の本懐なのか。

 東京地裁に勤務中、熊本さんが勾留請求を却下した率は、三割におよんだ、という。最近、裁判官は検察官の家宅捜索令状や勾留請求をほぼ一〇〇%認めている。裁判官の独立は、もはや神話化している。

 熊本さんは、ときには声を詰まらせ、涙を浮かべながら語った。彼はこの一審判決から七カ月たって退官し、弁護士に転業した。

 三人の裁判官のうち、ひとりでも反対すれば、死刑にすべきではない、と熊本さんはいま主張している。それは遅すぎた告白といえるかもしれない。しかし、裁判官の人間的な弱さが冤罪をつくりだしたのなら、勇気ある告白が事件を解決にむかわせている。裁判官が、ただ良心のみに従って「判決文」を書ける日は、いつになるのだろうか。

(鎌田慧・ルポライター、2007年4月20日号)

※この記事は単行本『絶望社会――痛憤の現場を歩くⅡ』(小社刊)に入っています。

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