週刊金曜日 編集後記

1285号

▼20ページの鼎談で崔善愛さんと前田哲男さんにお話しできなかったことがあります。実は私、崔さんが知るよりもずっと前、中学生のときに「メモリアルクロスが国連軍兵士の追悼目的で建てられた」ことを知っていました。しかも部活(陸上競技部)ではメモリアルクロス付近で折り返す練習コースを年に100回ほど走っていて、旧日本陸軍墓地同様、あの十字架は当時の身近な風景でした。
 しかし、「へえ、米兵の追悼ね......」と受け止めて終わりにしていました。そうやって「他人たちの戦争」と受け止めていることに疑いも持たなかった。そのことを後悔し、恥ずかしく感じたのは、崔さんの著書『十字架のある風景』を読み、崔さんをテーマにしたTVドキュメンタリーの録画を観てからです。その時、自身が「日本人」という壁をこしらえて、その内側から世界を見ていたことを痛感しました。今特集の編集を終えても、その後悔は続いています。
 今回の特集のキーワードは「忘却」ですが、さらに「他者化」という問題も検討される必要があるのでしょう。朝鮮戦争に限らず、日本人はどれだけ多くのことを他者化してきたのかを。(植松青児)

▼2000年6月15日、初の南北首脳会談を経て共同宣言が発表された。当時はこれで南北関係が良い方向に進んでいくものと思っていた。だが、20年後のいま、南北関係は最悪の状況だ(本誌「アンテナ」8ページ参照)。脱北者のビラ散布に怒った北朝鮮が南北間のホットラインを遮断し、金正恩朝鮮労働党委員長の妹で党第1副部長の金与正氏は開城にある南北共同連絡事務所の「破壊」を警告。軍事的圧力まで示唆するに至った。6・15共同宣言後も盧武鉉政権までは南北間の往来や経済協力は活発だった。しかし、保守派の李明博、朴槿恵両政権時代に南北関係は冷え込んだ。ろうそく革命によって誕生した文在寅政権下の18年、南北関係は劇的に動いた。4月27日、板門店で文大統領と金委員長による南北首脳会談が行なわれた。5月と9月にも両首脳は会談するなど信頼を構築していった。それなのになぜ? 北朝鮮は過去2年間の韓国側の姿勢を厳しく非難している。「信頼は粉々」とも。今回の動きの背景には、米朝関係が膠着していることへの苛立ちもあろう。文大統領を信頼して進めたのにうまく行かなかったではないか、ということか。(文聖姫)

▼「I can't breathe!(息ができない)」。ジョージ・フロイドさんが殺される映像で発している言葉だ。同じフレーズを遺して亡くなった6年前のエリック・ガーナーさんの事件をすぐに思い出した。1992年のロサンゼルスで起こったロドニー・キング事件も警察の暴力事件だった。日本で起こった事件も思い出す。10年前の3月に日本で強制送還中に殺された(と私は思っている)ガーナ人のスラジュさんの事件だ。スラジュさんは強制送還中、入国管理局(当時)の職員に前屈みに押さえつけられた。「息ができない」と言うことさえできなかっただろう。タオルで猿ぐつわを噛まされていたから。地裁で窒息死とされた彼の死は高裁で逆転。最高裁も高裁判決を支持して持病が原因の死ということになった。
 ドイツのマース外相は差別が対岸の火事ではなく、ドイツ国内でも吹き荒れているとツイートしたという。入管の問題や朝鮮学校の無償化除外、など公的な場で差別、排外主義が吹き荒れる日本に、残念ながら同様の見識を示せる閣僚は現在は期待できそうにない。このまま日本人は、アッケラカンのカーと知らないふりのままでいてもよいのだろうか。(原田成人)

▼1人一律10万円の特別定額給付金は、基本的に世帯主が申請して世帯主の口座に世帯全員分を振り込むという支給方法だが、なぜ個人単位でなく世帯主への支給なのかと批判の声があがっている。しかも「受給権者」という言葉が総務省の案内に表示されているのも問題だ。受け取る権利の主体は個々人であるはずなのに、これでは、世帯構成員には「受給権」はなく世帯主から分けてもらう立場になる。世帯主が子どもや配偶者の分を使い込んでも「受給権」が世帯主にあれば被害を訴えることも難しい。親や配偶者の暴力から逃げて暮らす人たちなどへは、個別に支給の対応をとることにはなったが、「一定の要件」を満たさねばならない。その要件を満たさないが逃げている場合もあり、さまざまなケースの問い合わせを受けて対応する各自治体窓口の混乱も察するに余りある。
 最初から個人支給にすればすむことで、与党内でも個人単位の支給であるべきと言う議員もいる。ただ、自民党は個人支給とマイナンバー制度の活用を結び付けて考えているようなので警戒が必要だ。そもそも、家制度の名残色濃い世帯主制度など必要なのか。早急に考え直すべきだ。(宮本有紀)