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民主党の新しい党首、つまり新しい総理大臣が月末に決まるが、

編集長後記

 民主党の新しい党首、つまり新しい総理大臣が月末に決まるが、
全く気分が盛り上がらない。

筆頭候補にも挙がっている野田佳彦という人はかねてから首相候補者と取り沙汰されてきた人だが、地味で何を考えているのか今ひとつ見えない。

さらに財務省路線かつ保守的な性向は今ひとつ気に入らないが、この人が繰り返し強調してきた次の点はおおいに支持できた。

〈子どもの貧困は発展途上国や敗戦直後の日本の社会問題ではなく、極めて今日的な問題だと認識しなければなりません。だからこそ、「子ども手当」や「高校の無償化」は断じてバラマキではなく、必要な投資だととらえるべきです。〉
(二〇一〇年二月二一日の野田氏のブログ「かわら版」より)。

 民主党が政権交代をなしえた原点は、見捨てられていた集団への目線が存在したことである。しかし大連立という禁断の果実を横目に、「バラマキ」を廃止する方向で野党と妥協した。

 政府を選べない怒りが、無政府への衝動に変わるのが怖い。
(平井康嗣)

今度は菅政権が追い込まれているが、もううんざりだ。

編集長後記

 今度は菅政権が追い込まれているが、もううんざりだ。

 メディア各社は、数百人程度に電話で聞いた「世論」調査によって支持率が二〇%を切って民主党政権発足後最低だと、煽り始めた。安倍政権以降、繰り返されている政権潰しのパターンである。

 民主党内でも一六人の造反議員が出るし、鳩山新党の噂も飛び交っている。小沢一郎氏も地域政党との連携の動きが取り沙汰されている。小沢氏の大義は見えない。小沢チルドレンと言われている一年生議員の中には民主党内の政争に辟易している人たちもいる。しかし、この権力争いは容易にはおさまらないだろう。小鳩時代に小沢氏に徹底的に干され、憎しみを抱いている反小沢の議員たちがいる。

 さらに解散総選挙を密かに望んでいる民主党の現役もいる。たとえば選挙に強い中堅議員だ。当選回数を重ねないと目前に置かれている閣僚の椅子に座れないからだ。すさまじい足の引っ張り合いだ。

 公約を守る気がない菅は嫌だ。だが、民主党下ろしにはその先がない。 (平井康嗣)

編集長後記

 与党・民主党が二〇〇九年衆院選で掲げたマニフェスト(政権公約当時は鳩山由紀夫代表、五五項目)が見直される方向だという。民主党はこの国民との約束によって有権者の票を得て大勝したはずだが、マニフェスト実現に必要な財源がないこと、政権を担当してみて初めて官僚から知らされた情報があったことなどから見直すそうで、マスコミも歓迎している。このような与党の振る舞いをいつから公約違反と批判しなくなったのだろうか。

 結婚だろうが商行為だろうが“契約”成立後、当初予想していなかった事情が生じるのは当たり前の話だ。それでもよほどのことでもない限り守らなければならないから約束になる。たとえば民法第一条二項の「事情変更の原則」も、滅多に認められるものではないから原則であり、「伝家の宝刀」と呼ばれる所以である。

 そもそも政党そのものが、法律上の定義がきわめて緩い存在なのである。そんなヌエ的な政党だからこそ、公約で信用性を高めていたはずではなかったか。  (平井康嗣)

民主党代表選で小沢惨敗をもたらしたマスメディアは絶滅危惧種

 新聞がここまで落ち込んだ要因の一つに、空疎な「客観」「公正・中立」を掲げ、「主張」を失ったことがある。だが、最近はさらに腐敗の度を深め、マッチポンプ役を平然とした態度でこなしている。典型は世論調査だ。特定の方向に世論を引きずるため「多数決原理」を利用しつつ悪辣な宣伝活動をしているのだ。
 
 最も影響力の強い『朝日新聞』の「主張」は日米同盟の堅持であり、そこに反旗を翻す小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏は批判対象となる。だが、事実に基づかない主張はプロパガンダにすぎない。たとえば、辺野古沖への米軍基地移転推進が「国益」にかなう事実をどれだけわかりやすく読者に提示したのか。これまでも何度か指摘してきたが、米国に都合のいい報道が目立つばかりだ。
 
