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【緊急掲載】覚せい剤疑惑で問われる芸術と社会への姿勢

2010年8月24日4:46PM

 覚せい剤を隠し持っていたとして、現代音楽作曲家で国立音楽大学准教授の夏田昌和さん(42歳)が警視庁池袋署に現行犯逮捕されていたと8月23日、新聞などが一斉に報じた。夏田さんの長年の友人である、伊東乾さんから事件を機に考えるべき事について緊急寄稿いただいた。内容の緊急性から早急に公開したほうが良いと判断し、ネット公開する。(編集部)
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 作曲家・指揮者の夏田昌和君が覚せい剤取締り法違反の容疑で逮捕されたとの報に接し、大変に驚いている。夏田君は20年来の友人であり、私が第1回を受賞した出光音楽賞の第2回受賞者でもある。個人的には、その作品や演奏が常に気になる、同世代の音楽上の仲間と思う数少ない、国際的に第一級の音楽家だ。

 クラシック音楽の世界は、実力不足のまま売り出される若者がすぐに潰れる悪循環を繰り返し易い。そんな中で夏田君は、まごうことなき本物の音楽家で、本来は間違いなく将来を嘱望されるホープの一人である。

 現在東京を離れており、入ってくる情報も限られているため、今回の容疑そのものについては、ここで何も言うことが出来ない。正確な事を知る機会があればまた別にとも思うが、いまここでどうしても述べたいのは、再発防止など少し別の論点である。

     想起したオウム真理教事件

 夏田君の件が報道された8月23日の週には、ウエブなどを通じて知り得ただけでも2回、彼の作品が演奏される機会がある。近い所では、それらへの影響を案じている。音楽会の主催者や演奏団体などが、彼の作品演奏を「自粛」するのではないか、と懸念しているものだ。

 刑事事件にあっては、逮捕された直後はあくまで「容疑者」であって罪科は確定していない。それが決定されるのは裁判の場で、判決以前は「推定無罪」が国際的に現代司法の大前提になる。メディアを通じて断片的に報道を見る限りでは、事の真偽はまったく分からない。少なくとも一個人としては、友人の事であり、何かの間違いであってほしい、冤罪の可能性はないのか、といった考えに意識が向かう。

 これは15年前、オウム真理教・地下鉄サリン事件ののち、大学・大学院の同級生、豊田亨君(2009年11月死刑確定)が身柄を拘束された直後にも、祈るような気持ちで思った。正直、間違いであってほしい。8月23日の朝もそれと同じような意識が脳裏をよぎった。 

 この前夏田君と言葉を交わしたのは半年ほど前、とある演奏会で彼の邦楽器のための作品が初演された折だった。独自の調律に基づく静謐な、そして図抜けて秀逸な音楽が今も耳に残っている。

 彼の作品は客観的に見て高い価値を持つ。また裁判によって容疑事実が確定するまでは、被疑者は被疑者であって罪科は決まっていない。そういう状況の中、予定されている作品演奏に影響が出るような事を私は憂慮する。いま演奏が予定されているものの中には、オーケストラのような大編成の作品もあると聞く。奏者たちは数週間~数日前からパート譜をさらって、練習初日に備えている。音楽作品の演奏というプロフェッショナルの仕事として、きちんとした準備がなされている筈だ。そして何より重要なことは、音楽作品の価値と刑事事件の容疑とは、基本的に別の話だという事実だ。

     芸術と社会的責任

 ある演奏会で一つの作曲作品の演奏を決定する上で本質的に重要なのは、作品自体の音楽的な価値である筈だし、そうでなければならない。いま取り沙汰されているような容疑は、本質的に音楽の内容とは一切関係がない。少なくとも私が知る限り、鋭敏な耳と感覚、それに精緻な思考で組み立てられた夏田君の音楽には、薬物がどうこう、といったゴシップで左右される要素はほとんど存在しない。

 主催者が、芸術の観点からこの作品に演奏の価値がある、と判断したのであれば、そしてその判断に責任を負うのであれば、あくまで彼の作品をきちんと演奏するべきだと私は思う。容疑者として逮捕された、騒ぎになった、それでは自粛しよう、といった正体不明の状況は一番いけないと私は考える。

 今週、夏田君はある音楽賞の審査員も務める事になっていたと聞く。当日はピンチヒッターが出るのだろうが、すでに印刷物なども準備されている筈だし、場内のすべての人が、この事件を考えない訳がない。ここで、中途半端にゴシップとして考えるのではなく、それこそ真摯に正面から考えなければならない問題がある筈だ。

 もし、亡くなった作曲家の武満徹さんがここに居られて、芸術監督として自分の責任で彼の作品演奏を決定していたなら、容疑者としての身柄の拘束とは別の問題として、自分の芸術的判断への責任を全うするだろうと私は思う。というよりも、社会的に取り沙汰される事柄と音楽との間に、きっちりと線を引くことこそ、芸術監督者にもっとも強く求めら得る仕事だというべきだろう。

 ここはむしろ関係者全員が芸術への姿勢を問われていると考えるべきだ。少なくとも本人を知る私としては、正直言って報道を見ただけで、ああそうですか、と信じる気には到底なれない。仮にそれが事実であったなら、本当に残念でならない。

 一般に芸術的な判断は客観化は難しく、それが嵩じてつまらない権威主義などの風潮を生みやすい。そんな中にあって夏田君は自他ともに実力を認める紛れもない真打ちの音楽家で、また理論家としても淀みなく、国際的な場でも価値判断の根拠を明確に語ることが出来る稀有な芸術人の一人と思う。重ねて、もし容疑内容が事実であるとするならば、これほど無念なことはない。

     「再発防止」に真剣な取り組みを!

 報道にもある通り、夏田君は優れた作曲家=指揮者であるとともに国立音楽大学准教授として後進の指導にも責任を負っている。友人であると同時に、まさに筆者自身と完全に重なる専門であり、大学教員という現在の立場も正に同じであることからも真剣に考えない訳に行かない。

 もし、報道されるような容疑が事実であれば、到底許される事ではない。何よりも、大学教員として若い未来ある人たちを指導する立場にある身である。国立音楽大学当局も、学内での薬物使用の有無などについて「警察の捜査の進展を見極めた上、必要であれば調査委員会の設置も検討する」との事だが、庄野進・同大学長以下長年存じ上げる方が少なくなく、心中いかばかりかとお察しして言葉もない。教育組織としてこのような事態の再発防止に、徹底して取り組まれることと思う。

 容疑者が大学教授職ということで、すでにネット上などではさまざまな憶測、流言飛語がとび交っているようだ。夏田君には過不足ない事実を明らかにし、もし事実であるのなら、このような「あってはならないこと」の再発防止に夏田君自身がきちんと向き合う必要があると思う。

 と同時に、夏田君という音楽家が如何に稀有な才能であるか知る一人として、この優れた人物のこれからを私は何よりも惜しむ。さまざまな動きがあると想像されるが、作曲家として指揮者として、夏田昌和は二人いない。彼が自身の足で再び立ち、歩み始める日を待ちながら、関係各位の定見ある判断と、建設的な行動とりわけ再発防止への取り組みに期待したい。問われているのは、芸術と社会の未来に対する姿勢であり、責任を意識した行動であると思う。

(伊東乾・作曲家=指揮者、東京大学准教授)

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