考えるタネがここにある

週刊金曜日オンライン

  • YouTube
  • Twitter
  • Facebook

【タグ】

撫順戦犯管理所開館60周年 「鬼を人間に変えた」奇蹟受け継ぐ

2010年7月9日1:06PM

 六月二〇日、快晴炎天下の中国遼寧省撫順市で、撫順戦犯管理所開館六〇周年式典が行なわれた。日本からは戦犯管理所に収監されていた元戦犯、坂倉清氏(九〇歳)、高橋哲郎氏(八九歳)とともに撫順の奇蹟を受け継ぐ会、日中友好協会、紫金草合唱団ら約一〇〇人が参加した。
 同管理所には、中華人民共和国成立翌年の一九五〇年、ソ連と中国の協定により、シベリア捕虜だった元日本軍将兵、「満州国」官僚ら約一〇〇〇人が移管された。 ソ連での待遇とは打って変わり、強制労働もなく三度の米の食事に、医療など徹底した人道的な待遇を受けた。その中で戦犯たちは、中国の戦場で犯した加害行為を直視し、罪を認め反省していく。それを「認罪」と呼んだ。管理所の職員も苦悩の連続だった。加害者が目前にいても仕返しは許されない。しかも自分たちよりよい食事が与えられる。不平が出るたびに話し合いをし、職員たちの人道主義政策への認識も高まっていった。戦犯の一人ひとりを丁寧に観察し、食べた食事の量までチェックされ健康管理も徹底的に行なわれた。
 五六年の瀋陽軍事法廷で、四五人の有期刑を受けた者以外はすべて不起訴、即日釈放となった。有罪の者も満期前に帰国を許され、死刑はなかった。帰国後、彼らは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を組織し、反戦平和、日中友好の活動を続けてきた。二〇〇二年に会員の高齢化のため解散したが、同時に若い世代が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」を結成しその精神と事業を継承している。
 式典では、高橋哲郎氏が中帰連を代表し、挨拶した。
「当時私たちは、全ての者が、日本の天皇中心主義の軍国主義に骨の髄まで侵されており、中国を侵略して、取り返しのつかない被害を中国人民に与えたという自覚を微塵も持っていませんでした。量り知れない被害を受け、恨みと憎しみに満ちている中国人民である管理所職員は、このような私たちの態度に対して、実に辛抱強く、誠心誠意を持って人道的に処遇してくれました。私たちは一歩一歩自己の過去を厳しく反省することができるようになり、中国人民に与えた被害の深刻さに愕然とし、心から自らの罪行を率直に認めることができました。二〇世紀の半ばに、この撫順の地において、平和を熱愛する中国人民の手によって『鬼が人間に』転変するという『奇蹟』を実現したこの管理所が、名実ともに大改修され、平和学習の殿堂として、世界の若い人びとに強い影響を与え続けることを心より祈念致します」
 開館六〇周年記念として、佐官・将官級の戦犯が入っていた二棟が改修され陳列館となった。ここでは、管理所と中帰連の六〇年の歴史が一次資料や写真パネルで詳しく紹介されている。戦犯が生活していた部屋、医務室、散髪室、風呂などは保存され見学できる。強制労働がなかったため、戦犯たちはスポーツで体力をつけた。また社会科学の学習はもちろん、演奏会や演劇など文化活動も盛んであった。映画も週一回鑑賞した。管理所時代に戦犯たちが踊りや演劇を披露した野外ステージも復元され、この日、元戦犯・矢崎新二氏の息子らが父親から受け継いだ「蒙古踊り」を再演、合唱団が組曲「撫順の朝顔」を披露した。
 中帰連の認罪は今でも続いている。高齢のため出席できないものは祝辞を託した。車椅子で参加したいと望んだ小山一郎氏が亡くなったのは六月三日のこと。
 戦犯を鬼から人間に変えたのは、被害者であった管理所の職員だ。命をかけて炎天下の式典に元職員たちと手を携えて参加した中帰連の二人の姿は、この地で起きた「二〇世紀の奇蹟の姿」そのものであった。

(荒川美智代・撫順の奇蹟を受け継ぐ会)

【タグ】

●この記事をシェアする

  • facebook
  • twitter
  • Hatena
  • google+
  • Line

電子版をアプリで読む

  • Download on the App Store
  • Google Playで手に入れよう

金曜日ちゃんねる

おすすめ書籍

書影

黒沼ユリ子の「おんじゅく日記」

ヴァイオリンの家から

黒沼ユリ子

発売日:2022/12/06

定価:1000円+税

書影

エシカルに暮らすための12条 地球市民として生きる知恵

古沢広祐(ふるさわ・こうゆう)

発売日:2019/07/29

上へ