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 子どもの生きづらさや育てにくさを実感したので民主党が子ども手当や高校無償化を掲げ、労働者派遣法改正に取り組もうとしたことに希望を感じた。
 同じような考えをもった人は多いだろう。予算も捻出できるとかつて野田首相は言った。
 今や予算は捻出できないということになっているが、本誌はしつこく希望を追求し続ける。
 しかしながら民主党は、新自由主義に突き進んできた自民党などの攻撃により、改革の旗を次々に降ろしてきてしまっている。

 この勢いだと消費税増税案を国会で通すために、公約違反を謝罪して解散しかねない。
 この挙げ句、子どもの生きづらさに抜け道がなくなる。
 野田首相の自民党コンプレックスかもしれないが、自民党ができなかったことをやろうとしているだけにしか見えなくなってきた。
 岡田副総理の “身を切る” も気にかかる。国会議員や官僚が多い大きな政府では利権や無駄が生じるという民主主義への不信が根底に根ざす。
 その不信感ゆえの「小さな政府論」だという点を押さえておきたい。

「ウォール街を占拠せよ」と最初に呼びかけたのはカレ・ラースン。
彼が一九八九年に創業したのが、”ADBUSTERS”(アドバスターズ)という隔月刊雑誌。
一般メディアでは「カウンターカルチャー雑誌」などと紹介されているが、『産経新聞』は「反企業活動団体」と嫌みな形容をしていた。
さすが法人税増税反対、TPP賛成、原発推進の「親企業新聞」。

 さて同誌は反原発運動を始めたグリーンピースと同じくカナダが発祥。
この雑誌を最初に知ったのは今から一〇年ほど前。
フェアトレードショップのピープル・ツリー自由が丘店をぶらぶらしているときに、店内書棚で発見した。”広告的” 装丁もよいし問題意識も鋭かった。同誌は「何も買わない日」「テレビをつけない週」などのキャンペーンも展開してきた。

 西洋は新自由主義=企業中心主義の輸出国である一方で、企業批判も盛んだ。
人権問題にしても同じ構造。一方、日本はなにかと鈍い。

TPPなどではなく、こういう市民からのキャンペーンは世界にもっと広がるといい。

(平井康嗣)

「強い日本」ではなく「ひ弱でも凛とした日本」がいい

 どこでもかしこでも聞こえてくるのが「このままでは日本はだめになりますよ」という嘆き節。そこには「自虐的でひ弱な”我が国”への叱咤」と「新自由主義に毒された”この国”への危機感」という違った意味が込められる。前者は日清・日露戦争時代の明治回帰を主張し、後者は米国からの自立を求める。

「韓国併合」から百年。当時も今も「韓国を西欧列強の手から守り民主化するにはこれしかなかった」という説が根強くある。明治回帰者が夢見る「強くて正しい日本」。だが、これは、米国が日本を抱きかかえて占領したときの論理と基本構造は同じだ。ベトナム戦争やイラク戦争の主要な理屈も「共産圏や独裁者から守るため」だった。

 どんなきれいごとを並べようと、他国への侵略目的は権益確保以外の何物でもない。正義の占領や正しい併合など存在しようがないのだ。最近の研究によれば、日露戦争はロシア側が仕掛けたとみられる。日本側は政府も元老・山県有朋も開戦には消極的だったようだ。しかし、朝鮮半島を支配下に置きたいという野望は一貫して変わらなかった。その目的を果たすために「満州利権はロシア、朝鮮利権は日本」という外交に出たにすぎない。日清戦争もまた、朝鮮利権が根底にあった。韓国の強制併合は「明治・日本」にとってまさに長年の夢だったのだ。

 だが、「自虐史観」批判を展開する人たちにとっては、植民地政策はまっとうで避けられない政策だったということになるのだろう。だから、日本が米国属国化(植民地化)している現状については反旗を翻さないのかとうがった見方をしたくなる。菅直人首相が韓国併合百年に関する談話を出したことに対し「いつまで謝罪し続けるのか」と怒るなら、なぜ米国に「ヒロシマ・ナガサキを謝れ」と主張しないのか。「我が国」の尊厳を大切に思うなら、大いに矛盾しているのではないか。

 この国で生まれ育ったのだから、「日本」を誇りある国にしたいと考えるのは、保守も革新もなく当然だ。だからこそ私は、軍事力で他国に攻め入るくらいなら、ひ弱でも凛とした国のほうがはるかにましと思うのだ。植民地化に走った過去の歴史を深く反省し、被害者に謝罪するのはその一歩である。何かにつけて優勝劣敗思想にこりかたまる米国に、対等の立場で物を申すのが次の一歩だ。
 
 そして、何よりも、憲法9条、25条の具現化こそが、確かな日本再生につながる。(北村肇)

市民は社会の主人公であり、国の主人公でもある

 人はそんなに強い生き物ではない。だれかにもたれかかり、ようやく息ができる。でも、これは意外に「強い」とも言える。みんながそれぞれもたれあえば、結構、頑丈な構造物になるからだ。このことを知ってか知らずか、「自己責任」を押しつけようとした面々がいる。「人に頼るな。自分で努力しろ、戦え」。

