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普天間移設実現へ向けた布石か――北澤前防衛相が地元容認派と密会

2011年11月1日3:52PM

写真右側、後ろ向きの北澤氏、その左、正面向きが大城康昌辺野古区長、左端の正面向きが宮城安秀名護市市議。

 二〇〇九年の政権交代以降、鳩山内閣と菅内閣で約二年にわたり防衛相を務めた民主党副代表の北澤俊美氏が一〇月一二日から一三日にかけて沖縄を訪問した。

 一二日午後、はじめに訪れたのは那覇市に事務所を構える民主党沖縄県連だった。北澤氏は沖縄県連にて、党の副代表としてさまざまな要請を「沖縄側の意」に沿うよう政府に働きかけていくことを説明した。この北澤氏の考える「沖縄側の意」とは、決して「辺野古移設反対」というものではない。

 北澤氏は同日夕方に名護入りし、キャンプ・シュワブに隣接し、条件付きで移設受け入れを表明している辺野古、久志、豊原、の三区の各区長、辺野古選出の宮城安秀市議会議員、名護漁協組合の組合長で辺野古区行政委員会普天間代替施設等対策特別委員会の古波蔵廣委員長らと沖縄サミット会場となったホテルのレストランで“密会”した。北澤前防衛相に同行したのは、沖縄防衛局の田中聡局長だった。

 会場には多くの記者が詰めかけ騒然となったが、北澤氏は待ち構える記者たちをかわし、裏口から会場入りした。貸し切った座席数約一二〇席のレストランでは北澤氏を含む九人が高級な創作イタリアン料理とワインに舌鼓を打つ場面がみられた。

 ワインもグラス三杯目を超える頃には双方に笑顔も出た。かつての自公政権下で辺野古移設を進めてきた“容認派”たちと離任挨拶の宴を楽しむ姿は、民主党政権の中枢で日米合意を強引に推し進めてきた北澤氏の「本音」がむき出しとなった瞬間だった。

 宴は約二時間半に及び、終了後、北澤氏は待ち構えていた記者たちの前には現れなかったが、辺野古区長の大城康昌氏は「われわれは誘致派ではない。条件を付して受け入れてもいいというスタンスで、辺野古回帰というのであれば、条件が整えば交渉するのは当然だ」と記者らに話した。

 北澤氏はその後、キャンプ・シュワブに一番近いリゾートホテルに一泊し、前名護市長の島袋吉和氏とも意見交換したという。

 さらに、北澤氏は翌日一三日午前、名護市議会最大野党会派の礎の会と名護市産業支援センターの会議室で約一時間にわたり意見交換を行なった。

 北澤氏の一連の行為の目的は、地元“容認派”市議らと「これから」の信頼関係を築くことだった。氏は「これまでは、県連を通して地方のみなさんの意見を集約してきましたが、これからは党として直接副代表が聞くことができる体制になった。自民党県連さんよりも直接、政権、政府に意見を伝えることができる」と説明した。

 意見交換の後、容認派市議らはしばらく会議室に残り、今月二六日に開かれる「北部振興推進・名護大会」の決議案について、決議文に「普天間移設」を絡めるかどうか、島袋吉和前名護市長を登壇させるか否か、政府への要請の方法などを話し合っていたもようで、関係者によると市議の間でも意見が別れているという。

 北澤氏が相次いで移設“容認派”と意見交換を繰り返した背景には、この、移設容認派が集う「北部振興推進・名護大会」での決議の要請を政府として受け入れることを伝えるという狙いもあるようだ。

 北澤氏は同日午後、沖縄県庁を訪れ仲井眞弘多沖縄県知事とも会談。北澤氏は辺野古移設について、「日米合意で確認されておりどんな困難があってもやり抜く。移設にともなう環境影響評価の最終段階の手続きも進める」などと言い放った。これに対し仲井眞知事は「沖縄の民意は大変厳しい」と述べ、会談は終始噛み合わず平行線に終わった。

 政権交代直後の民主党は「最低でも県外」とぶちあげた。それが今はどうだ。自公政権下で基地移設を“容認”してきた「辺野古組」に、藁にでもすがるような姿を晒け出す政権中枢の姿は、皮肉を通り越して、哀しくさえ映る。

(本誌取材班、10月21日号)

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