週刊金曜日 編集後記

1355号

▼妊娠したみたいだ、でも今雇い主に言ったらやめさせられる、誰にも相談できない、という状態で無理して働き続け、大量の出血と痛みの中で孤独に産んだ子は死んでいた......ベトナム人技能実習生の女性の体験を思うとせつなくなる。異郷での孤独な死産はどれほど悲しく辛かったか。しかもそのあと死体遺棄容疑で逮捕・起訴され、一審で有罪となってしまう。
 この件を「技能実習生なのに妊娠した人の話」と捉えてほしくない。この国の人権意識や司法システムに関わる問題だからだ。
 外国人技能実習制度の建前は「人づくり」だが、日本人相手なら不可能なほど低賃金・長時間働かせ、移転の自由もなく数年で帰国させるのが現状。「現代の奴隷制度」との批判もある。その状況で妊娠を相談できず孤独に産んだ女性を罪に問うこの国の歪みを放置しておいていいのか。さらに、実行していないのに「死体を埋めるつもり」だったと検察が憶測したことで起訴され、有罪になる恐ろしさも認識しなくてはならない。これらの問題点をまとめた今週号の記事にご注目を。(宮本有紀)

▼音楽家や画家は、"国境"や"民族"を超える芸術という言語を持った人たちで羨ましいと、安易に一度でも思ってしまった自分が恥ずかしい。先週号のコラム「風速計」でピアニストの崔善愛編集委員の最後の一行でそんなロマンティックな幻想は打ち砕かれた。
 ポグロムや水晶の夜は、ナチス・ドイツのポーランド侵攻後も各地で続き、ナチスはショパン作品を禁止し弾圧する一方で、ワグナーなどの音楽を重用した。アウシュビッツではユダヤ人による音楽隊が収容者らを、そして「音楽を愛するドイツ軍将校」らを「慰めた」。ヴァイオリンやセロが巧いだけで同朋に死への行進曲を奏でる音楽隊員として生き残った者の苦悩など、自分には難解なメシアンの曲ほどもわかっていない。
 ユダヤ人やパレスチナ人の苦難を語るインテリは多いが、日本人が朝鮮人に何をしてきたか、何をしているかを語ることは教育の場でも弾圧される日本社会だ。多数の沈黙の中で進むヘイトに対し、川崎市の崔江以子さんが裁判を提起した=今週号。(本田雅和)

▼本誌9月10日号で「菅首相の自壊とイベントとしての自民党総裁選」という記事を書いた。そのおり、二つのことを考えていた。
 一つは自民党が持つ「政権の座」への執着である。1993年7月の衆院選で、55年以降政権を握ってきた自民党は初めて下野する。が、94年6月には村山富市・社会党委員長を首相とする「自社さ」政権によって政権に復帰。新聞記者としてその動きを取材していた私は、自民党という「獣」が、権力という「獲物」を狙うすさまじいほどの執着力に驚いた。
 菅義偉首相では選挙に負ける――。今回の総裁選による「選挙の顔」の交代は、自民党議員たちの生存のための本能的な判断によるものだ。改めて権力への執着を実感させる出来事だった。
 もう一つは、同号の記事に書いたように「『自民党のイメージアップ』につながる一大イベント」としての総裁選である。テレビを中心とした報道ぶりは読者がご存じの通りだ。公職選挙法の適用を受けず、取り上げやすい自民党総裁選は、視聴率が稼げる格好のイベントだったのだ。(佐藤和雄)

▼連れ合いが1、2年前から宝塚歌劇団にハマっている。誘われて初めて観劇した際は緊張した。観客の9割以上が女性なので場違いな感じ、コロナ禍の声出し禁止のため、拍手・手拍子で応援するタイミングがわからない......等々。
 一方で、「男役」と「娘役」トップ2人(雪組)の歌の上手さに、「宝塚ってこんなに歌唱レベルが高いのか」と驚いたのだが、後で2人は宝塚の歴史のなかでもトップクラスと聞いた。残念ながらその公演で2人とも「卒業」したのだが、初観劇としてはラッキーだった。宝塚出身のスターと言えば越路吹雪が真っ先に思い浮かぶような、高齢世代の私でもすぐに魅力を感じとれるのが、歌だからだ。
 その後も何度か観劇し、原作を宝塚流にアレンジする演出の面白さや、劇後のショーの華麗さなど、興味の範囲も広がってきた。とは言え一番の関心事は、宝塚が歌舞伎と表裏の、性別を越境する舞台芸術として伝統を確立できたのはなぜかという理由。答えを肌で感じとりたいのだが、まだ、一歩も近づけていない。(山村清二)