 政治とカネの問題に関しても、「小沢氏はカネに汚い」という印象を植え付けるような報道が中心で、法に抵触した事実を独自に抉り出したわけではない。むしろ、本来の同紙なら、東京地検の行き過ぎた捜査を批判すべきなのに、事実と無関係の「小沢つぶし」は目に余る。
 
 そして民主党代表選。『朝日新聞』を始めとした大手紙は、何度も世論調査を実施し、そのたびに「小沢氏とカネ」を強調した。紙面であおり、世論調査を行ない、その結果でまたあおる。代表選当日の『朝日』社説には言葉を失った。「小沢氏の立候補は理解しにくい。……最高指導者たろうとするにしては、けじめがなさすぎるのではないか」。同紙はこれも「主張」と言うのだろうが、アジテーション以外の何物でもない。客観的に見て、多くの新聞は小沢氏の足を引っ張り続けた。これはもはやマスコミファッショだ。
 
 小選挙区制になり、国会議員はますます世論動向を気にするようになった。国会議員票が思ったより小沢氏に流れなかったのは、マスコミ報道を見て寝返った議員が多かったからだろう。地方議員やサポーターが菅氏を圧倒的に支持したのも、新聞やテレビの影響が大きかったことは間違いない。菅直人氏の勝利はマスメディアがもたらしたと言っても過言ではない。

 インターネット上では、むしろ小沢氏支持の世論が多数派だった。ネット情報を重視する人々からは、新聞やテレビという大マスコミは既得権者として見られている。そうしたメディアの報道が胡散臭く感じられたことによる小沢支持とも考えられる。とするならば、大マスコミが絶滅危惧種になるのは時間の問題ではないか。(北村肇)

私怨と嫉妬のオーラにまとわれた民主党代表選は気色悪い

 この欄で多用している言葉の一つは「既視感」。既視感自体が既視感のようで、不感症になっていくのが怖いほどだ。自民党の派閥抗争が永田町をびっくり箱にしてしまい、それへの憤懣と怒りが生み出した民主党政権。それが一年もたたないうちに、またまた玩具箱をひっくり返してくれるとは――言葉もなし。

 いつから政治闘争の原動力が利権と怨恨だけになったのだろう。「だけ」と強調したのは、人間社会に利権や怨恨はつきものだから、それらがまったくない永田町を夢想したって始まらないからだ。でも、甘いと言われるかもしれないが、少しは理想や理念が闘争の原動力となる時代があったような気がする。

 田中角栄、福田赳夫、大平正芳――こういった政治家には野太いものを感じた。言わずもがなだが、彼らの思想や政策に賛同するものではない。ただ、私=常人とは違う「何か」を持っている。その規格外の存在感こそが一流の政治家たる所以だった。

「三角大福」の争いは現ナマの飛び交う生臭いもので、純然たる政策闘争ではなかった。しかし、それでもここ四半世紀のぶよぶよしたナマコのような戦いとは違い、どこかしら、腹の据わった武将同士のぶつかりあいという風情があったのだ。とともにというか、だからこそというか、派閥選挙に対する野党の批判も迫力があった。

 一連の「菅直人対小沢一郎」騒動は、自民党与党時代に何度も繰り返された学芸会と何一つ変わらない。貧困格差時代に円高、株安が加わり、市民・国民の不安は高まるばかりなのに、そんなことは二の次とばかりに代表選に走り回る。学芸会ではなく、ハツカミズミの運動会か。

 一方、政権奪取の好機であるはずの自民党は、かつての社会党や野党時代の民主党に比べても情けない限り。遠くから「民主党のバカ」と叫んでいるだけで、一向に動きだそうとしない。本来なら、今こそ「我が党の経済政策はこうだ。民主党に任せていては日本が滅びる」と立ち上がるときだろう。

 それにしても破天荒な政治家が減ったなとしみじみ思う。枠にはまりこじんまりとしたセンセイ同士が湿り気のある視線を投げかけ合う。いよいよこらえきれなくなると、徒党を組んで「敵」をつぶしにかかる。小物なのだ。「小・鳩・菅」みんな大差ない。嫉妬と私怨がオーラになってまとわりついている。気色悪い。(北村肇)

