週刊金曜日 編集後記

1344号

▼9月3日の金曜日。私は早朝から本誌9月10日号に掲載する原稿を書いていた。「自壊する菅首相」というタイトル(見出し)を付けた2ページ分の原稿である。
 3日付の『朝日新聞』東京本社版朝刊1面トップは「菅首相、二階氏に出馬伝達 総裁選」の記事。『読売新聞』も1面左に「首相、6日に党四役刷新 総裁選に出馬へ」だった。私が聞いている話でも、大体そのような流れだった。菅義偉首相が自民党役員人事を断行し、総裁選に臨むというシナリオだ。3日の役員会と総務会で人事の一任をとりつけるという運びだ。
 原稿は6日朝までに担当デスクに送ればよかったのだが、事態の急変に備えてとりあえず書いておこうと思ったのだ。
 私は書きながら「すんなり人事の一任がとりつけられるだろうか」と疑っていた。総裁選の情勢は急速に菅首相に不利に傾いていた。総裁選間際での党役員人事にも「大義」は見つけにくい。
「出馬断念」の速報が届いたのは、ちょうど原稿を書き終えたころだった。(佐藤和雄)

▼東京パラリンピックが5日、閉幕した。勝敗にかかわらず、やり切った満足感からか選手の笑顔が多かったり、年齢に関係なく出場が可能だったりと、五輪とは違うおもしろさがあったと思う。しかし、やっぱり違和感は拭えない。
 開幕前日、コロナ禍での学校観戦がテレビで議論され、出演者が「障害のある人と子どもたちが話す機会を設けてほしい」と発言。それを知った16歳の車いすの少年は、こんな疑問をツイッターで投げかけ、後日話題になった。
「小学生の頃、地域の小学校の校長に『君がうちの生徒と交流してくれたら、学ぶことがたくさんあるんだよ』と言われて、僕は教材じゃない」(一部略)、続けて「なぜ幼稚園から健常と障害を分けた場所で教育するんですか?」。
 彼は病気を理由に地域の小学校から入学を断られたのだという。
 小池百合子東京都知事も8月の会見で「学校連携観戦というのは、まさに教育的な要素が大きい」と発言していた。パラ閉会式では世界人口の約15%は何らかの障害があるとして、差別解消などを呼びかけたが、なんとも虚しい。(吉田亮子)

▼「ブラーボ」のないオペラやバレエ、大向こうのない歌舞伎、歓声もコール&レスポンスもないライブ......。わかっちゃいるけど、いつまで経っても慣れません。舞台の感動って演者のパフォーマンスだけでなく、観客のこういうリアクションも作り上げるものだったんですね。
 かけ声や指笛が禁止になって早1年強、今やコンサートやライブの感動は以前の半減、いや4分の3減くらいなんですが、それでも「中止」が相次いだ昨年に比べればまし。早くあの、おじさまたちの野太い「ブラーボ」や「××屋!」が聞きたいものです。でもひょっとしてこのままの状態が続くと、「観客のかけ声文化」が消滅してしまうのではないかと危惧します。
 さて、東京パラリンピック閉会式の"What a Wonderful World"よかったですね(すみません、テレビ中継を見てしまいました)。奥野敦士さんのサッチモ(ルイ・アームストロング)ばりのダミ声の出だしに......やられました、しびれました。(渡辺妙子)

▼目まぐるしいほどの「自民党劇場」に、メディアは日々、翻弄されている。誰が次の自民党総裁になろうと、現在の菅義偉内閣よりは支持率が上がるので、衆院選での野党共闘を早急に模索していくことが必要になっている。そして、「自民党劇場」に踊らされず、野党共闘を模索する場としても、『週刊金曜日』は誌面を使う必要がある。ということで、連続特集「野党共闘を探る」の2回目以降のためのインタビュー・取材は進んでいます。
 さらに、忘れてはいけないことは、米軍撤退によって、さも「終わった」かのようになっているアフガニスタン難民のことだ。日本大使館などで現地勤務しいてたアフガニスタン人のスタッフはもちろん、たくさんの退避すべき人が取り残されている。「状況は悪化しています。何とかならないでしょうか」と、現地から藁にもすがる思いのメッセージが届いた。焦燥感はつのる。日本政府ができることは、アフガニスタン難民のためにビザを発行し、かれらを受け入れるためにどうしたらいいのか、支援者や学者らと連携して模索することだ。(渡部睦美)