ベーシック・インカムが日本に幸せをもたらす

 横文字のまま一般化する言葉がある。理由は様々だが、プレカリアートとベーシック・インカムについては、はっきりしている。置き換える日本語がなかったというより、「意味すること」そのものが、遠い世界の出来事だったのだ。後者で言えば、日本では「働かざる者(資本家ではなく、なまけ者の意)が食う」ことは、「あり得ない」とされてきた。すべての人に一律に現金を支給する制度など、まったく思いつきもしなかったのだろう。

 結構、革新的な立場の人からも「働きたくない人間にまで、カネを渡すのはおかしい。税金をそんなことに使いたくない」という声を聞く。「勤勉第一」の因習にとらわれているのだ。「障害をもった方はどうするのか」と聞くと、「それは『働けない』であり、『働かない』とは違う」との答えが戻ってくる。

 これだけ格差・貧困が社会問題になっても、「フリーターは好きでやっているのだろう」といった暴論は、まだまだ根強く残っている。派遣切りにあった人へも、同情の声の一方で「職種を選ばなければ働き口はあるはず」といった見方が消えない。いずれも「あの人たちは、もともと働きたくなかったのではないか。不況になり、いよいよ働き先がなくなったのであわてているだけ」という疑念を持つ人が、まだまだいるのだ。だが、本当にそうだろうか。

 そもそも「働きたくない」人間などいない。仮に、そうしたことを言ったとしても、何か理由があるから「今は働きたくない」だけだ。それを単純に「わがまま」と切り捨てた時点で、今度は「働けない」人への冷たい視線につながる。人は生きている限り、いつか働きたくなる。ベーシック・インカムがなまけものをつくることはないのだ。

 この制度がいかに多くの効果を生むかについては、本誌今週号で特集した。とりわけ私が重視しているのは、やさしさと寛容が社会にもたらされることである。新自由主義の社会では、人間が本来、持つやさしさや寛容が、効率と功利の名の下に踏みにじられる。そこに生まれるのは、匿名性の「社会」に対する茫漠とした怒りと復讐の念だ。

 そして、こうした怒りと復讐心は国家権力に巧みに利用され、排外主義、ファシズム、戦争へとつながる危険性がある。ベーシック・インカムは、かような最悪のシナリオを防ぐ有効な手段でもある。飢餓への恐怖心が薄れることにより、やさしさと寛容が醸成されるのは言うまでもなく、そうした社会では戦争の危機が遠のくからだ。すぐにでも実現することで、日本は救われる。(北村肇)

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