マスコミが平然と続けるマッチポンプのような世論調査の罪

 民主主義とは何か、学生時代から考えてきた。解答はまだ思いつかない。ただ、多数決主義がそれではないことは確かだ。多数派の意思が通るということは、少数派の意思が無視されることでもある。マイノリティーの声に耳を傾けることこそ民主主義なら、多数決によってことが進むのは横暴ともなりかねない。

 しかし、権力を持った少数の人間が勝手にふるまうのは、民主主義から最も遠い地点のことだ。やはり、多数の人間の意思が尊重されねばならない――と、かように思考は堂々巡りをしていき、終着点がない。結局、「絶対的存在者に判断を委ねるしかない」という安易な方向に走った先に、最も忌むべきファシズムがあるのだろう。

 すべての個が自立し、しかも他者の存在に想像力を働かせることのできる社会なら、多数決が横暴になることはあるまい。だが、その理想ははるかだ。となれば、メディアの役割が重要となるのに、現状は薄ら寒い。残念ながら、マッチポンプのような世論調査を平然と続ける新聞・テレビには、ほとんど期待できない。
 
『東京新聞』6月10日朝刊の「全国世論調査」をみて愕然とした。「菅首相は米軍普天間飛行場移設問題で、移設先を沖縄県名護市辺野古崎とした日米合意を踏まえて今後対応する考えです。この方針を評価しますか」との問いに、半数を超える52.2%が「評価する」と答えた。「評価しない」は34.5%、「分からない・無回答」が13.3%だった。

 この数字は何を意味するのか。普天間問題が鳩山由起夫氏の致命傷になったのは、「移設先が沖縄県外あるいは国外にならなかった」からではなく、「ふらついていた」からであることを示している。このままでは、移設先が普天間に落ち着いても菅政権の支持率が大きく下がることはないだろう。沖縄はまたしても見捨てられるのだ。
 
 こうした「民意」が生じたかなりの責任はマスコミにある。『朝日』も『読売』も、「鳩山首相の腰が定まらないから、日米同盟が揺らいでいる」というトーンの報道をし続けた。“被害者”沖縄への想像力は欠如し、米国との関係が壊れたら日本の安全が守れないという、古色蒼然たる主張を振りまき続けたのだ。そして世論調査で鳩山政権の支持率が下がるたびに「それみたことか」とあおった。
 
 民主主義とは何か、メディアの役割とは何か、マスコミがこのことを真摯に考え、日々の報道に生かさない限り、この国に未来はない。(北村肇)

いよいよ正念場の民主党に芽吹きはあるのか

 鳩山政権の支持率が下げ止まらない。マスコミは鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長の「政治とカネ問題」が要因と報じる。そうだろうか。一因ではあっても要因とは思えない。批判覚悟であえて言えば、たかだか政治資金の形式的事案だ。容認できることではないが、かといって悪質性が高いわけではない。多くの有権者はすでに、地検の国策捜査とマスコミのバカ騒ぎだったと見抜いている。

 さらに付け加えると、どちらも「過去の事件」である。最近は、どんなに大事件でも“賞味期限”はせいぜい3ヶ月だ。世論調査のたびに質問項目に上げられるので、新聞を読んでいると、また事件が尾を引いているようにみえる。しかし、市民・国民の関心はもう別のことに移っている。

 裏を返せば、「政治とカネ問題」がなくても、鳩山政権の支持率は下がるべき運命にあったのだ。危険水域といわれる30%を割り込んだ理由は、鳩山首相のふらつきぶりと小沢幹事長の独裁的党運営もあるが、何よりも民主党が「プチ自民党」に成り下がったことにある。

 政治主導といいながら、官僚、とりわけ財務官僚にいいように操られる、米国の顔色をうかがうばかりで沖縄県民を裏切る、「友愛」を掲げながら朝鮮高校を差別する、選挙目当てに業界団体をアメとムチで手なづける――書き連ねるだけでむかむかしてくる。どこが一体、「革命的な政権交代」なのだ。