 こうした、新自由主義に凝り固まった連中の言葉には裏がある。「人に頼るな」には「国に頼るな」の意味もこめられているのだ。かくして格差社会が作り出され、そこでは、「悪いのは自分だから」という自己批判に追い込まれた人々が、国からも社会からも見捨てられた気分に陥り、漂流を余儀なくされる。

 国の主人公が市民であるのは論をまたない。当然、私たちには国に頼る権利がある。だが、悪知恵のきく国は、「だったらお上の命令に従え」とつけ込んでくる。冗談ではない。安心して頼るためには「相手が裏切らない」ことが前提だ。その信頼感がいまの「日本国」にはない。もたれた途端にすっと避けられたのでは、たまったものではない。ただ、矛盾するようではあるが、自分たちの社会は自分たちでつくるという意識も一方で必要だ。国会に丸投げしていたのでは、いつまでたっても暮らしやすい社会は実現しない。

 本誌今週号「参議院選挙の連続特集4」は、NGOで活動する人たちから「政権に何を求めるか、自分たちでどう社会を変えていくか」の声を集めた。昨秋に政権交代を実現したのは、有権者の「力」である。参院選で菅直人政権に待ったをかけたのも有権者の「力」。だが、マスメディアは単純に、政党の勝った負けたしか報道しない。

 いまの新聞・テレビに決定的に欠けるのは、「市民の視点から」という姿勢だ。マスメディアが「主人公」としているのは、常に国会議員であり官僚であり、一部の知識人と称される人間だ。国家を直接、運営するのが議員、官僚であるのは当然。しかし、社会を動かすのは国家機関だけではない。市民の意志が大きなウエイトを占める。このことへの思いが新聞・テレビには希薄すぎる。

「小さな政府」を信奉する新自由主義者の根底にある発想は「競争」だ。民間企業の競争に任せれば、政府の持ち出しは少なくなり、勝ち組企業から上がってくる税収も増える――。労働者の使い捨てや格差・貧困社会を生み出す負の面はすっかり捨象されている。市民が求めるのは、競争社会ではなく、信頼の社会だ。みんながもたれあえる、しなやかで強い社会こそが「真に豊かな国」につながる。(北村肇)

新自由主義の破壊につながる政界再編なら大歓迎

 参議院選の投票率57.9%。ワールドカップ・パラグアイ戦の瞬間最高視聴率は64・9%。この”落差”を意外と思う人は少ないだろう。居酒屋でも電車の中でも「本田がどうのこうの」「岡田監督がどうのこうの」という会話は聞こえてきても、「菅民主党対谷垣自民党」はおよそ話題になっていなかった。「自民党勝利」も余韻をもたらすことはない。国会は“ねじれ”により混乱し、自民党の存在感は多少増すだろう。だが、谷垣禎一自民党総裁が岡田武史監督のように名将の称号を得ることは考えにくい。そもそも市民の永田町に対する関心が薄いのだ。

 有権者の”シラケ”はいまに始まったことではない。だがその質は明らかに変化している。「失われた20年」以前は「この国は何とかなる」という安心感がどこかにあっての投票棄権が多かった。最近の選挙は違う。「現状を変えたい」と託した相手に幾度も裏切られ、そのたびに別の「誰か」を求めてさまよい、また裏切られる。

 政権を壊しても壊しても、何も変わらない――これは避けられない運命だ。閉塞状況にあえぐ人々が壊したいのは「既得権者」。しかし、政権交代は、既得権者から別の既得権者に「力」が移るだけであり、本質は何も変わらないのだ。今回の参院選で民主党が惨敗した最大の理由は「消費税」そのものではない。「消費税」を持ち出した菅直人首相のふらつきぶりにがっかりした有権者が多かった。党首討論を回避する、支持率が下がった途端に言い訳をとうとうと述べる。これらは、昨年の総選挙で、市民がレッドカードを突きつけた自民党の体質そのものだった。つまりは自己保身=既得権保持の姿勢である。

 民主党が勝手にずっこけ、自民党に「参議院第一党」がころがりこんだ。とはいえ、自民党に政権奪取の道筋が見えたわけではない。比例で民主党に及ばないということは、政党支持率では依然として第二党ということだ。ある意味で、まだ民主党への期待は残っている。菅直人首相は見限っても民主党は捨てていない。となれば、9月の代表選が大きなポイントになる。新たな「表紙」への動きが表面化するのは避けられない。

 しかし、それもまた、既得権のたらい回しに終わればシラケを生むだけだ。おそらく今度は、「ぶれない」「強い(と見える)」印象のトップを選ぼうとするだろう。残念ながら、そこには既得権者を根底からぶっ壊す政策論争が起きるとも思えない。むろん、自民党も、躍進したみんなの党も同じことだ。では、どうしたら、この隘路を抜け出し日本は再生できるのか。結局のところ、新自由主義の破壊しか道はない、私にはそう思える。そのための政界再編なら大歓迎だ。(北村肇)