週刊金曜日 編集後記

1307号

▼国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の来日に対し、東京五輪に反対する市民が抗議する様子を先週号で報道した。このとき、公式記録映画担当の河瀬直美監督も会長一行に同行していて反対派市民を無断撮影したことも伝えた。市民らは「翼賛映画に私たちを使わないで」と訴えていた。
 河瀬さんは「わかった」というように軽く片手をあげ、しばらくして撮影は止めたようだった。でも、カメラ内に保存されたその映像はどうするつもりなのだろうか。独立した表現者としての考えをうかがいたく、河瀬監督の事務所に連絡したが、担当者からは「すべて五輪組織委員会が窓口です」と取材を拒まれた。
 不本意ながらも組織委広報担当に尋ねると、「現場で肖像権に配慮するよう求められ、撮影は速やかに停止しました。公式映画には使用いたしませんので、ご了承いただけますと幸いです、という内容です」との回答。監督からの伝言かとの確認に「というよりは組織委の回答です」と繰り返す。
「映像は消去するのか。警察・公安関係者に提供することはないか」との筆者の再質問に、担当者は「消去まで確認していないが、肖像権を侵害してまで何かに使うことはない」とした。
 私は新聞記者時代から、取材も撮影も、自らの立ち位置にこだわり続けてきた。デモの群衆の中からの撮影と、機動隊の背後からのそれでは光景は全く異なる。が、たとえ弾圧する側からしか撮れない場合でも、残すべき記録はあると信じる。ナチス政権下のベルリン五輪で、多様な選手たちの躍動する肉体を撮ったレニ・リーフェンシュタールの作品『民族の祭典』の「映像美」も、私は否定しない。河瀬さんとは、そんな話がしたかったのだが......。(本田雅和)

▼今回の「徘徊団」は首が疲れた。しかし、空にぽっかりと穴が開いたようなきれいな月明かりがお供してくれた。寒さは、「すずしい」以上にはならず徘徊日和。
 だが道を間違えた。第5回の「お台場」の時もそうだが、とにかくまわりが暗く、目標物が見えない。そのうえ、これまでの人生はだいたい前後左右で生きてきたため、東西南北に非常に疎いと言い訳。
 たんなる方向音痴ではないと自負しているが、富士山が見える三ツ峠ではコンパスを使ったのにまったく反対側に下りてしまい、ほかの2人から大顰蹙。八ヶ岳、東天狗では坪庭で迷走し(濃霧だった)7人が遭難しかけた。これも先頭の私の責任。
 前後なら前に行きたいし、左右ならいつも左に進んできた。太陽が見えなくとも、即座に方角がわかる人がうらやましい。方向に限らず長さや重さ、風による天候の崩れや、危険な気配などに鋭敏な人はいる。より動物的なのだろう。
 そういう、人間が本来生きていく上で持ち合わせていた「生物本能」は鈍磨の一途だ。木の葉と幹を触る(方角と湿気)だけで方角はわかるらしい。(土井伸一郎)

▼いつかここを去る日がくるとしたら、本欄「金曜日から」に最後何を記そう。まず読者の皆さまにお礼を申し上げ、多くの取引先に感謝の言葉を記すだろう。ただ、雨の日も雪の日も、そしてこのコロナ禍にあっても、『週刊金曜日』を毎週読者のもとに届けてくれる郵便関係者のみなさまには、別途改行して感謝の気持ちを添えるつもりだ。配達はリアルな仕事であり、今後さらに技術が進んでも、当面リモート化はなりえないだろう。「東日本大震災」の際、被災された読者の避難所にまで本誌を届けてくれた局員さんがいたことが忘れられない。
 さてこうした思いを抱くなか、懸案であった「改正郵便法」が成立した。来秋から郵便物の土曜日配達が廃止となり、配達のリードタイムも緩和され翌日配達がなくなる見込みだ。定期購読は原則毎週水曜日に郵便局に納品して、木曜日から土曜日にかけてお届けしている。これは本誌にとって死活問題で正念場。もちろん今回、顧客に対して事前の相談やヒアリングなど一切ござらん。いまのうちに言っておきたい、「そりゃないぜ、郵政さん」。(町田明穂)