 政権浮揚の切り札としては、事業仕分けしかないのが現状だ。このため、本誌今週号で取り上げた「新しい公共」を目立たせたいらしい。税制も含め、NGO、NPOへの支援強化は望ましいことだ。しかし、一歩間違えると民間利用の小さな政府論につながる危険性も含んでいる。評価できるかどうかはこれからの展開しだいである。

 民主党支持率が下がれば上がっていいはずの自民党支持率は、相変わらず低空飛行のままだ。「自民党よりはマシだ」という消極的支持者が私も含め数多くいるのだろう。再び多数派になった「無党派層」がどこに向かうかで、各党支持率は大きく変わる。
 
 沖縄米軍普天間基地移設問題決着の期限、5月末は目の前に来ている。7月11日予定の参議院選挙もすぐそこだ。晩春の桜は一陣の風によって散る。初夏の緑が一朝に芽吹くことはあるのか。いよいよ正念場の民主党。(北村肇)

消費税論議は、「国家論」を前提にしなくては始まらない

「灰色」の美しさや魅力に気付いたのは、生をうけ半世紀たったころのことだ。それまでは「白か黒」しかなかった。新聞記者時代は「断定魔」と揶揄された。何でも白か黒でないと気がすまない。「善は善」「悪は悪」。別に牽強付会で言い張ったつもりもなく、本人としては至極、当然の生き様だった。

 特にきっかけがあったわけではない。「生」も「社会」もデジタルではなくアナログなんだと、学生時代の講義などすっかり忘れた不勉強の輩がようやく実感。そんなとき、世界には純粋な白も黒もないこと、そう思いこむことは逆に危険であるという真実に行き着いた。遅すぎた目覚めと、われながら気恥ずかしい。

 消費税論議が延々と続いている。いつまでたっても結論が出るようで出ないのは、「政争の具」となるばかりで、まっとうな議論にならないからだ。民主党は昨年の総選挙の際「4年間は消費税を上げない」と公約した。複数の同党関係者は「党内では異論もあったが、選挙のためならやむなしとして表面化しなかった」と明かす。

『東京新聞』の報道(1月15日朝刊)によると、菅直人財務相は「今後、消費税の引き上げ議論に入る可能性はあるか」との質問にこう答えている。

「鳩山由紀夫首相も表明しているが、四年間は引き上げない。上げる時には選挙で問うことが前提だ。この一年は徹底的に無駄を削り、やりきったという時に福祉分野を維持するにはどうかという議論は必要になってくる」

 同紙記事の見出しは「菅氏、消費税上げ言及」となっている。取材時のニュアンスとして「次の衆院選では触れてくる」と記者が感じたためだろう。すでに仙石由人行政刷新担当相は「議論すべき」と公言しており、民主党が少しずつ軸足を動かしているのは間違いない。

 消費税に限らず、税金問題は「国家論」が基盤となる。どのような社会体制を目指すのかという本質的な議論が先なのだ。北欧のように、高い税金と豊かな福祉政策で一定の成功を収めている国は存在する。消費税にしても、仮に税率が上がったとしても、結果的に社会的弱者の救済につながる道もありうるかもしれない。単純に黒白をつけるテーマではない。本質的議論さえ経れば、美しい灰色決着も存在するだろう。ただし、すべての前提が憲法25条であることは言うまでもない。(北村肇)

野党・自民党との戦いを、民主党は可視化しなくてはならない

 街路樹が唄っている。踊っている。秋だ。風が違う。熱が去る、この感覚。ほっとする。今年は特に、騒がしい夏だった。耳に残って消えない、候補者と名付けられた人の叫び声。「最後の首相」を迎え、駅頭で日の丸を振る支持者という名の群衆。雪崩をうち政権交代に突き進んだ、巨大で、しかし形のない有権者の塊。

 狂騒の祭りは終わった。そして始まる、低体温の暗闘。1994年、細川護 (ほそかわもりひろ)首相は退陣、自社さ政権が誕生した。毒でも平然と口にする自民党。その凄みに背筋がぶるった。密室の戦いでカギを握った一人が、だれあろう小沢一郎氏。今度は、光輝く小沢氏をだれが暗闇から撃つのか。わからない。だがどこかにいる。

