週刊金曜日 編集後記

1365号

▼「ウソをつく教師」に生徒たちは「本当のことは言わない」。今週号の高校演劇『明日のハナコ』の取材で学んだことだ。福井農林高校の管理職や教師によると、地元テレビでの放映中止を悲嘆していた者も含め、演劇部員の今や8割が放映に「反対」だそうだ。この教師が1~2年生8人に聞き取り調査をした結果、4人が「絶対反対」。2人が「放映してほしい気持ち、ほしくない気持ち両方ある」。残り2人が「どうでもいい」だった。「8分の6で反対8割」との強引な算術の歪みを指摘すると、今度は「生徒の人権を思うと一人でも反対したらできない。親が反対してもできない」。土俵を広げた独特の"人権論"を展開した。
「卒業生の1割も農業に就かないのになぜ農業実習するの? 先生たちが失業しないため」とのハナコの台詞にも校長らは反発した。
 芝居も戯曲も舞踏もロマの音楽も、元は放浪の異形の民や「河原乞食」と蔑まれた人々の誇り高き"賤民文化"だ(差別語2カ所!)。「演劇は言葉やもがきを使って客につかみかかる身体表現です」――玉村さんの友人で、福井県でも高校演劇活動を指導してきた劇作家・演出家の鈴江俊郎さんの言葉だ。(本田雅和)

▼昨年のある時、ある読者の方から次のようなお問い合わせをいただいた。
――記事の執筆者で「佐藤和雄・編集部」がいますが、「佐藤和雄・ジャーナリスト、『脱原発をめざす首長会議』事務局長」という執筆者もいますね。同じ人ですか? 別の人ですか?
 はい。「同じ人」です。混乱させて申し訳ありません。もう少しユニークな名前だと、「ああ、これは同一人物だな」と分かるのでしょうが、なんせ「佐藤」で「和雄」ですから。大学入学で田舎から東京に出てきて、下宿の部屋に念願の電話機を付けた時のことです。電話帳をもらったので、自分の名前を調べてみたら、同じ名前で同じ漢字の人物が東京・多摩地域だけで50人もいて、びっくり。こんなにポピュラーなのかと......。
 で、なぜ肩書を使い分けているか、ですね。ほとんどの記事は、編集部員ですから「編集部」でよいのですが、原発やエネルギーに関わるものについては肩書を変えています。ジャーナリストとしての営為には変わりないのですが、読者にはその問題に関わる筆者の立場(=脱原発)をお知らせしておく方がフェアではないか。そんな考えからです。(佐藤和雄)

▼随時、机の書類をデータ化・処分しているのだが、昔の企画の資料が出てくると懐かしくてつい読んでしまい、思うように進まない。
 先日は、2000年代初頭に担当していた「さんぽ道」という企画の資料が出てきた。毎週、違う方に好きなことを書いていただく半ページ企画で、舞台照明家、すし職人、ファッション評論家、絵本作家、詩人、歌人、脚本家、作曲家、映画監督......と多彩な職業の方にご登場いただいた。岩波ホールの総支配人だった高野悦子さんや作家の姫野カオルコさんも書いてくださり、うち合わせした内容は今も覚えている。 
 断り方で印象深い方も複数いらっしゃる。傑作なのは黒柳徹子さん。引き受けたいがこれから芝居の旅にでて、その後はユニセフの視察でアフリカに行き、そのことについて書けたらいいがその報告のテレビ番組もあり......と早口の口調が聞こえてくるように予定を書いてこられ、「これでもう990字近くになるのではないかと思いますが(略)このように言い訳をしているのでございます」と原稿分書いてこられた。読み直し、これらの資料は私の宝物だと改めて思う。処分を断念し、自宅に保存することにした。(宮本有紀)

▼業務部の片山務さんが、1月末で退職しました。在職中は発送業務を担い、宣伝チラシ配布の働きかけをお願いしていましたが、実は金曜日の退職が今回で3回目という前例のない方です。経歴をひもとくと、草創期の1996年7月、業務部員として入社。主に読者会担当として活躍し、2009年8月に定年を迎え退職。そして2年後の11年、震災の影響による急激な部数増に対応するため、同年10月にパート社員として再入社。13年3月の契約満了まで読者会を担当しました。さらに6年の歳月が流れた19年2月、パート社員として再々入社を果たし、厳しい経営状況のなか3年間業務を支えてくれました。いずれの復帰も会社有事の際、当方からの要請です。属人的になりがちな業務部の仕事を把握したうえで、臨機応変にこなせる即戦力は世界で1人しかいませんでした。
 片山さんが読者に戻って2週間、日を追うごとに三度目の「片山ロス」を実感しています。常々、金曜日で働けることの幸せを語り、多くの読者と触れあうことができる環境に感謝していたその言葉が、最近耳の奥でこだまするようにもなりました。(町田明穂)