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今度は菅政権が追い込まれているが、もううんざりだ。

編集長後記

 今度は菅政権が追い込まれているが、もううんざりだ。

 メディア各社は、数百人程度に電話で聞いた「世論」調査によって支持率が二〇%を切って民主党政権発足後最低だと、煽り始めた。安倍政権以降、繰り返されている政権潰しのパターンである。

 民主党内でも一六人の造反議員が出るし、鳩山新党の噂も飛び交っている。小沢一郎氏も地域政党との連携の動きが取り沙汰されている。小沢氏の大義は見えない。小沢チルドレンと言われている一年生議員の中には民主党内の政争に辟易している人たちもいる。しかし、この権力争いは容易にはおさまらないだろう。小鳩時代に小沢氏に徹底的に干され、憎しみを抱いている反小沢の議員たちがいる。

 さらに解散総選挙を密かに望んでいる民主党の現役もいる。たとえば選挙に強い中堅議員だ。当選回数を重ねないと目前に置かれている閣僚の椅子に座れないからだ。すさまじい足の引っ張り合いだ。

 公約を守る気がない菅は嫌だ。だが、民主党下ろしにはその先がない。 (平井康嗣)

私怨と嫉妬のオーラにまとわれた民主党代表選は気色悪い

 この欄で多用している言葉の一つは「既視感」。既視感自体が既視感のようで、不感症になっていくのが怖いほどだ。自民党の派閥抗争が永田町をびっくり箱にしてしまい、それへの憤懣と怒りが生み出した民主党政権。それが一年もたたないうちに、またまた玩具箱をひっくり返してくれるとは――言葉もなし。

 いつから政治闘争の原動力が利権と怨恨だけになったのだろう。「だけ」と強調したのは、人間社会に利権や怨恨はつきものだから、それらがまったくない永田町を夢想したって始まらないからだ。でも、甘いと言われるかもしれないが、少しは理想や理念が闘争の原動力となる時代があったような気がする。

 田中角栄、福田赳夫、大平正芳――こういった政治家には野太いものを感じた。言わずもがなだが、彼らの思想や政策に賛同するものではない。ただ、私=常人とは違う「何か」を持っている。その規格外の存在感こそが一流の政治家たる所以だった。

「三角大福」の争いは現ナマの飛び交う生臭いもので、純然たる政策闘争ではなかった。しかし、それでもここ四半世紀のぶよぶよしたナマコのような戦いとは違い、どこかしら、腹の据わった武将同士のぶつかりあいという風情があったのだ。とともにというか、だからこそというか、派閥選挙に対する野党の批判も迫力があった。

 一連の「菅直人対小沢一郎」騒動は、自民党与党時代に何度も繰り返された学芸会と何一つ変わらない。貧困格差時代に円高、株安が加わり、市民・国民の不安は高まるばかりなのに、そんなことは二の次とばかりに代表選に走り回る。学芸会ではなく、ハツカミズミの運動会か。

 一方、政権奪取の好機であるはずの自民党は、かつての社会党や野党時代の民主党に比べても情けない限り。遠くから「民主党のバカ」と叫んでいるだけで、一向に動きだそうとしない。本来なら、今こそ「我が党の経済政策はこうだ。民主党に任せていては日本が滅びる」と立ち上がるときだろう。

 それにしても破天荒な政治家が減ったなとしみじみ思う。枠にはまりこじんまりとしたセンセイ同士が湿り気のある視線を投げかけ合う。いよいよこらえきれなくなると、徒党を組んで「敵」をつぶしにかかる。小物なのだ。「小・鳩・菅」みんな大差ない。嫉妬と私怨がオーラになってまとわりついている。気色悪い。(北村肇)

「民主党敗北、自民党勝利」は本当か

<一筆不乱 参院選特別版>

 自民党の谷垣禎一総裁は満面の笑みを浮かべながら、何度も指で「一番」をつくってみせた。改選議席で「参議院第一党」になったのは事実だが、浮かれている余裕はあるのか。今回も比例では民主党に差をつけられた。たまたま敵失があったため「勝利」しただけで、「再度、政権についていい」と有権者のお墨付きを得られたわけではない。

 一方、民主党が惨敗した理由は、各メディアが報じるような「消費税」にあるとは思えない。もしそうなら、先に「10%」を打ち出している自民党が勝つことはありえないし、消費税そのものに断固、反対している共産党や社民党の票がもっと増えてしかるべきだ。敗北したのは「菅直人首相」にほかならない。