 あなどってはいけない。60年以上にわたり政権の座にあった自民党。確かに公明党頼みが弱体化を進め、足腰は弱り切っている。それは事実。しかし、目には見えない「歴史」という底力は堅固だ。これまで培ったあらゆる知恵を駆使するだろう。

 約600万票。小選挙区で民主党が自民党を上回った票だ。比例代表では約1000万票で、この程度の「差」は、針が床に落ちた振動でひっくり返る。自民党議員は、初めての下野という体験に、当初はとまどう。だが、すぐに態勢を立て直すべく全力を挙げるだろう。そのときの武器は「情報」だ。官僚、財界という巨大で強大な組織とタッグを組んできた。さらに、新聞・テレビのマスコミも取り込んできた。そこで得た「情報」の中には、民主党のアキレス腱も含まれているはずだ。

 ただ、一方で、安定多数の議席をとった民主党にすりよる、官僚、企業、メディアが出現する。自民党に打撃となる「情報」を民主党が入手するのも困難ではない。そうした状況下、永田町ではどんな動きが出るのか。

 まずは、水面下の暗闘だろう。互いに、相手がどの程度の「情報」を持っているか、探り合いが始まる。場合によっては、両者で手打ちといった事態もありうる。国会では激しくやり合いながら、実は「料亭政治」で決着――55年体制ではたびたびみられたことだ。

 民主党に望む。暗闘に乗らず、市民の眼前で堂々と戦ってほしい。警察や検察の取り調べは可視化すべきだと、同党は一貫して主張してきた。ならば、たとえ自分たちに不利なことがあっても、与野党のやりとりはすべて可視化する、それこそ政治改革の第一歩だろう。(北村肇)

民主党議員に官僚を打ち負かす情熱をみせてほしい

 政治は理想を追求しなくてはならないと強調してきた。浅はかで煽動的な「現実主義」に惑わされると、崇高な理想を汚泥まみれの現実に引き下ろしてしまう、「憲法は時代遅れ」という言説がその典型だとも。だが一方、理想と現実のはざまで、全身に蕁麻疹が出たような感覚にさいなまれた経験が誰にでもあるはずだ。

 革命的な圧勝で政権を握った民主党は、時を置かず、その逃げるに逃げられない掻痒感に襲われるだろう。まずは「官僚依存からの脱却」という理想の困難性である。100人の政治家を霞ヶ関に送り込み「政治を政治家、そして国民の手に取り戻す」という。正しい選択だ。ぜひ実現して欲しい。だが、本当にできるのか。

 新人議員が多い民主党で、それだけ力量を持つ議員がいるのかという疑問がある。また逆に、幹事長に就任した小沢一郎氏と財務省の関係は決して悪くないように、官僚と太いパイプを持つ有力議員も少なくなく、果たしてどこまで戦えるのかという懐疑的な見方もある。ただ、私は別の視点からの危惧を抱く。

 官僚と丁々発止のやりとりをするには猛勉強が欠かせない。当然、次の選挙に備える余裕などない。これに対し、浪人中の自民党元議員は必死に選挙区を回る。この現実に民主党議員は耐えられるのかということだ。

 与野党に関係なく、かなりの国会議員の取材をしてきた中で、こういう発言をたびたび聞かされた。「当選したらすぐに次の選挙の準備に入る。でなければ、落選議員の巻き返しにあってしまう。金帰火来では足りないくらいだ」。

 前回選挙で議席を得た小泉チルドレンは、ほとんどが討ち死にした。台風並みの嵐に乗じて当選した民主党議員にとっては、人ごとではないだろう。まして、今度は任期途中での選挙は避けられそうにない。寸暇を惜しんで有権者の手を握り、顔と名前を売りたいと考える議員に、しゃにむに政策を勉強する余裕が果たしてあるのだろうか。

 むろん、この試練に耐えてもらわなければならない。多くの有権者は理想実現に一票を賭けたのだ。その一つに、官僚、族議員、業界のトライアングル政治への拒否があった。官僚に勝てない政治家などいらない。マックス・ウェーバーは、政治家に必要なのは「情熱、責任感、判断力」といった。不可能を可能に変える情熱を見せて欲しい。それは一万人との握手に匹敵するだろう。(北村肇)