編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

本質を突く

 米英仏によるシリア攻撃のニュースが入る。国会前のデモでは大勢の人たちの怒りが炸裂というニュースも入る。

 本当はこの日、国際メディア・女性文化研究所設立記念シンポジウムに出かけ、あわよくば、デモに参加し、最後はSさんからお誘いがあった読者会に、と考えていた。が、どれも実現せず。

 子どもが高熱でうなされ、おたふくの疑いが濃厚ということだったからだ。複数回罹患した私に感染する心配はない。本人が熱性痙攣を心配していたので、ベッドのそばに椅子をおいて、一晩中様子を見る。

 月曜日には医者に行って治癒証明書をもらい、子どもは登校するはずだったが、なんとおたふくの検査は陰性。そうこうしているうちに自分の体が燃えるように熱くなってくる。こんな展開ってあり?

 熱にうなされていても、イラク日報の隠蔽をめぐる川口創弁護士の記事は明快で、頭にスッと入った。本質を突いている。ああ、でももう限界、ふらふらしながら会社を退散した。

どこを向いているのか

 政府はどこを向いて仕事をしているのか。辺野古新基地の完成後、周辺にある沖縄工業高等専門学校や沖縄電力の送電鉄塔が、航空機の安全離着陸のための高さ制限を越えていることがわかったという。沖電には移設の要請をしているが、「学生と職員計921人が過ごす高専には説明していない」(4月10日付『沖縄タイムス』1面)。

 姑息な対応の違いが意味するところを改めて考える。もっとも大きな危険にさらされるのは誰か? 住民だ。その住民には知らされない。確かなのは、最優先すべきものが住民ではないということだ。

 今週号では、朝鮮半島有事の平和的解決に向けて、関係諸国が動き出しているにもかかわらず、安倍政権が軍事大国化を一辺倒に進めている実態を報告する。

 昨年の4月21日号で後田多敦さんが指摘してくれた「東アジア秩序や社会の破壊者としての日本の誕生」の歴史を思わず重ねてしまう。東京の為政者からは想像もつかない光景がそこからは見えてくる。

姫リンゴと罪悪感

 お、歩いている。住んでいるマンションの隣室から声が聞こえると思ったら、小さな兄弟が2人踊り出て、廊下を走り出した。

 これまで1人はベビーカーに乗っていたのだけれど。もしかして今日が保育園の初登園の日? つづけて荷物をたくさんもった両親が出てきた。

「おはようございます」
 挨拶を交わす。

 この季節、思い出すことがある。子どもの誕生祝いに自治体から姫リンゴの小さな鉢植えをもらったのだ。ベランダに置くと白くてすがすがしい花をたくさんつけた。大切に育てようと思ったのだけれど、枯れてしまった。

 2人目のときも「今度こそ」、と意気込んだが、枯れてしまった。自分のダメ親ぶりが情けなかった。たまたまこの週末に2日だけ戻ってきた大学生の子どもとその話になった。

「それはね、子育てでいちばん忙しい時期だったからだよ」と言われた。なるほど。これまでの罪悪感が吹き飛んだ。それならリベンジを、とも思ったが、やっぱり怖い。また機会があれば――。

熟議を経ぬまま

「改憲」に向けた今後の動きを考えるうえで、3月25日の自民党大会は注目されていた。改憲に向けた意欲が語られ、その方針は決定したが、「改憲4項目」については具体的に示されなかった。これでほっとしていいとは思えないが……。

 これまで安倍首相が進めてきたことで正当性が問われることは多々あった。だが、その問題の本質が明らかになる前に、自公政権は議論を避けて政治課題を強行。そうしていくつもの曲がり角を恐ろしい早さで曲がってしまった。

 その末にあるのが、熟議を経ぬままの憲法改正ではないか。森友問題は、これまでの安倍首相の政治手法を明らかにする上で重要だ。将来に禍根を残さぬために、しっかりと追及していきたい。

 私ごとだが、義母が亡くなった。桜が咲くまでは命をつなげると言われていたので、開花を待つ気持ちと、恐れる気持ちが同居していた。今週号の高峰武さんの記事の中にも出てくる石牟礼道子さんの「花を奉るの辞」が、ひとしお心にしみた。

桜が咲いたら

 東京ではこの17日、桜の開花宣言があった。たしかにちらほら家の近くの桜並木も花をつけている。

「桜が咲いたら、安倍政権には散って貰いましょう」。政治学者の中野晃一さんのこの一言が、ひときわさかんな拍手を浴びた。18日に都内新宿駅西口で行なわれた森友「決裁文書」改竄を巡る市民と野党の街頭宣伝での一場面だ。

 この日は、福島みずほさん(社民党)、志位和夫さん(共産党)、長妻昭さん(立憲民主党)、のざわ哲夫さん(自由党)らと、市民や学者が登壇。久々に奥田愛基さんの姿も。奥田さんが発言されたように参加者の中に創価学会の三色旗を掲げた方がいらした。おかしいものはおかしいと表明する勇気を支持したい。

 国益という言葉に慎重な中野さんだが、G20財務相・中央銀行総裁会議に日本が今回代表を送れなかったことによる不利益を指摘し、安倍政権に政権担当能力がないことを批判した。自分たちのしでかしたことの始末をつけるのは、政権を降りてからにしてほしい。

