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アスベスト法でまたまた見えた、「ニッポン無責任野郎」の官僚たち

 植木等の「ニッポン無責任野郎」が上映されたのは1962年。本格的な経済復興に乗り、「サラリーマン」なる人種が激増したころだ。農業や漁業に従事していたら、仕事の面で人に責任を押しつけることはできない。商店主や家内工業的工場の従業員などもしかりだろう。それに比べれば会社員は確かに気楽だ。

 少しくらい失敗しても、同僚がカバーしてくれる。そのことで会社がつぶれることはない。手抜き、さぼりで首になることも滅多にない。上司に適当にゴマをすっていれば、意外にのんびりと過ごせる。まさしく「無責任」が許される「気楽な商売」。子ども心に、サラリーマンへの憧れが芽生えた。

「大人になったらどんな仕事をしたいか」と先生に聞かれ、「サラリーマン」と答える友だちも多かった。だが反面、「何事においても責任感を持たなければならない」という意識が結構、強くあった。そんな教訓めいたこと、だれに教わったのかは覚えていないが。

 高級官僚の幹部クラスは大体、私と同じ世代だろう。植木等の映画を観たり、歌を聴きながら、みごとに無責任な大人に育ったものだ。今国会で成立したアスベスト法など、責任回避の極みだ。補償法ではなく救済法だと、平然と言えるところが凄い。責任はすべて企業にある、国は関係ない。本当にそう思っているのなら、厚顔無恥という言葉でも追いつかない、唾棄すべき連中だ。

 実態は違うのだろう。厚生労働省、環境省、経済産業省、いずれの省庁の官僚も「国に問題あり」と知っているはずだ。でも、ある人は「とにかく本省の責任だけは回避しなくてはならない」と考え、ある人は「悪いのは当時の先輩であり、自分には責任がない」と居直る。

 今回の件は直接、取材していないので、上記のようなことは推測にすぎない。しかし、かつてさまざまな官僚を取材した経験からして、大きく外れてはいないと思う。あえて言うまでもないが、こちらも唾棄すべき連中だ。

 官僚がサラリーマン化したと言われる。が、実態はもっとひどい。自己保身と自分の利益を最優先にする輩がごろごろいる。だから常に、責任回避に汲々とする。そうやって逃れているうちに、関係のないポストに移ればいいと考えている。目の前の嵐さえ過ぎれば「そのうちなんとかなるだろう」ってか。 (北村肇)