編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

時代の流れが激しいときに必要なもの。それは「中高年の知恵」

 ズボンの裾から、ロンドに乗って妖精たちが滑り込んでくる。ひんやりとした感覚が背筋まですり抜ける。わかった、わかった、もう君らの季節なんだよね。タクシーに乗り込むと、運転手さんから、この時期、定番のあいさつ。「今年もあと1カ月、1年が早くなりましたねえ」。うんうん、まったく。


 
 齢を重ねるほど、時間の流れは早く感じられる。それは人間として当然。けがの治りに時間がかかるように、回復力が衰える分、一定の時間内で体験できる分量が少なくなるのだ。おそらく10代のころに比べたら、55歳のいまは、2倍以上のスピードで1年を送っているだろう。いや、もっとかもしれない。

 でも、1年が短くなった原因は他にもあり、しかも、すべての人に共通する。言うまでもないが、社会の変化が激しいばかりに、時間があっという間に過去へと飛び去ってしまうのだ。

 講演を頼まれたとき、冗談交じりに「むかしむかし、安倍晋三さんという総理大臣がいましたが」と枕をふることがある。総理に就任したのは昨年9月、電撃的な辞任が今年の9月。それが、はるか遠い出来事のように感じられる。

 小泉首相が「郵政」で圧勝した衆議院選挙にいたっては、永田町ではまさに「過去の話」で、当時の“刺客”は次期選挙ではほとんど生き残れないだろうとされる。

 一報を聞いたときは「歴史的事件」と鳥肌の立った、福田康夫首相と小沢一郎民主党代表の「大連立話し」が浮上したのは今月9日。小沢氏がいったん代表辞任し、復帰したのが12日。これら一連の騒ぎも、かなり時間のたったまさに「歴史」と思えてしまうから、我ながら怖い。

 つい最近、安倍氏が「これだけは断固、自分の手で行なう」と意気込んでいた、集団的自衛権の解釈改憲が遠のいた。政府の有識者懇談会が今秋予定していた報告書の取りまとめを来年以降に持ち越したのだ。年初には、どこまで進むのか見当もつかなかった右傾化が、急速にしぼんだことを象徴する話しである。

 しかし、油断すると、わずか一日で先祖返りすることだってありうる。そこで、いま必要なのは中高年の知恵だ。「流れに身を任せずしっかり本質を見つめる」という。(北村肇)