歴史に残る事件

「鼻の取れたピノキオ君」。いつも難しい論考をお送りくださり刺激をいただく読者の方から、珍しく軽めのエッセイが届いた。そのなかで、安倍首相につけられた名前だ。鼻がなければ嘘をついてもつき放題、ということだ。

 森友事件で、削除された文書に学園側の発言として(昭恵)「夫人からは『いい土地ですから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり、と書かれていたことがわかった。

「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」という安倍首相の発言はどうなる。嘘、偽りがないか糺すべきではないか。

 公文書の改竄、その事実を知り得た会計検査院や国土交通省がだんまりを決め込んでいたこと、さらに関係した役人の自死、いまなお何カ月も勾留されている籠池夫妻の人権問題もあわせて考えると、歴史に残る事件といえよう。今の思いはこれだ。「アベ政治をゆるさない」

被曝と健康

 3月11日が近づいてきた。今週号は「被曝と健康」について特集をした。事実を淡々と伝えることを心がけたつもりだ。

 甲状腺がんの患者さんによる鼎談記事は貴重な内容ではないか。お名前を明かし撮影も許可してくださった3人の方々の決断に敬意を表したい。

 摘出した甲状腺の返還を3人の方が病院側に求めたにもかかわらず、拒まれたケースがあったことには驚いた。というのは、わたしも以前、自分の臓器の返還を求めたことがあったからだ。

 病院側と交渉した結果、臓器は私の所有物だが、処理については条例で定めがあるので、その条例にのっとった対応が必要とのことを確認した。最終的には渡してもらった。

 研究用に提供することがあってもいいと思うが、あくまでも本人の同意があってのことではないのか。とくに3人の方々が返還を求めたのは、それなりの理由がある。

 3月11日は先日亡くなった石牟礼道子さんの誕生日でもある。都内では催しが開かれるようだ。

裁量労働制の本質的問題

「働き方改革のために、毎日残業」。週末、エキタス#定額働かせ放題プランのデモに行く途中の電車で目が行った広告だ。自宅でも業務がこなせるテレワークのすすめか。IT業界にとってはビジネスチャンスだ。効率的に仕事ができるというのは悪いことじゃない。しかしそれで労働者の自由な時間が増えるわけじゃないだろう。安倍晋三首相が国会に提出した法案はそういう問題以前の、杜撰なものであることが露呈している。

 端緒となった首相の国会答弁だけでなく議論のおかしさも指摘した法政大学の上西充子教授もこの日、雨宮処凛本誌編集委員とともに横断幕を持って裁量労働制の本質的問題を訴えた。同制度は経営者にとって携帯の定額使いたい放題プランと同じ、”労働者はモノじゃない”と小池晃議員(共産)。労政審で話し合うべきものが、官邸の産業競争力会議で実質、決められたことが異常。”若者を潰して何の経済成長か”と長妻昭議員(立憲民主)。もっともだ。野党連携による国会でのさらなる追及を望む。

不正義に怒る

「街宣車まで持っている市民団体なんて珍しいなと、少々普通じゃない」

 在職最長記録を更新中の麻生太郎財務大臣のことばに唖然とした。16日、財務省前で開かれた「モリ・カケ追及」緊急デモをめぐる国会での答弁だ。確定申告も始まったこの忙しい時期に、1100人もの人たちがどうして集まらなければいけなかったのか、麻生大臣は思いをいたすこともないらしい。もちろん「立憲民主党の指導」でもない。

 公平・公正であるべき佐川国税長官をはじめとする役人らに嫌疑がかかっていることを、大臣はご存じないのか。彼らは逃げて隠れて説明責任を果たさないではないか。詳細は『週刊金曜日』今週号14~15ページを読んでほしい。

 公的な場での発言だから、撤回・謝罪をしてほしい。昨年の都議会選挙最終日に、安倍晋三首相が秋葉原で「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言ったことをついつい思い出してしまう。エライ政治家にとって、不正義に怒る市民は普通じゃないらしい。

石牟礼道子さん

 石牟礼道子さんの訃報が入った。石牟礼さんは小誌立ち上げ時の5人の編集委員のおひとりだ。その後も小説「天湖」の連載、インタビュー記事などで登場いただいた。

 今週号では落合恵子、田中優子、両編集委員と鎌田慧さんが追悼原稿を書いてくださった。いずれ特集記事を組めればと思う。

 創刊当初の記事では故住井すゑさんとの「作品空間」を踏まえた対談、染織家の志村ふくみさんとの「染」をめぐる対談などが印象深かった。今秋上演予定の石牟礼さんの新作能「沖宮」では、志村さんが衣装を監修されると聞いた。

 小誌では昨年3月17日号で石牟礼さんのインタビュー記事を掲載している。死者と共同体とのつながりという話のなか、かつての水俣での送りについて言及されている。「亡くなった人の魂と共同体の魂がつながっている」から、「お悔やみ申し上げる」というのは「ちょっと違う」。「亡骸を振り返りながら、次の一歩を踏み出す」と語られた。

 いま、そのことばを噛みしめる。