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高遠菜穂子リポート〈米軍の「残虐性」直視を〉

2010年5月26日6:13PM

高遠菜穂子リポート「破壊と希望のイラク第16回」

米軍の「残虐性」直視を――ファルージャから沖縄へ、ワセックさんの思い

「あの米軍がこの美しい島から来ていたなんて想像もしなかった」

 イラク最激戦地ファルージャから来日したワセック・ジャシムさんは、沖縄の辺野古の海岸でそうつぶやいた。鉄条網の向こう側は、ファルージャ総攻撃の主力部隊、米海兵隊キャンプ・シュワブ。それにまつわる記憶はあまりにも残酷なものであったため、この五年は彼の心の奥底に封印されていた。

 ワセックさんは、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」の招聘で来日し、全国五都市(名古屋、広島、東京、大阪、沖縄)を回るスピーキングツアーを行なった。彼の映像と体験談は、イラク戦争を検証する上で非常に貴重な証言となった。

米軍とアルカーイダの二重苦
 ファルージャの混乱は、市内に侵攻してきた米軍の学校占拠をきっかけに始まる。これに抗議して、市民二〇〇名ほどがデモを行なったのだが、米軍は市民の訴えに耳を貸さず、いきなり銃を乱射し始めた。〝ピースウォーク〟は死者二〇名・負傷者七〇名以上を出す流血の惨事となった。この事件の三日後に、ブッシュ大統領(当時)が「大規模戦闘終結宣言」を出すのだが、ワセックさんたちイラク人にとっては「本当の戦争の始まり」だった。

 その後、〝武装勢力〟がこのファルージャを中心に台頭する。イラク人は〝武装勢力〟をきっちり分ける。イラク戦争以後、米軍の攻撃によって肉親を殺された遺族から成り、イラク市民を標的にしないのが〝レジスタンス〟。戦争以後、外国から流入し、イスラム原理主義を唱え、イラク市民を標的にするのが〝アルカーイダ〟。ワセックさんはファルージャの状況を「米軍とアルカーイダの二重苦だった」と説明する。

 二〇〇四年、ファルージャは大規模な総攻撃を二度も受け、その名を広く知られることになる。

 三月末日、ファルージャ市内で〝米民間人〟四名が殺害され、遺体が橋に吊り下げられるというショッキングなニュースが世界を震撼させた。ファルージャは一気に〝テロの巣窟〟と位置づけられ、米国内ではファルージャへの報復を支持する世論が盛り上がった。

 では、ファルージャ市民にとって〝米民間人〟はどう映っていたか。ワセックさんは言う。
「彼らは軍服を着てはいないが、重武装をして米軍に同行し、その残虐性は米兵と何も変わらない」

 ワセックさんは米軍に拘束された経験がある。手錠をされ、頭に黒い袋を被せられた状態で炎天下に二時間近く晒された。その間ずっと米兵は歌を歌いながら、彼に石を投げつけていたという。尋問官には椅子を投げつけられ、鉄製ワイヤーでむち打たれ、武装勢力メンバーだと自白するよう強要された。ワセックさんの友人の場合、これが米兵ではなく民間傭兵によるものだった。

「広島・長崎」をイメージ
 ワセックさんは、二度目の総攻撃の直前(二〇〇四年一一月六日)までファルージャ市内に住んでいた。自力で避難できない人たちの救助活動の後、自身も郊外の村に出た。物資の調達や配布などの緊急支援をそこで行なったが、攻撃はその村にまで及んだ。支援物資を運ぶトラックやボートはアパッチヘリの攻撃を受け、道路は封鎖され、村は孤立した。

 攻撃初日から七日目。米軍は、ファルージャの市民調査団が遺体確認のため市内の一部に入ることを許可した。ワセックさんはカメラマンとして同行したが、ビデオ撮影は禁じられたので写真撮影だけをすることになった。凄まじい破壊の様子を目にした時、「ヒロシマ・ナガサキをイメージした」と彼は言う。悲しみと怒りが入り混じった感情を持て余すが、目の前では米兵たちが、路上の遺体をミートフックでひっかけ、装甲車で引きずり、黒い遺体袋に詰め込んでいた。その光景を目の当たりにして彼の怒りは憎しみとなり、本気でレジスタンスになろうと思ったという。しかし壮絶な葛藤の後、武器ではなくカメラを持つと決める。

 この日、米軍は市民に七七体の遺体を返還した。郊外の空き地に集まった数百人の市民が、ブルドーザーで集団墓地の穴を掘りながら、身内かもしれない遺体を待った。到着したトラックの荷台から漂う腐臭は一キロ先まで届いていたという。黒い袋のジッパーを開けると、全身にウジがわき、真っ黒に焼け焦げ、犬に肉を食い尽くされた遺体が現れ、大きなショックが人々を襲った。「神は偉大なり!」という叫びと泣き声は、次第にアメリカへの報復を誓う怒号に変わっていった。ワセックさんは、その一部始終をビデオカメラに収めた。映像を公開した二〇〇五年当初は名前を伏せていたが、世界に「本当のファルージャ」を伝え、米軍の違法性と残虐性を明らかにしたことは間違いない。

 撮影を終えた夜、彼は一晩中泣いたという。一カ月間、食事が喉を通らず、眠れない日々が続き、臭いを消そうと何度も手と身体を洗ったそうだ。今回、五年ぶりに封印を解いたわけだが、記憶と共に強烈な臭いが蘇ったらしい。

抑止力から恨みの標的に
 冒頭のつぶやきを聞いた時は、せつなかった。ファルージャ市民を沖縄に連れて来たのは酷だったとも思った。けれども、「オキナワ」が残虐なイメージのまま帰ってほしくなかった。

 ワセックさんの沖縄訪問は大きな意味があった。沖縄にはイラクと同じようにたくさんの家族が住み、イラクと同じように米軍に苦しんでいることを知ってもらえた。県民大会で、米軍に抵抗する九万の群衆を見たことも大きい。ファルージャ市民には、「群衆は撃たれる」というトラウマがあるが、武装闘争以外の可能性を感じてくれたと思う。沖縄の学生たちと今後も交流を続けるという約束も交わした。互いにエールを交換していけたらと思っている。

 もう一つ重要だったのは、私たちに在日米軍の本来の姿を認識させたことだ。それは、〝イラク復興支援〟などではなく、明らかに殺戮の〝加害行為〟だということだ。そして、私たち日本人は加害の〝後方支援〟をしていた。私はこのことを理由に在日米軍基地にNOと言い、わが国のイラク戦争支持と〝イラク復興支援〟にNOと言う。

 時代は変わった。〝抑止力〟のはずの米軍基地は、もはや世界のあちこちから恨みを買う〝標的〟となりつつあることを私たちは知るべきだろう。

(高遠菜穂子・イラク支援ボランティア)

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