週刊金曜日 編集後記

1358号

▼NHKは恵まれた条件と潤沢な制作費で優れたドキュメンタリー番組を量産してきたが、番組改竄事件でその責任を押し付けられたドキュメンタリージャパン(DJ)のような末端下請け制作会社の取材・企画による秀作も多い。今週号ではNHK子会社の元プロデューサー林勝彦さんが、長年の沈黙を破り証言してくれたが、「飛ばされる」ことを恐れて政治介入と闘えなかった「組織ジャーナリスト」の限界も感じた。
 一方で当時のDJ代表、広瀬凉二さんは事件から半年後に退社。たった一人でプロダクションを立ちあげ、商業映像で生活費や制作費を稼ぎつつ、2013年にはイラク人質事件をテーマにした記録映画『ファルージャ』を発表した。
 人質被害者がネットや一部メディアから「自己責任だ」と激しい非難を受けたことに反発したのが制作の動機。「テレビドキュメンタリーの現場で40年間仕事をしてきた私自身への『自己責任』と思ったからです。自己責任とは誰かに問われるものではなく、『自分らしく生きているか?』と自らに問うことだ」と語る。そんな広瀬さんが今回、病床からテレビ電話取材に応じてくれた。(本田雅和)


▼本誌30ページ、映像作品「女の子たち 紡ぐと織る」についてのインタビューで、小林エリカさんから『ある女の歴史』の現物を見せていただきました。『女工哀史』の事実上の共作者・高井としをから彼女の人生を聞き取り、同書を編纂した「現代女性史研究会」は、岐阜県の工場で働きながら短大に通った女性たちが中心の自主サークルです。全8巻のうち1巻はガリ版刷りの冊子で、作り手の真摯な気持ちが伝わってきました。
 としをの自著『わたしの「女工哀史」』(岩波文庫)解説文で斎藤美奈子さんは「彼女の爽快な生涯は、いっそ『女工快史』と呼びたいほどだ」と述べています。確かに、同書に収められた飾りのない詩の一つひとつにも、戦後の日雇い労働者運動の仲間たちの思い出を綴った文章にも、そして「石にかじりついても生きてはいけないけれど、仲間の手はしっかりとにぎってはなさないつもりで生きぬいてきたのでした」という末尾の言葉にも、澄み切った美しさが満ちています。広く読まれてほしい1冊です。(植松青児)


▼今回は手元にある『有馬修川柳集』を少し紹介します。
 有馬修は1924年に兵庫県に生まれ、49年に国立ハンセン病療養所邑久光明園に入所。2017年、93歳で亡くなりました。『有馬修川柳集』は、彼が遺した3000近い川柳の中から、私の学生時代からの知人、大澤敏男、足立理八郎、小林茂の3人が600余りを選び、刊行したものです。
 有馬の柳作には、「治ったよもう宛先の無い手紙」「断種痕うずくわたしの誕生日」「父と成ることもなかった土踏まず」などハンセン病や断種手術の理不尽さ、子どもを持てなかった悔しさの句もありますが、ユーモアに富んだ力強い句が秀逸です。「ラムネ玉それほど甘くないぜ世は」「哭ききってそれから図太くなった五指」「補聴器を外して愚痴を聞いてます」「五十肩と言われ浮きうき帰る道」「般若経読む日々やがて読まれる日」
「政治不信夏の林檎は芯を病む」という諷刺の句や、日常を切りとった「サンマ一匹涙こらえて焼いている」、妻(照子)への思いを詠んだ「茶を啜るいつか独りとなる妻と」などには思わず目がとまります。
「言葉の広場」の「金曜川柳」へのご投稿をお待ちしています。
(秋山晴康)


▼年明け早々のこと。彼は若く大切な友人だった。昨年暮れ、頭痛と発熱を訴えるが、コロナの疑いありということで自宅待機。年が明けてようやく病院に行くことができ、「PCR検査」は陰性だったが、そこで血液の病気が判明する。一刻を争う病状で、即入院すべきところ、受け入れ先が見つからず、その日はとりあえず帰宅させられた。納得しない家族は自ら方々の病院に連絡し、なんとか都内の病院に入院できた時には手の施しようがなく入院翌日逝去した。「悔しい、コロナ禍じゃなかったら......」と彼の妻からの一報をうけ霊安室にいる彼に会いにいった。赤みを帯びた顔はご遺体ではなく眠っているよう。ただこれは現実だ。演台に用意なく立たされた思いがよぎり、悲しみより理不尽さがこみ上げた。そして五輪開催どころではないぞと確信したのだった。
 長短あれども別れは誰にも平等に訪れる。だから個人的な「悼み」を記すことに躊躇していた。それでもこの期に及んで「札幌五輪」の話が出るこの国のありようにブチ切れた。いい加減にしてくれ。
 先週遺族から「自宅の近所にお墓を建て無事納骨式を終えました」とメールが届いた。彼には天気の良い日会いにいく。
(町田明穂)