「小泉郵政選挙」以降、国政選挙で勝利するための肝は、いかに敵を作り出すかにあった。小泉純一郎氏は自民党“守旧派”を既得権者と断じ、「郵政反対派=守旧派(反改革派)=敵」となった。多くの有権者はこの敵にノーをつきつけ、小泉氏は圧勝した。鳩山由紀夫氏は、小泉氏がぶっ壊したはずなのに壊れていない自民党を敵にすることに成功し、政権交代を果たした。だが、その鳩山氏は小沢一郎氏とともに「旧来の既得権者」の椅子に座らされ、自らが敵と化した。そして「小沢支配」を敵とみなしてぶっ壊した菅直人新首相は、思惑通り民主党の支持率をV字に回復させたのだ。

 ところが支持は伸びなかった。それどころか、選挙中盤から民主党の勢いは目立って下がり始めた。この時点ですでに菅首相自体が「既得権者」と見られていたということだ。消費税をぶち上げる前に、演説の棒読みや官僚への配慮をにじませる発言に対し、多くの市民は「おやっ」と首をひねっていた。エイズ問題で脚光を浴びた厚生相時代の切れ味がまったく影を潜めていたからだ。

 そして、「消費税」後はころころと発言が変わる。初めての市民派総理として颯爽と登場した新首相がふらつきっぱなしとあっては、有権者の失望を招くのは当然だ。閉塞状況が続くと、人々は“強い言葉”にひかれ、“強い人間”に身をゆだねる。既得権者=敵を殲滅する英雄が求められる所以だ。

 菅氏は英雄になりそこねた。だが、英雄待望社会がファシズムの危機を内包するのは言うまでもない。党として敗北したわけではない民主党が立ち直るためには、社会民主主義的政策を鮮明に打ち出すことだ。既得権の見直しを図り社会の閉塞状況を打破するのは、ひとりの英雄ではなく政党の役割だと宣言すべき時である。(北村肇)

理念はあるが自信のなかった鳩山氏を継いだ、現実主義で自信家の菅氏

 鳩山前首相は「理念」の政治家だった。「コンクリートから命へ」と言い換えた「友愛」しかり、米国からの自立しかり。そこには日本的な社会民主主義政策への意気込みもみられた。だが、結果的には、官僚やマスコミの「現実論」に打ち倒され、最後は理想を放り投げる形で討ち果てた。やむをえない結末だった。

 誤算の一つはオバマ大統領に対する評価にあった。鳩山氏はおそらく「チェンジを掲げた大統領は自分と同じ理念の政治家」と勘違いしたのだろう。オバマ氏は極めて現実主義者である。属国・日本の首相が描く理想論など、歯牙にもかけない。土壇場までそのことに気づかなかった鳩山氏に総理の資質はなかった。

 そして何よりも欠けていたのは「自信」だ。官僚や閣僚に何か言われる度にふらふらしたのは、自信のなさの証である。宇宙人と揶揄されても、とことこん理想を追求し続ければよかったのだ。沖縄・米軍基地問題にしても、「そもそも米軍常駐の必要はない」という姿勢を、徹底的に前面に押し出すべきだった。理念が信念まで高まれば、そこには迫力が生まれる。理想を背景にして戦い抜けば、官僚はもちろん、オバマ氏だって一歩、退いたかもしれない。

 過ぎたことに触れるのはここまでにして、さて、火中のクリを拾ったのか、漁夫の利を得たのか、菅直人氏が悲願の総理の座を射止めた。いまの時点であれこれ評価するのは適当ではないが、副総理でありながら、普天間問題では「貝」を貫き通したことには疑問符がつく。意地悪い見方をすれば、首相の椅子がころがりこんでくるのを待っていたのではないか。
 
 だが、見方によっては、現実主義者の面目躍如とも言える。民主党代表選での「小沢一郎外し」も見事なものだった。鳩山氏と異なり、菅氏はしたたかな政界遊泳術を身につけている。理念と現実政策の折り合いをつけられなかった鳩山氏とは違い、米国や霞ヶ関とも、うまくやるだろう。
 
 しかも、自信家である。優柔不断な姿は見せないはずだ。永田町では「小泉純一郎氏に似ている」という声がある。確かに、いざとなると口角泡を飛ばして持論を展開、相手を打ち負かす手法はそっくり。もう一点、近似性があるのは、理念がどこにあるのか見えない、というところだ。ふと気付いたら米国主導の新自由主義に染まっていた、などとならなければよいが。(北村肇)